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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年10月17日火曜日

伝統を守るとは?そもそも“伝統”って何?

 8月の終わり、ボクの地元の神社のお祭りがありました。ボクも役をいただいたので、土日と参加してきたのですが、このお祭りについて母に色々話を聞き、「伝統を守っていく」と言うことは、どういうことなのか、そしてその本質はどこにあるのかと言う事を考えさせられる出来事でした。

また別の機会に、とあるコミュニティに参加した際、ボクは良かれと思ってした行いが「それは伝統違反です。分からなければ先輩にその伝統と概念を聞いて理解した上で参加して下さい」とお叱りをうけ(笑)少々、ご立腹のボクは、この「伝統」とはどういうことなのか、深掘りしたいと思い今回の記事のテーマにしました。



伝統とは…
伝統とは、古くから受け継がれてきた、しきたり・様式・傾向・思想・血筋などの有形無形の系統のことです。伝統は、民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い、伝えてきた信仰、風習、制度、思想、学問、芸術など、さまざまな分野において存在します。伝統は、普遍的な価値と精神性、歴史的な存在意義として継承・伝承されていきます。しかし一方で、本来は「伝統」ではないものが「伝統」として広まることもあり、これらは「創られた伝統」、「伝統の発明」、「伝統の捏造」等と呼ばれます。




ボクの参加した、地元の神社のお祭は、毎年8月最終週の週末に行われます。古く続くそのお祭りは「神楽舞」と「奴踊り」を神様に奉納しています。



この神社の氏子は5つの地区の人々から成り立っています。そしてこのお祭りも、その氏子たちが執り行うのですが、実は以前からの「しきたり」として人足を集める時、それぞれの役は決まった集落からしか出せない、と言うものがありました。

例えば、
奴:A地区 神楽舞の子ども:B地区 神楽舞の獅子:C地区 お囃子:D地区 旗持ち:E地区、のように。 
また、役をやるのは全て男性のみ。とか。

昔はこのようなしきたりでも問題ありませんでした。しかし、少子高齢化が著しい「限界集落」のこの地域で、このようなしきたりを守っていくことは非常に困難になってきています。

ある特定の地区だけから子どもを選出すると言うことや男性だけで役を担うということは、とても困難を極めていて、どこかで何かを妥協するしかなくなってきていたと言う事実があります。

そこで10年ほど前より、氏子総代が集まり、これらのしきたりを一部緩和したと言うことでした。例えば、女性も参加して良い、とか、子どもの役はどの地区から選出してもよい、とか。


ボクは個人的に、それはとても素晴らしいことだと思っています。そもそも、なぜ「役割を選出する時にその地区からしか選出しなければならない」とか「男性のみ」などのしきたりの『意味』は何なのか、と言う事だと思うんです。「そうでなければならない理由」「筋道の通った理由」と言うものがあるのでしょうか?

おそらく今の世に生きている氏子たちに明確に理由を答えられる人はいなかったのでしょう。それよりも「このお祭りを継承していく」事が重要と考えの結果だと思います。

お恥ずかしい話し、ボクは祖父が生きていた頃は、毎年、祖父の運転する自転車の後ろにまたがり、連れてきてもらっていました。ボクが小学4年生の時に祖父が他界し、中学生になるころにはもう、興味もなくなりお祭りを見に行く、と言うこともなくなりました。まあ言ってしまえば「毎年やっている同じこと」「代わり映えしない古い行事」のようにとらえていたのは事実です。

そこで、今回、せっかく役をもらったので、この神社の由来というものを調べてみました。と言っても、神社にある看板等をヨク観察しただけですが(笑)。


「南宮神社由来」
伝えるところによると、奈良時代、原村(はらむら)に住む大坪家の祖先が「東西を清流に囲む土地に移りなさい」という夢のお告げを聞き、同村の御手洗の池の中に神像を見つけ、養老元年(717年)是本(これもと)、中桐(なかぎり)、西洞(にしぼら)、印雀(いんじゃく)、原(はら)の5つの村民の協力を得て、中桐村宮切の現在地にお御堂を建立して祀った。
社殿は流造の本社(間口二間、興行二間)と拝殿(間口五間、興行三間)で、本道狛犬二体、御神体(金山彦命)、板獅子など文化財に指定。この社は宝暦四年に始まる宝暦騒動で郡内130余の村の百姓代が集まり、検見取廃止の相談傘形に連名をした舞台である。
創祭は、毎年8月末土日に奴踊(重要文化財)と大神楽が奉納される。
(平成18年2月吉日)
(一部、誤訳・誤字の可能性あります。スミマセン)

(この看板は郡上一揆について書かれています)


この神社の始まりは奈良時代となっています。710年(和銅3年)から784年(延暦3年)までの74年間と言われていて、今から約1500年ほど前の話になります。そしてそもそも、『神楽舞』や『奴踊り』をこの時期に執り行われる「意味」は何なのか。

『神楽舞』というのは神社で行われる祭礼の際に、神様に対して祈りと感謝を伝えるために奉納される舞のことで、神楽舞の起源は、豊作・豊漁を願い、疫病を追い払う儀式として舞われたと言われています。神楽舞は、1600年以上の歴史を持ち、全国に広まりながら様々な形で伝承されています。その起源は、紀記説話の中の「天岩戸(あまのいわと)伝説」にまで遡るともいわれます。

一方『奴踊り』というのは、奴踊りは、江戸時代の武家の下僕であった奴の姿に扮して踊る民俗芸能です。唄や囃子、楽器に合わせて上体を前後にゆすったり、首を左右に傾け前進するユーモアたっぷりの踊りです。旧藩主たちの参勤交代の先頭役をする「奴さん」の仕草を舞踊化したものとの説もあります。


ここで少し、矛盾が生じます。
この神社で奉納されている『神楽舞』と『奴踊り』には、その派生に時代的なズレがあるのがおわかりでしょうか。

『神楽舞』に関してはおそらくこの神社を建立し、神様が祀られた時期とほぼ同時期に執り行われるようになったと思います。時期的に「豊作祈願」が意味合いとして大きかったのではないでしょうか。

しかし『奴踊り』の発祥は江戸時代です。この神楽舞のおおよそ1000年も後の発祥です。

この2つが「あたかも同じ様な意味合いをもたせながら今に受け継がれている」というのはとてもとても不思議な感じがしますよね。

そしてなぜ、神事というのは「女人禁制」なのか。
その疑問を紐解くと、古くは、女性は穢れ(けがれ)ているとされ、清浄を重んじる神社の神事には遠ざけられてきました。また、女性の「月の物」に関連する概念は「(生死に関わる事なので)不浄」とされてきた事に由来するそうです。


何を伝えたいのかというと、「伝統」として今の世に受け継がれてきているものと言うのは、そもそも「ソレを」「どうやって」「何の意味で」行うのかと言うことを、『始めに考えだした人たちがいる』と言うことと『時代とともにその形が変わっている』と言うこと、そして『そのやり方自体も変化している』と言うことです。

ボクが参加したこの神社のお祭も、もし「どの役割をどの地区の人が担う」と言う“形”を取り続ける事が第一優先になっていたら、とうの昔に廃止となっており、今の世に受け継がれてはいなかったともいます。

そしてボクが考えるに『奴踊り』と言う「芸能」の文化が“後付”され、本来は『神事』であった」はずのお祭りも『楽しみごと』として変化しています。



おそらくこの様な『このお祭りにどのような意味・意義があっていつから始まっているのか』という事はある一部の人しか知らず、多くの人は「それを昔から行っていることだから続けていくことが当たり前だ」の様な感覚で受け継いでいるのではないでしょうか。

ボクはそれが良い・悪いの話しをしているのではなくて、その様に変化している事が事実としてあり、そしてそれは致し方のないこと、あるいは当たり前のことだと思っています。



『伝統』と呼ばれるものは、その時代・その時代にあった形・方法に変化していく部分と、変わらない部分があって、それは必然であり、それがなければ長く伝えられないと言う事実がある、とボクは思います。

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