皆さん、ふとした瞬間に思い出す人、一人や二人いますよね?
初恋の人、同級生、元職場の同僚、祖父母などなど…すごく近しい存在だった人の場合もあるしそうでない場合もありますが。
今日は、ボクがふと思い出した小学校の同級生についてお話したいと思います。
ボクの通っていた小学校というのは、本当に田舎の学校で、1学年1クラス。ボクの学年は、全員で27人でした。
そのうち男子が9人。
ボクが今日、ふと思い出したのは女子Aさんです。
原因は分かりませんが、彼女は「話せない」人でした。言葉は理解できていて、指示された動作や行動もでき、運動機能などはなんら問題はないのですが「話せない人」だったんです。
ボクが住んでいた地区とは離れて住んでいたので、放課後とか休日とかに会うこともなく、学校でも一緒に遊んだ記憶もないのですが、彼女の声をボクは知りません。しかし噂では「自宅やごく親しい人であれば話せる」とは聞いたことがありました。
おそらく知的障害でも発達障害でもなかったと思います。むしろ、心の病気…だったのでしょう。
せっかくの機会と思い、そのような心の病気の事を何と言うのか、調べてみました。
『場面緘黙(かんもく)』というそうです。
ボクは子どもながらに、彼女の事をとても不思議に思っていました。「耳で聞こえているのに、先生の言うことは聞けるのに、どうしてしゃべれないんだろう?」と。ボクは、自分自身との違いを持つその彼女を遠巻きにみていました。そして何だか“簡単に触れてはいけない何か”を感じ取っていて、ボク自身から彼女に話しかけたり遊びに誘ったりした記憶はありません。
日本場面緘黙研究会の公式サイトによると「不安症(不安障害)の一種」との見解がありました。
不安症(不安障害)とは…
不安は本来、脅威や精神的ストレスに対する正常な反応です。正常な不安は恐怖に根ざしており、生きのびるための重要な機能として働いています。しかし、その場面にふさわしくない状況で不安が沸き起こったり、日常生活に支障をきたすほどの症状(息切れ・めまい・はっかん・動悸など)が出現すると、『不安症(不安障害)』と診断されます。
代表的なものに
・パニック障害
・社交不安障害
・強迫性障害
・全般性不安障害
などがあります。
もう40年ちかく前の話なので、当然スクールカウンセラーなどはおらず、おそらく担任の教諭と養護教諭で何らかの対応をしていたとは思うのですが、なんせ田舎の小さな小学校、特別支援学級などなく、ボクらと同じ教室で机を並べて学校生活を送っていました。
田舎の小学校なので(何度も繰り返しますが)担任の教諭と言うのは、1~2年生、3~4年生、5~6年生と2学年続けて同じ教諭でした。どの学年の教諭も必ず一度は彼女に「皆のまえで口頭で何かを発表させる」と言うチャレンジをさせていた記憶があります。
ボクはそんな場面に遭遇すると「しゃべられないのにどうしても無理にしゃべらそうとするんだろう?」「無理やりやらせるなんてかわいそう」そう思っていました。ただボクもどちらかと言うと気が小さい方なので(笑)それを堂々と口にして大人に立ち向かうだけの勇気を持ち合わせていませんでした。
1990年のWHOが設定したICD-10(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)には「選択性緘黙」として疾患名が記載されており、情緒障害に含まれるとされていたようです。そう考えると、ボクが小学生の頃の彼女というのは、ある程度「心の病気」として認識されつつあったのかも知れません。
小学校を卒業して中学校に入学。
中学校は、いくつかの小学校区から児童が集まりますので、1クラス45人の全5クラスだったと思います。ただ、Aさんとは一度も同じクラスになったことがありませんでしたし、高校進学時に彼女の存在すら忘れていたので、その後、彼女がどのような人生を歩んでいったのか、全く分かりません。
ただ今は、場面緘黙に対しての治療方法がある程度確立されていて、「行動療法」特に「段階的エクスポージャー法」や「トークンエコノミー法」「SST(ソーシャルスキルトレーニング)」なども行われているそうです。
詳しい方法は割愛させていただきますが、キチンと「心の病気」と言う認識がなされていることに、少し安堵しました。彼女のような場合や、最近話題の「大人の発達障害」でもそうですが、「子ども本人のヤル気の問題」「親の躾の問題」など“誰かのせい”にしなくて良いと言うのは1つの安心材料ではないでしょうか。
ただ、ボクのblog「10月10日は世界メンタルヘルスデー!!」でも書きましたが、病気や障害に対する偏見差別というのは後を経ちません。
彼女のその後の人生の中で、偏見差別と言う障壁が少しでも少なくなっていることを祈るばかりです。
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