私が理学療法士となった約30年近く前、リハビリセラピストがその部署の上長であり管理職になっている人というのは、かなり稀であった。大体どこも、事務方や他のコメディカルスタッフと一緒の部署で、リハビリセラピストが昇進したとしても、せめて“主任”どまりであったろう。
しかし今の世、リハビリセラピストの人数は増え、それを抱える施設も増えたことにより、正真正銘のリハビリセラピストによる「管理職」が誕生し、それほど時間が経っていないと思う。管理職であるから、業務の大半は管理業務で、「直接、患者様の担当をしない」というのが当たり前。
私は、管理職になったことがないが、元職場にはリハセラピストの科長と主任がおり、本当の管理業務を行っていた。
ただ、困ったことに、リハビリセラピストは「管理業務」については、学校では習わない。まあ、当たり前といえば当たり前で、恐らく、それぞれの所属機関で教育を受けたり、ご自身で自己投資してその素養を身につけられてこられた方が多いのではないだろうか。
これはどこの業界でもそうだ思うのだが、仕事がデキる≠管理職が向いている、のではない。
私は理学療法士という仕事が好きだ。それは患者様に対して理学療法と言う医学的リハビリテーションサービスを提供する、と言う意味で仕事が好きだ。では、「リハビリテーション科の管理職は?」と聞かれれば、断じてNO!である。
元職場の上長(科長)の仕事ぶりをみていると、私には絶対に務まらない、と思った。まあ、精神疾患を持っているという時点で、除外されるであろうが(笑)。
また、患者様から慕われ、理学療法士として素晴らしい技術を持った者が、デキる管理職者になるか、と問われれば、断じてNO!である。私がそうであるように(笑)。
ではどんな人が管理職に向いているのか。
私が考えるに「部下を正しく評価しその部下を“動かす”能力の高い人」である。そして「突発的なトラブルに対する対応力が高くストレス耐性が高い」事もはずせない要素ではないだろうか。
「部下を正しく評価しその部下を動かす能力の高い人」
これはいわゆる「マネージメント力」とでも言えるだろう。管理職と言うのは自ら率先して動く人は向いていないだろう。大体、そう言う管理職は潰れてしまう。全てを“自分の仕事”にしてしまい、自分だけで抱え込むことで、結局、抱えた全てを中途半端のままで投げ出してしまいかねない。むしろ「この仕事は◯◯さん」「この仕事は■■君」と言う様に、その人の能力に見合った人材に振り分け自分の手から離す事が必要である。『適材適所』と言う考え方だ。ただし、丸投げではなくタイムスケジュールと共に途中経過の確認や、いつでも相談にのる姿勢等が必要であろう。実は、私が思うに、この「途中経過の確認やいつでも相談にのる姿勢」と言うものに欠けている管理職が多いような印象を受ける。もちろん「人を正しく評価する」能力も大変難しいことかもしれない。しかし、仕事を振り分けたまではいいが、結局その『部下から確認されるまで放置』している管理職もいるのではないだろうか。
確かに、管理職は忙しい。いくつかの案件を抱え、それら全ての手綱を引きながらタイミングを見計らっていると思う。しかし、管理職側から「あれはどうなってる?」とか「あの事で何か悩んでいることはない?」と率先して声掛けや目配りがデキる管理職は、本当の意味で管理職に向いていると、私は思う。人によっては「部下から声をかけてくるまで待つ」とか「部下から確認してこないのはやる気がない」などの評価を下す者もいるだろう。もしかしたらケース・バイ・ケースなのかもしれないが、部下だって忙しい。「忙しい」を理由に“必要なコミュニケーション”を取らないのは、管理職の怠慢だと考える。
「突発的なトラブルに対する対応力が高くストレス耐性が高い」
もう、これは読んで字のごとく。「責任者は誰だ?!責任者連れてこい!!」と言うクレームから始まり、部下の起こしたインシデントやアクシデントに責任を持って冷静に対処する。そしてそれらの原因をキチンと分析し今後へ活かすと共に、部下へのフォローアップや他部署への謝罪など、必要に応じた対応力が求められる。この様な対応力というのは、一朝一夕に身につくものでもないと思う(一部の人ではそれを若いうちに体得した人もいるか)。ただ、この様なストレスフルな要求をされ続けていると、いくらなんでもその管理職が潰れてしまう。だからこそ、管理職になる人には、自分なりのセルフメンタルケアの方法を習得している事が必須だ。
ここまで書いていて、つくづく思う。私には管理職は無理だ、と(笑)。
欧米では、一部の富裕層や企業の経営者の間では「ライフコーチ」と言うサービスが浸透している。日本でも近年になって、ライフコーチを受ける人が増えてきているようだ。
ライフコーチとは「クライアントの人生における目標や課題を達成するために、サポートする専門家のこと。コーチングセッションでは、クライアントの強みや価値観を理解し、目標達成に向けて具体的な計画を立て、実行をサポートする」ことであり、ライフコーチは、クライアントの人生をより良くするための伴走者であり、サポート役のことである。
カウンセリングに近い事を行うが、カウンセリングよりもより長く、よりその人の世界観を理解し、長期にわたりサポートしてく。やはり、先回のblog「心理的安全性と言う環境評価」の中でも触れたが、変化が早く、正解が分からない今の世の中、管理者や経営者というのは、常に様々なストレスに晒(さら)されていると思う。そうなってくると、自分自身を見失いメンタルダウンしかねない。私の様に個人事業主やフリーランスと言う働き方をしている人も、当てはまるかもしれない。その様な人には「ライフコーチ」は必要な存在なのかもしれない。
ライフコーチとは上記に示したような役割を担っている専門家であるが、昔はそんな職業はなかった(当たり前の話だが)。ではそのような役割は誰が担っていたのだろうか。実はその役割を担っていたのが『管理職』なのではないかと思う。戦後~高度成長期、終身雇用が当たり前であった時代、社内の人間関係は現在よりも密であり、そして仕事外での付き合いも多かった。仕事以外のプライベートの事も、管理職が部下の事をことを心配し思いやり、そして助言を与え導いてくれる。そんな関係性が出来ていたのだと思う。いわゆる「義理人情」が当たり前の世の中だ。
今が良いとか昔が良いとか、そのような話ではなく、時代が変わるとともに人間関係のあり方とか築き方なども変わるのは仕方のないことである。
私がもうすぐ50歳になると言う年齢も関係しているかもしれないし、長く対人援助職をしているからかもしれないが、私は自他ともに認める「義理人情派」である(笑)。恩義のあることに関しては恩で返したい。そして一期一会を大事にし、一度、深いつながりを持ったのであれば、その人に思いを馳(は)せるのは“当然のこと”と思っている。
最近は何でも「ガチャ」をつける。「親ガチャ」を始め「容姿ガチャ」「能力ガチャ」「性格ガチャ」「学歴ガチャ」「家柄ガチャ」「財力ガチャ」「健康ガチャ」「恋人ガチャ」「結婚相手ガチャ」(Google Bard調べ)。
そして「上司ガチャ」も使われているようだ。
良いか悪いかは別として。
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