今の世の中、医療の発達によって、どんどん寿命が伸びている。
詳細はblog「カウンセリングなんて…と思っている人へ①」を参照されたし。
もし、この世に「医療」と言うものがなければ、ヒトは何歳くらいまで生きられるのだろうか?
医療のない原始時代、その頃のヒトの平均寿命は30歳前後と考えられている。その要因は、乳児~幼児の間に、感染症や栄養不良による死亡率が非常に高かったから、と。ただ、中には80歳~100歳まで生きていたと言う記録もあるようだが、一般的に、多くは30歳前後と考えられている。
どんな生き物も、自分の子孫を残そうと必死だ。
もっと突き詰めていくと「自分の持っている遺伝子を残す」ことに必死だ。これが「利己的遺伝子説」である。どんな生き物も、同じ生き物であってもそれらには個体差があり、個体差があるということは、それぞれ持つ遺伝子も違う、と言うことである。
そのために繁殖を促進させ、その子孫である遺伝子のコピーをたくさん作り、また繁殖し…それを繰り返し、生き残っていく遺伝子だけが“優秀な遺伝子”として、後世まで生き残ろうとしている。
実は、生命の進化とは、遺伝子の突然変異の連続だという説もある。
遺伝子は、分裂しコピーを作る際に様々な影響を受けて、変化してしまうことがある。それが突然変異だ。しかし、その突然変異を起こすことで、その時々のその環境に最も適した「生命の営みの仕方」を獲得し、生き残っていく。
そうやって生命というのは、変化し続けてきた。
細胞というのは、核と呼ばれるものの中に、DNAの塊である染色体と呼ばれる機構をもつ。遺伝子とは、この染色体およびそれを構成しているDNAであるが、生物の細胞は日々、分裂と消滅を繰り返し、新しいものへ生まれ変わっているのであるが、実はその分裂には「最大、何回まで分裂できるか」と言う回数制限がある。それを決めているのが、染色体の先端にある「テロメア」と言う部分で、染色体が分裂するたびにこの「テロメア」が短くなり、テロメアが消失するとその染色体は分裂ができなくなり、その細胞は死んでしまう(一部の細胞の中にはテロメアが短くならなかったり、再び長くなるものもある)。
さて、話を元に戻そう。
もし医療がなければヒトの寿命は30歳だ。
仮に現在のヒトの平均寿命を80歳と考えると、その差50歳分は、ある意味“人為的に”伸びた寿命だとも言える。
検査
薬
手術
栄養
リハビリ などなど
それらが、「命」を「時間的に長くする」事を可能にしてきた。
ここに面白いデータがある。
ヒトだけでなく、マウスも寿命が伸びているのだそうだ(Google Bard調べ)。1980年代頃にはマウスの寿命は2年と言われていたが、現在は3年まで伸びている。その理由は「遺伝子操作や食事療法などの技術により、マウスの老化を抑制できる可能性が示唆されているため」だそうで、言い換えればこれはヒトにも当てはまるわけだ。
さて、本来なら30年で終るはずの人生を50年も上乗せできるようになっているわけである。
もっと言ってしまえば、残りの「50年」は神様から与えられた、猶予期間、または“おまけ”とも捉えることができる。
この様に、生命の寿命というものを科学的に捉えようとすればするほど、私は哲学的に考えてしまう。そして、今の日本の現状を考えると「簡単に死なせてもらえない世の中」である。良くも悪くも、である。
誤解を恐れずに言うのであれば、だからこそ「生きる」という事を、もっと真剣に考え、そして語っても良いのではないかと思う。なにも「善行をしろ」「一日一日を大切に」と言っているのではない。おそらくこの答えに正解はなく、そして、個々人が見つけるものであり、それが自分自身で納得のいくものであれば、それがその人にとっての正解なのであろう。
(余談だが「一日一日を大切に生きる」なんてことは、誰にも出来ないはずである。一日くらい「大切じゃない日」だってある。それは人間だから。人だから。それを目標にしていては人は生きていられない。)
皆さんは、どう考える?
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