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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年8月17日木曜日

対人援助職者要注意!共依存と言う罠

 「共依存」というのは、心理的な病気の事を指し、アルコール依存症や薬物依存症を悪化させたりすることで、注目された。


共依存とは…
共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする。(Wikipedia参照)

共依存関係にある両者は、「ケアする」「ケアされる」と言う関係性に見えるため、一見すると「無償の愛情」や「献身的な介護」の様に“否定されるようなネガティブな関係”には見えない事が多い。

実はここに落とし穴がある。

依存症者がパートナー(共依存者)に依存し、またパートナーが依存症者へのケアに依存するために、その人間関係(環境)が持続する。依存症者が何らかの問題を起こし、周囲の人間に迷惑をかけるが依存症者のパートナーはその問題の尻拭いをすることで“自分自身の存在意義(価値)”を見出してしまう。そのため、無意識のうちにパートナーは依存症者の回復を拒む(イネーブリング、と言う)ようになり、依存症者自身も「依存したい」ためその様なパートナーの振る舞いを拒むことなく受け入れてしまう。結果、依存症者は自立する機会を失うが、パートナーは依存症者が自立してしまうと、自分自身の存在意義を失ってしまうと言う『自己中心性※』を秘めている。

※自己中心性とは…
自分自身の視点や立場からしか物事を捉えることができず、他人の立場や気持ちを理解することができない性格的な特徴の事。

この「共依存」という概念は、元々はアルコール依存症者とそのパートナー(またはその家族)に見られるとして、看護の臨床現場から提唱されていたが、薬物依存症の家族、ギャンブル依存症の家族、ドメスティック・バイオレンス(DV)のある家族、機能不全家族などにも見られる現象であると言われている。

「ある人間関係に囚われ、経済的、精神的、身体的に逃れられない状態にある者」というのが一般的な定義である。

共依存者には以下の様な特徴が見られる。
・相手の気持ちを優先させる(強迫的世話焼き)
・相手の行動をコントロールしようとする
・自分の気持を押し殺す(自分の意見が言えない)
・強迫観念※にとらわれやすい
・自己肯定感が低い
・現実を直視できない
・何かに依存せずにはいられない
・コミュニケーション能力に乏しい
・他人との境界があいまいである
・怒りの感情が正常に働かない
・セックスが楽しめない
…などなど…

※強迫観念とは
頭から離れない考えやイメージの内容が「不合理」だとわかっていても、頭から追い払うことができなくなること。いわゆる「潔癖症」などの様な症状の事。


実はこの様な共依存という関係性、対人援助職者が陥りやすい関係性でもある。

もともと対人援助職者というのは「人の役に立ちたい」「誰かの力になりたい」と言う気持ちが強い人が選びやすい職種であるため、援助者が気を付けていないと共依存関係になりやすい職種とも言える。

被援助者(患者様や利用者様)が「〇〇して」「✕✕やって欲しい」と言うような要求をされた時は、援助者も理性的に「この人の能力は〇〇だから✕✕までは介助しよう」と考え「〇〇はご自身でやっていただけますか」などと対応が可能で、ここでは共依存関係は生まれない。

しかし、被援助者からこの様に言われたらどうだろう。
「あなたがやってくれるからとても助かっているわ」「あなたじゃなきゃやっぱりだめね」「あなたがお休みすると心細いの」などと言われると…悪い気はしないのが人間である。そのような言われ方をすると「仕方ない。やってあげよう」と一見“自然に”そのような行動を起こしてしまう。

それが毎回毎回、毎日毎日、続くとどうだろうか。

次第に「この人は私がいないとダメな人だ」「私はあの人に必要とされている」と思うようになり、その被援助者のことがいつも気になったり、本来その人ができることまで介助してしまったりと、被援助者の抱える問題に巻き込まれていく。

共依存である被援助者は、援助者を「気持ちよく」させて、言葉巧みに「人を操ろう」としてくる。その罠に巻き込まれないようにしなければならない。

もし共依存関係になり巻き込まれたら…
基本的に、本人たちは共依存関係に陥っていることに気づいていない場合が多い。他者が指摘する、もしくは物理的に距離を離す(担当を替えるなど)の対策が必要。援助者への対応は比較的容易だが、むしろ被援助者へのフォローが難しいと思われる。「見捨てられた」「無理やり担当を替えられた」などのクレームに繋がり、信頼関係(ラ・ポール)を一度崩してしまわなければならないからだ。

これは、私の経験則からであるが、この様な関係性に陥った場合、被援助者には根気よく丁寧に説明し、被援助者に「自分自身でできることはやらなければならない」と言う気持ちになるようにしていかなければならない。また、「援助者を自分の言動でコントロールしその人を拘束していた」と言う事実を認めさせなければならない。

これは、労を要し時には時間のかかる事で、共依存関係にある者以外の第三者が積極的に関わらないと、良い方向へ向かわない。


振り返れば、私自身、共依存関係に陥っていたと思われる患者様がいらっしゃった。
今だから冷静に判断できるのであるが、「あなただから言うのだけれど」とか「他の人には内緒で…」と言い、涙を流されながら訴えかけられると、やはり心揺らぐのである。しかし、私はその方に過介助で過干渉的になり、その方が回復しないのは私自身の努力不足、技術不足であると自責の念にかられ、結果的に私自身がメンタルダウンを起こすと言う結果を招いたこともある。

私が産業カウンセラーの養成講座を受けていく中で、私のウィークポイントとして指摘されたのは「その人の感情に流される」と言われたことがある。また、臨床心理士さんとのカウンセリングの中で「鈍感力を身につけて下さい」と言われたことも。


対人援助職であるからこそ、共感力とともに客観性というものを、同時に持ち合わせていなければならない、と今更ながらに強く思う。

どうか、皆さんも注意していただきたい。

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