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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年8月3日木曜日

自分自身が持つ価値観へ与える影響(お金の話し)

 ご自身が今、あらゆることに対する「価値観」というのは、どこからやってきたのか?


私は、子供の頃から、特に母親からお金の使い方に関して、口酸っぱく言われ続けている(現在も)事がある。

「計画的に使いなさい」「貯金しなさい」「無駄遣いしてはいけません」

私は小学生の間のお小遣いは、1週間に¥100だった。毎週土曜日がお小遣いをもらえる日になっていて、実はその日の午後は、母と姉と従姉妹の4人で習字教室へ通う日だった。習字教室が終るとその¥100を持って、近くの駄菓子屋さんへ駆け込んだものだ。

ちなみに、普段のおやつは毎日、母が用意してくれていて(時には手作りのこともあった)、文具や衣服などは必要時に応じて買ってくれる、と言うシステムになっていた。もちろん姉も、だ。

中学生になると¥1000/月となった。普段のおやつや文具、衣服などは同じようなシステムだったが、中学生にもなるともっと欲しい物が増えた。

好きなアーティストのCD
プラモデル
漫画本

その頃僕は「TM NETWORK」を筆頭に「森高千里」「斉藤由貴」「遊佐三森」「大貫妙子」「中島みゆき」「PSY・S」「渡辺美里」が好きでせめてアルバムだけでも欲しかった。でも、シングルCD¥800、アルバム¥3000くらいの時代。単純計算、アルバム一つ買うのにも3ヶ月はかかる。

プラモデルと漫画本に関しては「聖闘士星矢」が大好きで、不定期ではあったけどプラモデルも発売されてたしもちろん漫画本も発売されていた。プラモデルは確か¥1000くらい、漫画本も¥700くらいだったか。

とにかく僕としては、我慢して我慢して我慢して我慢して、その中のどれかを買うわけだ。

ちなみに高校生になった時は¥3000/月であった。音楽ももちろん大好きだったし、相変わらず「聖闘士星矢」も連載が続き、アニメも放映されて興味が薄れることはなかった。確かに、中学生の頃よりはお小遣いが増えたため買えるものも増えたが、それでも僕は我慢して我慢して我慢して我慢して、その中のどれかを買う。

高校生ともなると友達付き合いも増え、買い食いをしたり寄り道したりすることもある。でも、CDアルバム1枚買ってしまうと、その月はもう、買い食いもできない。

ある時、母親にお小遣いの「賃上げ交渉」をしたことがある。
「CDアルバム1枚買ったらもうその月は何も買えないから、せめて¥5000にして!」と。しかし母は「おねーちゃんもおんなじ値段だったんだからあなたも我慢しなさい」と一蹴され、ケンモホロロ、惨敗だった。

短大に入学し、一人暮らしを始めてからは、アルバイトを始めた。生活費は仕送りだったが、遊ぶお金は自分で稼いでいた。しかし当時、やっと週休二日が普及し始めた頃で、医療短大でのカリキュラムはきつかった。週2日は1~5限目まで、週3日は1~6限目まである状況で、6限目まである時は講義が終ると18時だったから、あまりアルバイトにも時間を割けなかった。

僕は、自宅アパートと短大の中間にあるミスドでバイトをしていた。夜間~深夜の大体4時間がベースで、月に稼げてたのはせいぜい、3~4万円だったと思う。

サークル(バンド)も始めて、音楽機材を買ったり、もちろん友達と遊びに出かけたり呑みに行ったりしていた(ただしバーに呑みに行くときは閉店まで1杯で過ごすという嫌な客だった)。

余談だが、行きつけのマスターが僕がリハビリの学校に通っていると知ってから、営業中に肩揉みをすると1杯ごちそうしてくれた。

短大を卒業して、夜間の福祉大学に入学しそれと同時に就職はしたが日中、理学療法士として働いた収入は、生活費を賄うことが精一杯でボーナスは大学の学費に消えた。

この間は、親に借金することもなく何とかやってこれた。

しかし、この後がいけなかった。
夜間の大学を卒業し、無事に社会福祉士の資格を取り、それまで勤めていた整形外科のクリニックを退職、そして地方都市の市民病院に就職してから「お金に余裕があるってこういうことか!」となんとも言えない開放感を味わった。

新車の車を買った。
飛行機に乗っていく旅行も行った。
ほぼ毎週末はデートだった。
好きな服のブランドも見つけた。
香水も買った。
相変わらず音楽は好きだった。
パソコンも買った。
一応、定期預金も始めた。
民間の健康保険にも入った。

でも、これは通過地点で、以前、僕のblogでも書いた通り僕は「理学療法士+α」の仕事がしたくて、その市民病院で働いている最中に、社会人入試で大学院に進学した。それで定期預金も解約した。また、僕のボーナスは学費に消えた(笑)。

ちょうど、その頃僕はHIVに感染した(27歳)。
だから民間の健康保険も更新手続きはしなかった(当時、HIV感染症患者は適応外だった)。

それがきっかけで(それだけではないけど)転職をし、理学療法士を養成する短期大学で講師として働くことになった(29歳)。もちろん、大学院生を続けながら。博士課程まで進学したけど、実験結果が思うように出ず、在学を2年伸ばしたけど結局、学位は取れなかった。もちろんその伸ばした2年間は、学費を払い続けた。そして僕は短大講師を辞めた(35歳)。

だから、金銭的に本当に余裕があった期間というのは、市民病院で働いていて大学院に進学するまでのほんの数年間である。そして、自分で言うのも変だが、なんだか金銭感覚が人とは違うというか、狂っていたと思う。

母の教えである「計画的に使いなさい」「貯金しなさい」「無駄遣いしてはいけません」と言う「価値観」は十分、理解していたつもりだし必要なことだと思っていた。しかし、実際の行動には伴っていないことが多かった。

夜間の大学に進学するときも大学院に進学するときも「ボーナスをつぎ込めば普段の生活はできる」ということだけで判断し「将来に備える」と言う事はほぼ、念頭になかった。

また、現在に関して言えば双極性障害の影響も多かれ少なかれあると感じている。私は鬱期に入ると過眠・過食の症状に悩まされる。基本的には鬱なので動けないけど食欲は底なし。もちろん料理する気力もなく、ましてや買い物に出かけるなんてもってのほかである。結局は割高なデリバリに頼る。
躁期には「もしもの時に蓄えておく」と言う考えはなくなり、お金はあればあるだけ使うと言う感覚で浪費していた。

しかし母の教えは僕の奥底に根付いているわりには行動は伴っておらず、しかしいつの間にか「お金にだらしないことはとても恥ずかしいこと」と言う認識に変換されていた。そして「お金にだらしない私はダメな人間だ」へと変換されることになる。


人間の価値観というのは、幼少期から成人期にかけ以下のような要因によって形成されると言われている

①家庭環境
②教育
③社会環境
④個人の経験
⑤宗教
…など…

もちろん価値観そのものは、生涯に渡って変化していくものである。

しかし、子どもの頃うけた親からの教育や躾というのは、その人の価値観の奥深く、まるで「棘のある蔦」の様に強くしつこく絡まっていることが多い。その呪縛から開放されるには、その人が成人期に入った時に、どれくらいのインパクトを持ってどの様に何を経験するか(これには社会環境の影響も含む)によって大きく変わってくると考える。


私はこの歳になっても母から聞かされる話がある。

「おとーさんはね、おかーさんと結婚する時、1円も貯金がなかったのよ」
「おねーちゃんは結婚する時〇〇円貯金したの」
「おねーちゃんは子どもたちの学費のために、一人〇〇円ずつ貯金をためたの」

何歳になっても親は親。
でも“子”のほうは、いつの間にか“子”でなくなる。
“子”は親を客観的に評価する“成人”になっていることが多い。


しかし、親の呪縛を振り払うには、並大抵の努力では困難であることも事実である。

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