父に関しては、何度かこのblogにも話題が出ているのですが、父の晩年について少し振り返りたいなと、思っています。
父は70歳になってから認知症を発症しました。よく父の認知症の話をすると必ず聞かれるのは「どうやって認知症に気づいたの?」と言う話題です。
事の始まりは、ある年の大晦日の日の事でした。昼ごはんを食べ父と二人で居間のコタツにあたりながら寛いでいたら、父が不意に話し出しました。
「健吾、実はオレ、この前、自損事故したんだよ」と。
父は車を運転して一人ででかけ、小さな路地のT字交差点にある、カーブミラーの支柱にぶつかってしまったと言いました。
「警察とか呼んで色々と聞かれたらしいんだけど、事故した前後の事も、そもそも事故した事も思い出せんのんやけど…」
人間は、ショッキングな事があると、一時的に記憶を失くす事があります。それを『解離性健忘』というのですが、僕は最初、この話しを聞いた時にその事を思いました。
よくよく話しを聞くと、事故をしたのは11月“らしい”との事。その時、何故、出かけたのかなどを聞いてみたけれど、それらも全部、忘れてる。
ん〜〜
何だろう…もしかしたら…健忘ではない?かも?
僕の心はザワメキました。
もしかしたら…認知症の初期症状??
そこで僕は簡単な質問をしました。
「おとーさん、今日は何月何日?」と。
「ん〜…」と言いながら腕時計を見そうになったので、「何にも見ちゃダメ(笑)」と言ってそれを制止ました。
「分からんなぁ〜」
えっ?!ちょっと待って。今日“大晦日”だよ。結構、インパクトある日、だよね?
僕は焦りました。
ここからは僕の中でスイッチが「理学療法士モード」に切り替わりました。
「じゃあ今の季節は?」
「…夏?か?」
タメだ。アウトだ。
そこで、認知症を簡便に検査できる『HDS-R』と言う検査を行ってみた。この検査は30点満点で20点未満が認知症の疑いと言う判定基準があって、手持ちで使えるものを使って検査してみた。
結果は19点。
70歳でこの点数は…
僕はこの事実を、どうしようか迷いました。父本人にも母にも。
僕は腹を括ってまず父にはこの様に伝えました。
「おとーさん、大分、記憶力が悪いみたい。」
「そうか…」
「一度、精神科の先生に相談しよう。僕も一緒に行くし。今度、精神科の受診はいつ?」
「来月…いつだったかな…」
「うん。分かった。おかーさんに聞いてみる」
幸か不幸か、当時、父はうつ病で精神科を定期的に受診していたので、次回の診察に同席する事を約束しました。
その日の夜。夕食後、父は食事を終えると居間に行ったので、食卓に残った母と二人話しました。
父の記憶に関する能力の低下があると、もしかしたら認知症の始まりかもしれない、年明けの受診に僕が同席する、これらの事を母に伝えました。
母は言葉少なげに了承した旨を僕に言いました。
その夜、僕が目にしたのは父の“奇行”でした。
夜、両親と僕の3人は、居間でコタツを囲んでいたのですが、父はおもむろにCDラジカセを持ち出し、自分の耳元に置き、そこそこの音量で童謡のCDを流し始めたのです。
僕と母がテレビを見ているそのそばで、です。
もともと童謡のCDは姉の子どもたちが小さな時に買ってあげたモノだとは知っていたのでそれに関しては驚きもしなかったのですが、僕と母がテレビを見ているのに、何の配慮もなく聴き始めた事に、僕は声にならない驚きがありました。
そして母は…
恐らく気付いてはいたと思う。けど、見て見ぬふりをしていたんだと思う。
いや、それしかできなかったんじゃないかな。
家族の一人が認知症になる、と言うのはその先に待っている介護があり、その介護のために、時間的にも物理的にも精神的にも金銭的にも、様々な負担が強いられると言う事でして。それを想像してしまうと、やはり『恐怖』でしかないのです。
僕も認めたくなかったし、できる事ならば間違いであって欲しいと思いました。
年が明け、僕は実家を後にしたのですが、その時ほど後ろ髪を引かれた事はなかったと思います。
父の事も心配。
母の事も心配。
自宅に戻る車の中で僕は運転をしながら、考えても答えの出ない事を何度も何度も
何度も何度も、考えていました。
精神科受診の日、僕は確か、前日の仕事が終わってからそのまま帰省し、一晩、実家で泊まって受診に同行したのですが、その辺りの事は全く覚えていません。
ただ、病院に着いてからの事は、かなり記憶しています。
受診に同行し診察室へ入ると、父の主治医は僕が初めて同行している事に気付き、何かを察したんだと思います。
カクカクシカジカ
「それではいくつか検査してみましょう」となり、父は改めてHDS-Rを検査されMRIを撮影されました。
案内してくれたのは同じ中学・高校・医療短大を卒業した同級生で、彼から「久しぶりやんな。今日は付き添い?」と聞かれ「うん。父の…」と何だか尻切れトンボな返答をし、父を見送り、母と廊下で待っていました。
そして検査が全て終わり、診察室へ。
「うーん…そうですね。初期だと思います」
先生も何だか、気を使っているんだか何だか分からない返答だったけど、僕は察しました。
「お薬、始めてみますか?」との主治医からの質問は、明らかに僕に対しての質問でした。しかし僕は迷わず。「お願いします」とお答えした。
当時の認知症治療薬は、アリセプトが出たばかりだったので、効果や副作用に少し不安もありましたが、しないよりはマシ!と言う思いで、両親の意向を聞かないまま僕は返答してしまいました。
そこから父の闘病が始まりました。
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