B君(中学生・男性)は、学校の階段でつまづき、かなり高所から転落し救急病院に搬送されました。背中を強打し脚に力が入らないとの訴えでMRIを撮影して「胸髄損傷」との診断だったのですが、MRIの画像ではそれほど重症でなかったため、体幹に巻くコルセットを装着して、すぐにリハビリが開始となりましたが、重症ではなかったため、救急病院を2週間で退院し、僕の勤めている病院へリハビリ目的で入院してきました。
それが、学校の春休みがあと2〜3週間で終わると言うタイミングで、何とか新学期には学校へ通学できるようになりたい、と言うのが本人や家族の希望でした。
彼は両親と弟と妹の5人家族でした。
救急病院からの紹介状で、歩行器を使ってなら歩けると言う情報だったので、初めましての時から歩行器を貸出し、病棟内ではご自分一人で出歩いても良いと言う許可を、僕から出しました。
僕はこの時からすでに、違和感を覚えていました。
確かに歩行器を使って歩けるんだけど、歩きにくそうには歩く。けれど、それが歩くたびに“歩きにくそうな状態”が一定でない。歩くたびに歩容(歩き方)がバラバラで、何が原因で歩きにくいのかが、全く掴めませんでした。
一般的に、歩き方が健常な人と違う時、ほぼほぼ歩き方に一定の“異常な状態”が見てとれ、それは大体、何度、歩いても同じ歩き方をするのですが、彼にはそれがなかったのです。
僕の感じた違和感は、それでした。
彼は理学療法だけの介入でしたので、僕だけがリハビリの専属の担当になったのですが、やや不安でした。「身体症状症」の診断名はないけれども、おそらく身体能力的には、支えが無くてもすでに歩ける状態の可能性が高い、と思っていてそれにどう踏み込もうか、とても悩みました。
理学療法でその人の身体能力の状態を把握するためによく使われる検査項目としては、「徒手的筋力検査」「関節可動域検査」「感覚(表在感覚)検査」「深部腱反射」「バランス検査」などがあります。実はその多くが「偽装」できるのです。
「徒手的筋力検査」
簡単に言えば、人間の関節を動かすための筋肉の力を、機械など使わずに検査する方法です。
「関節可動域検査」
関節がどの程度動くのかを「角度を測る」と言う方法で、角度計(分度器のようなもの)を使用して測ります。
熱い冷たい・痛い・触っているなど、皮膚で感じることのできる感覚を、筆や針などを使って、感じることのできる程度を調べる検査です。
「深部腱反射」
打腱器(ハンマー)を“腱”とよばれる部分を叩くことで起こる“反射”と言う反応の程度を調べる検査です。
「バランス検査」
この検査は、筋力や感覚、視覚や三半規管などの総合的な検査で、例えば片足立ちが何秒できるか目を閉じて何秒できるか、椅子に座った状態から立って数m先のコーンを1周して戻ってきてまた椅子に座るのに何秒かかるか、などの検査です。
実は、関節可動域検査以外の検査というのは、患者様が簡単に偽装できるのです。
例えば筋力にしたって、一所懸命、力を出さなければいい、感覚検査も刺激に対して「感じません」と言えばいい、深部腱反射は脱力せず力を入れっぱなしにしていればいい。臨床経験のあるセラピストであれば、これらの偽装をある程度見抜くことは可能だと思います。
身体症状性は詐病と違うので、例えば筋力検査で自分自身が「力を出すことに手を抜いている」けど本人は本当に力が出ないと「信じている」。感覚検査で本当は「感じていないつもり」なんだけど本当に感じていないと「信じていいる」。
B君もやはり筋力検査や感覚検査では、異常と判断せざるをえない結果になるのだけれど、先程述べたように歩き方に、一定の異常が見られないので、僕は正直、その筋力検査や感覚検査の結果を信じてはいなかたのが本心です。
入院して最初の週末、ご両親の希望で、一度外泊させたい、との要望があり、母親が家に連れて帰った時にどんなふうに介助をすれば良いのかを知りたい、とのことで、彼のリハビリの時間に病院に来ていただいた。
しかし、歩行器で病院内を歩いているだけなので、まず、家にどう上がるのかが問題になり、そして家の中でどうやって移動するのかも問題になる。
脚の力が弱い場合、階段程度(10~15cm)の段差を上り下りをする時がじつは一番難しく、逆にそれ以上の段差(40cm以上)であれば、その段差に腰掛けてから上がると言う方法がありそれを試そうと思っていました。また、家の中は四つ這い、手すりのある廊下は手すりを使うことを提案するつもりでした。
入院してまだ1週間も経たない週末です。
ぶっつけ本番です。
僕はこの機会を、逆手にとりました。B君はこの時、母親がリハビリの見学に来ることは知っていてもちろんそれは外泊のためだと言うことも知っていました。しかし、実際にどうやって家に上がるのか、また、家の中をどうやって移動するのか、については事前に知らしていませんでした。
さあ、いよいよ母親の前での実践です。
まずは家に上がる方法。僕はB君に指示を出しながら、もちろん転倒などのリスクに最大限配慮したうえで、B君に実践してもらいました。自宅の玄関を想定した段差を用意し、そこに腰掛けてもらい、もう一つの台を支えにしながら立ってもらいました。予想通り、僕はなんの介助もせず彼は一人で立ち上がることが出来ました。しかもスムーズに。立ち上がったあとも、ふらつきなどなく、十分に二本の脚で立っています。
もちろん、そこから腰掛ける動作も行いました。
四つ這いの方法もお教えしました。手すりを持って歩くこともして頂きました。
そのどれもが、全く介助を必要とせず、一人で出来たのです。
僕は内心「しめしめ」と思いながら(笑)「すごいね!!できたじゃん!!お母さんの手を借りなくても出来そうじゃない?!」と満面の笑顔で労いました。B君は少し照れくさそうに「はい…」と。そして母親もこれなら外泊できそうです、と帰っていかれました。
そして週明け、外泊から戻ってきたB君のリハビリの時間。
お部屋まで迎えに行くと、表情が優れません。外泊から帰ってきてさぞ、喜んでいるかと思ったら、リハビリをしたくない、と。
正直、僕は下手こいたかも…とも思いました。身体症状性はある意味「出来ないことが当たり前」で「できることは異常」であるため、思いがけず色々なことが出来てしまった事が、精神心理的に負担をかけたのかもしれません。
そこで僕は、その日のB君のリハビリを諦め、お話をしました。
最初は家族関係やご兄弟の関係、ご両親のお仕事などから始まり、B君が兄弟に対して思っていること、ご両親に思っていること、学校での生活や友達に対する思いなど、少しずつ少しずつ、固く閉じた心の扉を開くように、色々なお話を聞きました。
最初はなかなか、本心を語ってはくれませんでしたが、徐々に「本音」を吐露するようになり、本音で話してくれたことに感謝の気持ちを伝え、最後に僕が「B君、もう君は歩けるよ。階段もできると思う。走ることは難しいかもしれないけど。もうできない“ふり”はしなくて大丈夫だよ」と伝えると、彼は泣き出しました。
しばらく、彼のそばにいてその様子を見守り、落ち着いたところを見計らって、「また明日、やれそうならリハビリしよ」と提案し、僕は退室しました。
1週間後。
彼は杖や支えなどなく、無事に退院しました。
実は、精神心理の問題が身体化した状態で(身体的な)リハビリを処方されるケースはしばしばあります。それは、例えばレントゲンやMRI、血液検査など「確かに正常とは言えないけど自覚症状の程度と合致しない」パターンがあるため「とりあえずリハビリで様子見ましょう」と言う場合です。
リハビリセラピストは、一人の患者様に対し短くとも20分間、長ければ1時間はその患者様につきっきりで、その間に患者様から色々なお話を聞くことが出来ます。そうすると、医師や看護師が気づかないその方の“本当の問題”が見えてくることがあります。それが精神心理的な問題である時、リハビリセラピストは本当に悩みます。それは、医師ではないため診断できないということと、御本人が精神心理に問題があるとは認識しておらず、それを指摘すると強い拒否反応を示すこともあるため、なかなか御本人にも言えず、根本的な解決に結びつかないこともよくあるからです。
「アルプスの少女ハイジ」の話題から、僕の経験した患者様のお話をお伝えしました。あまり一般的には、このようなリハビリセラピストの苦悩というのは知られていません。しかし、リハビリ業界では当たり前のように語られている事実です。
これを読んでいただいた方で身体の不調がなかなか改善しない方がいらっしゃれば、それはもしかしたら精神心理的な問題かもしれないと、その可能性を知っていただけると、本当の問題可決に向かうかもしれません。
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