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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年9月20日水曜日

忘れられない患者さん③後縦靭帯骨化症のおじいさん・その2

 「忘れられない患者さん③後縦靭帯骨化症のおじいさん・その1」からの続きです。



前回の終わりに、「この方とはまた2回同じ病院で関わることになりますが」と締めくくったのですが、その前に、前回の冒頭で「制度上、透析通院の際、ドライバーは患者様の移動の介助をしてはいけない」に対して※裏ワザはあります、と書きました。それはどの様な意味かと言いますと、やはりドライバーは送迎車までの移動の介助はできません。しかし、そのお手伝いができるサービスがあります。それは「ヘルパー」です。実は、ケースによっては、透析送迎車の到着に合わせてヘルパーさんが利用者様のお宅にお伺いし、送迎車とご自宅(自室)の移動を介助する、と言う利用の仕方も可能です。


さて、本題に戻ります。

前回から話題のAさん。様々な介護保険サービスを導入し、同じ賃貸マンションのお部屋に退院されましたが…約1年後、症状が悪化し、御本人の希望で後縦靭帯骨化症の手術を行うことになりました。ただし、手術を待っている期間の間、手術前の検査やリハビリのため、一時的に僕の勤務していた病院に2週間ほど入院し、その後、手術をする病院へ転院、さらにそこから2週間後にリハビリ目的で、再入院となりました。

手術後のリハビリによる入院の時、当初、僕の担当ではなく後輩が担当していたのですが、諸々の理由により、途中から僕が担当となり、また、初回の入院時と同じ作業療法士とペアを組むことになりました。

手術後ということもあり、ひげは綺麗サッパリと剃られており「仙人」ではなくなると同時に、前回と同じ病院に入院したということもあり、ある程度、勝手が分かっていると言うか、職員にも顔見知りが増え、前回よりも穏やかでかつクセが二つくらい取れていた感じでした(笑)。

手術をしたものの、やはり、後縦靭帯骨化症によって神経が圧迫していた時間が長かった影響もあり、ご本人曰く「やってもあんまり変わらんかった」と。しかしこれはよくある話で、神経というのは圧迫されている期間が長くなれば長くなるほど、回復するための時間は長くなり、場合によっては回復不可能となることもよくあります。それは、御本人も手術前のIC(インフォームドコンセント)で説明を受けており、それを承知で手術したわけですから、まあ、あまり強くは言われませんでした。

また、僕が担当を引き継いだ時には、T字杖をついてほぼほぼ介助なしでも歩ける状態で、時々、つまづいて転倒しそうになるのを介助する程度でした。


この頃になると、訓練の内容もレベルアップして、寝たままや腰掛けたままで行う筋力強化練習ではなく、立って行う筋力強化練習へと変えていきました。その方が、筋力の付き方も早く、また、「歩く」事により近い状態での練習に繋がり、様々な良い効果があるためです。

「これなら早く帰れそうだね」と作業療法士と僕とAさんで話をしたちょうどその頃でした。


実は、この時点で、僕はメンタルダウンしてしまい、1ヶ月の休職をしてしまいました。

この休職期間中に、院内ではCovid-19(新型コロナ)によるクラスターが発生し、Aさんも感染してしまいました。僕は、そんなこととはつゆ知らず、「Aさん、もう退院されただろうな…」と内心寂しく思っていたのですが、復職したその時にもまだ退院されておらず、久しぶりにお顔を拝見しても、活気なく、また顔はやせ細り、いつもの元気なAさんの姿はそこには有りませんでした。



これは、僕が復職してからカルテを見て初めて知ったのですが、Aさんはかなりの高熱を出し、やや危険な状態だったのです。しかも食事もあまり摂れておらず、とても心配しました。

メンタルダウン後の復職直後の僕には、この現実はあまりにもつらい現実でした。

やはりまだ、僕の心は不安定で、変わり果てた御本人の前で涙してしまい、また、Aさんの状態を上司に報告するだけでも、何故か涙が溢れて仕方有りませんでした。
それだけが原因では有りませんが、僕は、復職して2週間で、再びメンタルダウンし休職をしたのです。

あんなに元気だったのに…
もうすぐ退院だって時に…
どうして…
どうして…


この年、僕は絶不調で、1年の間に何度か休職と復職を繰り返してしまい、Aさんだけでなく担当の患者様と僕のフォローに回ってくれた同僚や対応して下さった上司には、本当にたくさんご迷惑をかけてしまいました。

忘れられない患者さん③後縦靭帯骨化症のおじいさん・その1」でも書きました通り、Aさんは僕の父と同い年。それもあって、強い思い入れがあったのも確かですし、お互いに「秘密の共有」をした仲であったので、なおさらです。

その後、無事に自宅へと退院されましたが、僕はその病院を退職したため、その後のAさんの様子は分かりません。



今でも思い出す、Aさんの笑い話があります。
Aさんは糖尿病でかつ維持透析をしています。そのため食事には制限があるのですが、ある日、その様な現状に嫌気が差したらしく、やけになってコンビニでポテトチップスを買ってきて、一気に6本食べたそうです。

小さくて短い方ではなく、長くて大きい方を(このポテトチップスがAさんの好物であることは、初回の入院時にお聞きしていました)。
そしたら、その日の夕方から急にめまいや吐き気などの体調不良を引き起こし、救急車で搬送されたことがあったと。そして緊急で透析をして一命はとりとめたらしいのですが「わしはもう絶対にあんなことはせん(笑)」と。そんなお話しを聞いて僕は思わず吹き出し、二人で大笑いした記憶があります。

もちろん、医療従事者としては「そんなこと二度としてはいけません」と釘をささなければならないところですが、嫌気が差す気持ちも分かるしやけを起こしたくなる気持ちも分かる。僕だってそうしてたかもしれないと思うと、注意する気にはなれませんでした。



初回の入院時「や~ば~い~」と思っていたヒトクセもフタクセもあるAさんでしたが、僕にとってはなんだか「親戚のおじさん」のような感覚になっていたのかも知れません。

今でも、ご健在でいらっしゃることを祈るばかりです。

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