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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年9月19日火曜日

忘れられない患者さん③後縦靭帯骨化症のおじいさん・その1

 僕が理学療法士として働く中で、忘れられない患者さんシリーズの第3弾。



後縦靭帯骨化症(OPLL)とは…



主に首の骨で「後縦靭帯」と言う名前の靭帯が骨化(石灰化)し、脊髄を圧迫することで起こる手足の麻痺が主な症状の病気です。

「麻痺」って簡単に言うけれど、大きく分けて「運動麻痺」と「感覚麻痺」があって、「運動麻痺」は筋肉を動かすための命令を伝える神経がダメになって起こる麻痺。だから、脳で「筋肉を動かせ!!」と命令しても、それを伝える神経がダメになっているわけだから、筋肉は動いてくれません。一方「感覚麻痺」は主に皮膚で感じる「痛み・熱さ冷たさ・触っている」そんな刺激を脳に伝える神経がダメになっている。だから例えば、熱いお湯に手を突っ込んでも「熱い」と言う刺激が脳に伝わらないので、慌てて手を引っ込めることができない、とか。


Aさん(70代・男性)は元々一人暮らしで賃貸のマンションの1階に住んでいました。ベースに糖尿病があって、糖尿病性腎症のために維持透析をしていたんだけど、ある時道端で転んで救急搬送され「後縦靭帯骨化症による四肢麻痺」と診断されました。「四肢麻痺」というのは「手足の麻痺」と言うことです。

本来なら手術をしてもいいくらいの重症度だったのですが、御本人の強い希望でまだ手術をしたくないということと、リハビリで何とか一人暮らしに戻りたい、ということでその救急病院に2週間ほどしてから僕の勤めていた病院に転院になりました。

転院前に担当のMSW(医療ソーシャルワーカー・社会福祉士)から相談があって「とりあえず介護保険未申請だから申請して、身体の回復の状態を見極めてから退院って話になるんだけど、部屋はマンションの1階なんだけどね、実はマンション入り口に3~4段の段差があるの」と。Googleストリートビューで確認すると、たしかに段差がある。しかも手すりはない(Googleストリートビューはこんなところでも役に立ちます!!)。

この方のように維持透析をされている方は1日おきに透析通院が必要なんだけど、自宅(自室)と送迎車間は自力で移動してもらうしかないんです。送迎ドライバーはいるんだけど制度上、送迎ドライバーが患者様の歩く介助などをしちゃいけないことになっていて、この方もマンションのお部屋と送迎車の止まる路肩の移動は自力で移動しなきゃいけなくなる可能性もあるんです(裏技もありますがそれは後ほど説明します※)。

MSWと一緒に、FAXされてきた事前情報そしてストリートビューを見ながら「この方、自力で送迎車まで行けるようになりますかね?」と。おいおい無茶ぶりだな(笑)と思いながらも「いや~御本人の様子を見てみないとなんとも言えないですよ~」と無難な返事をして、とりあえず転院の受け入れOKを出しました。


さて、糖尿病がとても怖い病気だということは皆さんご存知だと思いますが、なぜ怖いのかと言うと、その合併症が怖いのです。「糖尿病の三大合併症」というのがあって、①糖尿病性腎症 ②糖尿病性網膜症 ③糖尿病性神経障害の3つです。


もう少し加えると、糖尿病になると動脈硬化が進行して、下肢動脈血栓症や心筋梗塞、脳梗塞も引き起こしやすくなります。


初めましての挨拶でAさんのお部屋に伺うと、ひと目見て「この人は癖が強い!!」と分かりました。ムスッとした表情、口元には仙人のように蓄えたひげ。無表情で質問にも「おお」「ああ」「そう」などの一言返事。僕は内心「やば~~~い人だ~~~~」と半泣きでした。

とりあえず、お話をお伺いしていく中で、主な訴えは「手の動かしにくさ」「歩く時にふらつく」「膝から下のしびれ感」などがありました。

Aさん、実はこの時すでに糖尿病性神経障害も併発していたと思われ(医師の診断はなかったけど自覚症状などから判断して)、後縦靭帯骨化症による麻痺と糖尿病性神経障害による麻痺と、おそらく軽度の下肢動脈血栓症も併発していたと思われました。そのため、歩くときのふらつきや膝から下のしびれ感などは、それらの原因が複合的に引き起こしていると思われ、非常に悩みました。

Aさんのリハビリは作業療法士と僕の二人で担当することとなり、とりあえず「手」の症状に関しては作業療法士に任せ、僕は歩くことに関するリハビリを中心に行っていくことになりました。

目標は、マンション自室と透析の送迎車まで一人で移動すること。しかもマンション入り口の段差を上り下りして。そして最初のご対面の時に御本人から聞いた希望として「近くのコンビニまで歩いて買い物に行けるようになりたい」とのことも目標の一つに加えました。

僕はよく、「歩くことを目標」にする患者様にお伝えすることの一つに、「歩くためには安全に起き上がれること、安全に立ったり座ったりできること、それができて初めて歩くことの練習が始まります」とお伝えすることが多く、その方にも同じ様に説明をしました。そのため、起きる・立つ・座る事をやってみていただきましたが、予想通り、立ったり座ったりは何か固定されたものを持つ+僕が軽くお尻を持ち上げながらで何とか立てる状態でした。とてもとても一人で歩いて移動なんて難しい状況でした。

はてさて、その原因は?
理学療法的な評価を行ってみると、まずは足首の関節がかなり固くなっていること、太もも(大腿四頭筋)とお尻(大殿筋)の萎縮が明らかで筋力低下もありました。萎縮している筋肉と言うのは、単に筋肉がやせ細るだけでなく“固くなる”と言う性質に変わってしまいます。加えて足の裏の感覚もかなり鈍くなっていました。それどころか、ビリビリと痺れ痛いような感覚もあり、触れる場所や触れ方によってはそれがとても不快だと訴えられていました。


先程も述べたように、この方、元々の診断名は「後縦靭帯骨化症」でしたが、僕が見る限り下肢の症状はむしろ「糖尿病性神経障害」や「下肢動脈血栓症」による影響が大きかも…と思いながらリハビリを開始しました。「後縦靭帯骨化症」の麻痺か「糖尿病性神経障害」の麻痺か、もしそれぞれ単独のものであれば、理学療法での評価でも鑑別はできます。「深部腱反射」と言う腱の部分をハンマーで叩いてその反応を見る検査なのですが、予想通り、その検査ではどちらがどれだけ影響しているのか、と言うのは判断ができない状況でした。

まずは立ったり座ったりする事を安定させるのですが、足首の動きを柔らかくするためのマッサージや運動、脚に行く血流を良くするためのおしりのマッサージ、そして大腿四頭筋や大殿筋の筋力強化など、まずはベッド上でおこなることをやるのですが、これがまたヒトクセある方なので「それはどうしてそんなことするの?」「それはどういう効果があるの?」「なんでそんなことせなあかんの?」などなど、もう矢継ぎ早に質問の嵐。どうやら転院前で行っていたリハビリの内容に不満があったらしく「あそこでは歩け!歩け!って言われるだけだった」とかなりご立腹の様子。もともと医者嫌いであったこともあるようで、医療不信の状態だったので、僕は出来うる限り一つ一つの質問に丁寧にお答えしていきました。

クララが立った!!ってクララは何の病気なの?その2」でも書きましたが「立てないからただ立つ練習をする」「歩けないからただ歩く練習をする」のでは、おおよそそのリハビリは失敗に終わります。何度も言いますが、その原因を探ってそこに的確にアプローチする必要があるのです。


患者様との信頼関係が築けてくると、よくあるのが、病院職員に対する苦情を僕らセラピストに訴えるようになります。「看護師の〇〇がこんな酷いこと言った」「主治医の先生が全然、来てくれない」「薬を出すって先生言ったのに持ってきてくれない」などなど。正直、苦情を聞く立場なので非常に心苦しく申し訳ない気持ちになる反面、「ああ、この人は僕に心を開いてくれている」と安心もするわけで。

ありがたいことに?(笑)その方もしばらくして僕に同様の反応を見せてくれました。割と早い段階で(笑)それはもともと医療不信もあったので仕方のないことなのですが、その苦情の合間合間に僕はその方の生い立ちやご家族のお話など、色々なお話を聞かせて頂きました。

何とか立ったり座ったりも安定しU字歩行器での歩行も安定してきた頃、いよいよい、病棟内ぐらいはご自身お一人でU字歩行器を使って歩いて良い、と言う事になったのですが…この方、食へのこだわりが強いと言うか悪く言えば「食べたいものを食べたい時に食べさせろ」的な訴えをするわけです(笑)。そもそも、転院してきた時から「ここの病院食は不味い!」と事あるごとに言っていたわけで。まあ確かに、糖尿病食であったため味は薄味だし、お野菜もクタクタになってるし、文句を言いたい気持ちもよーーーーーく分かる。だから僕らも「そうだよね。そりゃ美味しくないわな」と共感してはいるのですが、立場上、ご自由に何でも食べて下さい、とは言えず。

当時の職場には院内に売店はなくその代わりにお菓子やおにぎり、パンなどの自販機が病棟1階に設置してあって、そこへ行ってお菓子を買いたいと。

正直、僕も困りました。
しかも、自室とリハビリ室の間にその自販機があるわけです。もう、そこで何度も何度もすったもんだしましたよ。まあ、最後の方は、御本人も買わせてくれないと分かっていたから、ほとんど“じゃれ合い”みたいになりましだけどね。

最終的には、T字杖をついてなんとか3~4段の階段を上り下りできるようになって、かつ、介護保険を使って、お弁当の配食サービスやホームヘルパーによる自宅内の掃除や調理などを利用することになったのですが、当初はこれらのサービスも全くノリ気じゃなく。MSWと作業療法士と僕とで事あるごとに説得し(そう、この時は説得しました。強く)、「今度(病院に)運ばれてきたら施設入所だからね!それが嫌なら家で気をつけて過ごすことと食べることには注意して!!」と何度も何度も年を押して退院になりました。


なぜこの方の事が忘れられなかったかと言うと、実は僕の父と同い年だったんです。
その頃、僕の父は認知症が酷く自宅介護は無理となって精神科に入院療養していたのですが、どうしてもその父と比較してしまっていました。

Aさんの肉親は実の姉(ご結婚されています)だけで、Aさんご自身は結婚歴もなくもちろん内縁の妻や隠し子もおらず(笑)、ご自分お一人で生活されていました。若い頃のお話は、もっぱらやんちゃしていた事の話題が中心でしたが、野球がお好きで仕事をしながら草野球の審判をしていたり仕事仲間との楽しいひとときのお話なども聞かせて頂きました。

僕の父に関しては、「そうは言っても…親というものは、子というものは」「死を考える②故人を偲ぶ日(私の勝手な解釈)」でも記載していますが、どちらかと言うと生真面目な性格だったのでAさんとは真逆のような印象でした。しかし、思うのです。Aさんとお話ししながらAさんも「こんなこと人には言えんけどな」みたいな前置きをして話されることもあったりして、「あゝもしかしたら僕の父にも“人には言えんけどな”というような事があったのかな」と思ってみたり「そんな父の話も聞いておけばよかった」と思ってみたり。当時、認知症のすすんだ父には、もうその様な話が聞けないのだと思うと、急につらくなったりしながらもAさんとの時間を共有していました。

もちろん僕にも「こんなこと人には言えんけどな」みたいな体験はあります。そりゃ人間ですもの。神様や仏様ではありません。だから時々、「実は僕もね」みたいに、お話しできる範囲でAさんに“懺悔”することもありました。



実はこのAさんとはこの後、2回また同じ病院で関わることになるのですが、それについてはまた次回。

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