私はゲイである。
ハッキリと自覚したのは高校生になってからであろうか。いわゆる“第二次性徴期の後期”になってからである。
先回にも書いたが、エリクソンの発達課題『アイデンティティの危機』の真っ只中であった。
「自分は何者か」と言うカテゴリーの中に「自分のセクシャリティとは?」が大きくそれを占めていた。もう30年近く前の話しである。「おかま」「ホモ」「おとこおんな」の様な、今では差別用語とされている言葉が、平気で飛び交っている時代である。
しかも僕が育ったのは田舎である。
全くと言って良いほど情報が入らない。
苦しかった。
自分は異常なのではないか、頭がおかしいのではないか、自分の何かが狂っている、高校生2年生の頃から強く意識するようになった。
単純に「恋心」を抱く相手が男性、と言うだけでなく「性愛」として(つまりは自慰行為の時に想像する相手)も男性であり、周囲の友達との違いに戸惑うのはもちろんの事、誰にも言ってはいけない『秘事』として強く思っていた。
けど、やっぱり一人で抱えきれなくて、同じクラスの仲の良い女子二人にカムアウトした。二人は結構軽く?受け止めてくれて、いつの間にやらその3人で“恋バナ”をするまでになっていた(笑)。
そして当時図書委員だった僕は、図書館司書の方に勧められて『考える高校生』と言う雑誌のモニター高校生になる事にした。その雑誌のモニターでは、自校のイベントの報告や自分自身が考えている事、将来の事など定期的に雑誌に投稿するのだが、実は私、編集部宛に『私は同性愛者でとても悩んでいる』と言うお手紙を書いた。
そして編集部の方が紹介して下さったのは『動くゲイとレズビアンの会』(現在の特定非営利活動法人アカー)である。編集部の方は、アカーの発行する広報誌のコピーをいっぱい送って下さった。
記憶が定かではないのだが、その記事を読んで何かのアクションを起こした記憶はない(もしかしたらアカーの方にお手紙を書いたかもしれない)。ただ、私の様な同性愛者が“フツー”に存在する事、異性愛者と一緒に生活している事を知って、心の底から安堵したと同時に、今居るこの環境では、私は受け入れてもらえる環境にない、と強く思った。
高校3年生の夏休み、とある予備校の集中講義に出るために、1週間ほど、片道2時間路線バスに揺られ、とある地方都市まで通っていた。講義終わり、バスの時間までの暇つぶしに入った大きな図書店で衝撃的な出会いがあった。いわゆる『ゲイ雑誌』を見つけてしまったのである。恐る恐る手に取り少しだけ中を見て、意を決してレジに行き汗ばむ手で会計したのを覚えている。
その雑誌を読みながら、そしてアカーの会報誌を読みながら、「ここでは私は自由に生きていけない。とにかく都会に出なければ!」と意を決したのである。
「理学療法士になる」と「都会へ出る」と言う決意がほぼ同時期に湧き上がり、受験勉強をするための原動力となった。
念願かなって実家を出ることに成功し、医療短大に進学した私は、学校・バイト・サークルの他に『ゲイコミュニティ』という、もう一つの居場所を見つけ、そこでたくさんの出会いと別れ、楽しみと悲しみ、そして“世の中”というものを肌身で感じる事となった。もちろんこれが、私の人生に、大きな転換期を与えたということは、言うまでもない。
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