あなたの生きる目的、その意味はなんだろうか?
哲学のように難しく考えずに、パッと思いついたものはなんだろうか?
10代の頃は、そんなことなんて考えもせず生きていたと思う。私自身今、思い出そうとしても思い出せない。20代の頃は、生きる目的=仕事、と考えていたと思う。「こういう職業に就きたい」「仕事でこんなことがしたい」と理想や夢を叶えることが生きる目的だと考えていたと思う。
先回の私のblogで『医療短大を卒業してからやりたい夢があったからUターン就職はしなかった』と書いたが、それは「理学療法士+α」の仕事がしてみたいと思っており、その夢を叶えるための“ロードマップ”があり、それを一つずつクリアしていくことが、その頃の私の生きる目的であったと思う(私が具体的に何をしたかったのかは、後日、機会があれば触れてみたいと思う)。
しかし、その夢や理想が叶ったとき、または“頭打ち”であったり想像してあったものと違うと感じてしまったとき、途端に「生きる目的、生きる意味」を見失ってしまう。私はとある事がきっかけで、30代始めでそのような経験を味わった。
それは、一種の絶望に近い感じであった。
その当時、思ったのは「仕事に生きる目的をもたないようにすればいい。何か他のことを…」と考えを改めるに至った。そしてその当時、お付き合いをしていた人がいたこともあり、その人を一生の伴侶とし、その人との家庭を守っていくことを「生きる目的」と心に決めた。その一環として同棲を始め、仕事は理学療法士という仕事を辞め、一般企業に入社し出版関係の仕事をしていた(これについても後日、機会があれば触れてみたいと思う)。
紆余曲折あり(書くと長くなるので省略)、同棲は解消されまた私は「生きる目的、意味」を失ってしまった。
それまでの私の人生で、「生きる目的、生きる意味」というものは、ハッキリと言葉で表現でき具体性があるものであった。
40代に入り、理学療法士+αとして何かを残してきたわけでもなく、誰かと添い遂げ、家庭を持つわけでもなく、しかし他に「何か」があるわけでもなく、ただひっそりと病院に勤務する「ごくありふれた理学療法士」として生活していた。
そんなとき、私は心の病になった。
大きくメンタルダウンをしてしまい、仕事もままらなくなり生活を送ることそのものが危うくなった。
その時に、強く思った。
幸せになりたい。
一人暮らしの部屋で、しがない中年男が、涙しながら強く思った。
幸せになりたい。
それから、自分自身が幸せになるにはどうしたら良いのだろうか?また、幸せを感じる時ってどんな時だろうか?僕にとっての幸せってなんだろうか?と、深く深く考えるようになった。
実は今現在、その答えは見つかっていない。
つまりそれが私にとっての「生きる目的、生きる意味」なのだと思っている。
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