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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年6月28日水曜日

私の中核をなす物(③友人・短大〜20代終わり)

私の中核をなす物③友人の高校を卒業してから20代終わり位までのお話しです。

高校を卒業してから実家を離れて、名古屋の短大に進学しました…が、同高からは3人しか進学せず、しかも全員、違う学科😑まぁ、もともと仲が良かったわけやないから、それ程ガッカリせーへんかったけど😜なんせ、新しい生活環境(大都会NAGOYA)と一人暮らしと言う生活条件、そして理学療法学科は21名しかおらず男子は4名😱しかもしかも、現役生は僕だけと言う何とも過酷な?!学生生活が始まった!!

まぁ、男子がまとまるのは当然として、でも現役生は僕だけだから、必然と現役生の女子とも仲良くなり、学科自体の人数も少ない事もあって、結構、皆で和気あいあいとしてた。

僕「都会に住むなら絶対にバイトはファストフード!」と決めていた(笑)から、自宅⇔学校の間にある🍩屋にバイトを決めて、同じ学科の3つ年上の友達も引きずり込んだ。

そしてバイト先では違う大学の学生と友達になって、これはまたこれで楽しい友達だった。そこの🍩屋では社員が二人であとは学生アルバイターで回していたんやけど、歓送迎会🍺・忘年会🍶・新年会🍷・BBQ🍖・海水浴🌊・ナイター観戦⚾・花火大会🎆、色んなイベントがあって、田舎にいたらできない経験をたくさんさせてもらった。
ただ、残念なコトに、その店舗は土地開発の要地になってしまって、僕が短大を卒業と同時に閉店となりました…
その閉店の時に、記念にグラス・大皿・小皿・灰皿をもらってきて今も愛用しています。
アイスドリンク用のグラス、本当に丈夫で落としたくらいじゃ割れないんです😳スゴいでしょ!!

短大の仲間は、仲良かったんだけど、実は僕の知らない所でイゾコザがあったらしく、ただ幸いな事に僕の目の届かない耳に入らない所での事だったらしく、卒業してから何年も経って知らされたって言う…僕が鈍感なだけなのか、皆が気を使ってくれていたのか…真相は、今となっては闇の中😎時には学科のみんなで学校に泊まり込みで、実技講義の練習をしたり、スイーツの食べ放題に行ったり🍰。
そして僕は、本学(僕の通っていた短大は四年制大学の附属的な扱いになっていたから、大元の四年制大学の事を“本学”と呼んでいた)のバンドサークルに入った!最初は4人でバンドを組んで(工学部・医学部・法学部・医療短大と言う異色のメンバー校正😂)コピーをしていたんだけど、それも1年で解体して僕は医学部の女子とペアを組んで打ち込みのオリジナルのユニットを組んだ(“打ち込み”というのはボーカル以外の楽器を全て機械にやらせる今で言うDTM)。そのサークルでも夏は1週間の合宿、大学祭には演奏会、冬には定期演奏会ととても忙しくしていた。

短大時代が一番忙しかったかも。
学校の友だち。バイト先の友達。サークルの友達。そして+α。交友関係が一気に広がって、貴重な体験をした3年間だった記憶があるかな。

理学療法学科のみんなとは、卒業してからも何かと連絡をとりあったり勉強会に一緒になったり、同窓会の役員を一緒にやったり、時には旅行に行ったりとしばらくは密な友人関係が続いていたけど、バイトの友達とはすぐに疎遠になってしまった。

無事に短大を卒業して国試に受かり、就職した先の事は先回、書いたので割愛します…が、就職と同時に夜間の大学に入学したので、そちらの交友関係について書きたいと思います。

社会福祉学専攻は確か80名だったかな。それだけいると全員と知り合うのは無理で、何となく似たもの同士がくっつくんだよね。ホントに面白いことに😆

特に仲が良くなったのは、耳👂が不自由な同い年の男子、目👀が少し不自由な同じPTの男性、たこ焼き屋さん🐙で働いている御姐様、年齢不詳の女子、現役で入学した男子。こんな感じでいつもたむろってた。不思議でしょ?このまとまりのなさ(笑)。その頃僕は、愛煙家だったので、講義と講義の合間には、いつも大体このメンバーでタバコ🚬ふかしながらダベってた(笑)。

ただ、ほとんどみんなが二足のわらじを履く生活をしていたから、プライベートで会うことは殆どなかったかな。時々、学校の講義終わりに、夜の海を見に行ったり(大学自体が海のすぐ近くだった)カラオケ🎤に行ったりしたくらいかも。
残念ながら大学の友だちとは、卒業後、段々と疎遠になっていっちゃった。

夜間の大学を卒業すると同時に僕は、とある市民病院🏥に転職した。そこは、僕が入職するまでリハスタッフはおらず!マッサージ師さんがいるだけの病院で、実質、僕はリハ科の立ち上げに関わることになった、若干25歳にして!いやいや、重荷だよって思ったけど短大時代にお世話になった教授の紹介でもあったので、そりゃ頑張ったさ。僕が入職して半年後に短大の後輩がに入職し、まさに二人三脚でなんとかその病院のリハに関する体制を整えていった。その後輩(女子)とは色恋なしに本当に仲良くて、食事や飲みはもちろん、後輩の彼氏と一緒にスキーに行ったり、最終的には結婚式にも呼ばれました(笑)

その頃になると、短大時代の友人でも特に中の良かった女子3人とよくツルムようになったかな。結局、「理学療法士」といっても「どんな理学療法士になるか」みたいな目標が各々あって、そういう“志”みたいなものが同じような者同士で連絡を取り合うようになっていったと思う。

先回のblogで書いた僕の思い描いていた「理学療法士+α」というのは、実は理学療法士を養成する教員になること、だったんです。だから、自然と僕の周りには同じような志をもった友達が集まるようになり、僕より先に専門学校の教員になった人・大学院に入学して研究している人・臨床研究をする人なんかがいた。僕はとりあえず「大学院に行く」事を目指して勉強をしていたんだけど、友達というよりも「同志」に近い仲間関係に発展していったと思う。


③友人・30代~40代へと続きます。

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