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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年6月25日日曜日

医療の現場で働く事の楽しさと闇

 時々、尋ねられるのだが「どうして理学療法士という仕事を選んだのですか?」と。特に、実習生と話をしているとよく出てくる話題だった。

よくある話だが、私はもともと体が弱く、母を心配させたものだ。

小さな頃は小児喘息があり、ある程度大きくなってからは、扁桃腺肥大があり、年に何度も高熱を出し病院にお世話になった。多くの人は「病院は怖いところ」というイメージかもしれないが、私にしてみれば「優しい大人のいっぱいいる安心できる場所」という認識であった。

たまたま義理の伯母(母の兄の嫁)が看護師で地元の病院(といっても個人の病床数50にも満たない小さな病院)に勤めていたため、僕はよくその病院に通院して治療を受けていた。

昔の医師というと、頑固一徹・わがまま許さん!みたいなイメージだが、その病院の僕の内科の主治医は、とても品があって穏やかでいつもニコニコしていてなんだかいい匂いのする“ロマンスグレー”だった記憶がある(笑)。

とにかく、その病院の職員さんはみんなが優しく穏やかで、僕は居心地の良さを感じていた。

その影響かいつの日にか「医療従事者になろう」と自然に思うようになった。ただ当初は「看護師」という仕事を考えていた。というか看護師しか頭に浮かばなかった。医療従事者と言えば薬剤師や検査技師、レントゲン技師なども当時からあったが、もっと患者様と触れ合える仕事がしたかったのである。

しかし。しかしである。その義理の叔母に相談したところ、断固反対されてしまった。

理由は「男性の職場ではない」から、だと言う。

それ以上は詳しく聞いた記憶はないが、仕事の内容(例えば下の世話とか)や集団の女性特有の仲間意識だったりだとか、きっと義理の伯母はそれを言いたかったのだと思う。その頃の私も、そこまであまり深くは考えておらず、伯母がそこまで反対するのであれば、やはり辞めておくのが賢明だろうと思い、他の職種を探すことにした。

しかし、先程も書いたように、他の仕事でピンと来るものはなく、考えあぐねていた時に母が「理学療法士という仕事があるらしいよ」と教えてくれた。それこそピントは来ず(笑)とにかくどんな仕事かを調べはじめ、理学療法士になるにはどのようにすれば良いのかの情報収集をし始めた。

確かに、患者様とたくさん触れ合える仕事だ。

しかも、まだ、なり手が少ない。

狙い目かも。

理学療法士作業療法士法が制定されたのが昭和40年、私が昭和50年生まれであるから、それほど古い資格(当時は)ではなかったため、田舎に住んでいた私の町に理学療法士がいたという記憶もなく、また、“リハビリテーション”という言葉そのものも一般的ではなかった。

正直、具体的な仕事は分からない。分からないが、やってみたい。

もともと、根が天邪鬼である私は、人と違うことがしたいと常々思っていたので、こんなピッタリな仕事はない!と思い、母の勧めるがまま理学療法士になることを、理学療法士になる学校へ進学することを決意した。

勉強は想像以上に大変であったが、留年することもなく、国家試験も一発で合格し、無事に理学療法士として働くことになったが、先回このblogで書いた通り、大変でもあったが仕事仲間に恵まれてとても楽しかった。

こんな事を書くと誤解があるかもしれないが、患者様が段々と良くなっていく姿を見ることも理学療法士としての醍醐味ではあるが、私はむしろ患者様とお話しをし、その方の人生を知ること、生き様やこれまで成し遂げてこられてきたお話しを聞くことが、とても楽しかった。その方が苦しんで来られたこと、楽しんでこられたこと、生きがいにされてきたこと、それら患者様の過去を聞くことは、目の前にいらっしゃる患者様の“今”を理解することにつながると思っており、たくさん昔話を聞かせていただいた。

患者様に対して、優しい言葉掛けや気にかける言葉かけをするのは当たり前のコト。一歩踏み込んで「この方ならこんな風に感じるのかも」「この方だったらこう考えるかも」という想像(妄想)で言葉かけすると、患者様との信頼関係が築きやすくなることに、私自身が気が付き、実践するようにしていた。そうすると、その方に寄り添うことができ、機能回復も順調に進んで行くように思われた(エビデンスはない)。

一方で「病院側の都合」というものがある。

昨今では「急性期病院」「回復期病院」「維持期病院」「クリニック」などの機能ごとに病院が細分化されることにより、それぞれ入院日数が決まっていたり、受け入れ可能な疾患が決まっていたりと、制度そのものが一般市民には分かりにくいものとなってしまった。

ただ、病院も潰れる時代である。経営も考えなかればならない。あまり深くは書かないが、そのような“患者操作”のような事があることは事実である。

また、よく言う「派閥争い」みたいなものも多かれ少なかれあるのが現状だ。やはり働く人数が多ければ多いほど、どうしてもそのような抗争はある。20数名でのリハ科の中でもなんとなく派閥ができてきていたし、ましてや病院全体となると、例えば「院長派」「副院長派」「事務長派」などの派閥ができてしまう。それはそれで仕方のないことだとは思う。しかしそれが患者サービスへ影響したり、職員の働きやすさ(働きにくさ)にまで影響することもあり、末端の人間としてはまさに「勘弁してよ」という状態になることもしばしば。

ちなみに先日書いたblogに出てきた、私が最初に就職した職場(内科と整形外科のクリニック)では、そのようなことはなかった。整形外科の医師と内科の医師はご夫婦で、整形が旦那様、内科が奥様であった(夫婦喧嘩が勃発することもありやや険悪なムードのときもあったが、とりあえず仕事には支障なかった事もある)。

あゝ、今思えば、そのような派閥抗争のようなことに巻き込まれること自体、私にとっては精神的な負担にもなっていたし、それでも患者様には迷惑をかけられないと思い、そして何より『めんどくさい』のである。そう、めんどくさい。いい歳をした大人が、しょーもないことで争い事をする、それが私にしてみたらしょーもない。

(気分を害された方がいらっしゃったら謝罪する)

これ以上は、タダの愚痴になりそうなので辞めておくが、もちろん、医療の現場だからとか医療従事者だからとか言う、特有の“やりがい”や“楽しさ”もある反面、そうでないものもたくさんあると言うことだ。

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