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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年6月21日水曜日

そうは言っても…親というものは、子というものは

50歳に近づいてきて、最近つくづく思うのは「私が10代・20代の頃の親ってこんな気持ちだったんだな」と言う事である。

私の親は、子育てに関してはほぼ放任主義で、やりたい事をやりたいようにやらせてくれていた。勉強をしろとガミガミ言われるでもなく、将来の職業についてもアレヤコレヤと口出しすることなく見守り続けてくれていた。
理学療法士の養成校(医療短大)を卒業後、私には夢があって、その夢を追いかけるとなるとUターン就職はできず、実家に戻るつもりはない、と伝えた時も、大事になる事はなかった。

私が20代半ばの頃、父が50代始めの頃より、父が身体の不調を訴え、時々、私のところへ電話が入るようになった。

食欲がない
胸がつかえた感じがする
胃が締め付けられる感じがする
云々…

その頃、父はまだ働いていたが、それらの不調で仕事を休む事も多くなったと言う。

話しを聞いているとその“不調”と言うのも一貫したものがなく、様々な医療機関を受診し検査をしたが、異常はなかった。
と、その話しを聞いただけで僕は「心気症だな…」と思った。

当時の私の知識では、心気症の裏には鬱傾向、不安障害傾向などある事は分かっていて、何とか精神科や心療内科を受診して欲しかったが、やはり父は納得がいかず、ひたすら内科を受診していた。

ただ、いつも父から電話がかかってきた時は、できるだけ否定をせず訴えを聞き、父の言う“内科の病気”だと僕も信じ、この病院に行ってみたらどう?とかアドバイスをしながらやり取りをしていた。

いつも電話を切る頃になると父は「ケンゴに話しを聞いてもらうといつも楽になる」と言っていたことを思い出す。

そんなやり取りが1年以上続いた頃、さすがにもう、どんなに検査しても何も出てこないと半分、諦めたのか、「精神科へ行ってみる」と連絡があった。

診断名は「うつ病」だった。

その頃、実家には、山も畑も田もあり、畑以外は全て、父が面倒をみていた。いわゆる“兼業農家”だ。平日は会社員として働き、休日は田や山の世話をする。

毎年毎年、終わる事のないその作業を、ゴールも見えないままし続けると言うのは、私にしてみたらそれは「苦行」だ。
しかも、誰かにその役割を変わってもらうことができず(つまり私がその役割を変わってやらなかった)、放り出す事もできなかった。

いや、できたであろうに、真面目な父は「先祖代々の土地を守る」事が大きな使命と思っていたのかもしれない。昭和17年生まれの男性ならば、その様に考えていたとしてもおかしくはないだろう。

誰かに頼りたい(精神的にも肉体的にも)でも頼れる人がいない。自分が頑張るしかない。何とかするしかない。

そんな気持ちで父はいたのかもしれない。

今の私は未婚で子もおらず、気楽な一人暮らしで、とりあえずは自分の事だけを考えて生活していればよいのにもかかわらず、時々、誰かに頼りたい気持ちがある。

きっと父も誰かに頼りたかったのかもしれない。それを無意識下に押し込めた結果、心気症として現れたのかもしれない。

中年期と言うのは、青年期と同じくらいに、気持ちや心の揺らぎが大きく、それを上手く乗り越えていくには、それなりの覚悟が必要なのだと思う。

こうやって父の気持ちが想像できるようになったのも、自分自身がこの年齢になり、そして様々な経験をしてきたからこそ、なのだと思う。

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