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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年11月15日水曜日

そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その③

 そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その②からの続きです。




2003年当時『HIV陽性者のリアル』を知る術がなく、様々な不安を抱えたボクの『with HIV』生活。前回のお話しでも書きましたが、まずは1回/月の定期受診(毎回、血液検査を行う)し、免疫細胞の数とHIVのウィルス量を見ながら体調報告も兼ねて通院が始まりました。

『免疫細胞の数』と言っても、人間の体の中には多数の免疫細胞があります。


上の図のマクロファージ・NK細胞・好中球・キラーT細胞・B細胞・(樹状細胞)などが主な免疫細胞なのですが、HIVは下記の図のTリンパ球(キラーT細胞)の中でも『CD4リンパ球』と言う免疫細胞に感染します。


少し生物学的なお話しをしますと、ウィルスというのは細胞の『核』と呼ばれる部分だけの生命体で、ウィルスは細胞の中に取り込まれてその細胞の中だけでしか生きることができません。そして取り憑いた細胞を栄養分にして、ウィルス自身の分身を作るわけですが、その分身を作るたびに取り憑いた細胞を壊していくのです。

そういう意味ではウィルスは非常に弱い存在、とも言えるわけですが、いかんせんHIVは外敵から体を守るための免疫細胞に取り憑いてしまうため厄介なわけです。


話しをもとに戻しますね。

ボクが初診で検査したときは、CD4が600/μL台(血液1μL中に何個のCD4細胞があるか)だったと思います。ウィルス量は10の8乗個/mL(血漿1mL中に何個のウィルスがあるか)くらいでしょうか。

μL=1000000分の1L
mL=1000分の1L

CD4というのは、もともと個人によって持っている細胞数が違っていて、正常値は700-1300/μLと言われています。正常値でもかなり幅が大きいのが分かるかと思います。(これはボクの憶測ですが、ボクは元々CD4の数は少なめだったのではないかと思います)

当時のHIV治療ガイドラインでは『CD4が200を切ったら投薬開始の目安』でしたので、ボクはその日を、毎月の受診と検査で待つことになりました。もう一つ付け加えるなら、当時の法律では、CD4が200を切らないと(つまり投薬が始まるタイミングにならないと)身体障害者手帳が申請できませんでした。身体障害者手帳が申請できないということは、治療費の自己負担額は、毎回、病院の会計窓口で支払わなければなりませんでした。当時3割負担で、毎回の診察で1万円位は支払っていたと思います。



CD4というのはとても敏感な細胞で、その日の体調やストレスなどの精神的なものからもかなり影響を受けるため、血液を採取した時の状況で値が大きく変わることがあります。しかし長いスパンで見ていくと、ジワリジワリとCD4が下がっていくのが分かりました。

そして前回のblogでもお伝えした通り、ボクはこの間、月に一度、心理カウンセリングを受けることにしました。

保健所で陽性告知を受けた時に元カレと友人二人に開示してから、誰にもボクのHIVステータスについて開示することはなかったのですが、初診から2~3か月後、当時の職場の後輩二人に開示しました(その職場は上司があん摩マッサージ師でその下がボク、1つ年下と2つ年下の後輩の全部で4人だけの部署でした)。


ボクの心理カウンセリングを担当してくださったのはKさんという中年女性の臨床心理士さんでした。当時、心理職の地位というのは非常に低く、そもそも臨床心理士と言う資格も任意資格であるため、とてもめずらしい存在でした。

Kさんは長く拠点病院に所属されていて、HIV陽性者の心理カウンセリングを一手に引き受けてくださっており、また、セクシャリティなどの十分な知識と理解を持っていらっしゃる方でした(この方との出会いがあったからボクは心理職をしたいと思うようになった、そんな方です)。

初めましての時からいつも笑顔。
そして柔らかい言葉遣い。
言葉の選び方も丁寧。

今思えば、Kさんは本当に僕らHIV陽性者の患者のために、言葉通り「身を削って」尽くしてくれていたんだと思います。

拠点病院は土日祝日は休みで診療も9:00~16:30と言う時間帯でした。ボクの勤務先も公立病院でしたので、勤務は8:30~17:30で土日祝日が休み。だから受診の際は平日午後に有給休暇をとって受診していたのですが、心理カウンセリングに関しては診療時間外、しかもボクが仕事を終わってから公共交通機関を使って拠点病院に到着する19:00から1時間ほどの時間をわざわざ作っていただいて、心理カウンセリングをしていただきました。

当時、Kさんがどのようなポジションで雇用され、また残業代など支払ってもらっているのかなど、知るよしもありません。しかも心理職が心理カウンセリングを行って診療報酬が支払われるようになったのはここ数年の話なので、当時は心理職が心理カウンセリング業務をしたところで、病院の儲けにはならなかったはずです。


ただ…
ボクは、Kさんに沢山、救けていただきました。
ボクが初診で受診し、Kさんがその拠点病院を退職されるまでの4年間、ほぼ毎月心理カウンセリングをしていただきました。
そしてその方は、拠点病院に通院しているゲイのHIV陽性者のための自助会・当事者会も開いてくれました。しかも勤務外である土曜の午後に。
Kさんとは忘れられないエピソードはたくさんあります。

あかん、泣けてきた…



次回、そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その④では、そのKさんとの対話の中でとても印象的だったエピソードをいくつか紹介したいと思います。

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