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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年9月1日金曜日

無理に抑え込まないで!!ネガティブな感情とその役割

 人には喜怒哀楽、様々な感情がある。日本語にすると実は本当にたくさんの感情表現の仕方がある(Google Bard調べ)。

これらの感情表現というのは、やはりその表現が必要であるからこそ存在しているわけで、それぞれ意味がある。それは“怒り”や“嫉妬”といった感情であっても、である。



ヒトの身体というのは、それ自体を守るために様々な信号を出し、感じ、脳で認知してそれに対しての対処法をとるようなシステムが出来上がっている。

例えば『痛み』
痛みというのは、刃物で傷つけられたり大きな外力が与えられた時に(物理的刺激)痛みを感じる。他にもウィルスや細菌が細胞を破壊した時(生物学的刺激)、強い酸やアルカリ物質に触れた時(化学的刺激)に痛みとして感じる。これは、「身体を壊しているぞ!!」と言う信号であり、それを避けるような行動をとるために『痛み=不快』と言う認知を、脳がしている証拠である。

例えば『味覚』
皆さんは、なぜ「“甘い”は“美味しい”」と感じ「“苦い”は“不味い”」と思うのだと考えますか?実はそこにも同じ様に「身体を守るためのシステム」の一部なのだ。
“甘いもの”の代表といえば砂糖や脂肪分。これらは細胞そのものの栄養分であり身体を動かすために必要な物質だ。“美味しい”と感じるものは身体に必要なものであるから積極的に摂取しようと“身体が仕向ける”のだ。
一方、“苦いもの”というのは本来、カビている物質(身体に有害な細菌)を口にした時に感じる味覚の一種で、“酸っぱいもの”も同様に腐敗している物質を口にした時に感じる味覚である。苦味・酸味というのは体内に入れると“毒”になるため、口にいれた瞬間に吐き出すように“身体が仕向ける”のだ。


痛みや味覚も含め、『快』『不快』に集約され『快』と感じるものは積極的に取り入れ、『不快』と感じるものはできるだけ排除しようとするのが人間の身体である。

もっというと、ヒトを始め生物というのは「それらの持つ遺伝子(DNA)を後世に残すため」に様々なシステムが構築されている。

当blog「汚いモノは嫌われる?!行動免疫システム!!」でも述べたが、何も痛みや味覚というものだけでなくいわゆる「情動(感情)」も同じ様に、「遺伝子(DNA)」を残すための手段として利用されているのだ。つまり、その生物の社会性や幸福感のために感情があるのではない。

エドワード・オズボーン・ウィルソン著の「社会生物学」の中にはこの様に書かれているという。

『つまり愛情には憎悪、攻撃心には恐怖心、大胆さには躊躇が伴うようになる。しかし、これらの感情のとり合わせもなんらその生物の幸福と生存のために考え出されたものではなく、あくまでこれらの感情を制御している遺伝子群の子孫への受け渡しが、最大限に行われるべく考え出されたにすぎない。』

一番わかり易いのは、恋愛感情における嫉妬心。
嫉妬心というのは、結局のところ「自分の遺伝子を残すために交尾する相手を獲得するために必要な感情」である。嫉妬心というのは、時に「恥ずかしい感情」と受け止められ、それを表現することがはばかれることがある。しかし、エドワード・オズボーン・ウィルソンに言わせると、それは致し方のないこと。

人間が社会生活を送る上で支障がでるため、野性的な感情である「嫉妬心」というものを「知性・理性」というものを使って、なんとか折り合いをつけているだけなのである。

同様に「憎悪」「嫌悪」「恐怖心」など、一見するとネガティブな感情にもそれぞれ役割があるわけで、しかもそれは「ヒト」というよりも「生物」として必要であるからその様な感情が沸き起こるのである。つまり、それらの感情が沸き起こってくることは、いたって当たり前の事で、逆にその感情を「感じていないふり」をしたり「感じないように努力する」事自体が不自然なのだと言える。

この様に、「感じないふり」「感じないように努力する」と言うやり方が、ジークムント・フロイトが原型を考え、アンナ・フロイトが概念として確立した「防衛機制」というものだ。「防衛機制」と言う言葉を聞くと「精神心理的に良くない反応」という印象がある。防衛機制にはレベル1~4まであり、レベル4以外の防衛機制は、精神病的であったり神経症的であったりと、メンタルヘルス上あまり良くない反応である。

どの様な防衛機制をとるのかは、その人の生育環境や両親からの受けた影響などが関係しており、獲得してしまった防衛機制の方法を、成人になってから変えることは非常に困難である。


一度、自分自身が、どのような防衛機制を使いやすいのか、ご自身を振り返る事から初めてみることをおすすめする。ただし、チェックリストのように簡単に鑑別することは難しく、カウンセラーとの対話の中で発見されることが多い。


いつも人間関係で疲れる、ストレスがかかった時にすぐメンタルダウンしてしまう、ストレス耐性が弱いなどの傾向があるのであれば、ご自身の防衛機制に問題がある可能性もあるため、メンタルダウンしてしまう前に、カウンセリングなどのサービスを利用してご自分の特性を知り、より健康的で楽に生きられる方法を模索してみてはどうだろうか。

2023年8月31日木曜日

皆さんにご相談です!!今一番の悩み(ビジネスの話し)追記あり

10月から、個別心理カウンセリングサービスを提供するのだが…

ぶっちゃけ、料金設定に悩んでいる。

チラリと市場調査をしたのだが、¥6,000〜¥12,000とかなりの幅があり、「相場はあってないようなもの」だ。

私がまだ、駆け出しのカウンセラーであることや、オンラインで行う事で必要経費はグッと抑えられるので、それは十分に考慮して料金設定に反映したいと考えている。

が、悩ましい…

もし、これをご覧になられて「これくらいの料金設定にして欲しい」と言うリクエストがあれば、各SNSのDMにて教えていただくか、こちらのブログコメント欄にでも記載頂きたい(匿名でコメント可能)。

本日までに、私のカウンセリングを体験して頂いた方々に行ったアンケートにも同様の質問を投げかけているため、それと合わせて設定したいと考えている。

ちなみに1回50分。

2023年9月7日追記
XやThreads、LINEでもお伝えしましたが、1回50分のカウンセリングセッションを¥3,000としました。
本当に色々と考えての値段です。
ご利用、宜しくお願い致します。

2023年8月29日火曜日

セクシャリティに関する葛藤(私の場合)

そろそろ本当の話をしよう(セクシャリティ)」でも書いたが、私はゲイだ。



恐らく、自分自身がゲイである事を本当の意味で受け入れる事ができたのは、40代になってからだと自己分析する。

高校を卒業して実家を離れてから、いわゆる「ゲイコミュニティ」を知り、色々な人と出会うことで、自分と同じ様な境遇の人たちがいる事に安堵し、「自分は存在していいんだ」と思えるようになってはいた。

しかし、私の実家は本家だ。
そして私は長男。

この2つが私の心を、ずっと締め付けていた。

山もある。
田もある。
畑もある。
宅地もある。
家もある。
墓もある。

これを「守るのは私の役割」なんだと、いつも心の何処かで思っていた。それは本当に「呪い」のようだ。これらを守ると言う事は、「後世に受け継がなければならない事」と考えており、そのためには「結婚」をし「子を授かる」必要があると思っていた。

特に父が認知症になり介護が必要になってきた(私が40歳手前くらい)頃が、一番苦しかった記憶がある。


父はサラリーマンで土日祝日が休みであった。
しかし、その殆どの日を、山や田にでかけていった。

山は植林で、スギやヒノキが植えられており、下刈り(木の生えていない場所に生える雑草を刈る)や枝打ち(節の少ない材木とするため、また日差しの通りを良くするために余分な枝を切り落とす)作業をしていた。そして時折、間伐と言って、木と木の間隔を広げるために小さな木や弱い木を伐採して、山より下ろし、それを薪用に切って割る、と言うこともしていた(ちなみに私の実家はお風呂は薪で焚いていた)。

田は、春、田植え前に耕運機で土を起こし、大きな石などを拾い捨て、田に水を張りトラクターで地を均し、時期が来たら田植え機で稲を植え、夏、収穫までの期間は、田の水の量を調整したり除草剤を撒いたり虫が付いていないか確認したりしながらその時期を待ち、そして秋に稲刈り。昔は「コンバイン」などはなく、稲刈り機で刈った稲は「稲架掛け」を行い、1ヶ月ほど乾燥させてから脱穀。袋詰される。

畑は主に母が季節の野菜などを作っていたが、父が土を起こし畝を作り、そこに母が種を巻き、草取りをし収穫をしていた。

私自身も、何かしら父のそれらの仕事を手伝うこともあったが、高校生くらいになってからは部活動や勉学が優先となり、あまり関わらなくなった。

そして私が実家に寄り付かなくなった20代~30代の頃、私の知らないところで、いつしか田は人に貸すようになり、山は放置されるようになった。畑は母が世話をしていた。
その後父は鬱病、認知症になり、その間、それらの名義は父のままであったが、実質管理していたのは母だ。

その頃が一番、私も辛かった。苦しかった。
「このまま放置して良い“訳がない”」
そして、こうも思った。
「何代も続くこの“血”を、私の代で途絶えさせてしまった良いのか?」
「本家の長男としての役割を放棄しているのではないか?」

しかし、父の介護を手伝いながら、一歩ずつ一歩ずつ、死に向かっていく父を見ながら、ふと気付いたことがあった。


私の家庭は、少し特殊な事情があり、実は父は次男だ。
父は3姉弟で、第一子は女児・第二子と第三子は男児で、父は次男かつ末っ子だ。その父が、本家の跡取りとなった。

父は立派な跡取りだったと思う。
次男であるにも関わらず、私から見た祖父母(父の両親)と同居し、祖父から受け継いだ山・田・畑を一生懸命に世話をしていた(そうは言っても…親というものは子というものは」参照)


そう。父は次男なのだ。
ご長男さんには、僕の従兄弟にあたる男児がおり、正確にいえば、その血筋が本流であり、私は支流である。私が子孫を残す必要は全く無い。

もちろん、山や田や畑の問題は解決はしていない。

しかし、私もまだ、20年くらいは生きているつもりだ(笑)。それに、それよりも早く他界したとしても、親族はいくらでもいる。私が死んだ時は死んだ時だ。まだ、生き残っている親族が何とかしてくれるだろう。

まあ、他力本願に走った考えをすることになるのだが(笑)その様に考えるようになったら、なんとも気分が軽くなった。

びっくりするくらいに。


父が他界して1周忌を迎える前に、私は、実家の土地など全ての登記を書き換え、私名義になった(いわゆる相続)。ありがたいことに、あまりにも田舎の土地であるため地価が安く、相続税は全くかからず(笑)相続することができた。


その頃になってやっと「私が本家の長男である」と言う呪縛から開放され、私自身がゲイであるというセクシャリティを許せるようになった。

2023年8月24日木曜日

私の中核をなすもの⑥ドラマ

私の中核をなすものシリーズ⑤ドラマ編。


僕は、大の海外ドラマ好き🩷
そのルーツを辿ると、初めて見たのが高校2年生で、当時、片想いをしていたクラスの同級生😜(K君)から勧められてみた「ツイン・ピークス」だ。

もちろん、同時に公開された映画二本も。

確かこのドラマ、日本でも、深夜に民法で放映されたん📺やけど、ウチでは電波の入りが悪くて見られなくて💦K君から、毎週、録画してくれたVHSビデオテープ(古っ)を借りて、欠かさず見ていた。

好きだったK君から勧められたから“だけ”ではないけれど、マジハマりしたwww
あのミステリアスな世界観やサイコ・サスペンス的要素もあって、その謎解きにハマった。

もともと僕は、ミステリーが好きで小学生の頃から「赤川次郎」さんの作品を読んでいた渋い🌰小学生だったから、うってつけだった。

最近ではあまり驚かなくなったけど、『終盤15分で大ドンデン返し』とか『どんでん返しからのどんでん返し』とかって、当時は本当に珍しく、日本のドラマや映画では、あまり味わえなかった記憶がある🤨

それからしばらくは、あまり海外ドラマに触れる機会がなかった。と言うか、医療短大に入ってからは、勉強とサークルとバイトとプライベートで暇なんかなかったし😫、医療短大を卒業してからも、夜間大学に入学して、理学療法士として働きながら社会福祉士取得のために勉強して暇がなかったし😵‍💫

結局、再びが熱が入ったのは、30歳になった頃かな。

ちょうど、レンタルDVD屋さんがいたる所に店舗を出店するようになり、気軽に海外のドラマはもちろん、映画も比較的早く自宅で鑑賞できる時代になってた。

そうそう。
ちょうど「24」が日本に上陸して、大旋風🌀を巻き起こしたころ!!
もちろん、見た見た!「24」。


当時、レンタルDVDを借りると、新作の予告編が入っていたり、その新作1話がまるまる入っていたりすることもあって、購買意欲?!をソソるソソる🤭

そのうちに、インターネット回線が光回線のブロードバンドが普及し始めて、DVDをレンタルすることはなくなった。動画配信サービスをサブスクで見ることを多くなって、アメリカだけじゃなくて韓国や台湾などのアジアドラマを始め、ヨーロッパのドラマも見れるようになり。
どんどん、見ることができる選択肢が増えていたたのは良いんだけど…「いつでも見れる」=「集中しなくてもまた見れば良い」=「垂れ流し」の状態になったり、「このストーリーアレに似てるよな🤔」とか思うことが多くなって。

便利すぎるサービスも考えものだな~って最近思うわけさ。


2023年8月23日水曜日

これでいいの??薬物関連報道とその法律(依存症関連記事のため閲覧注意)

最近、テレビを賑わせている、某大学運動部の薬物関連事件に関する報道。
少し、思うところがあって、筆を執った。


以下、私は法律家ではないため、全てが正しい情報だとは限らないことを前置きしておく。

薬物関連事案の初犯に対する判決というのは、前科がなくよほど悪質でなければ、両親または被告の近しい“法的に”信頼の置ける人が証言台に立ち情状酌量の陳述が行われる。その後「懲役1年6ヶ月、執行猶予3年」に近いニュアンスの判決が言い渡されるが「執行猶予」が付くわけだから、判決とともに釈放される。


実は、実名報道されるとともにその様な判決が言い渡される事にいくつかの問題点がある。


一つ目は、社会的制裁を受けることだ。

彼らは実名報道され、もちろん大学は「逮捕を受けて、より重い」『除籍』や『部全体の無期限活動停止』となる可能性もある。


また、実名報道された余波はないだろうか?いや、ある。
現在は、ネット社会だ。

各報道機関のネット記事として報道され、1~2年は各報道機関のサーバーに残っているだろう。もしくはそれ以上の長い期間。また、それをネタに『正義』と言う仮面を被ったネトウヨなどの餌食になり、元ネタとなる各報道機関のネット記事を、様々なインターネット関連事業者が運営している「掲示板」や「ブログ」に転記し、各報道機関のサーバーよりも、より長い期間、誰もが簡単に閲覧できる状態で保存されてしまう。

これが二つ目の問題『デジタルタトゥー』だ。


三つ目はアフターフォローの無さだ。

釈放後、彼らが身を寄せる場所は3つ。1つは、年齢を考慮すると身元引受人であるご家両親の元で過ごす事が考えられる。しかし果たして、彼らの家族を「護ってあげるべき存在」「ケアの必要な人達」と見る人はいるだろうか?彼らとその家族は、『世間の目』を避けるようにまた、『何かに遠慮するよう』な生活を強いられるであろう。そして「依存症対策総合支援事業」や「ギャンブル等依存症対策基本法」などが制定されているが、その様な支援に、誰が責任を持って繋げてくれるのだろうか?

他に、彼らに薬物依存に対する正しい理解ががなければ、体外的なメンツを保つためにも、『私達は息子にゼッタイに“薬物”を繰り返させません!!』的な態度を示すために、依存症専門病院への入院や民間のリハビリ施設に入所させるのではないだろう。そうなれば、ある意味「薬物依存症患者」として扱われ、少なくとも病院や施設の職員などが擁護してくれる。それらの施設で、どれくらいの時間を過ごすのか分からないが施設なら1~2年だろうか?病院ならもっと早くて数ヶ月だろう。


私は、その様な状況になる可能性が高いことを考えると、非常に胸が痛いのである。

特にデジタルタトゥーについては、本人が必死で社会復帰に取り組んでいたり、家族もそれを温かく見守っていたり、彼らを助けてあげようとしている一方で、そのような記事が、本人の意図しないところに残っていることを知った時に、彼らの心が折れる。それが怖いのである。

もしかしたら、自死を選ぶかもしれない。
もしかしたら、再び、薬物を手にするかも知れない。
もしかしたら、誰かを恨んでしまうかも知れない。
もしかしたら、精神が壊れてしまうかも知れない。

彼らはまだ若い。「若いからやり直しが効く」などという、気楽なものではない。若いからこそその先は長く、その長い人生を『罪』を背負ったまま生きていくのである。どれほどの苦しみがあるだろうか、どれほどの葛藤があるのだろうか。

想像するだけでも、言葉を失う。

『デジタルタトゥー』を残すことが原因で、その社会復帰の道を閉ざされてしまったりしては、あってはならない。

そう、絶対にあってはならない。


各報道機関は、なぜこの『実名報道』にこだわるのかが疑問でならない。

社会的制裁?
知る権利?
正義感?

また、それらの報道で得られた情報を、誰もが簡単に閲覧できる状態で掲示板やブログに転記する人は、なぜその必要性があると考えているのか、私にはその理由が分からない。


もし薬物依存症を、「犯罪ではなく」キチンと「病気」と捉えるのであれば、そもそも報道する必要がなくなるのではないか。

厚生労働省は薬物依存症を「病気」と認めているにもかかわらず、法律としては犯罪として処罰されると言う矛盾があり、それを余計に混乱させていると考える。


この矛盾を法律上で解消することが、デジタルタトゥーを減らすことに繋がり、結果的に薬物依存症患者の未来の選択肢が増える事になると、私は考える。

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