2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。
なお、読みやすいように段落ごとにタイトルをつけてお届けします。
①問題提起
皆さん、初めまして。ボクは勝水健吾(かつみずけんご)と申します。よろしくお願いいたします。
よく「珍しい名前ですね」と言われますが、ニックネームでもなければ芸名でもペンネームでもありません。紛れもない実名です。
なぜボクが実名でここに立っているのか、それを頭の隅においていただいて、これからの15分間、お聞きいただければと思います。
ボクが陽性告知を受けたのは2003年ですので、もう20年以上経ちました。その間、医療技術は進歩し、ボクらの療養生活は困難なものから開放されつつあります。また、行政や福祉制度も、より健康的に寿命を全うできるような制度へと、少しずつではありますが変化してきました。
陽性告知を受けて医療機関につながった時、医師・看護師さんを始め、心理カウンセラーや薬剤師さんなど、非常に多くの方々の温かい支えがあり、とても安心した記憶があります。そしてそれは、20年以上たった今でも変わることはありません。
何より、ボクらを勇気づけてくれたのは「U=U」と言う科学的根拠に基づく事実です。
ボクは、陽性告知を受けた後、何より恐れていたのは「自分自身が感染源となり他人に感染させてしまうこと」でした。しかしその恐れも払拭してくれました。
けれど、昔も今も変わらない事実があります。
それは、HIV陽性者に対する偏見や差別です。
ボクが経験してきたのは「ただの勝水健吾さん」がHIV陽性者だと開示しても、多くの方はその事実を受け入れてくれました。しかし「HIV陽性者の勝水健吾さん」となると、途端に雲行きが怪しくなります。
これは何故でしょうか?
ボクなりに考え、導き出した答えが3つあります。
②行動免疫システムとHIV
1つは、人間は行動免疫システムに支配されている生物 である、と言うことです。
行動免疫システムの詳細については、おそらくここの中にも、専門家がおられると思うので、ボクの口から改めてご説明することはいたしませんが、人間は生物として本能的に、「感染症」や「感染物」に対して嫌悪するという、生物としてのアラームが備わっているため、ある意味、致し方ないのかもしれません。
思い出して下さい。数年前、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、医療従事者が、医療従事者だということだけで忌み嫌われ、いわれのない差別行動を受けていた事実を。
③集団心理とHIV
2つ目に、集団心理というのもあるでしょう。
人の心というのは、「集団」になると思いも寄らない反応を示します。
集団心理を考える時「利他的行動」を理解する とある程度、問題解決の糸口があるような気がします。
「利他的行動」とはみなさんご存知の通り、「自分を犠牲にして誰かのために何かの行動をする」ことです。人間以外の生物でも、この「利他的行動」は見られるそうなのですが、人間だけは少し違う側面があります。人間は「自発的に利他的行動をする生物だ」ということです。人間以外の生物は、相手から求められれば利他的行動をするそうなのですが、自発的に利他的行動を取るのは人間だけ、なのだそうです。
この利他的行動が起こる背景には、「集団を守ろうとする機能」があると言われています。このことをHIV陽性者への偏見・差別の問題に置き換えて考えてみると、HIV陽性者の集団は、その集団の中で自分たちを守ろうと行動します。
もし、非HIV陽性者から差別行動を受けた、などの事実がわかった時、その非HIV陽性者を攻撃しようとしたり非HIV陽性者に対して嫌悪感情を持ったりするのだと思います。
でもそれは逆でも同じなんです。非HIV陽性者の集団は、非HIV陽性者同士を守ろうと利他的行動に出ます。HIV陽性者から「感染させられた」と言う事実がわかった時、非HIV陽性者の集団は、HIV陽性者の集団を攻撃し嫌悪感情を抱くでしょう。
④リアリティの欠如とHIV
そしてボクが一番の問題点だと思っているのは、3つ目の「リアリティの欠如」です。
事実、ボクらの様に、陽性告知を受けても、長く健康的な社会生活を送れている人たちがいっぱいいるのにも関わらず、不必要に恐怖心や嫌悪感情をもつ人は多くいる 、とボクは感じています。
これは「HIVに感染しても健康的な社会生活を送れる」とか「U=Uとなれば性行為で感染させてしまうことはない」と言う「明らかな事実」と言う意味でのリアリティがあるはずなのに、何故か「もし自分が感染していたら」とか「もし誰かからうつされたかも」など、自分事として身に迫った時に、何故か先程お伝えしたような「明らかな事実・リアリティ」がどこへ、吹っ飛んでしまいます。
確かに、ボクも今まで色々な困難にぶつかってきました。しかし、今ここに立って、こうやって皆様の前でお話できているという事自体が、一つの証明でしょう。
しかし、恐怖心を感じずにはいられないという気持ちを抱いている人が多くいるのも事実です。
「頭では分かっていても心では受け入れられない」そんな感じでしょうか。
⑤ ボクの考える 3つの問題点に対する解決法
さて、これらの問題点に対して、どの様に対処していけばよいのでしょうか?
ボクはこの3つの問題点に対して、この様に考えました。
人間が行動免疫システムに支配されている生物であるとしても、素晴らしい知性や何モノにも代え難い理性というものを持ち合わせています。感情を知性や理性で変容させること ができるというのは、周知の事実のはずです。
集団心理であっても「HIV陽性者」と「非HIV陽性者」と言う集団に分けてしまうから、先程、お伝えしたような状況になるのであって、「人間」と言う大きな観点から集団を捉えればいいんです。 性別もセクシャリティも年齢も国籍も、全部ひっくるめて「人間」と言う大きな集団なのです。
そしてリアリティの欠如。皆さんどうすれば、自分事として受け止めてもらえるのでしょうか?ボクが考えるに、まずいちばん重要だと思うのは、正しい情報を然るべき人がきちんと発信し続ける事 だと思います。
例えば医師が、例えば看護師が、例えば行政が、例えば研究機関が、正しい情報を発信し続ける、と言う事が大きな影響力を持つ、と感じています。
さらに、このような問題は、なにもHIVに感染していない人たち「だけ」の問題ではない 、とも思っています。
今まで、ボクらHIV陽性者は、偏見や差別を恐れるあまり、自分のHIVステータスを開示することに、強い抵抗があったのも事実です。それがまた、リアリティを失わせてしまう、一つの要因ではないか、と、最近、常々、思うようになりました。
偏見や差別を語る時、「誰かが悪い」とか「誰が正義だ」とか、そんなことは、全く関係ありません。 皆の問題で、皆が解決しなければいけない問題を、それぞれに抱えているから起こる問題だ、と思っているんです。
だから、HIV陽性者自身も変わらなければいけない。
そう思わずにはいられないんです。
人は「変わろうとする」ことに対して恐れを抱く生き物です。
でもそれは、HIV陽性者だろうが非HIV陽性者だろうが、全く同じことのはずです。
変わろうとすること、変わることって、ボクはとても素晴らしい力だと思うんですよね。
ボクは普段、産業カウンセラーとして心理カウンセリングを提供しています。
そこでお会いする方々というのは、「変わりたい。自分を変えたい。けれどどうしたら良いか分からない」そんな方たちばかりです。
ご自身で「変わりたい」と思っておられる方の持つ力と言うのは、とても強い。けれど、「変わる」ためには、たくさんのエネルギーを使いますし、時間のかかることではあります。しかし、人間は必ず変わっていきます。
そんなことを日々、目の当たりにしているボクにとって、「変わること」と言うのは、人間の秘めた力を呼び起こしてくれるとても素晴らしいものだと、心から信じています。
⑥ボクの決意
さて、ボクが実名で、そして顔を隠すことなく、ここに立っている理由をご理解いただけましたでしょうか?
ただ、一つ強調しておきたいのは、HIV陽性者皆が「ボクのようになれ!」と言っているわけではありません 。
HIV陽性者だって、様々なバックグラウンドを持っていたり、様々な環境の中で生活しています。それを無視することはできません。
障害者だって色々 ですから。
ただ、ボクの力で、この偏見や差別に関する問題をどれだけ解消できるかは分かりません。
ボクは来年で50歳になります。これから何年生きられるか分かりません。自分自身の死と言うものを意識せざるを得ない年令になってきました。しかし、残りの人生を、この偏見や差別に対する問題に、一石を投じながら社会に爪痕を残して生きていきたい。 そう思っています。
そしてこの会場の中にも、ご自身のことを多く開示し、メディアに出て、そしてHIV陽性者のために様々な困難を切り開いていってくださった方がおられます。
ボクの記憶が正しければ、その方は恐らく、20年ちかく、そのスタンスを貫いてこられたはずです。
きっと、ボクなんかが想像する以上に、ご苦労をされてきたんだと思います。
さて皆さん、今年の朝の連ドラ「虎に翼」はご覧になりましたか?その主題歌で米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」の2番の歌詞にこうあります。
『人が宣う(のたまう)地獄の先にこそ 私は春を見る』
ボクは、そんな生き方をしたい。今はそう思っております。
どうか皆様、もう少し、もう少しボクらHIV陽性者のためにお力をお貸し下さい。
よろしくお願いいたします。
スピーチ後、座長のお二人からご感想・ご質問を頂きました。
高久様「十分に、社会に爪痕を残していらっしゃいますよ」
ボク「ありがとうございます😭😭😭」
岩橋様「リアリティの欠如と言う観点から、どの様にしたら“届けたい人”に情報を届ける事ができるのか。何か方法があると思いますか?」
ボク「永遠のテーマだと思います。ただ、方法として様々な人が、様々なタイミングで、様々な方法・ツールを使って、発信し続けるしかない、と今は思っています」
ボクはこの学術集会の期間、参加させていただいた一般演題・シンポジウムにて、必ず一題は質問をさせて頂きました。
必ず「産業カウンセラーでHIV陽性者当事者の勝水と申します」時にはそれに付け加え「長年、理学療法士として医療機関に勤務しておりました」と前置きをし。
これは、スピーチの⑥ボクの決意 を体現致しました。
(質問の標的?!になった先生の方々、不躾な質問を投げかけたり困惑されるような内容をお話をさせて頂きました。この場をお借りしお詫びとお礼と申し上げます。本当にありがとうございました🙇🏻♂️)
※今一度強調しておきますが、このスピーチはボクの決意であって、セクシャリティやHIVステータスを開示することを推奨するものではありません。
少し余談になるのですが…
学術集会、最終日、TOKYO AIDS WEEKS CHOIRによる「合唱ミニコンサート TOKYO AIDS WEEKS 2024」を聴かせて頂きました。
その歌声を聴き、歌っておられる方々のキラキラとした表情を見ながら、何故か「このキラキラした笑顔を守らなければ!」と言う思いが湧いて出てきました。
そして、(アンコール前の)最後の曲、サウンド・オブ・ミュージックより「Climb Every Mountain」のコーラスが大変、心に響きました。
ボクは中学生の頃に入部していた吹奏楽部で、この曲を演奏した経験があります。それをきっかけに映画「サウンド・オブ・ミュージック」を鑑賞しました。まだまだ若かったボクですが、強烈に印象に残っています。
その歌をご紹介して、このブログを締めくくらせて頂きます。
VIDEO