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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年12月20日水曜日

そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その②

 「そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その①」からの続きです。



ボクが専門学校に入職して2年目。
学年担当していたクラスが3年生に進級すると同時に、ボクも学年担当3年生になりました。

それでね、3年生はもう、臨床実習と国家試験対策だけの学年だったの。だから、3年生に進級する時は、いわゆる「進級試験」っていのがあるん。これがまた、大変で(笑)

進級試験は筆記試験と実技試験があるんやけど、筆記試験は試験をまた作らなあかんし採点せなあかん。実技試験は教員が模擬患者をして、学生が初期対応と評価項目の抽出と簡単な検査測定をしてもらうんやけど、まーー手がかかる(笑)。


ちなみにですね、『〇〇実習』と名の付く学内実習には、必ずレポート課題がありましてん。もちろんそのレポートを40人分、全て読んで評価をつけなあかんのんですわ。ボクは『〇〇実習』と名の付くレポート課題のある講義を2つ持っていたので、そこそこの仕事量でした。

定期試験に関しても、筆記試験の採点というのは「5択問題」「2択問題」ならなんも大変なことはないんでが「〇〇について述べよ」的ないわゆる『記述問題』という試験問題の採点は、本当に大変。〝最低限、この事は書いてくれてないと〟みたいな基準は自分の中にあるんだけど、ソレ以外は他の学生の出来具合とバランスを見ながら、みたいな「相対評価」にしないと、どーにもこーにも。


話を戻します(笑)

進級試験と並行して臨床実習地の割り振り。

学生一人ひとりの居住地と実習地をニラメッコしながら、パズルを当てはめていくようにあーでもないこーでもないと、頭を悩ます。だって、40人おるんよ!しかも臨床実習、3期あるからそれぞれ3箇所ずつ。通学(通勤)方法とか時間とか色々考慮しながら、だから。


そしてそしてもう一つ、学校として大きな動きがあって。

それは専門学校から短期大学(医療短大)へ移行すると言う決定がなされたんよね。

どういうことかと言うと、その時ボクが学年担当していた学生たちが卒業すると同時に、本来なら専門学生の1年生が入学してくるのですが、短期大学として開校すると、その子達は短期大学の1年生(1期生)として入学してくることになるんです。

ですので、色々とシステム的なものとか物理的な設備だとかはもちろん、ボクら教員の実績だとかそんなものも必要だったり、てんやわんや。

もちろん、事務的な事とかは上司や事務の方々が手を尽くされていたけれど、委員会を設置したり学内の工事が入ったり。

「過渡期ってこういうんだなあ~」なんて思ってたけど、正直、少し学生も可愛そうだなって思った。それは特に、専門学生の最後の入学生たち。専門学生の最後の入学生が2年生に進級した時の1年生というのは、短期大学の1年生なんだよ。つまり専門学生の2年性は留年が出来ない。それはもう、その専門学校は『無いことになっている』から。

あーややこし~

専門学校と短期大学が並行して存在している期間が2年あるってこと。

それはそれは、色んな意味で労力を要することだったんだよ。詳しくは書かんけど(笑)


そしてボクの博士課程への進学。

大学院の学生をした経験のある方なら分かると思うんだけど、基本、大学院って研究するところなんよね。講義を受けたり実習をしたりっていうのは、一部あるけれど、研究しそれを論文にまとめる。ボクの進学した大学院博士課程では、英語の医学雑誌に論文を投稿してそれがアクセプト(採用)されないと、学内の論文審査にも回してくれない、とても厳しい大学院だったから(笑)もう、自信なんでこれっぽっちもなかった。

ほんと。これっぽっちも。

じゃあ、なんで博士課程に進学したかっって?それは、短期大学の教員をするなら、もっと言うなら、これから先『医学系の専門課程の教員をしていくのであれば必須条件』だったんですよ。

そしてもう一つ、自信がなかったポイント。

論文にする研究内容に、あまり納得がいっていなかった(笑)。もっと言うと、ボクがやりたいと思っていた実験研究ではない方向性で研究することになった。

指導してくださる教官は、修士課程でお世話になった教官と同じ指導教官だったんだけど、ボクの提案した実験研究のアイディアでは、英語医学雑誌にアクセプトされないだろう、と言う見解だったんだよね。

いや、そこでボクがゴリ押しすればよかったんだよ。今思えば。
でも、それができないのがボクの欠点で…


そんなこんなで、ボクはどんどん色んなものを抱え込んで、かつ、何となく色んなことが腑に落ちないまま過ごすことが多くなっていたのが、この頃からかな~と思っております。

これは言い訳ではなくて、こーゆーのって『誰かが』とか『誰の』とか特定の人とか出来事だけが悪者になるのではなくて、色々な事が重なって、事態は良くない方向へ向かっていくんだと思う。



それにボクは双極性障害。

うつ病と違って、高ストレス負荷状態は発症のきっかけにはなると思うけど、根本的な原因ではないと言われているからさ。

この頃はまだ、ボクは大丈夫だった(笑)メンタルは、ね。

次回、『そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その③』では、いよいよメンタルダウンの経験についてお伝えできればと思っています。





2023年12月19日火曜日

そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その①

 先日、ボクのblog「理学療法士であったと言うトラウマ(ボクの場合)」で少しお伝えしましたが、ボクが理学療法士として働く中で、メンタルダウンを繰り返し、それが原因で一種の〝トラウマ〟になってしまったことはお伝えしました。

HIV感染症については、「そろそろ本当の話をしましょう(HIV)」として全6シリーズで、感染初期から療養生活の始まりについてお伝えしましたので、同じように、ボクのマイノリティ要素の一つである「精神障害者」の部分を開示したいと思います。




HIV陽性告知を受けてから、時々ではあったのですが、入眠困難(寝付きが悪い)事があったので、HIV診療の主治医に相談したところ、睡眠導入剤を処方していただき、週に2~3回程度、そのお薬を使っていました。

2005年春、ボクは念願であった『理学療法士養成校(専門学校)の教員』になることができました。

実はその専門学校には、ボクも以前から面識のあった2学年上の医療短大時代の先輩が勤務していたこともあり、また、ボクの医療短大時代の恩師が非常勤講師として勤務していた関係もあって、すぐにその専門学校で教鞭をとることを決め、採用されました。

入職するおおよそ半年前なので2004年の秋頃の話です。

早速、担当科目を割り振られ、8科目担当することになりました。そのうち講義が3科目、学内実習が3科目あり(残り2つは卒業研究指導や臨床実習指導)、もちろんその全ての科目が4月から一斉にスタートするわけではないので、少しずつ準備すればよいのですが、基本的に4月に学生に配布される『履修要項』には、講義の進め方やいつどんな内容の講義をするのか、また実習に関しても同様な記載が必要でしたので、ある程度の準備は4月までに間に合うように準備する必要がありました。


担当科目が決まり、教科書の選定も行った上でボクは、大忙しで講義資料の作成に取り掛かりました。もちろん当時はまだ、臨床で働いていましたし、大学院にも通学し自分の実験研究も行っていて、ま~~~~~~~~~~~目まぐるしい(笑)。

平日は、仕事と大学院・研究で、週末は講義資料の作成に時間を費やしていました。

本当に自分の時間はなかったのですが、とても充実していました。

大学院の講義は大変、興味深いものばかりでしたし、実験もその成果が出ると喜ばしい。講義資料作成も、どうやったら学生さんたちに分かりやすく、かつ楽しく勉強してもらえるだろうか、どんな工夫や仕掛けをすれば、食いついてくれるか、もちろん講義内容も大事ですが、ボクはどちらかと言うと前者の事にとてもエネルギーを費やしていました。

その丁度1年前にはボクはHIV陽性告知を受けていましたが、それがある意味原動力となり、念願の理学療法士養成校の教員になれる!そう思えば、全てが楽しく思えていました。


2005年、春。

本当に、本当に心機一転。転居もし気持ちも新たに専門学校の教員としてスタートしたボク。〝対、患者様〟から〝対、学生〟になったわけです。

ボクが入職した専門学校は、理学療法学科と作業療法学科の2学科だけの、全3学年の専門学校で、各学科とも1学年40名定員でした。

ボクが学生だった医療短大と言うのは、一学年20名だったので、正直、少したじろいだことを覚えています。そして何と、入職してすぐ『2年生の学年担当』を仰せつかりまして(笑)。自分の講義や大学院の講義・実験だけでもまーまーの仕事量だったのに加えて『学年担当』!!

これは後から分かったことなのですが、2年生が一番、学年担当としての仕事は少なく精神的負担も少ない学年でした。と言うのも、学内の講義や実習のみで、学外とのやり取りや特別な行事ごともコレと言ってなかったのですが…

教員の仕事は、講義だけしていれば良い、と言う時代ではなく、学生の生活指導や学習指導も教員が行っていたため、ボクは2年生全員の生活状況や学習状況を把握しなければならず、しかもその2年生が1年生だった頃の様子などは全くわからない状況で、アタフタアタフタ(笑)。

上司からは「学期初めと終わりに一人ずつ面談して欲しい」との指示があったので、学生の時間割や自分の講義の合間を縫って、一人ひとりと面談をしました。今風で言うと〝1 on 1〟ですよ。しかも40名強と。

ボク自身が医療短大の学生時代、そのようなことは一度もなかったので、かなり驚きでした。





それでもボクは、学生一人ひとりとちゃんと向き合いたいと思っていましたので、「学生の困った」にはそれなりに対応していた、と思います(笑)。まあ、初年度ですし、力配分も分からず、全てに全力を注いでいたのは事実でした。

けれど、楽しかった。

誰かに何かを教える、っていう事はそれだけ自分も勉強しなきゃいけないことだし、臨床で働いていたときとは違って、自分が知りたいと思ったことに対して、時間を惜しみなく使える。それがとても楽しかった(笑)

そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その⑤」でお伝えした通り、教員になって1年目に、大阪での長期講習会に参加しHIV治療に関しては、いよいよ投薬が始まって、副作用に悩まされたり帯状発疹になったりと、体調的にはあまり良くなかった。けれど、臨床で働いているときよりも、比較的時間に融通がきいたので、何とかやってこれました。


2年生が3年生に進級すると同時に、ボクは博士課程への進学が決まり、これがまた、さらに大変な時期を迎えるわけです。



それについては「そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その②」でお伝えします。







2023年12月18日月曜日

自分は自分②自分らしさ、その人らしさって、どこからやってくるの?

2015年9月に国連で、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)が国際社会共通の目標として採択されてからでしょうか。世間はどこもかしこも「多様性」「ダイバシティ」で溢れかえっていますね(笑)。

そこで今回は、「多様性」や「ダイバシティ」の根幹と言ってもいい「自分らしさ」「その人らしさ」言い換えれば「個性」について考えていきたいと思います。



個性とは…
個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。
[類語]
パーソナリティー・特質・特性・性格・性質・性向・性情・気質・質・質たち・性しょう・性分しょうぶん・気性きしょう・気立て・人柄・心柄(こころがら)・心根(こころね)・心性(しんせい)・品性・資性・資質・人格・キャラクター


類語の中に「パーソナリティー」とありますが、「パーソナリティー」と言う言葉は、心理学的に少し、意味合いを持った言葉です。そこから少し深掘りしてみましょう。



ボクが「産業カウンセラー養成講座」で学んだ際に使わていたテキストの中に、『パーソナリティ』についてこのような記述があります。

オルポートは、パーソナリティを「個人の環境への個別性のある適応を決定する心理ー身体的な諸々のシステムからなる、個人の中の力動的組織」と定義している〟

〝パーソナリティとは、人間を構成するさまざまな心理・身体的な要素そのものではなく、それらを統括する上位のシステムである〟


ナンノコッチャ?!ですよね(笑)
つまり…『人間の行動や判断のもとになる考え方や傾向のこと』なのです。

じゃあこのパーソナリティというものは、どのような要素で成り立っているか、と言うと、①基本的傾向性 ②特有的適応 ③自己概念 ④客観的生育史 ⑤外的影響因 この5つから成り立っていると言われています。それを一つづつ、噛み砕いてみましょう。




①基本的傾向性
ビッグファイブ理論では、人の性格は「外向性」「誠実性」「調和性」「開放性」「神経質的傾向」の5つの因子から成り立つとされています。


②特有的適応
習慣、態度、スキル、役割、対人関係などを指します。これらは個人個人が持つ能力の一つで、絶えず変化する社会環境に個人を適応させたり調和させたりするのに役立つものです。

③自己概念
自己概念とは「自分をどんなふうに自分という存在を捉えているか」と言うことで、自分の内面にある性格や能力、身体的特徴、行動や個人の特徴などに関することで、比較的永続した自分の考えも含まれます。幼児期から青年期の間に最も成長するともいわれています。また、自分自身を他者と比較することによって、自身の意見や能力を評価し、自己を定義づけていくものです。

④客観的生育史
生育歴とは、その人が生まれてから今日までの歴史です。つまり、どんな環境で生まれ育ち、どんなエピソードを経て、今に至るのか、というひとりひとりのストーリーです。

⑤外的影響因
上記以外の要因、例えば薬物による影響や脳や精神疾患などによる影響のことを指します。



『①基本的傾向性』ではその人の性格を5つの観点から分類しようとする方法を取っていますが、②~⑥に関しては千差万別・多種多様・十人十色であり、誰一人として同じモノを持った人はいないですよね。

もともと『個性』というものは『生まれ持った遺伝的要素』と『成長する過程で獲得していくもの』があると言われていて、どちらがどの程度大きく影響しているか、と言うのは色々と言われているのですが、『遺伝的要素が30~50%』と心理学的には言われています。

そして上の③や④でも言っているように、幼児期から青年期にかけてどのような環境で育ったのかとか、どのような経験をしてきたのか、両親からどのようなしつけを受けてきたのかなどが大きく関わっていると言われていますが、何歳になっても如何ようにも変化しうるものです。


人はとかく『何かに分類する』とか『何かに共通性を見出す』とか、そういう事をしたがります(笑)それは性格であったりパーソナリティであったりするわけですが、なぜ、その様な事をしようとするのでしょうか。

諸説ありますが、「あの人はこーゆー人」「あの人はあーゆー人」と分類することで、例えばその人の行動予測がたてられますよね?そうすることで『安心感』を得ようとします。

一方で自己診断する場合も同じです。「自分はどんな人間なんだろう」「自分の持っている“特性”ってなんだろう」と考えた時に、案外、自分では分かりづらいものです。そういった疑問や不安を解消し、また、それを行うことで「自分を他人に説明する時に役立つ」と考えているからです。


はっきり言ってしまえば、人は一人として同じ人はいません。しかし「こーゆー“傾向”」「あーゆー“傾向”」と言う分類は可能だと思います。しかし、人にはその“傾向”だけでは説明できないモノを持っています。



ボクはそれを『個性』と呼ぶのだと思います。

分類できない人とは違うものが『自分らしさ』ではないでしょうか?



2023年12月14日木曜日

そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)番外編:臨床心理士さんが発表した学会抄録を検証する!

 以前、『そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)』として全6回にわたり、ボクがHIVに感染したと思われる行為から陽性告知、診療、心理カウンセリング、自助会の参加、NGOの立ち上げなどのお話をさせていただきました。

その中で『そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その④』で話題にしました、臨床心理士のKさんが日本エイズ学会で、ボクのケースを症例報告したい、と言うお話をお伝えしましたが、ふと思い立って「Google Scalar」で検索したんです。そしたら、その抄録を見つけてしまって(笑)




前述のblogを書いたときには、この学会の抄録をキチンと検索せず、ボクのうろ覚えでタイトルなどを書いたのですが、ちゃんとしたタイトルが分かりました。

一応、公にされているものなのですが、当時のボクのプライバシーを考慮し、個人が特定できない状態で記載されているので、あえて詳しくは書きませんが…

ただ、blog内でも書きましたが、Kさんとの出会いがあったからボクは心理職をやりたい、と思うきっかけになった経緯もあるので、少しだけ、かいつまんでお伝えしたいと思います。


と言うのも、心理カウンセリングの勉強をした今だからこそ分かる、Kさんがなぜ、ボクのケースを学会で発表したいと申し出たのか、その理由がわかったからです。


事例の冒頭で…
〝保健所の陽性告知を経て初診となった。その間、自らHIV感染症の情報収集を行った経緯があり、感染事実を冷静に受け止めていると言う主治医の報告があった。〟


もう、その通り(笑)読んでて笑った。
blog内でも書いたけど、ボク自身が医療従事者だしネットで色々調べたってあったでしょ?まあ、主治医にしてみれば「感染事実を冷静に受け止めている」と言う印象だったんだろうね~。そしてボクも「冷静に受け止めている“風”」を装っていたし。


〝職場の同僚への告知とその反応、心の揺れ、未治療状態であることへの患者としての不全感、新たに出会った人への告知と受容拒否、漫然とした不安や孤独感が吐露された。〟


そうそう。そうなの。『心の揺れ』『患者としての不全感』『受容拒否』『漫然とした不安や孤独感』難しい言葉で羅列されているように思うけど、今、ボクがこの文章を読むと「そうそう!そんな感じ!」って思う。当時のボクの、気持ちや心を、的確かつ端的に言い表されとる。やっぱすごいわ~Kさん!!


〝そこには、他者受容による自己受容を求める姿があった。〟


今振り返ってみて思うのは、確かに「HIV陽性者のボクを受け入れて!」と周りの人に求めていたんだと思う。という事は、周りの人が受け入れてくれないと、ボクという存在意義がなくなってしまうような感覚と、「周りが受け入れてくれるから自分も受け入れよう」みたいな感覚だったんかな~と思う。


〝そして、自身に存在するHIVへの偏見差別が明らかになり、この偏見差別が様々な心理的葛藤を生じさせていることが判明した〟


ボクが心理的に回復するきっかけなんだと思う。ボクがHIV感染症に対する偏見差別があったからこそ、自分自身がHIV陽性者であるということを受け入れられなかった。だから、どんなに周りの人が「HIV陽性者の勝水さん」を受け入れてくれてたとしても、ボク自身が「HIV陽性者であるボク」を受け入れられなかったから、苦しかったんだろうな…


〝患者会にも参加する中で他の感染者の価値観を学び、一方、非感染者との繋がりをも広げる姿勢を維持し、内在化する偏見差別を乗り越える営みを続けていった〟


ボクってスバラシイ(笑)「HIV陽性者であるボク」を受け入れられないからと言って、自分の殻に閉じこもらず、患者会に参加したり仕事でもプライベートでも、色んな人との関わりを断つことなく、生活を続けていったんだよな。


〝CO(カウンセラー)との緩やかな繋がりが語りの場を保証する事となり、語ることが内在化する偏見差別への気付きを導いたと考えられる〟


ここに『心理カウンセリングの真義』があるような気がするんだよね。ボクのblog『心理カウンセリングを受ける人に知っていてほしいこと②答えはクライエントが持っている』でもお伝えした通り、結局、答えはボク自身が持っていて、“心理カウンセリング”と言う安全な場所で語ることで、気付きがあった…もうコレしかないと思うんですよ。本当に。


〝語ることで自己確認・自己変容が可能となり、さらに患者会等と通じて多様な価値観に触れることで自己の価値観に対する内省的検証の機会を得ることとなった〟


たかが『語り』されど『語り』。
そして多様な価値観との触れ合いで、自分の中にある『自分の物差しが正しいのかどうか』『そもそも物差しなんて必要なのかどうか』そういう自問自答の機会が増え、それがボクという人間の、成長の一助になったのだと思う。本当に。




今回は文章だけでごめんない。

ボクが受けた心理カウンセリングの概要を、心理職となったボクが振り返るというのは、非常に珍しいケースだと思うし、ボクもこういう機会が出来たことに、すごくすごくすご~~~く、嬉しい。

そして、この様に記録に残してくれた臨床心理士のKさんに、お礼が言いたい。

本当に本当にありがとうございます。


2023年12月13日水曜日

理学療法士であったと言うトラウマ(ボクの場合)

 ボクは長く、理学療法士として医療機関に勤務していました。しかしメンタルダウンを機に、医療機関に勤め理学療法士として働くことに対し、徐々に自信を失っていきました。

前職を退職してから約1年近くがたった今、先日、HIV診療のために感染症内科のクリニックを受診した際、ボクは急に、言葉には出来ない「恐怖心」を覚えました。



自分自身の診察が終わり、採血なども終わっってお会計を待つ間、他に来院された患者さんとともに、待合の長椅子に座っていた時のことです。

眼の前に座られていた患者さんのもとに看護師さんがやってきて、看護師さんがしゃがんで患者さんとやり取りしているのを見ていた時に、不意に自分自身がその看護師さんと一体化するような感覚に襲われました。

詳しく書くと、「ああ、昔はボクもああやって患者さんとやり取りしていたな~」と思い出した途端に、前職で勤めていた医療機関での思い出が、走馬灯の様に思い出されたのです。そして、前職で勤めていた医療機関だけでなく、今まで勤めてきたクリニックや病院、教育機関などで経験してきたこと、携わってきた患者さん、学生さん、様々なことが本当に一瞬の間に、頭の中を駆け巡りました。

そしてなぜか「怖い」と思い、思わず目をそむけてしまいました。


ボクが初めてメンタルダウンを経験したのは32歳の頃だったと思います。当時は教育機関である、理学療法士の養成校の教員をしていました。その教育機関を退職してから、主に医療機関に勤務していたのですが、精神疾患が原因で休職や復職を繰り返しており、その都度、強い罪悪感・自責の念・申し訳無さというものを強く強く感じながら、過ごしてきました。

対人援助職であり、患者様にリハビリーション医療を提供し、初めて対価を得られる仕事であると同時に、チームで動くため同僚以外の職種など多くの人と関わらなければならない仕事です。

ボクが仕事のできない状態になることによって、多くの人に迷惑をかけてしまい、それが重なれば重なるほど、信用を失い、どんどん自己肯定感が低くなっていきました。



自己肯定感が低くなると自尊感情がなくなります。

自己肯定感とは「ありのままの自分を肯定する感覚」のことで、自尊感情とは「自分には存在する価値があると言う感覚」のことです。

とにかく、どんどん自分に自信が持てなくなり、自分は理学療法士として存在意義があるのか?ちゃんと患者さんの役に立っているのか?と言う考えから、どんどんエスカレートし、この世に自分という人間が存在する意味があるのか?意義があるのか?と言う疑問の答えが「NO」としか言えなくなるのです。

ここまでくると病的ですよね(笑)自分でも思います。


前職を退職する時、実は休職期間中に何度も自死することを考えました。本当に何度も。

その部分に関しては当サイトのブログ「うつ病や双極性障害の自殺(“死”に関する記述あり要注意)」でも記載しましたのでそちらをご参照下さい。

最終的には、自死することを思いとどまるのですが、ボクにとっては「理学療法士として働く」事に対する思い出には、どうしても「負の感情」がついて回るのです。


ボクは理学療法士という仕事が好き(でした)。患者様との触れ合いももちろん、自分自身の技術力が向上し、どんな疾患や障害に対しても自分なりの答えをもって臨むことができるようになると、本当に楽しくまた、理学療法の奥深さも更に実感していたのですが、いつの間にやら「大好きであった仕事」が「できれば関わりたくない仕事」になってしまいました。

もちろんそれには、精神障害(精神疾患)があったからだとは思いますが…


前述した通り、先日のボクのHIV診療の際に感じた「恐怖心」というのは、一種のトラウマだと思います。


「そんな大げさな!」と思うかもしれませんが、理学療法士免許を取得して現在で27年が経ちます。その期間の全てが負の思い出ではありませんが、その要所要所で辛い経験をしていく中で、理学療法士という仕事をするに良い影響を与えず、辛い経験が「タダの辛い経験」として蓄積してしまったのでしょう。


ただし!(ここは強調しておきます)
これまでの経験が全て無駄だったのかと言うと、それは断じてありません!

患者様、お一人お一人から教えていただいたこと、教え子一人ひとりに伝えたこと、それらは今の自分の血となり肉となり、それが統合されて「産業カウンセラー」「心理カウンセラー」と言う心理職としての『ボク』に大きな知識と経験を与えてくれていると思っています。

職種は変わりましたが、対人援助職にはかわりありません。

ボクも懲りないですね(笑)

でも、ある意味、この心理職というのは、ボクの職業人生の集大成だと思っています。



この先、何年生きられるかは分かりません。
しかし、生涯現役を目指し、邁進したいと考えております。





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