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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年12月19日火曜日

そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その①

 先日、ボクのblog「理学療法士であったと言うトラウマ(ボクの場合)」で少しお伝えしましたが、ボクが理学療法士として働く中で、メンタルダウンを繰り返し、それが原因で一種の〝トラウマ〟になってしまったことはお伝えしました。

HIV感染症については、「そろそろ本当の話をしましょう(HIV)」として全6シリーズで、感染初期から療養生活の始まりについてお伝えしましたので、同じように、ボクのマイノリティ要素の一つである「精神障害者」の部分を開示したいと思います。




HIV陽性告知を受けてから、時々ではあったのですが、入眠困難(寝付きが悪い)事があったので、HIV診療の主治医に相談したところ、睡眠導入剤を処方していただき、週に2~3回程度、そのお薬を使っていました。

2005年春、ボクは念願であった『理学療法士養成校(専門学校)の教員』になることができました。

実はその専門学校には、ボクも以前から面識のあった2学年上の医療短大時代の先輩が勤務していたこともあり、また、ボクの医療短大時代の恩師が非常勤講師として勤務していた関係もあって、すぐにその専門学校で教鞭をとることを決め、採用されました。

入職するおおよそ半年前なので2004年の秋頃の話です。

早速、担当科目を割り振られ、8科目担当することになりました。そのうち講義が3科目、学内実習が3科目あり(残り2つは卒業研究指導や臨床実習指導)、もちろんその全ての科目が4月から一斉にスタートするわけではないので、少しずつ準備すればよいのですが、基本的に4月に学生に配布される『履修要項』には、講義の進め方やいつどんな内容の講義をするのか、また実習に関しても同様な記載が必要でしたので、ある程度の準備は4月までに間に合うように準備する必要がありました。


担当科目が決まり、教科書の選定も行った上でボクは、大忙しで講義資料の作成に取り掛かりました。もちろん当時はまだ、臨床で働いていましたし、大学院にも通学し自分の実験研究も行っていて、ま~~~~~~~~~~~目まぐるしい(笑)。

平日は、仕事と大学院・研究で、週末は講義資料の作成に時間を費やしていました。

本当に自分の時間はなかったのですが、とても充実していました。

大学院の講義は大変、興味深いものばかりでしたし、実験もその成果が出ると喜ばしい。講義資料作成も、どうやったら学生さんたちに分かりやすく、かつ楽しく勉強してもらえるだろうか、どんな工夫や仕掛けをすれば、食いついてくれるか、もちろん講義内容も大事ですが、ボクはどちらかと言うと前者の事にとてもエネルギーを費やしていました。

その丁度1年前にはボクはHIV陽性告知を受けていましたが、それがある意味原動力となり、念願の理学療法士養成校の教員になれる!そう思えば、全てが楽しく思えていました。


2005年、春。

本当に、本当に心機一転。転居もし気持ちも新たに専門学校の教員としてスタートしたボク。〝対、患者様〟から〝対、学生〟になったわけです。

ボクが入職した専門学校は、理学療法学科と作業療法学科の2学科だけの、全3学年の専門学校で、各学科とも1学年40名定員でした。

ボクが学生だった医療短大と言うのは、一学年20名だったので、正直、少したじろいだことを覚えています。そして何と、入職してすぐ『2年生の学年担当』を仰せつかりまして(笑)。自分の講義や大学院の講義・実験だけでもまーまーの仕事量だったのに加えて『学年担当』!!

これは後から分かったことなのですが、2年生が一番、学年担当としての仕事は少なく精神的負担も少ない学年でした。と言うのも、学内の講義や実習のみで、学外とのやり取りや特別な行事ごともコレと言ってなかったのですが…

教員の仕事は、講義だけしていれば良い、と言う時代ではなく、学生の生活指導や学習指導も教員が行っていたため、ボクは2年生全員の生活状況や学習状況を把握しなければならず、しかもその2年生が1年生だった頃の様子などは全くわからない状況で、アタフタアタフタ(笑)。

上司からは「学期初めと終わりに一人ずつ面談して欲しい」との指示があったので、学生の時間割や自分の講義の合間を縫って、一人ひとりと面談をしました。今風で言うと〝1 on 1〟ですよ。しかも40名強と。

ボク自身が医療短大の学生時代、そのようなことは一度もなかったので、かなり驚きでした。





それでもボクは、学生一人ひとりとちゃんと向き合いたいと思っていましたので、「学生の困った」にはそれなりに対応していた、と思います(笑)。まあ、初年度ですし、力配分も分からず、全てに全力を注いでいたのは事実でした。

けれど、楽しかった。

誰かに何かを教える、っていう事はそれだけ自分も勉強しなきゃいけないことだし、臨床で働いていたときとは違って、自分が知りたいと思ったことに対して、時間を惜しみなく使える。それがとても楽しかった(笑)

そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その⑤」でお伝えした通り、教員になって1年目に、大阪での長期講習会に参加しHIV治療に関しては、いよいよ投薬が始まって、副作用に悩まされたり帯状発疹になったりと、体調的にはあまり良くなかった。けれど、臨床で働いているときよりも、比較的時間に融通がきいたので、何とかやってこれました。


2年生が3年生に進級すると同時に、ボクは博士課程への進学が決まり、これがまた、さらに大変な時期を迎えるわけです。



それについては「そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その②」でお伝えします。







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