「そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その①」からの続きです。
ボクが専門学校に入職して2年目。
学年担当していたクラスが3年生に進級すると同時に、ボクも学年担当3年生になりました。
それでね、3年生はもう、臨床実習と国家試験対策だけの学年だったの。だから、3年生に進級する時は、いわゆる「進級試験」っていのがあるん。これがまた、大変で(笑)
進級試験は筆記試験と実技試験があるんやけど、筆記試験は試験をまた作らなあかんし採点せなあかん。実技試験は教員が模擬患者をして、学生が初期対応と評価項目の抽出と簡単な検査測定をしてもらうんやけど、まーー手がかかる(笑)。
ちなみにですね、『〇〇実習』と名の付く学内実習には、必ずレポート課題がありましてん。もちろんそのレポートを40人分、全て読んで評価をつけなあかんのんですわ。ボクは『〇〇実習』と名の付くレポート課題のある講義を2つ持っていたので、そこそこの仕事量でした。
定期試験に関しても、筆記試験の採点というのは「5択問題」「2択問題」ならなんも大変なことはないんでが「〇〇について述べよ」的ないわゆる『記述問題』という試験問題の採点は、本当に大変。〝最低限、この事は書いてくれてないと〟みたいな基準は自分の中にあるんだけど、ソレ以外は他の学生の出来具合とバランスを見ながら、みたいな「相対評価」にしないと、どーにもこーにも。
話を戻します(笑)
進級試験と並行して臨床実習地の割り振り。
学生一人ひとりの居住地と実習地をニラメッコしながら、パズルを当てはめていくようにあーでもないこーでもないと、頭を悩ます。だって、40人おるんよ!しかも臨床実習、3期あるからそれぞれ3箇所ずつ。通学(通勤)方法とか時間とか色々考慮しながら、だから。
そしてそしてもう一つ、学校として大きな動きがあって。
それは専門学校から短期大学(医療短大)へ移行すると言う決定がなされたんよね。
どういうことかと言うと、その時ボクが学年担当していた学生たちが卒業すると同時に、本来なら専門学生の1年生が入学してくるのですが、短期大学として開校すると、その子達は短期大学の1年生(1期生)として入学してくることになるんです。
ですので、色々とシステム的なものとか物理的な設備だとかはもちろん、ボクら教員の実績だとかそんなものも必要だったり、てんやわんや。
もちろん、事務的な事とかは上司や事務の方々が手を尽くされていたけれど、委員会を設置したり学内の工事が入ったり。
あーややこし~
専門学校と短期大学が並行して存在している期間が2年あるってこと。
それはそれは、色んな意味で労力を要することだったんだよ。詳しくは書かんけど(笑)
そしてボクの博士課程への進学。
大学院の学生をした経験のある方なら分かると思うんだけど、基本、大学院って研究するところなんよね。講義を受けたり実習をしたりっていうのは、一部あるけれど、研究しそれを論文にまとめる。ボクの進学した大学院博士課程では、英語の医学雑誌に論文を投稿してそれがアクセプト(採用)されないと、学内の論文審査にも回してくれない、とても厳しい大学院だったから(笑)もう、自信なんでこれっぽっちもなかった。
ほんと。これっぽっちも。
じゃあ、なんで博士課程に進学したかっって?それは、短期大学の教員をするなら、もっと言うなら、これから先『医学系の専門課程の教員をしていくのであれば必須条件』だったんですよ。
そしてもう一つ、自信がなかったポイント。
論文にする研究内容に、あまり納得がいっていなかった(笑)。もっと言うと、ボクがやりたいと思っていた実験研究ではない方向性で研究することになった。
指導してくださる教官は、修士課程でお世話になった教官と同じ指導教官だったんだけど、ボクの提案した実験研究のアイディアでは、英語医学雑誌にアクセプトされないだろう、と言う見解だったんだよね。
いや、そこでボクがゴリ押しすればよかったんだよ。今思えば。
でも、それができないのがボクの欠点で…
そんなこんなで、ボクはどんどん色んなものを抱え込んで、かつ、何となく色んなことが腑に落ちないまま過ごすことが多くなっていたのが、この頃からかな~と思っております。
これは言い訳ではなくて、こーゆーのって『誰かが』とか『誰の』とか特定の人とか出来事だけが悪者になるのではなくて、色々な事が重なって、事態は良くない方向へ向かっていくんだと思う。
それにボクは双極性障害。
うつ病と違って、高ストレス負荷状態は発症のきっかけにはなると思うけど、根本的な原因ではないと言われているからさ。
この頃はまだ、ボクは大丈夫だった(笑)メンタルは、ね。
次回、『そろそろ本当の話しましょう(精神疾患)その③』では、いよいよメンタルダウンの経験についてお伝えできればと思っています。
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