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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年10月8日火曜日

HIV陽性者に対する偏見・差別を解消させる方法・ちょー持論(リライト版)

 これまで「HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?」としてのシリーズで、ボクの一方的な持論で、【医学的側面】【社会福祉学的側面】【心理学的側面】からお伝えしてきました。



もちろん、ボクは当事者として、今の現状に満足しているわけではありません。

では、どの様にして現状を打破していかなければならないか…

その一つは、正しい情報を発信し続けること。当たり前のことではあるけれど、これはマスメディアの果たす役割が大きいと思っていて。先日も、とあるネットニュースに『エイズウィルス』と言うパワーワードを見つけて、ビックリするやらガッカリするやら(笑)。

確かに「HIV感染症」と言う病名で一般的な人はピンとこないんだろうな~とは予想がつくけれども、だからといって“ありもしないウィルスの名前”を堂々と使用することに、腹立たしさも覚えました。

そして、医療機関やNGO・NPOの方々、もちろん当事者であるボクらも正しく、そしてありのままの情報を発信し続けることが重要だと思っています。


もう一つは「HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?その③」の「心理学的側面」でもお伝えしましたが、『人間は思考ではなく感情で行動する生き物である』と言うところに着眼して考えられること。

それは、『当事者が生の声をリアリティを持って人々に届ける事』だと思います。

『リアリティの二重性』でもお伝えしましたが、メディアで伝えられる情報というのは、いくら正しい情報であっても、“心に響かない”んです。

ボクは長年、JaNP+の派遣スピーカーとして活動してきました。

派遣スピーカーと言うのは、事務局にHIV陽性者の当事者の話しを聞きたいという依頼がいただいた際に、20人弱いる登録派遣スピーカーがその依頼に応じて講演させて頂く活動です。

ボク自身も今までにおおよそ10講演程度、関わらせていただいてきたけれど、そのほとんどで「当事者の声を聞けたことに対する肯定的な感想」を頂いています。これは正に「感情に訴えかけるうってつけの方法である」とボクは思っています。

眼の前で、当事者が経験してきたこと、感じてきたこと、考えたことを切々とオーディエンスに訴えかけながら語るのだから、それはもう『本物のリアリティ』であるわけで、メディアから受け取るのとはインパクトも違うし、まさに『自分事』として受け止めてもらえる事ができるんだと思っています。

これは少し酷な言い方かもしれませんが、HIV陽性者自身がもっと大きな声をあげて訴えかける必用もあると思うところもあるんです。当事者が「偏見・差別が怖いから」と言って何も言わず影を潜めて、まるで自分は“そうでないかのように”そこに存在しているのにも関わらず「分かってくれない」「理解してくれない」と思っていたり考えていたりするというのは、いささか、わがままな様な気がしてならないんです。

ボクは、再三お伝えしてきているますが、「誰が悪い」と言う責任論で片付けられる話ではなくて、関わる人達皆の問題だと思っています。だから当事者も変わる必用があるのでは、と思っています。



このシリーズを締めくくるにあたって、長年、HIV/エイズ診療に携わり、大きな貢献をされてきた、医師の内海 眞氏が、1997年に『明日の臨床』と言う雑誌に寄稿された『HIV感染症と日常診療‐米国における日常診療の紹介‐』と言うタイトルの総論から引用させていただきたいと思います。非常に古い文献ではあるけれど、とても感慨深い言葉で締めくくられているので、それを紹介して終わりにしたいと思います。



おわりに
2回にわたる米国でのAIDS医療の研修を通して、多くのことを学ぶことが出来た。その中でも最大の収穫は、AIDS患者を特別視することから脱却したことである。特別視する理由には二つの点が挙げられる。一つは、HIV感染症が致死的感染症であるために患者を危険視してしまう点であり、もう一つは、感染経路が性的接触や麻薬の使用によるため、患者に対し道徳的判断を下してしまう点である。(中略)実際のところ、これまで私は医師であるからにはAIDS医療に取り組む義務があるとは考えていたものの、心の隅ではAIDS患者は道徳的に問題があるし、AIDSに罹患したのも自業自得の面があると考えていた。端的に言えば、内心では患者を差別していた。しかし、米国では、やがて来るであろう死を前にしても、多くのAIDS患者やHIV感染者は明るく真剣に生きていたし、他の患者を思いやる心には感動すら覚えた。(中略)これらの人々の精神の崇高さに比較し、道徳的判断を下している自分の貧しさが痛感された時、上述の差別意識は解消してしまったのである。(後略)



ボク自身、内海先生には何度もお会いしお話をさせていただいたこともあり、そのお人柄を知っている身としては、内海先生がこんな事を考えておられたなんて信じられないくらいの思いでした。



皆さんは、何を感じますか?

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