自己紹介

自分の写真
オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年10月10日木曜日

北欧発!自然と調和する生き方「フリルフスリフ」のススメ

現代社会はストレスに溢れ、心身のバランスを崩しやすい環境にあります。そんな中、北欧発のライフスタイル「フリルフスリフ」が注目を集めています。フリルフスリフとは、ノルウェー語で「気ままなアウトドア生活」「野外での暮らし」を意味し、自然の中に身を置き、ありのままに暮らすシンプルな考え方です。自然と調和し、心身を解放することで、真の豊かさを感じることができるライフスタイルと言えるでしょう。


1.フリルフスリフの起源と歴史

フリルフスリフという言葉は、1850年代にノルウェーの劇作家・詩人であるヘンリック・イプセン氏の作品「オン・ザ・ハイツ」の中で初めて使われたと考えられています。イプセン氏は、自然の中で過ごす時間がメンタルヘルスに好影響を与えることを提唱しました。

北欧諸国、特にノルウェーでは、国土の大部分が自然に囲まれ、人々は古くから自然と共存するライフスタイルを送ってきました。厳しい自然環境の中で生き抜く知恵として、フリルフスリフは人々の生活に深く根付いてきたのです。


2.フリルフスリフの具体的な活動

フリルフスリフは、特定の活動や習慣を指す言葉ではありません。むしろ、アウトドアで過ごす時間全体を包括的に表す概念と言えます。

具体的な活動例としては、以下のようなものが挙げられます。

●散歩
●ハイキング
●ピクニック
●スキー
●釣り
●焚き火を囲んでBBQ
●ラフティング
●カヌー
●テントサウナ
●森歩き

重要なのは、年齢や体力レベルに関係なく、誰もが自然と触れ合い、楽しむことができるということです。

3.フリルフスリフがもたらす効果

フリルフスリフは、心身に様々なポジティブな効果をもたらします。

①メンタルヘルスの向上: 自然の中で過ごすことで、ストレスから解放され、心身のリフレッシュを促します。

②ウェルビーイング: 自然と一体になることで、自己肯定感や幸福感が高まります。

③創造性の刺激: 自然の美しさや静けさは、インスピレーションを与え、創造性を刺激します。

④健康増進: 適度な運動は、体力向上や免疫力強化に繋がります。

⑤環境問題への意識向上: 自然と触れ合うことで、環境問題への意識が高まり、持続可能な社会への貢献に繋がります。


4.現代社会におけるフリルフスリフの重要性

現代社会は、デジタル化や都市化が進み、自然と触れ合う機会が減少しています。そのため、ストレスや不安を感じやすい環境に置かれていると言えます。

コロナ禍を経て、人々の価値観やライフスタイルは大きく変化しました。健康やウェルビーイングへの関心が高まり、自然と触れ合うことの重要性が見直されています。

フリルフスリフは、そんな現代人にこそ必要なライフスタイルと言えるでしょう。

フリルフスリフは、心身を癒し、真の豊かさを追求する北欧発のライフスタイルです。自然と調和することで、現代社会のストレスから解放され、心豊かな生活を送ることができるでしょう。

2024年10月8日火曜日

HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?その①【情報を正しく扱う】(リライト版)

今回のblogは、【情報を正しく扱う】をキーワードに、HIV感染症およびエイズ患者・HIV陽性者に対する偏見・差別(行動)がなくならないのか、今の日本における現状を、ボクが日常的に感じている事をご説明しました。次回からは3回に分け、もう少し詳しくお伝えしていきます。

 以前ボクが書いたblog記事「HIV/AIDSの偏見差別に思う・RED RIBBON LIVE NAGOYA 2023に参加して」で少しお伝えした、HIV陽性者に対する偏見や差別が起こる要因。ボクはその一つに「HIV陽性者が身近にいると感じられないから」と一つの提案をしました。しかし、それ以外にも、いくつもいくつも要因があり、それらが複雑に絡み合って今の状態があると思います。

今回はまず、今の日本に於いて、HIV/AIDSに対する偏見や差別(行動)がなくならないのは何故か、【情報を正しく扱う】をキーワードに順を追ってご説明したいと思います。また、次回以降、今回のblogでお伝えした事を【医学的側面】【社会福祉学的側面】【心理学的側面】の3つに分けて、詳細をお伝えしていきますね。



1.偏見・差別(行動)をなくすには「正しい情報を知る」事が大事と言うけれど…

今の世の中、行政や医療機関など、HIV感染症やAIDSに関する知識というのは、非常に新しくそして正しい情報が溢れています。しかもネット社会ですので、誰もが簡単にその情報を手に入れることができます。それなのに「偏見・差別(行動)」がなくならないのはなぜでしょうか?それは、【情報を正しく扱う】事に関係します。


2.『情報を正しく扱う』とはどういうことか

今の世の中、情報が溢れている事は事実です。しかし、その情報をキチンと「受け取りに行く」「情報収集する」と言う行動を起こさなければ、その人に正しい情報は伝わりません。情報を発信する側が、様々な手段を使って色んなタイミングで発信していたとしても、受け取る側にそれを「受け取ろう」とする意志がなければ、それは“情報がない” ということと同じことです。

つまり情報というのは【発信する側の問題】【受け取る側の問題】があるわけです。


3.HIV感染症・免疫機能障害は目に見えない障害

HIV感染症というのは、外見からでは判断がつかない病気で、免疫機能障害というのは目に見えない障害です。つまり本人が「私はHIV感染症です」「私は免疫機能障害です」と開示(何らかの方法で周知してもらうこと)しなければ分かりません。もしHIV陽性者自身が周囲の人に開示しなければ、誰もそれを知ることなく、一緒に生活したり仕事したりすることになります。


4.リアリティがない


3で述べたようにHIV陽性者が身近にいることを知らなければ、また、大切な人がHIV陽性者であることを知らなければ、おそらくHIV陽性者の周囲の人はあえて「HIV感染症ってどんな病気?」「免疫機能障害ってどんな障害?」と知ろうとしないでしょう。つまり2に述べていることに関係してくるわけです。HIV陽性者自身が「私はHIV陽性者です!」「私は免疫機能障害です!」と声を挙げなければ、誰もその病気や障害について、“あえて知ろう”としない、つまり【自分たちの周囲にHIV陽性者がいるとは思っていないから、正しい情報を手に入れない】と言う事になってしまうのです。


5.『HIV陽性者であることを開示する事』のリスク


しかし今の世の中、HIV/AIDSに対する偏見や差別(行動)はなくなっていません。ですので、当事者は余計に声を挙げにくい。つまり「開示することで不利益を被るかもしれない」「差別行動を受けるかもしれない」と言う恐れがあるわけです。そうなるとドンドン、当事者は開示しづらくなるわけです。


6.HIV感染症はSTI(性感染症)であるという事実


現在の日本において、HIVの感染経路のほとんどがSTI(性感染症)です。つまり性行為で感染します。そしてそれが、男性間の性行為で感染することが多いのが現状です。それがまた、大きな偏見を生む原因となっています。「不特定多数の相手と関係を持つ人」「アンセイフなセックスをする人」「男性と性行為する男性(セクシャルマイノリティ)」と言う別のスティグマがあり、尚更、自分自身の病気や障害を開示しづらくなっていると言う現状があります。


※スティグマとは… 社会的な偏見や差別の対象となる特徴や属性を指す言葉です。例えば、身体的な特徴、疾病、障害、人種、宗教、性別、性的指向など、多岐にわたる特徴や属性を指します。



今回のblogでは、【情報を正しく扱う】をキーワードに、HIV感染症およびエイズ患者・HIV陽性者に対する偏見・差別(行動)がなくならないのか、今の日本における現状を、ボクが日常的に感じている事をご説明しました。次回からは3回に分け、もう少し詳しくお伝えしていきます。

HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?その②【医学的側面】(リライト版)

 前回は、HIV陽性者に対する偏見・差別(行動)は何故起こるのか、【情報を正しく扱う】をキーワードに大きな流れをご説明しました。今回はそれを【医学的側面】から考えてみたいと思います。

偏見や差別(行動)と言うのは、様々な要因が絡み合います。突き詰めていくと個人個人の価値観や倫理観、哲学や生育歴などが関与してきますので、それはとりあえず脇へ置いておいて(笑)多くの人が当てはまるであろう事実に基づき、ボクの知識と経験を総動員して(笑)それを一つ一つ紐解きながら、できるだけわかりやすくお伝えできれば、と思っております。



1.感染症であるということ

人は目に見えない脅威に恐れを抱きます。逆に言えば目に見えて認識できる脅威に対しては、その脅威を脅威として認識することで、例えばその脅威から遠ざかる(遠ざける)とか、脅威を消滅させる方法がわかっていればその方法で対処するなどの行動を取ることができます。

しかし、目に見えない脅威にはそれが通用しません。

ですので、脅威がそこにあると分かっていても目に見えないことで恐怖心を呼び起こします。

それが人間の健康を脅かすウィルスや菌などに当てはまります。この数年間、Covid-19の感染拡大に伴って、人はその見えない脅威にとても恐怖を感じ、マスクをし、手指消毒を行い、見えない脅威をなんとかして体内に入れないようにしようと躍起になっていました。一時期は街から人が消え、会話のない食事をし、密にならないと言う2mの間隔を空け、ディスプレイや透明なアクリル板越しでしか顔を見ることができなくなりましたよね。

それはHIVも同じことです。


2.性感染症であること

HIV感染症の感染経路は大きく分けて3つ。母子感染、針刺し感染、性感染です。母子感染は母体がHIVに感染している際、胎児が産道を通る時に母体から感染してしまうと言う経路です。針刺し感染は、違法薬物などの注射の回し打ちや医療事故による経路です。そして性感染は、性行為によって伝染る経路です。現在の日本では、母子感染や針刺し感染はほとんどなく、性行為による感染経路がほとんどだと言われます。

皆さんは「性感染症」と言うとどのようなイメージがあるでしょうか?
例えば…
・セックスワーカー
・不道徳
・節操がない
・不義理
・刹那的
・無責任
そんなイメージが湧いてきませんか?

日本はいつの間にか『性』に対して閉鎖的で、何となく『負のイメージ』が植え付けられてしまいました。一説によると戦後、他宗教の影響を受けているとのことですが、詳しい事は割愛します。

そして性行為で伝染る病気であるという事だけで、忌み嫌われる原因になっていると思います。


3.行動免疫システムに従う生物

生き物は『自分の生命に危険を及ぼす可能性のあるウィルスや菌、カビなどに汚染されている(かもしれない)ものに対して“嫌悪感情”を覚える』と言う習性があります。例えば、糞尿などや人の吐瀉物、カビが生えていたり腐っていたりする物などの存在が分かったり目に見える形で認識すると、「触れてはいけない」「口にしてはいけない」など『生物としてのアラーム』が鳴り、自然にそれらを避けるような行動をとります。

つまり『何かに感染している』と言う事実があるだけで、人には『それを嫌悪し避ける』事が当たり前の反応として備わっているのです。この様な行動をとることを『行動免疫システム』と言い、人間だけでなく多くの生物の習性として備わっています。

誤解を恐れずに言うと「差別することは自然な現象」とも言えるわけです。

さて今回は、HIV陽性者に対する偏見や差別がなぜ起こるのか、【医学的側面】から少し考えてみました。次回は、HIV感染者にはどんな特徴があるのか、またその療養生活などの社会福祉学的側面からお伝え致します。

HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?その③【社会福祉学的側面】(リライト版)

 HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?の第3弾です。

前回は、どちらかと言うと【医学的側面】からお話をしました。今回は、セクシャリティや障害者に関する【社会福祉学的側面】からお話をしたいと思います。




1.HIV陽性者の多くはGBMSMであるということ

GBMSMと言う言葉はあまり聞き馴染みが無いと思います。GBMSM(gay・bisexual・and other men who have sex with men)ザックリと直訳すると「男性とセックスする男性」と言う意味になります。以前は「ゲイ」「バイセクシャル」と言う『性的指向』でHIV感染症やエイズの事を語るのが一般的でしたが、例えばセックスワーカーの中には“自身は男性で異性愛者であるけれど男性とセックスする機会のある人”も一つのカテゴリーにしたほうが良いと言う意味合いから、『GBMSM』と言う言葉が生まれました。


上の図は厚生労働省が発表した資料から引用しています。両方のグラフとも「一年間の新規患者数」を示していています。両者ともに言えるのは「性交渉による感染経路として多いのは同性間である」と言うことです。実はこの事実というのは、日本にHIV感染症が広まりつつある頃から言われていることで、ボクの記憶が正しければ「HIVは普通の生活をしていれば感染する病気ではありません」の様な報道や啓発がなされていたと思います。そしてその「裏メッセージ」として、実は米国では『男性同性愛者間で感染拡大している奇病』と言うような表現の仕方もされていました。

今、このような報道のされ方をしていた、と言う事を振り返ってみると、なんだか「男性同士がセックスすることは普通のことではない」と言っているフシがあると思いませんか?!(腹立たしい!!)

ただ事実、日本でも男性同性間での感染に広がりがあり、GBMSM(当時のゲイ・バイセクシャル男性)が『ハイリスクグループ』(感染リスクの高い集団)として認識され対策が講じられるようになりました。

もしHIV陽性者が自身のHIVステータス(HIVが陽性か陰性か)を開示した時(広くその事実を事実として公表すること)、開示された相手は無意識のうちに「この人はセクシャルマイノリティだろう」と言う判断をしてしまう可能性が非常に高い状況です。

つまり、もしHIV陽性者がご自身の健康状態を伝える時に、意識しないところで相手に自分のセクシャリティまで伝えてしまう可能性が高く、それがさらに偏見や差別の原因にもなりうる、と言うことです。


2.HIV感染症は「免疫機能障害」と言う身体障害者であるということ

現在の日本では、HIV感染症またはAIDSという確定診断がなされ、ある程度病気が進行してきた段階で「身体障害者(免疫機能障害)」として行政に申請が出来ます。身体障害者として認定されると、HIV感染症に対する治療費(薬剤費)が公費で負担してもらえる、と言う利点があります。抗HIV薬と言うのは非常に高額な薬剤であるため、健康保険を利用しても自己負担額が5~8万円/月と非常に高額になります。そのため、HIV感染症を治療するためには身体障害者手帳の取得は不可欠となります。

さて、ここで問題になるのはHIV陽性者は「身体障害者」と言うもう一つのカテゴリーに属することになります。

免疫機能障害と言うのは、見た目では分からない障害です。つまり、自分自身から「障害者です」と開示しなければ誰も分かりません。しかし身体障害者手帳を持っていて、障害者であることは事実です。


身体障害者と言うくくりでお話をさせていただくと、日本の身体障害者に対する偏見や差別というのは根強いものがあります。日本の障害者の福祉に関する歴史を紐解くと

1947年:児童福祉法
1949年:身体障害者福祉法
1951年:社会福祉事業法
1960年:精神薄弱者福祉法
1970年:心身障害者対策基本法
1993年:障害者基本法


日本が障害者福祉に本格的に乗り出したのは第二次大戦後からなのです。戦前の日本においては、身体障害者に対しては民間の篤志家、宗教家、社会事業者などによって行われていました。また、精神障害者に対しては「私宅監禁」「座敷牢」などに代表されるように、『人の目に触れてはいけない存在』でした。

つまり障害者というのは「慈悲で生かせていただく存在」であり、社会で活躍するとか仕事に就くなんてもってのほか!である存在であったわけです。

もちろん、現在の日本において戦前・戦後のような障害者に対する見方というのはなくなってきていますが、どこかでまだ、その “名残”を感じずにはえません


3.HIV感染症に対する療養環境

現在の日本においてHIV感染症の治療というのは、「エイズ拠点病院」と言う医療機関が担っていることがほとんどです。また「エイズ拠点病院」にも二種類あり「ブロック拠点病院」「中核病院」と言う医療機関がありますが、ほとんどのHIV陽性者は「ブロック拠点病院」への通院をしていると思われます。つまり、HIV感染症の治療というのは、ごくごく限られた医療機関でしかなされていないのが現状です。

大都市部を中心に、拠点病院から一般病院へまたは開業クリニックへHIV陽性者の受診者を移行させようという動きがみられるものの、その動きはまだまだ。

これは、誤解を恐れずに伝えるのであれば「患者の囲い込み」であって、HIV陽性者を「世間の目から遠ざけている一要因」であるとボクは考えています。

ここで勘違いしていただきたくないのは「拠点病院が悪い」とか「一般病院・開業クリニックが悪い」とか「HIV陽性者が悪い」とか言う “誰の責任?” 論ではなくて、医療機関・患者を含めた全ての人の問題であって、それぞれが考えなければイケない問題なのではないかと思っています。


今回は社会福祉学的な側面から、HIV陽性者に対する偏見や差別について考えてみました。ボクは、いちHIV陽性者としていち医療従事者として、両方の立場の人間なので、なんだかどっちつかずの中途半端な意見に思われるかもしれません(笑)。でも、一つの問題を考える時にそれを多角的に捉える必要があって、一側面だけの考え方で解決方法を求めると、結局小手先の解決法になり、根本的な解決に至らないと思っているのがボクのスタンスですので、ご了承下さい。


次回は、心理学的側面からお伝えしたいと思います。

HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?その④【心理学的側面】(リライト版)

 HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?その③からの続きです。

これまでに【情報を正しく扱うこと】【医学的側面】【社会福祉学的側面】とお伝えしてきました。今回は【心理学的側面】から考えてみたいと思います。



1.集団心理(同調行動)

社会は、個人が集まることで形成されていますが、社会とは単なる個人の総和ではありません。個々人が集まると、一人ひとりのときには生じ得なかったような、態度や振る舞いが生じることが知られています。

アッシュと言う人の有名な実験があります。それがどんな実験であったかを少し説明しますね。


アッシュの同調実験は、以下のような手順で行われました。

まず、実験室に8人の人間を集めます。このうち7人は「サクラ」で、アッシュの指示通りに行動します。したがって、被験者となるのは残りの1名だけです。

次に、図版Aと図版Bを参加者たちに見せます。図版Aには1本の線が描かれていて、図版Bにはそれぞれ長さの異なる3本の線が描かれています。そして、図版Bの3本の線のうち、図版Aの線と長さが同じものはどれか、参加者に1人ずつ答えさせます。なお、図版Bに描かれた線の長さはそれぞれはっきりと異なっていて、正解は明らかなのですが…。

アッシュはこのような問いを18種類用意し、そのうち12の問いにおいてサクラに不正解を答えさせて、それによって被験者の答えがどう変化するのかを調査しました。

サクラ全員が正解を答えると、被験者も堂々と正解の選択肢を選びました。しかし、サクラが不正解を答えると、被験者も不正解の選択肢を選ぶ傾向が確認されました。

実験の結果、全ての質問に正解を答えつづけた被験者は全体のおよそ25%で、残りの75%は不正解のサクラに一度でも同調してしまいました。被験者がサクラに同調して不正解の選択肢を選ぶ確率は、約3分の1であったといいます。



アッシュはこの実験結果を…

「通常の状況では、同じ長さの線分を回答する課題で間違える人は1%にも満たない。しかし、集団圧力がある場合には、選択の36.8%で、少数派である参加者は多数派による誤った判断を受け入れた」

と解説しました。
つまり、「自分は正しいと思っているけれど周りの多くの人が間違っていると主張していると自分の意見が正しいと言う自信がなくなってしまい周囲と同調しようとしてしまう」わけです。

これを例えばHIV陽性者への偏見・差別に当てはめて考えてみましょう。

先日のblog「HIV陽性者に対する偏見・差別はなぜ起こる?その②【医学的側面】」でHIV陽性者への感染症は性感染症であると言うことから連想されるイメージ「無責任」と言うキーワードで考えてみると、世の中の多くの人が「HIV陽性者は無責任な人だ」と言い始めたとすると、その人数が多くなればなるほど「HIV陽性者は無責任な人ではない」と否定しづらくなります。

それがいつの間にか「みんながHIV陽性者は無責任な人だと言っている」と言うことになり、根拠のない差別へとつながるのです。


2.一般化や抽象化・ラベリング

一般化は、全体を構成する部分を、全体に属するものとして識別するプロセスを指していて、抽象化というのは、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は捨て去る方法です。一般化の反対の言葉として個別化と言う考え方があります。

一方、似たような言葉にラベリングというものがあります。

ラベリングというのは、ハワード・ベッカーと言う人の『ラベリング理論』がもとになっているものですが、元々は「犯罪学」から端を発し、逸脱行為を理論的に捉えるために考えられたものです。


ハワード・ベッカーは「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである」と言っています。つまりラベリングとは、何らかの枠組みからはみ出した者を “アウトサイダー”として区別する方法であり、ネガティブなラベルを『スティグマ』と言われるようになりました。

スティグマ(stigma)とは…
社会的な偏見や差別の対象となる特徴や属性を指す言葉です。この特徴や属性は、個人の身体的な特徴、疾病、障害、人種、宗教、性別、性的指向など、多岐にわたります。

障害者差別を語る時、人々は個々人の特性や性格、人間性などを無視し「一般化」「抽象化」して「ラベリング」してしまう傾向にあります。「HIV陽性者の〇〇さん」と言う考え方がその代表であり、ざっくり言ってしまえば『十把一絡げ』にしてしまっているからこそ、偏見や差別が生まれるのだと思います。


3.メディアによるリアリティの二重性

今の世の中、情報というのはあらゆる手段を使って入手することができるようになりました。インターネット一つとっても、公式サイト・SNS・掲示板・ブログなど様々な方法で様々な人が発信するツールとなっています。もちろん今まで通りの、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・本などに加え、街頭の大型スクーリーンや公共交通機関の中での広告も、盛んに情報を発信しています。これはボクの印象ですが、それらの情報が過大に表現されていたり、発信者の主観が大きく影響されている事はありますが、総じて大きな誤りはありません。

しかし、「メディアがもたらすリアリティ」と「物理的な実体としてのリアリティ」にどこか乖離を感じている方も多いのではないのでしょうか?

「リアリティ」を語る時にそこに二つの意味があると言われています。一つは「客観的事実がそこにある」と言うリアリティ。もう一つは個々人が「体感で得る」リアリティです。言い換えれば前者は「メディアがもたらすリアリティ」であるのに対し後者は「その人が実際に体験したリアリティ」です。

コレをリアリティの二重性と言います。

HIV感染症に関する情報と言うと、例えば「薬を飲み続ければ平均寿命まで生きられる」「ウィルス量をしっかり抑えていれば他人に遷すことはない」「感染しても仕事を変える必用もなければ生活様式を変える必要もない」など『ポジティブな情報』に溢れていてしかもそれを体感している当事者がいます。そしてそれを日常的にSNSやブログでネット上に発信しているにも関わらず、当事者でない人にとってみたらそれは『客観的に正しい事実』と言う認識であって、自分事ではないんですよね。

ボクはSNSなどで自分自信がHIV陽性者だと開示しているのですが、時々「HIVに感染したのですが不安で仕方がない」「(保健所の検査が)判定保留になっているけれどもし陽性だったらどうしよう」などHIV感染症にたいする恐怖心や不安感を訴えかけてくる人もいます。それって結局、正しい情報を自分事としてキャッチしていない証拠だと思うんですよね。


『人間は思考で行動するのではなく感情で行動する生き物だ』とイギリスの文豪ウィリアム・シェークスピアは言っています。まさにそうだと思うんですよね。よく「頭では分かっていても気持ちがついていかない」とか「頭では理解できても生理的に無理」などと表現されるのですが、人間は本質的に「快・不快」「気分」で物事を判断し行動してしまいがちです。昔から「偏見や差別は無知から生まれる」と言われ続けていますが、「知る」ということは「思考で判断する」と言い換えることもできるわけで、「感情で行動する生き物」としては「知ったから偏見や差別がなくなる」とは断言しづらい部分があるわけです。


ちょっとうやむやのままの部分が過分にあるかと思います。その部分は、皆さんで少し考えて頂きたいな~と思っています。

じゃあ、どうしたら偏見や差別がなくなるのか…

次回、ボクなりのその答えをお伝えしたいと思います。

最新のblog

 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...