ボク自身、セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(免疫機能障害・HIV感染症)・精神障害者(双極性障害)と言う、モノを抱えて生きています。48年生きてきて、そのうち2/3以上は、生きづらさを感じながら生きてきたのかな~と振り返ります。
今、世の中を見てみると、同じ様に生きづらさを抱えながら生きている人の多いこと!
それは、ボクと同じ様に、セクシャリティの問題を抱えている人もいるし、障害という困難さを抱えている人もいる。また、「毒親」家庭に育ったという人もいるだろうし、わけも分からずイジメにあっていると言う人もいる。貧困という問題を抱えている人もいれば、天災による被災にあっている人もいる。
そうやって世の中を見渡すと、なんと生きてくことが困難な世の中なのか!と天を仰いで嘆いてしまいそうになります。
ボクはそんな人達に対して「明けない夜はない」とか「雨はきっといつか上がる」とか「なんとかなるさ」とかそんな無責任な言葉はかけられない、といつも思っています。
だって、その人にとってみたら「今、何とかしたい」とか「この先に希望が持てないから生きづらい」とか「もう頑張れない…」とか、そういう気持ちの渦中にいる人達なんだよ。
言われた方としてみたら「そりゃ他人事だもんね」と言いたくなるし「言うは簡単」とも言いたくなる。
人が本気でツラい時というのは、そう言うものだと思ってる。
もっと言うと、実はあなたの隣にいる、その人、あの人は、いつも笑って何事もないような顔をしているけど、心の中では、誰にも打ち明けられない悩み事を抱えているかも知れない。
例えば両親との人間関係に悩んでいるかも知れない。
例えばパートナーとの関係性に悩んでいるかも知れない。
例えば目には見えない障害を持っているかも知れない。
例えば自分の生き方に疑問を感じているかも知れない。
例えば人生の目標を見失っているかも知れない。
例えば大切な人と離別したかも知れない。
例えば依存症を隠しているかも知れない。
例えばご近所付き合いに辟易しているかも知れない。
例えば犯罪歴があるかも知れない。
例えば自分自身に嫌気が差して自分自身を受け入れられていないかも知れない。
例えばいつも人の目が気になって窮屈な思いをしているかも知れない。
実は『生きづらさ』というのは常に背中合わせに存在していて、ふとした瞬間にその暗闇の中に飲み込まれそうな、微妙なバランスの中で生きている人がほとんどなんじゃないかと思う時もある。
そして『生きづらさ』を感じる理由は人ぞれぞれで、同じ状況にあってもAさんにとっては何でもないことでもBさんにとってはとてもシンドいことだってあると思うんです。だって、それは「主観」の世界だし「自分がどう捉えるのか」「どう感じるのか」だと考えるから。
だから「そんな事で悩んでいるの?(笑)」なんて笑い飛ばすのって、ボクはとても失礼なことだと思うし、なんて思いやりのない言葉だと思うん。もし、そう笑い飛ばされて、その場は「そうか…そうだよね!(笑)」と同調したとしても、それはその時の雰囲気に飲まれているだけで、心の負担なんてこれっぽちも軽くはなっていないと思うわけ。
そう言う『生きづらさ』を解決するには、やっぱり最終的には専門家の手を借りたり社会制度を利用したりすることが望ましいと思う。一人で無理に解決しようとすると余計にこじれることも多い。⬅これは実体験。
でも、難しいのは『生きづらさを感じている本人』が救けを求めなければならないということ。誰にも肩代わりできないんだよ。こればっかりは。
じゃあ、周りの人ができることは何か。
「何もできないけど、何も替わってあげられないけど、寄り添うことはできる」と言うこと。
『寄り添う』って、本当に誰でもできる『支援』だと思ってる。
専門的なことは何も必要ありません。『寄り添う』事には。
0 件のコメント:
コメントを投稿