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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年3月11日月曜日

“説得”と言う無駄骨

 人はとかく色んな意味で『他人を変えよう』とします。

それは

その人の立ち居振る舞いが受け入れがたいから、とか
もっと良い考え方や受け止め方があるから、とか
より良い選択をさせたい、とか

そんな理由からだと思います。
しかし、大体の場合、それは失敗に終わります。それはどうしてか…なぜならば『説得』を試みるからでしょう。


ではなぜ『説得』と言う方法はうまくいかないのでしょうか?

ではまず、言葉の整理から。

説得とは…
〘名〙 よく話して得心させること。納得するように説きさとすこと。
[名](スル)よく話して、相手に納得させること。「強行派を説得する」「説得力」

ま、このあたりは分かりますよね。説明文を読むと『得心“させる”こと』『説き“さとす”こと』『納得“させる”こと』と言うように“させる”とう言う言葉が指し示す通り、他動的であり相手を変化“させよう”とするのが『説得』です。


ボクの経験した話を一つ。

理学療法士という職業柄、臨床の場で患者様に対し、何らかのアプローチをする際、どうしても『説得する』と言う場面に遭遇します。例えば、自力で外出できるようになりたいと言う希望をお持ちの患者様が、リハビリの効果の限界が見えて来た頃、例えばシルバーカーを使えば一人で外出も可能だろう、とその患者様を取り巻く支援者たちは判断しました。しかし本人は「見栄えが悪い」「扱いが難しい」などシルバーカーを使うことに対して難色を示したとします。そうするとボクたちはどうしても『説得』と言う方法を取りがちです。「シルバーカーを使わないと危なくて外出は無理」などと言ってなんとかシルバーカーを使わせようとします。

もちろん、人それぞれですし『医療の現場』と言うこともあって、説得がうまくいく場合も多いのですが、そうでないケースもあります。


ここで少し、心理学的なお話を致しましょう。
『説得』というものが心理学的にどのように説明されているか、『最新 心理学辞典』から引用しますね。

説得とは、受け手(説得される側)の抵抗や反対が予測される問題(説得テーマ)について、送り手(説得する側)が主として言語的な説得メッセージを受け手に対して意図的・効果的に呈示し、受け手の自由意志を尊重しながら、説得テーマに対する受け手の態度と行動を送り手の望む方向に変えようとする社会的影響の一種である。送り手は、受け手に対してある行動を取ってほしい、あるいはある考えをもってほしいという目標を設定する。受け手が送り手の望まない行動を行なっていたり、望まない態度を保持していたりするからである。しかも、送り手の要求を単に受け手に伝えるだけでは抵抗が予測され、応諾や賛同を得ることができない。送り手は、自分の要求の妥当性を論理的に主張するために、理由となる論拠を受け手に呈示して、受け手の態度や行動を変容(態度変容・行動変容)させようとする。その際、送り手は、受け手の態度や行動を強制的に変容させるのではなく,受け手が態度や行動を変容させることの意味や意義を十分理解し、納得したうえで応諾するように働きかける。


ここで『送り手の要求を単に受け手に伝えるだけでは抵抗が予測され』と言うように、最初から『一筋縄ではいかないよ~』と言っているのだけれどもそれでも、受け手の『態度変容・行動変容させよう』とする、と述べていますよね。最初から『外的動機づけ』によってなんとかさせよう、と言うのが説得です。


さらに『最新 心理学辞典』では「説得を成功させるための規定要因」についても書かれています。


【説得の4種の規定要因】 説得の受け手の反応(説得効果)を規定する要因として四つが挙げられる。すなわち①送り手の属性②説得メッセージの構成③説得の状況④受け手の属性である。

①送り手の属性
送り手の属性として注目される要因は、送り手の信憑性と好感度である。信憑性は、専門性と信頼性から構成されるととらえられている。専門性とはある特定の領域における専門的知識や技能が豊富なことであり、公的に認められた資格を保有していることが多い。専門性が大きくなると、公的な裏づけのある資格を保持することによって正当性も保持するようになる。もう一方の信頼性とは、送り手が自己利益のみを優先させるのではなく、受け手の利益のために自分のもっている専門的知識を活用することによって受け手から信頼されることである。一般に、説得の受け手は、信頼できる専門家からの影響を受ける傾向があるが、信憑性と説得効果との間に必ずしも一貫的な効果は認められていない。

②説得メッセージの構成 
受け手の説得効果を規定する第2の要因である。説得メッセージの構成の内容は、論拠の一面呈示と両面呈示、結論の明示の有無、論拠の呈示順序、恐怖喚起などがある。通常、送り手の説得メッセージを作成する際には、受け手の賛同を得るために、自分の主張を裏づける論拠を用意する。たとえば、受け手に禁煙を促す場合には、禁煙を勧める理由を呈示する。喫煙が身体に悪影響を及ぼすこと、副流煙が周囲の人に迷惑をかけること、タバコを購入するコストがかかることなどである。このように送り手の主張を裏づける理由のみを呈示するのが一面呈示である。この場合には、受け手の言い分を無視するような形になり、受け手の反発すなわち心理的リアクタンスを引き起こしやすく、受け手の賛同を得にくくなる。そこで、受け手の考えも考慮して説得メッセージの中に送り手の主張点だけではなく、受け手の視点にも言及することが考えられる。それが両面呈示である。説得テーマが健康や安全行動を促す内容の場合には、受け手に恐怖感情や脅威を喚起することが可能である。こうした場合、恐怖を喚起することは、恐怖を喚起しない場合に比べて、受け手の態度変容を引き起こすことができる。さらに、そうした恐怖や脅威を低減するにはどのようにすればよいかという情報を提供すると、送り手の主張する方向への態度変容・行動変容が生じやすくなる。

③説得の状況 
説得の状況に関する要因として、説得の予告・説得の反復・送り手の人数・説得の妨害要因(騒音・蒸し暑さなど)・説得メッセージの伝達メディア(テキスト文・静止画・動画)などを挙げることができる。まず、説得の予告とは、受け手に説得メッセージを呈示する前に、説得することを予告したり、送り手の主張点を呈示しておいたりすることである。特に説得テーマへの自我関与度が高い場合、説得することの予告は、受け手の抵抗を生みやすく、説得効果が低下する。逆に、自我関与度が低い場合、送り手の好感度が高ければ、説得の予告が説得効果を高めるという。説得メッセージを繰り返して受け手に呈示することは(1回呈示に比べ、複数回呈示の場合は)、受け手の理解を促し、説得効果を高めるけれども、反復して呈示する回数が多くなると(たとえば3回呈示に比べて5回呈示の場合は)、受け手の反論が頭に浮かびやすくなり、説得効果は低減するようである。送り手の人数が多くなるほど説得効果は高まると考えられるが、各送り手が異なる論拠を呈示することが説得効果を高めると指摘している。また、送り手の好感度が高く、理解しやすい説得メッセージの場合は、テキスト文よりは動画を用いた方が説得効果の高い傾向にある。

④受け手の属性
説得メッセージからの影響を受けやすい個人的属性として、自尊心・性別・認知欲求・セルフモニタリング・独断主義などが指摘されている。自尊心と説得されやすさ(被説得性)との間には、逆U字型の関係が認められており、自尊心が低くても高くても説得されにくい。性別については、女性の方が男性よりも説得されやすい傾向にある。しかし、他の要因に比べれば、受け手の性別は相対的に頑健な効果をもたないようである。


平たく言えば

①どんな人が説得するのか
②説得する内容
③説得する時の環境
④説得される側がどんな人か

この4つによって、説得できるか否かが決まってくる、と言うことです。

ボクの書いたblog『あなたは世界を全て色眼鏡で見ている…認知バイアスとは?』でもお伝えしていますが、人は知らず知らずのうちに、事実を自分の都合の良い方に理解・認知してしまう生き物です。同じ事実があったとしても、それをどのように受け止め解釈するのかは、本人次第、なんですよね。

上で記した【説得の4種の規定要因】である①送り手の属性②説得メッセージの構成③説得の状況というのもに、その認知バイアスは関与してきます。またその認知バイアスの元となるのが④受け手の属性です。


言ってしまえば世の中『主観』が全てなんです(笑)

こんな事を言ってしまうと元も子もないのですが(笑)


だから、と言う訳ではないのですが、説得をしようとする時、相手がどのような認知バイアスをもっているのか、どんな主観の中で生きているのか、それらをキチンと把握しなければ“説得”は無駄骨に終わります。

下手をしたら、さらに抵抗性を示すかも知れません。更に言うのであれば、説得する側のその情報や内容が本当に説得される側のメリットになるのかどうかを、根本から見直す必要があるかもしれません。


『説得する』というのは、実は並大抵の努力ではうまく行かないんだ、と言うことを少し掘り下げてみました。それでも人は、時に『説得する』と言う方法を取らなければならない場面が出てくるかと思います。

その時、どうしたら良いのか、今回のblogを良く読んで考えてみて下さい。ヒントをいっぱい散りばめておきましたので(笑)



健闘を祈ります。


2024年3月7日木曜日

“生きづらさ”を考える

 ボク自身、セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(免疫機能障害・HIV感染症)・精神障害者(双極性障害)と言う、モノを抱えて生きています。48年生きてきて、そのうち2/3以上は、生きづらさを感じながら生きてきたのかな~と振り返ります。

今、世の中を見てみると、同じ様に生きづらさを抱えながら生きている人の多いこと!

それは、ボクと同じ様に、セクシャリティの問題を抱えている人もいるし、障害という困難さを抱えている人もいる。また、「毒親」家庭に育ったという人もいるだろうし、わけも分からずイジメにあっていると言う人もいる。貧困という問題を抱えている人もいれば、天災による被災にあっている人もいる。


そうやって世の中を見渡すと、なんと生きてくことが困難な世の中なのか!と天を仰いで嘆いてしまいそうになります。


ボクはそんな人達に対して「明けない夜はない」とか「雨はきっといつか上がる」とか「なんとかなるさ」とかそんな無責任な言葉はかけられない、といつも思っています。

だって、その人にとってみたら「今、何とかしたい」とか「この先に希望が持てないから生きづらい」とか「もう頑張れない…」とか、そういう気持ちの渦中にいる人達なんだよ。

言われた方としてみたら「そりゃ他人事だもんね」と言いたくなるし「言うは簡単」とも言いたくなる。

人が本気でツラい時というのは、そう言うものだと思ってる。


もっと言うと、実はあなたの隣にいる、その人、あの人は、いつも笑って何事もないような顔をしているけど、心の中では、誰にも打ち明けられない悩み事を抱えているかも知れない。

例えば両親との人間関係に悩んでいるかも知れない。
例えばパートナーとの関係性に悩んでいるかも知れない。
例えば目には見えない障害を持っているかも知れない。
例えば自分の生き方に疑問を感じているかも知れない。
例えば人生の目標を見失っているかも知れない。
例えば大切な人と離別したかも知れない。
例えば依存症を隠しているかも知れない。
例えばご近所付き合いに辟易しているかも知れない。
例えば犯罪歴があるかも知れない。
例えば自分自身に嫌気が差して自分自身を受け入れられていないかも知れない。
例えばいつも人の目が気になって窮屈な思いをしているかも知れない。


実は『生きづらさ』というのは常に背中合わせに存在していて、ふとした瞬間にその暗闇の中に飲み込まれそうな、微妙なバランスの中で生きている人がほとんどなんじゃないかと思う時もある。

そして『生きづらさ』を感じる理由は人ぞれぞれで、同じ状況にあってもAさんにとっては何でもないことでもBさんにとってはとてもシンドいことだってあると思うんです。だって、それは「主観」の世界だし「自分がどう捉えるのか」「どう感じるのか」だと考えるから。

だから「そんな事で悩んでいるの?(笑)」なんて笑い飛ばすのって、ボクはとても失礼なことだと思うし、なんて思いやりのない言葉だと思うん。もし、そう笑い飛ばされて、その場は「そうか…そうだよね!(笑)」と同調したとしても、それはその時の雰囲気に飲まれているだけで、心の負担なんてこれっぽちも軽くはなっていないと思うわけ。


そう言う『生きづらさ』を解決するには、やっぱり最終的には専門家の手を借りたり社会制度を利用したりすることが望ましいと思う。一人で無理に解決しようとすると余計にこじれることも多い。⬅これは実体験。

でも、難しいのは『生きづらさを感じている本人』が救けを求めなければならないということ。誰にも肩代わりできないんだよ。こればっかりは。

じゃあ、周りの人ができることは何か。


「何もできないけど、何も替わってあげられないけど、寄り添うことはできる」と言うこと。


『寄り添う』って、本当に誰でもできる『支援』だと思ってる。

専門的なことは何も必要ありません。『寄り添う』事には。





2024年3月5日火曜日

ただの“想像”や“妄想”ではない…『メンタル・タイムトラベル(心的時間旅行)』

 先日のblog『記憶…きをく…キヲク』では、人間がどうやって記憶するのか、そして記憶と感情の関係についてお伝えしました。

それで、で、なのですが(笑)そもそも人間は『記憶を持つ』必要があるのでしょうか?もちろん人間だけでなく、あらゆる生物が、おそらく『記憶を持つ』ことをしていますよね。

「そんなの当たり前じゃん!」

と、一蹴しないで下さい(笑)

容易に想像できる理由としては「過去の記憶は、未来の選択において大きな役割を果たしている」事や過去の失敗から学んだり、トラウマになるような過去の体験が将来の展望に役立つ、と言うのは、深く考えなくとも分かりますよね。

つまり、記憶というのは将来、自分自身が最善の選択をするための礎になっている、と言うことです。


ボクはよく、心理カウンセリングのセッションで、クライエントが「認知行動療法に取り組みたい」とか「ストレスに強くなるために認知の歪みを治したい」と言う要望がある方に対して、「認知というのは、これまであなた(クライエント)が取捨選択し、自分が良いと思う選択肢を選んできた結果、今のあなたがいる。だから、すぐに変わる・変えられるものではないし、時には過去の自分自身を否定したり、今までの価値観を根幹からひっくり返すことになるので、しんどいこともたくさんありますよ」と、お伝えするようにしています。

これは、ボク自身が認知行動療法と出会い、そして実践していく中でボク自身が体験してきたことなので、とてもとても、実感を込めてお伝えしています。


何が言いたいかと言うと(笑)記憶というのは、未来の自分の礎ではあるけれど、記憶をどの様に受け止め、自分の中で処理をする際に、誤った処理の仕方をすると、未来の選択も良くない選択をしてしまう可能性がある、と言うことです。

かと言って、過去は修正できません。

ですので、過去から未来の可能性を想像すると言う能力を、鍛える(笑)そう、これもトレーニングなんです。

このような脳の機能のことを『メンタル・タイムトラベル(心的時間旅行)』と呼ぶそうです。


Mental time travel ability influences the representation of events and emotional expressions: evidence from microblogs(心的タイムトラベル能力は出来事や感情表現の表現に影響を与える:ミニブログからのエビデンス)によると、非常に面白い事実が分かってきたようです。


人間は、現時点からごくごく近い未来のことは容易に想像できますよね。

例えば、今夜の晩御飯は何を食べているだろうか、とか、午後からの仕事はこんな感じで進めるだろう、とか。しかしどんどん遠い未来になればなるほど、想像することが難しくなります。

それは、今から遠く離れれば離れるほど、これからの未来に起こるであろう出来事は非常に多岐にわたり、それに伴い選択肢の幅も広がってしまうため、具体的な想像ができなくなるからと、この文献では言っています。

そして、その内容も具体性に欠け抽象的な表現になっていき、「一人称的」ではなく「三人称的」な捉え方をしていく、とも述べています。三人称的表現を使うということは、自分自身に起こるであろう未来のことを、より客観的により冷静に判断し想像している、と言う事に繋がります。

さらに面白いことに、遠い過去の記憶が残っていたり覚えている人ほど、より遠い将来の事を想像しやすかったりより詳細に表現する能力が高い、と言うことが分かったようです。


人は、『今』の選択をする時『未来』を想像し『過去』の経験から最適解を見つけようとします。当たり前ですが(笑)。『今』の最適解を見つけるにはどういう『未来』でありたいか、あって欲しいかと言う希望や願望があり、それを見つけるために『過去』の経験や実体験から学んだことを活かします。

実はこの頭の中で起こっている作業というのは、無意識に行っており、さらに遠い未来よりもい近い未来のことを想像し『今』の選択をしていることが多い、と言われています。だから、どうしても「あの時あの選択をしていれば…」or「あの時あの選択をしていなければ…」と言う後悔につながるんです。って。


逆に考えるとですよ、要は「遠い未来の、自分自身が望む姿を詳細に、明確に想像することができれば、今目の前の選択を誤ることはない」わけですよ。それは、過去の実体験がどうであれ、です。


後悔しない選択をするには、詳細な未来を描くこと、です。


McGonigal博士によると、メンタル・タイムトラベルは精神的な準備に役立ち、新たな挑戦が起こったときに素早く適応できるようになります。しかし、先にボクが述べたように、やっぱ、トレーニングが必要なんですよね…

そこで、McGonigal博士は、最適解を選択するためのメンタルタイム・トラベルに関したエクササイズを提唱しています。

が、ここではそれは省略します。

こーゆー、メンタル系のエクササイズって、自分ひとりで取り組むのってすっごく難しいって思ってるし、誰かと一緒、または心理カウンセラーに誘導してもらうっていう『協力者と一緒に』と言うやり方の方が、絶対にうまくいくから。



もし、気になる方がおられたら、ボクの心理カウンセリング、受けてみて下さい。一緒に取り組みましょう(笑)

2024年3月4日月曜日

それホントの「繊細さん」?「HSP」と言う言葉の独り歩き

 よく耳にするようになりましたよね。『HSP』とか『繊細さん』とか。

最近は書籍もたくさん出ていますし、『HSP専門カウンセラー』なる人もおられるようですが…。ネット上では「HSP セルフチェック」などで検索すると無数のサイトがヒットしてきます。これほどまでに『HSP』と言う言葉が広がりながら、一般化していく中で、ボクが心理カウンセラーとなって、その言葉を改めて勉強した時に『???』と思うことがたくさん出てきたんです。


そもそも、『HSP』という言葉は誰が提唱してそれはどんなな内容のものだったのでしょうか。

まずは、言葉の整理から(笑)ゴメンナサイ。これがボクのスタンスなんです。


HSPとは…
HSP:Highly Sensitive Person。1996年にアメリカの臨床心理学者のエレイン・アーロンが提唱したのが最初で、学術的には「感覚処理感受性」と呼ばれるものです。「中枢神経系の感度の向上と、物理的、社会的、感情的な刺激に対するより深い認知処理」に関わる気質または性格特性です。この特性は、「新しい状況で『確認するために一時停止』する傾向、微妙な刺激に対するより高い感受性、対処行動を採用するためのより深い認知処理戦略の関与によって特徴付けられます。


ここで強調しておきたいのは、「気質・性格特性だ」と言うことです。『疾患の名前や学術的症候群の名前』ではありません!!もっと噛み砕くと「内向的だ・外交的だ」とか「おおらかだ・神経質だ」と同じような並びにこの「HSP・繊細さん」と言う言葉がある、と言うことです。

感覚処理感受性は、いわゆるHSPとして提唱されているような、「生きづらさ」を説明するものでもなければ、「特別な才能」という意味もありません。ただ、ニュートラルに環境に対する感受性を指すものとされます。「感覚処理感受性」は正規分布で表されますからHSPと非HSPと分けられるものでもありません。「〇〇型HSP」というようなタイプ分けも存在しません。


しかし何故か今の日本では「HSP」と言う言葉が独り歩きし始めたのでしょうか?

それは、本来であれば、自分自身の人間関係の築きづらさや生きづらさの原因が「自分自身の歪んだ認知のせい」や「人とは違った物事の捉え方」である筈なのに、それを自分自身の問題点・改善点として、真正面から捉えることができない(したくない)ために、何となく学者が提唱した言葉や定義を歪曲して受け止め、あたかもそこに理由があるようかの様に関連付けることで、本当の問題(認知の歪み・人と違った物事の捉え方)から目を逸らすために利用したのではないか、と推測します。


今、日本で『HSP』と言うと以下のような特徴があると言われています。
・感受性が高い
・環境刺激に敏感に反応する
・情報処理が深い
・感情や環境変化に強く影響を受ける
・共感力が高い
・細部に気づく
・洞察力が鋭い

など

しかし、ボクはこの様に考えます。
・感受性が高い → 自分自身と他人との境界線が曖昧
・環境刺激に敏感に反応する → 周囲の目が気になる、または恐怖心が強い
・情報処理が深い → 考え過ぎる
・感情や環境変化に強く影響を受ける → 適応能力が低い
・共感力が高い → 想像力が豊かで時に過度な妄想になる
・細部に気付く → 目ざとい
・洞察力が鋭い → 思い込みが激しい

など


ごめんなさい。バッサリ切ってます(笑)
けれど…けれどね、何度も言いますが「HSPは性格特性」なんです。病気でも無ければ診断名でもないんです。

先日、とあるSNSで『この世にHSPさんがいなくなったら、誰も人を大切に思わなくなり、戦争が起き、思いやりのない世界になる』みたいなパワーワードで主張される方がおられ、「おいおい!HSPでなくとも思いやりのある人はたくさんおるし、感受性豊かな人は沢山おるで(汗)」と思い、思わずコメントしてしまいました。


じゃあ、今、日本で言われている『HSP・繊細さん』の本当の正体はなんだろうか?そう思った時、ボクはこう思いました。「他人軸で生きている人のことではないだろうか?」と。

以前、ボクが書いたblog『万病の元!!その③「他人軸」』にも書きましたが、『他人軸』とは、自分の考え方を持たず、他人の評価ばかりを気にして行動する人のことを指します。他人軸の考え方を持つ人は、基本的に「他の人から嫌われないようにしよう」という考えばかりになります。そのため、いつまで経っても自分に自信が持てず、他人に合わせて行動してしまうのが特徴です。

どうですか?『HSP・繊細さん』とオーバーラップする部分もかなりあると思うんです。

そう考えると、生きづらさを抱えるのもうなずけます。


以前、心理学者の植木 理恵氏が、とあるテレビ番組でおっしゃられてました。「ネットや雑誌に出ている〝自己診断〟や〝性格診断〟はしない方が良い。それは、それをすればするほど、そこに書かれていたり述べられている〝性格や特性〟に知らず知らず、自分が引っ張られそこに当てはめようとしてしまうから」と。

これを聞いた時、ボクはまさに〝目からウロコ〟でしたね!
そうそう。そうなんです。

心理療法(ここではあえてこの様に表現します)で行われる様々な検査があります。それは深層心理を探ったり、表出されていない感情をあらわにしたりすのですが、検査者は不用意にその結果をクライエントには伝えません。その理由は多岐にわたりますが、その一つに「その結果をクライエントが知ることで、その結果に自分を寄せてしまう」と言うことがあります。


今回は、ちょっと厳しく『HSP・繊細さん』についてボクなりの解釈をお伝えしました。ただ、これだけは覚えておいていただきたいことがあります。


ご自身の生きづらさを「HSPだから」と言う結論で片付けるのではなく、さらにその向う側にある「あなた自身の問題点・改善点」にキチンと向き合い、本気で生きづらさを改善したいと思うのであれば、本来の自分自身(闇の部分も含む)と向き合いそれを受け入れ、そして変化することを恐れてはいけない、と言うことを覚えておいていただきたいと思います。

2024年2月29日木曜日

実は深刻な問題…職場での孤立と孤独感

皆さんは働いていて「孤独感」を感じたことがありますか?実はボクはあります(笑)それは、前職を休職する直前は、本当に孤独でした。もちろんそれは、ボク自身に問題があって、メンタル不調を何度と繰り返し、休職と復職を繰り返していたので、同僚たちからの信頼感は、皆無であったから、と思っています。

正直、その頃は、同僚と職務に関する会話しかしていなかったし、業務が終わって定時になったらとっとと退社していたので、なおさら、ですよね。


日本で、職場における孤独・孤立の問題が注目されたのは、実はCovid-19の感染拡大があり、在宅ワークやフルリモートワークが一般化した、ココ数年のお話です。

職場の孤立・孤独研究の先駆者である松井 豊氏は雑誌『産業カウンセリング』の中でこう述べています。

〝職場内の孤独は家庭内での癒やしでは完全には防げません。ただ職場で孤独を感じている人も、家庭内でサポートがあれば、大きな問題にならないといったデータもあります〟

つまり、職場の孤独は職場で解決するほうが望ましい、ということです。



少しここで、言葉の整理をしましょう(笑)いつものように。

孤独
〘名〙
① みなしごと、年とって子どものないひとりもの。また、身寄りのない者。ひとりぼっち。ひとりびと。
② (形動) 精神的なよりどころとなる人、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。また、そのようなさま。

孤立
① 他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。
② 対立するもののないこと。対応するものがないこと。主として、「孤立義務」などと法律上の語として用いられる。


一見、同じようなコトを説明しているように思われるでしょうが、決定的に違うことがあります。『孤独』は本人が感じている感情のことで、『孤立』というのは客観的に見た状態、対人関係の状態を示します。

さて、前述の松井氏はこの様に続けます。

〝(日本の)データとしては、男性の非正規労働者のほうが孤独・孤立感が強く、女性の非正規の方はむしろ弱いといったデータも出ています。(中略)つまり職場の孤独・孤立を考える上では、正規と非正規の雇用を分ける必要があるのがわかりました〟

また、この様にも述べています。

〝(前略)孤独・孤立は、何らかの問題が起きる前段階であるため、どの状態で他者が介入できるのか、また会社がどう取り扱うかも難しいのです。〟

例えば、同僚の中に、他者から見たら明らかに『孤立』している人がいたとします。しかし当人にしては『孤独』と感じていないかもしれません。一方で、本人が『孤立して孤独を感じている』場合においても、同僚や上司・人事や総務の人間が、本人にどようにアプローチすればよいのか、非常にセンシティブでその対応は非常に難しいと思います。

ここに今の日本の『働く環境における孤立と孤独感の問題』があるように思います。

これはアメリカのデータなのですが、大変興味深い結果があります。

「職場に親友はいますか?」という質問について「強くそう思う」と回答したのはわずか2割だったのです。英語での調査ですので「親友」と言う言葉の定義が、正しく和訳されているか疑問ではありますが、「職場内に気軽に何でも話せる友人(同僚)がいるかどうか」というのは、職場内の孤立や孤独感に大きく影響するのは、火を見るよりも明らかですよね。


職場内で孤立し孤独感を感じる要因というのは、色々なことが考えられます。
ボクの様に、同僚からの信頼感を得られなくなった、と言うこともあるでしょう。そのバックグラウンドには、(身体的・精神的)不調や、仕事に向き合う姿勢、責任を持って任務を遂行できる能力など、様々な要因があります。

また、家庭内の状況(家庭内不和・家族の体調・介護など)やプライベート(パートナーとの関係・趣味や興味)などが、仕事のパフォーマンスに影響を及ぼし、それが原因で職場内での信頼を失墜させてしまうこともあるかもしれません。


職場内で孤立している人に対して、どう接すればよいのかは、松井氏が述べているように、非常に困難な場合が多いと思います。

しかし、ボクは声を大にして言いたい。


それを見て見ぬふりをするままでいいのですか?
生理的に受付けない人だから、ドライに接していても良いのでしょうか?
管理職にお任せ、でいいのでしょうか?
仕事しない人だから、無視してもいいのでしょうか?
管理職が使えない人材だからそのまま放置していていいのでしょうか?
自分の事で精一杯だから知らんぷりでいいのでしょうか?


職場内での孤立・孤独感というのは、一歩間違えれば、メンタル不調を招きます。そして下手をすれば自死を招きます。



もしかしたら、あなたの行動一つで、何かが変わるかもしれません、よ。
そして、もし迷うことがあれば、産業保健スタッフにぜひ、相談してください。できれば産業カウンセラーに(笑)

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