最近はあまり、その様は風潮は感じなくなりましたが、恐らくボクら世代より上(第二次ベビーブーム以前)の人たちには、学校教育でその様に教わってきたと思います。
かなり前の事ですが、ボクが短大の教員をしていた頃、推薦入試を受ける高校生の面接試験の面接官をさせて頂いた経験があります。
面接試験の合否判定ってもの凄く難しくって(笑)
と言うのも、判定基準に客観性がない(笑)ないと言うか、面接官の「印象」だけで判断してそれを点数化するから、ホント、主観の世界なんですよ。
もちろん、試験官は一人ではありません。毎年3人で対応してました。
面接は個人面接で1人におおよそ15〜20分程度。その間にその受験生の『人柄』みたいなものを見極めるんやから、もう、神業です(笑)と言って、こちらも真剣勝負ですから、面接試験のある日は終ると本当に頭から煙が出そうなくらい、エネルギーを使い果たしていました。
そんな面接試験、毎年、質問事項と言うのは大体決まってるんです。
どうして本校を受験したの?
どうしてリハセラピストを目指そうと思ったの?
どんなリハセラピストになりたい?
自分の長所と短所は?
高校時代の思い出は?
これくらいは定番で聞いてるんです。で、受験生もこの辺りの質問に対する答えは事前に用意してるから、スラスラと答えるわけですが…
大体、一番最後に、結構、突拍子もない質問をして、その受験生の『応用力』『対応力』を試す事があったんです。ボクが始めて面接官をした時、同席した先輩教員にお任せしたのですが、その教員の質問、何だったと思います?
「あなたを動物に例えるとなんですか?」
ですよ!(笑)もう、笑いたくなった。ボク。
そして受験生の、ポカンとした表情。
もちろん、これには意図したところがあって、その先輩教員は、その受験生に対し「なぜそう思ったのか」と言うところを探り、「自分の長所と短所をあげて下さい」と言う、まさに「準備してきた答え」ではない部分をあぶり出す質問だったのです。
ちなみにその先輩教員は、作業療法学科の専任教員でした。もう〝らしい!〟とボクは心のそこから感心しました。
何度も言いますが、面接試験って本当に、合否判定が難しくて「口なら何とでも言える」ところってありますよね?平たく言えば「嘘をつく」今風に言えば「盛る」ことだって出来ます。けれどその先にある本質を見抜くのって、本当に難しい。
当時、ボクは30歳手前でしたけど、そのためには人生経験が不足していました(笑)
『対応力』『応用力』というのは、もともと持っている素養もあるかもしれません。しかし、ボクが思うに、ソレに大きく影響を与えるのは、生育環境だったり教育だったりする部分が大きいような気がします。
冒頭でボクが「皆と同じに価値が置かれ」と述べました。
その弊害が、『対応力』『応用力』の“欠如”につながるのではないのかな~と思ってしまうわけです。
もちろん、大人になってから経験することとか、学校では教えてくれなかったことを学習することで得られるものもたくさんあります。けれど、やっぱり子供の頃に経験したことって、どんなに大人になって大きく影響すると思うんですよね。
少し、話しを脱線させて下さい(笑)
心理カウンセリングで、クライエントの問題解決に「認知行動療法」を取り入れたり「アサーション・トレーニング」を取り入れたり「アンガーマネージメント」何かを取り入れたりする事があるんです。詳しくは割愛させていただきますが、どれも、ある事象が起こったときに自分がどう対処するのか、またはどう受け止めるのか、と言うことろに着眼します。でもそれって、その人が長年かけて構築してきた「証」と言ってもいい部分を、下手をしたら根底から覆さなければならないこともあるんです。
自分が信じていた価値観や倫理観、哲学みたいなものを、ちょっと見直してみようか、みたいな感じなんですけど、そんなん、結構、頑張らんと変わりませんって!人って。
それで「認知行動療法」とか「アサーション・トレーニング」とかって、ある意味、とっさの出来事に対する『対応力』であったり『応用力』みたいなモノを、鍛え直すというか構築し治すみたいなところでもあるわけです。
このブログ記事のタイトルに“生きていくために必要なコト『対応力』『応用力』”としましたが、このストレスフルな現代社会において、「環境」だけが問題なのではなく、自分自信の「内面」も今一度見直す必要があるのでは、と思っています。
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