「 レッテルを貼る」と言う言葉は、悪い意味で使われることが多く、このニュースを読んだときも、非常に不快な気分になった。
他にもラベリングやグルーピングとも言いかえられるが、日本人には「レッテルを貼る」という言葉が一番しっくり来るだろう。
某大手中古車買取店の不祥事が話題になっている。そのニュースを報じる、とあるWEB記事の中に、このような分析をする記事があった。
『(前略)報道対策アドバイザーとして、この手の不正も山ほど見てきた立場で言わせていただくと、これはなにもビッグモーターに限った話ではない。「団塊ジュニア企業」が、この10年あまりこぞってハマっている「定番の失敗パターン」だ。「団塊ジュニア?なんだよそれ?」と思った方のために説明すると、団塊ジュニア企業とは第二次ベビーブームによる需要増が大きな要因で急成長して、全国展開を達成した大企業を指す筆者の造語だ。分かりやすいところでは、1973年創業のセブン-イレブン・ジャパン、同年に創業したレオパレス、翌74年創業の大東建託などがこれにあたる。76年創業のビッグモーターは人間で言えば、団塊ジュニア世代(71~74年)ではないが、団塊ジュニアを授かったファミリーが国内で爆発的に増えて、その恩恵を得た会社のことを「団塊ジュニア企業」と呼ばせていただく。そんな団塊ジュニア企業は、近年よく問題を起こしている。業種やビジネスモデルは違えど、共通の「負けパターン」があるからだ。(後略)』(原文ママ)
私はギリギリ団塊世代ジュニアだ(1975年)。第二次ベビーブームの終わりの世代で、両親はまさに団塊世代。
私自身がそのような世代であるから、過剰に反応したのかもしれないが、何でもかんでも「レッテルを貼る」ということが必ずしも良い、とは思えない。
例えば「HIV陽性者」「薬物依存症患者」「うつ病患者」と言われて、皆さんはどんなイメージを持つだろうか。そして果たして、そのイメージが本当に正しいと言い切れるだろうか。
医学モデルでは、その人(病態・状態)を正常と異常に分け、さらにその異常である部分がどのような異常であるのかを分類していく作業がある。これがいわゆる医師の行う「診断」という作業だ。医師は、診断することで治療方法の選択の指針とし、逆に診断することが困難であると治療方法が見つからない、とも言える。
診断は、あくまでも「治療方法の指針を得るため」であることを強調しておきたい。何故ならば、その先には、その患者様に合った方法・用量を決める「個別化」という作業が待っているからである。つまり、診断をすることで「一般化」しさらに「個別化」しなければ、本当の治療には結びつかない。
レッテルを貼る(ラベリングまたはグルーピング)と言うのは、ある物事を捉えるには非常に楽で簡単である。反面、そこには「個別性」というものがマスキングされてしまい、「その人個人」という物を見えなくしてしまう可能性が高い。
SDGsという言葉が浸透し多様性が叫ばれる昨今、あえてレッテルを貼る(ラベリングまたはグルーピング)必要があるのだろうか?
LGBTQ+・SOGIに関する話題にも当てはまるだろう(あえてここでは深く触れないが)。
これは、これを読んでいる方にお願いしたい。
私はゲイでありHIV陽性者であり精神障害者である。しかし、それは私を構成する一部分であり、それが全てではないことを理解していただきたい。
そしてこれは今後、このカウンセリングサービスを利用する方々にお約束をする。
私はあなたを「あなた」という個人で理解する、と。病名や社会的地位、職種、セクシャリティ、家庭内役割、それらであなたをフィルタリングすることを、可能な限り排除する事をお約束したい。
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