とても似ているようで非なるもの。
「頼る」と「甘える」はどこがどう違うのだろうか?とあるフォロワーさんが「“お前はいつも甘えてばかりで云々”と言われて悲しい…」というTweetを見かけて、思わずコメントしてことがある。
「頼る」たのみとする。つてを求めて近づく。助けとして用いる。依存する。
「甘える」かわいがってもらおうとして、まとわりついたり物をねだったりする。甘ったれる。相手の好意に遠慮なくよりかかる。また、慣れ親しんでわがままに振る舞う。
※weblio辞書より
私はこう解釈する。「甘える」というのは腹黒さがあり、かつ計算してよりかかることで、「頼る」というのはそれがないこと。
「頼る」ことの方がその裏に計算された何かはなく、純粋であると言っても良いかもしれない。
人は本当に困った時にするのは「甘える」のではなく「頼る」のであって、甘えるというのは時に人に“負”の印象を与えることがある。ただ、この「甘える」というのも、気心知れた間柄で、それがあからさまであり「可愛げがある」時には、それほど“負”の印象を与えることはないが、それも回数を重ねる事は良しとしない場合が多い。
私も経験があるが、本当に困っている人がいて私を「頼って」くるときには、「何とかしてその気持に応えてあげよう」という気持ちが働くが、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてくる人には「それはあなたの利害に関係することだよね?」と、ついつい問いただしたくなる。
「甘える」の説明にもあるが「わがままに振る舞う」という事が「甘える」という言葉に、良い印象を与えない原因なのかもしれない。しかも「慣れ親しんで」である。
両者の間に互いが「慣れ親しんだ」間柄だと言う認識があれば、まだ「甘え」は許されるのかもしれない。しかし、一方が「慣れ親しんだ」と認識していたとしてももう一方がそうでなければ、「わがままに振る舞う」事が「甘え」であり、不愉快極まりない、ということになりかねない、ということである。しかもそのような認識は、当人同士がどう認識しているかが深く関係している。
と言うことは、その行為が「甘え」なのか「頼って」いることなのかを判断できるのは、当の本人たちしかいないわけで、そとから見ている第三者が「お前はあいつに甘えている」と断言できるはずはないのである。
余計なお世話である。
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