私がHIV陽性告知を受けてから、必死に守ろうとしてきた事がある。それは「自分自身がHIV陽性であるとこに嘘をつかない」と言う事である。
27歳であったのでまだ若く、そして変な「熱量」があった。
嘘をつく=絶対悪
嘘をつかない=絶対正義
これがその頃の私の信念でありそれが原動力であった。
特に、お付き合いをしたいと思っている相手には、できるだけ早い段階で開示をして理解を求め、受け入れてもらいたいと言う強い気持ちがあった(今思えば、相手への考慮を全くしないという何とも身勝手な考え方だ)。しかも、聞かれもしないのに自分自身から積極的に開示するという選択肢を、いつもとっていた。
ここでお気付きの方もいるかもしれないが、私の中では「嘘をつく」と「あえて言わない」を混同していたのである。
嘘をつく=あえて言わない=絶対悪
この考え方をしていると自分を許す機会を逃し、自分で自分の首を絞め、自分を追い込んでしまう。そして余裕がなくなり、自分にも他人にも優しくなれなくなってしまう。
しかも厄介な事に、この自分の判断基準を他人に当てはめて考えてしまい、「あの人はダメな人間だ」「あの人の考えはおかしい」と、口にはしないものの内心毒づいていた。
(ろくでもない人間だなwww)
若干、言葉遊びのような印象も受けるが、「嘘をつく」と「あえて言わない」は似ているようで、意味合いとしてはかなり違っている。
嘘をつく=事実とは異なる虚偽を伝える(Weblio辞典より)ことであり、あえて言わないのは、虚偽となるような事“すら”も伝えないのである。つまり、相手の質問の内容や質問の仕方によって『こちらの出方を変える』ことであり、どちらも受動的な意味であるが、「聞かれないことにはあえて触れない」という手法(?)は、一見、ずる賢そうであるが正攻法でもある。
“やぶ蛇”という言葉がある。
「藪をつついて蛇を出す」の略語で『余計なことをして状況を悪くすること。しなくてもよいことをして危難に遭うことなどを意味する』(Weblio辞典より)という意味で、まさしく「あえて言わない」その理由が「やぶ蛇」である。
もしかしたらここまで来ると、個人の価値観に関わってくる事かもしれない。「相手は聞いてこないけど黙っていられない」「嘘はつかないけど事実を隠すことに罪悪感を覚える」「隠すことがとても疲れる」または「聞かれはしないけど先に伝えたほうが誠実さが伝わる」「後からバレるよりも先に伝えた方が印象が良い」そう思われる方もいるかも知れない。
しかし、伝える相手側がどのような価値観を持っていてどのようにジャッジを下すかは、結局のところその人にしか分からないのである。
人間を半世紀もやっていると、多少の罪悪感と当面の利害を天秤にかけた時、多少の罪悪感は無きものとして処理できてしまうことが、往々にしてあることを知り、自分自身も実践するようになった。
バレてしまったら、その時はその時。
その時に“いかに誠実に対応するか”が大切で、そこで誤っても「嘘の厚塗り」をしてはいけない。それこそ取り返しがつかなくなる。
なぜあの時“あえて言わなかった”のか、“あえて言えなかった”のか、それを包み隠さず伝えることで挽回できる事もあるはずである。
もちろん時と場合にはよるし、私が保証するものでもないので強く勧めるつもりもない。先程述べたように、個人の価値観や考え方もあるが、そういう選択肢もあり「嘘をついているわけではない」という、自分自身の罪悪感からも開放されることもあるという事を、頭の片隅に入れておいても損はないと思う。
『後出しジャンケン』は大人の特権である。
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