私は、元々の性分として(あえてここでは“性格”とは表現しないでおく)、『中途半端が嫌い』『白黒はっきりさせたい』『優柔不断が嫌い』と言う、文字面だけ観ると“キツい”性分の持ち主だ。だから何かを選択する時に「AかB」を早く決めて、早く落ち着きたいと、いつも思っていた。
人はAとBと言う選択肢がある時、次のような条件の時にストレスと感じるときがある。
①AにもBにも同等の利点と欠点があり、ABどちらかを選ばなければならない。
②AにもBにも利点がなく、ただし同等の欠点しかないがどちらかを選ばなければならない。
AにもBにも欠点がなく利点しかないときは、あまりストレスを感じることがなく、どちらかを選択することができるが、①②の場合は、大なり小なりストレスが生じる。
つまり私は、無意識のうちに“選択をする時間”を「ストレスフルな時間」と認識していて、できるだけそれを避けようとしてきていたのだと思う。
AとBの間で揺れている=AとBで迷う=AとBで悩む
という公式が成り立ち、揺れている時間・迷っている時間を極力短時間に、そして意識しないようにしてきていた。
しかしここに大きな落とし穴がある。
つまり「熟考」しないのだ。
いや、本人は熟考したつもりでいるのだ。そして「熟考したつもりでいる」先に待っているのが「決断の失敗」「誤った決断」である。
何度となく、これを繰り返してきた。
一つここで言っておきたいのが「熟考」と言うのは、一人で考えること“ではない”ことである。誰かに相談する、教えを請う、意見を聴く、そういう行為も「熟考」に入るのだと思う。私はそうやって、「ストレスと感じる迷う行為」を避けるがために、熟考もせず決断を急ぎ、結果、「こんなはずではなかった」と後悔する。これを何度となく繰り返してきた。
失敗は成功のもと。
間違いを犯して学習する。
人間はそういう生き物だ。
しかし、私がHIV感染症の治療を始めてから受けた、臨床心理士さん(Kさんとする)のカウンセリングでは、しばしば、これが話題になった。しかも、何度も何度もKさんに「揺れているのもいいんじゃない?」「グレーの何が駄目なの?」「曖昧を楽しみなさい」言われたことか。
私が20代終わりから30代始めにかけての頃である。
Kさんにそのような言葉をもらって「そうですね~」「それもそうだと思います」「やってみます!」と“優等生なふりをしたクライエント”の私は、口先だけでKさんの提案に同意するものの、内心は「そうは言ってもさ…」「嫌なものは嫌なんだよね」と、結局、臨床心理士さんであるKさんの意見や提案“すら”受け入れられなかった。
おそらくKさんは、優等生ぶっている私を見抜いていたと思う。
話を戻そう。
私は、40大半ばにして産業カウンセラーになろうと決心し、講座を受講して試験に合格することができた。そして一念発起し、務めていた病院を辞め、理学療法士という仕事に一区切りをつけ、フリーランスとしてカウンセラーを“生業(なりわい)”とすることに決めた。やはり、この決断に至るまでは相当の「熟考」があった。
Aと言う選択肢は、精神的な不安を抱えながら病院勤務を続ける。組織の中で働く窮屈さはあるがしかし社会的補償はあり、ある意味安心感はある。
Bと言う選択肢は、自分自身で仕事のペースを決められ、人間関係の煩わしさから開放されるフリーランスという働き方。精神的な抑圧や決められた枠組みで働かなくてもよい反面、金銭的な不安定さや将来への備えと言った不安要素はある。
実は、この決断をするにあたり、それまでつとめていた病院を休職していた期間があり、その頃より「自分自身が“生きやすい方法は何か”」「どんな仕事の仕方が自分にあっているのか」「なにより私にとって“幸せに生きる方法”とはなにか」を考える期間が、十二分にあった。
中にはTwitterのfollowerさんの仕事の仕方も参考にさせてもらった。
親しい友人にも相談した。
姉にも相談した。
産業カウンセラー協会の方にも話を聞いてもらった。
AかBか…AかBか…AかBか…AかBか…
そして私は、この道を選んだ。
臨床心理士のKさんの助言が、20年の年月を経て、やっと私の心に響いている。
(Kさんありがとう)
※余談ではあるが、このKさん、HIV診療に長く携わっておりそして私達HIV陽性者の心を癒やすことに情熱を注がれていた。10年近く前に結婚され旦那様の住む遠くの国へ引っ越され、もうやり取りもなく、どのような暮らしをされているか知る由もないが、ご健在であれば50代なかばくらいであろうか。元気にされていることを心より願う。
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