このタイトルを見てドキッとした方もいるのではないだろうか。
かの有名な心理学者「ユング」は、40歳前後を「人生の正午」と例えたと言う。
つまり、40歳前は、職業を得て社会に根付くことや家庭を築くことなど「外的世界に自分を適応させること」が大きな目的であるのに対し、人生の後半(ここでは40歳以降)では、自己の内的欲求や本来の自分の姿を見出し、それを実現させていくことが大きな目的であるとした。
つまり人生の後半は“死”に向かいつつある自分の人生を、もう一度見直し本当に自分のしたかったことは何か、どんな人物になりたいと思っているのか、それを実現するためにはどうしたら良いのか、と言う心の力が働くのである。
また、日本の心理学者「岡本祐子」によると、中年期に見られる自我同一性意識の変化過程には4つの段階があるとして、①心身の変化の認識を伴う危機期 ②自己の再吟味と再方向づけへの模索期 ③これまでの生き方の軌道修正・軌道転換期 ④自我同一性の再確立期 となっている。
簡単に言ってしまえば、心身ともに衰え始めることに気づくとともに、子育てが一段落しこれから自分自身がどのように生きていくのか、どう生きていきたいのかを再度確認、そして模索し確立していくと言うのが中年期である、というしている。
そう、まるで青年期に起こる「自我同一性の危機」がもう一度やってくるわけである。それを日本では揶揄して「第二の思春期」「思秋期(ししゅうき)」とも言う。
ユングの時代で40歳前後であるから、現在の年齢に修正するとざっくり50歳前後だろうか。
現代の日本(人)に当てはめて考えると、50歳前後というと、ちょうど自身の子どもが大学を卒業し社会人になる頃、会社ではある程度の地位になりその地位を定年まで全うしようとする時期、身体は無理が効かなくなり疲労を翌日に残さないことが第一で、風邪をひいてもスッキリと治るまでに時間のかかるようになってくる頃であろう(半分は実体験から)。
この心理的・身体的・社会的な変化は、じつはジワリジワリと心を蝕むことがある。
自己の限界を自覚しつつも、達成できなかった物事への後悔や固着、若さを失っていく絶望、また若さを取り戻したいという実現不可能な執着、社会的ステータスや健康に対する不満など、実は心理的に乗り越えなければならない「危機」が多く潜んでいる時期である。
この危機をうまく乗り越えられないとどうなるか。
適応障害・うつ病・依存症、そして行き着く先は…ということもある。
以前、私の書いたblog「親というものは、子というものは」で記したように、私の父は50歳ごろに「うつ病」になり、それはこの危機をうまく乗り越えられなかったからなのだと、今では理解できる。教科書に出てくるような症例を私は、目の当たりにしていたのだ。
そして私自身が今、まさにその時を向かえている。
確かにこの半年間「このまま人生を終えて良いのか?」と自問自答することがよくあった。残された時間が20年なのか30年なのか、はたまた5年なのか40年なのかは分からない。それこそ“神のみぞ知る”ことである。やはり心のそこから「やりたい」と思うことをやりたいし「やってみたい」と思うことに挑戦したい。だから、それまでの「自分の常識を覆さなければいけない」と思うようになった。
そして今がある。
「岡本祐子」氏が述べているように、私は今、これまでの生き方の軌道修正・軌道転換期を向かえていると、しみじみと感じている。
ありがたいことに、応援してくれる人がいる。協力してくれる人がいる。手を貸してくれる人がいる。残された時間を「自分が幸せに」生きるために、「自分が思うよう」に生きるために、欲を言えば「この世に何かの爪痕を残せる」ように生きてみたいと思っている。
もしよければ、こんな私の戯言にお付き合いいただければ幸いである。
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