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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年3月7日木曜日

“生きづらさ”を考える

 ボク自身、セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(免疫機能障害・HIV感染症)・精神障害者(双極性障害)と言う、モノを抱えて生きています。48年生きてきて、そのうち2/3以上は、生きづらさを感じながら生きてきたのかな~と振り返ります。

今、世の中を見てみると、同じ様に生きづらさを抱えながら生きている人の多いこと!

それは、ボクと同じ様に、セクシャリティの問題を抱えている人もいるし、障害という困難さを抱えている人もいる。また、「毒親」家庭に育ったという人もいるだろうし、わけも分からずイジメにあっていると言う人もいる。貧困という問題を抱えている人もいれば、天災による被災にあっている人もいる。


そうやって世の中を見渡すと、なんと生きてくことが困難な世の中なのか!と天を仰いで嘆いてしまいそうになります。


ボクはそんな人達に対して「明けない夜はない」とか「雨はきっといつか上がる」とか「なんとかなるさ」とかそんな無責任な言葉はかけられない、といつも思っています。

だって、その人にとってみたら「今、何とかしたい」とか「この先に希望が持てないから生きづらい」とか「もう頑張れない…」とか、そういう気持ちの渦中にいる人達なんだよ。

言われた方としてみたら「そりゃ他人事だもんね」と言いたくなるし「言うは簡単」とも言いたくなる。

人が本気でツラい時というのは、そう言うものだと思ってる。


もっと言うと、実はあなたの隣にいる、その人、あの人は、いつも笑って何事もないような顔をしているけど、心の中では、誰にも打ち明けられない悩み事を抱えているかも知れない。

例えば両親との人間関係に悩んでいるかも知れない。
例えばパートナーとの関係性に悩んでいるかも知れない。
例えば目には見えない障害を持っているかも知れない。
例えば自分の生き方に疑問を感じているかも知れない。
例えば人生の目標を見失っているかも知れない。
例えば大切な人と離別したかも知れない。
例えば依存症を隠しているかも知れない。
例えばご近所付き合いに辟易しているかも知れない。
例えば犯罪歴があるかも知れない。
例えば自分自身に嫌気が差して自分自身を受け入れられていないかも知れない。
例えばいつも人の目が気になって窮屈な思いをしているかも知れない。


実は『生きづらさ』というのは常に背中合わせに存在していて、ふとした瞬間にその暗闇の中に飲み込まれそうな、微妙なバランスの中で生きている人がほとんどなんじゃないかと思う時もある。

そして『生きづらさ』を感じる理由は人ぞれぞれで、同じ状況にあってもAさんにとっては何でもないことでもBさんにとってはとてもシンドいことだってあると思うんです。だって、それは「主観」の世界だし「自分がどう捉えるのか」「どう感じるのか」だと考えるから。

だから「そんな事で悩んでいるの?(笑)」なんて笑い飛ばすのって、ボクはとても失礼なことだと思うし、なんて思いやりのない言葉だと思うん。もし、そう笑い飛ばされて、その場は「そうか…そうだよね!(笑)」と同調したとしても、それはその時の雰囲気に飲まれているだけで、心の負担なんてこれっぽちも軽くはなっていないと思うわけ。


そう言う『生きづらさ』を解決するには、やっぱり最終的には専門家の手を借りたり社会制度を利用したりすることが望ましいと思う。一人で無理に解決しようとすると余計にこじれることも多い。⬅これは実体験。

でも、難しいのは『生きづらさを感じている本人』が救けを求めなければならないということ。誰にも肩代わりできないんだよ。こればっかりは。

じゃあ、周りの人ができることは何か。


「何もできないけど、何も替わってあげられないけど、寄り添うことはできる」と言うこと。


『寄り添う』って、本当に誰でもできる『支援』だと思ってる。

専門的なことは何も必要ありません。『寄り添う』事には。





2024年3月5日火曜日

ただの“想像”や“妄想”ではない…『メンタル・タイムトラベル(心的時間旅行)』

 先日のblog『記憶…きをく…キヲク』では、人間がどうやって記憶するのか、そして記憶と感情の関係についてお伝えしました。

それで、で、なのですが(笑)そもそも人間は『記憶を持つ』必要があるのでしょうか?もちろん人間だけでなく、あらゆる生物が、おそらく『記憶を持つ』ことをしていますよね。

「そんなの当たり前じゃん!」

と、一蹴しないで下さい(笑)

容易に想像できる理由としては「過去の記憶は、未来の選択において大きな役割を果たしている」事や過去の失敗から学んだり、トラウマになるような過去の体験が将来の展望に役立つ、と言うのは、深く考えなくとも分かりますよね。

つまり、記憶というのは将来、自分自身が最善の選択をするための礎になっている、と言うことです。


ボクはよく、心理カウンセリングのセッションで、クライエントが「認知行動療法に取り組みたい」とか「ストレスに強くなるために認知の歪みを治したい」と言う要望がある方に対して、「認知というのは、これまであなた(クライエント)が取捨選択し、自分が良いと思う選択肢を選んできた結果、今のあなたがいる。だから、すぐに変わる・変えられるものではないし、時には過去の自分自身を否定したり、今までの価値観を根幹からひっくり返すことになるので、しんどいこともたくさんありますよ」と、お伝えするようにしています。

これは、ボク自身が認知行動療法と出会い、そして実践していく中でボク自身が体験してきたことなので、とてもとても、実感を込めてお伝えしています。


何が言いたいかと言うと(笑)記憶というのは、未来の自分の礎ではあるけれど、記憶をどの様に受け止め、自分の中で処理をする際に、誤った処理の仕方をすると、未来の選択も良くない選択をしてしまう可能性がある、と言うことです。

かと言って、過去は修正できません。

ですので、過去から未来の可能性を想像すると言う能力を、鍛える(笑)そう、これもトレーニングなんです。

このような脳の機能のことを『メンタル・タイムトラベル(心的時間旅行)』と呼ぶそうです。


Mental time travel ability influences the representation of events and emotional expressions: evidence from microblogs(心的タイムトラベル能力は出来事や感情表現の表現に影響を与える:ミニブログからのエビデンス)によると、非常に面白い事実が分かってきたようです。


人間は、現時点からごくごく近い未来のことは容易に想像できますよね。

例えば、今夜の晩御飯は何を食べているだろうか、とか、午後からの仕事はこんな感じで進めるだろう、とか。しかしどんどん遠い未来になればなるほど、想像することが難しくなります。

それは、今から遠く離れれば離れるほど、これからの未来に起こるであろう出来事は非常に多岐にわたり、それに伴い選択肢の幅も広がってしまうため、具体的な想像ができなくなるからと、この文献では言っています。

そして、その内容も具体性に欠け抽象的な表現になっていき、「一人称的」ではなく「三人称的」な捉え方をしていく、とも述べています。三人称的表現を使うということは、自分自身に起こるであろう未来のことを、より客観的により冷静に判断し想像している、と言う事に繋がります。

さらに面白いことに、遠い過去の記憶が残っていたり覚えている人ほど、より遠い将来の事を想像しやすかったりより詳細に表現する能力が高い、と言うことが分かったようです。


人は、『今』の選択をする時『未来』を想像し『過去』の経験から最適解を見つけようとします。当たり前ですが(笑)。『今』の最適解を見つけるにはどういう『未来』でありたいか、あって欲しいかと言う希望や願望があり、それを見つけるために『過去』の経験や実体験から学んだことを活かします。

実はこの頭の中で起こっている作業というのは、無意識に行っており、さらに遠い未来よりもい近い未来のことを想像し『今』の選択をしていることが多い、と言われています。だから、どうしても「あの時あの選択をしていれば…」or「あの時あの選択をしていなければ…」と言う後悔につながるんです。って。


逆に考えるとですよ、要は「遠い未来の、自分自身が望む姿を詳細に、明確に想像することができれば、今目の前の選択を誤ることはない」わけですよ。それは、過去の実体験がどうであれ、です。


後悔しない選択をするには、詳細な未来を描くこと、です。


McGonigal博士によると、メンタル・タイムトラベルは精神的な準備に役立ち、新たな挑戦が起こったときに素早く適応できるようになります。しかし、先にボクが述べたように、やっぱ、トレーニングが必要なんですよね…

そこで、McGonigal博士は、最適解を選択するためのメンタルタイム・トラベルに関したエクササイズを提唱しています。

が、ここではそれは省略します。

こーゆー、メンタル系のエクササイズって、自分ひとりで取り組むのってすっごく難しいって思ってるし、誰かと一緒、または心理カウンセラーに誘導してもらうっていう『協力者と一緒に』と言うやり方の方が、絶対にうまくいくから。



もし、気になる方がおられたら、ボクの心理カウンセリング、受けてみて下さい。一緒に取り組みましょう(笑)

2024年3月4日月曜日

それホントの「繊細さん」?「HSP」と言う言葉の独り歩き

 よく耳にするようになりましたよね。『HSP』とか『繊細さん』とか。

最近は書籍もたくさん出ていますし、『HSP専門カウンセラー』なる人もおられるようですが…。ネット上では「HSP セルフチェック」などで検索すると無数のサイトがヒットしてきます。これほどまでに『HSP』と言う言葉が広がりながら、一般化していく中で、ボクが心理カウンセラーとなって、その言葉を改めて勉強した時に『???』と思うことがたくさん出てきたんです。


そもそも、『HSP』という言葉は誰が提唱してそれはどんなな内容のものだったのでしょうか。

まずは、言葉の整理から(笑)ゴメンナサイ。これがボクのスタンスなんです。


HSPとは…
HSP:Highly Sensitive Person。1996年にアメリカの臨床心理学者のエレイン・アーロンが提唱したのが最初で、学術的には「感覚処理感受性」と呼ばれるものです。「中枢神経系の感度の向上と、物理的、社会的、感情的な刺激に対するより深い認知処理」に関わる気質または性格特性です。この特性は、「新しい状況で『確認するために一時停止』する傾向、微妙な刺激に対するより高い感受性、対処行動を採用するためのより深い認知処理戦略の関与によって特徴付けられます。


ここで強調しておきたいのは、「気質・性格特性だ」と言うことです。『疾患の名前や学術的症候群の名前』ではありません!!もっと噛み砕くと「内向的だ・外交的だ」とか「おおらかだ・神経質だ」と同じような並びにこの「HSP・繊細さん」と言う言葉がある、と言うことです。

感覚処理感受性は、いわゆるHSPとして提唱されているような、「生きづらさ」を説明するものでもなければ、「特別な才能」という意味もありません。ただ、ニュートラルに環境に対する感受性を指すものとされます。「感覚処理感受性」は正規分布で表されますからHSPと非HSPと分けられるものでもありません。「〇〇型HSP」というようなタイプ分けも存在しません。


しかし何故か今の日本では「HSP」と言う言葉が独り歩きし始めたのでしょうか?

それは、本来であれば、自分自身の人間関係の築きづらさや生きづらさの原因が「自分自身の歪んだ認知のせい」や「人とは違った物事の捉え方」である筈なのに、それを自分自身の問題点・改善点として、真正面から捉えることができない(したくない)ために、何となく学者が提唱した言葉や定義を歪曲して受け止め、あたかもそこに理由があるようかの様に関連付けることで、本当の問題(認知の歪み・人と違った物事の捉え方)から目を逸らすために利用したのではないか、と推測します。


今、日本で『HSP』と言うと以下のような特徴があると言われています。
・感受性が高い
・環境刺激に敏感に反応する
・情報処理が深い
・感情や環境変化に強く影響を受ける
・共感力が高い
・細部に気づく
・洞察力が鋭い

など

しかし、ボクはこの様に考えます。
・感受性が高い → 自分自身と他人との境界線が曖昧
・環境刺激に敏感に反応する → 周囲の目が気になる、または恐怖心が強い
・情報処理が深い → 考え過ぎる
・感情や環境変化に強く影響を受ける → 適応能力が低い
・共感力が高い → 想像力が豊かで時に過度な妄想になる
・細部に気付く → 目ざとい
・洞察力が鋭い → 思い込みが激しい

など


ごめんなさい。バッサリ切ってます(笑)
けれど…けれどね、何度も言いますが「HSPは性格特性」なんです。病気でも無ければ診断名でもないんです。

先日、とあるSNSで『この世にHSPさんがいなくなったら、誰も人を大切に思わなくなり、戦争が起き、思いやりのない世界になる』みたいなパワーワードで主張される方がおられ、「おいおい!HSPでなくとも思いやりのある人はたくさんおるし、感受性豊かな人は沢山おるで(汗)」と思い、思わずコメントしてしまいました。


じゃあ、今、日本で言われている『HSP・繊細さん』の本当の正体はなんだろうか?そう思った時、ボクはこう思いました。「他人軸で生きている人のことではないだろうか?」と。

以前、ボクが書いたblog『万病の元!!その③「他人軸」』にも書きましたが、『他人軸』とは、自分の考え方を持たず、他人の評価ばかりを気にして行動する人のことを指します。他人軸の考え方を持つ人は、基本的に「他の人から嫌われないようにしよう」という考えばかりになります。そのため、いつまで経っても自分に自信が持てず、他人に合わせて行動してしまうのが特徴です。

どうですか?『HSP・繊細さん』とオーバーラップする部分もかなりあると思うんです。

そう考えると、生きづらさを抱えるのもうなずけます。


以前、心理学者の植木 理恵氏が、とあるテレビ番組でおっしゃられてました。「ネットや雑誌に出ている〝自己診断〟や〝性格診断〟はしない方が良い。それは、それをすればするほど、そこに書かれていたり述べられている〝性格や特性〟に知らず知らず、自分が引っ張られそこに当てはめようとしてしまうから」と。

これを聞いた時、ボクはまさに〝目からウロコ〟でしたね!
そうそう。そうなんです。

心理療法(ここではあえてこの様に表現します)で行われる様々な検査があります。それは深層心理を探ったり、表出されていない感情をあらわにしたりすのですが、検査者は不用意にその結果をクライエントには伝えません。その理由は多岐にわたりますが、その一つに「その結果をクライエントが知ることで、その結果に自分を寄せてしまう」と言うことがあります。


今回は、ちょっと厳しく『HSP・繊細さん』についてボクなりの解釈をお伝えしました。ただ、これだけは覚えておいていただきたいことがあります。


ご自身の生きづらさを「HSPだから」と言う結論で片付けるのではなく、さらにその向う側にある「あなた自身の問題点・改善点」にキチンと向き合い、本気で生きづらさを改善したいと思うのであれば、本来の自分自身(闇の部分も含む)と向き合いそれを受け入れ、そして変化することを恐れてはいけない、と言うことを覚えておいていただきたいと思います。

2024年2月29日木曜日

実は深刻な問題…職場での孤立と孤独感

皆さんは働いていて「孤独感」を感じたことがありますか?実はボクはあります(笑)それは、前職を休職する直前は、本当に孤独でした。もちろんそれは、ボク自身に問題があって、メンタル不調を何度と繰り返し、休職と復職を繰り返していたので、同僚たちからの信頼感は、皆無であったから、と思っています。

正直、その頃は、同僚と職務に関する会話しかしていなかったし、業務が終わって定時になったらとっとと退社していたので、なおさら、ですよね。


日本で、職場における孤独・孤立の問題が注目されたのは、実はCovid-19の感染拡大があり、在宅ワークやフルリモートワークが一般化した、ココ数年のお話です。

職場の孤立・孤独研究の先駆者である松井 豊氏は雑誌『産業カウンセリング』の中でこう述べています。

〝職場内の孤独は家庭内での癒やしでは完全には防げません。ただ職場で孤独を感じている人も、家庭内でサポートがあれば、大きな問題にならないといったデータもあります〟

つまり、職場の孤独は職場で解決するほうが望ましい、ということです。



少しここで、言葉の整理をしましょう(笑)いつものように。

孤独
〘名〙
① みなしごと、年とって子どものないひとりもの。また、身寄りのない者。ひとりぼっち。ひとりびと。
② (形動) 精神的なよりどころとなる人、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。また、そのようなさま。

孤立
① 他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。
② 対立するもののないこと。対応するものがないこと。主として、「孤立義務」などと法律上の語として用いられる。


一見、同じようなコトを説明しているように思われるでしょうが、決定的に違うことがあります。『孤独』は本人が感じている感情のことで、『孤立』というのは客観的に見た状態、対人関係の状態を示します。

さて、前述の松井氏はこの様に続けます。

〝(日本の)データとしては、男性の非正規労働者のほうが孤独・孤立感が強く、女性の非正規の方はむしろ弱いといったデータも出ています。(中略)つまり職場の孤独・孤立を考える上では、正規と非正規の雇用を分ける必要があるのがわかりました〟

また、この様にも述べています。

〝(前略)孤独・孤立は、何らかの問題が起きる前段階であるため、どの状態で他者が介入できるのか、また会社がどう取り扱うかも難しいのです。〟

例えば、同僚の中に、他者から見たら明らかに『孤立』している人がいたとします。しかし当人にしては『孤独』と感じていないかもしれません。一方で、本人が『孤立して孤独を感じている』場合においても、同僚や上司・人事や総務の人間が、本人にどようにアプローチすればよいのか、非常にセンシティブでその対応は非常に難しいと思います。

ここに今の日本の『働く環境における孤立と孤独感の問題』があるように思います。

これはアメリカのデータなのですが、大変興味深い結果があります。

「職場に親友はいますか?」という質問について「強くそう思う」と回答したのはわずか2割だったのです。英語での調査ですので「親友」と言う言葉の定義が、正しく和訳されているか疑問ではありますが、「職場内に気軽に何でも話せる友人(同僚)がいるかどうか」というのは、職場内の孤立や孤独感に大きく影響するのは、火を見るよりも明らかですよね。


職場内で孤立し孤独感を感じる要因というのは、色々なことが考えられます。
ボクの様に、同僚からの信頼感を得られなくなった、と言うこともあるでしょう。そのバックグラウンドには、(身体的・精神的)不調や、仕事に向き合う姿勢、責任を持って任務を遂行できる能力など、様々な要因があります。

また、家庭内の状況(家庭内不和・家族の体調・介護など)やプライベート(パートナーとの関係・趣味や興味)などが、仕事のパフォーマンスに影響を及ぼし、それが原因で職場内での信頼を失墜させてしまうこともあるかもしれません。


職場内で孤立している人に対して、どう接すればよいのかは、松井氏が述べているように、非常に困難な場合が多いと思います。

しかし、ボクは声を大にして言いたい。


それを見て見ぬふりをするままでいいのですか?
生理的に受付けない人だから、ドライに接していても良いのでしょうか?
管理職にお任せ、でいいのでしょうか?
仕事しない人だから、無視してもいいのでしょうか?
管理職が使えない人材だからそのまま放置していていいのでしょうか?
自分の事で精一杯だから知らんぷりでいいのでしょうか?


職場内での孤立・孤独感というのは、一歩間違えれば、メンタル不調を招きます。そして下手をすれば自死を招きます。



もしかしたら、あなたの行動一つで、何かが変わるかもしれません、よ。
そして、もし迷うことがあれば、産業保健スタッフにぜひ、相談してください。できれば産業カウンセラーに(笑)

2024年2月27日火曜日

記憶…きをく…キヲク

 だんだん年を取ってくると、「認知症」の危惧をするようになりますよね。ボクの父も70歳になる頃に認知症になりました。母は80歳になりますが、まだ、実家で一人暮らししていますし、彼女はその心配はないと思っています(笑)

「認知症」に大きく関わってくるのが『記憶』ですよね。

今回は、『記憶』について、医学的な側面から心理学的な側面について、紐解いていきたいと思います。

まずは、いつもの様に言葉の整理から(笑)

記憶とは…
・ものごとを忘れずに覚えていること。また覚えておくこと。
・(心理学)過去の経験の内容を保持し、後でそれを思い出すこと。
・(心理学)将来に必要な情報をその時まで保持すること。
・(生物学)生物に過去の影響が何らかの形で残ること。

ボクが記憶の話しをする時に、大切だなと思うのは、『記憶というのはただ単に〝覚えておく〟ことだけではなくてそれを思い出すこと(想起)』ってすごくた大事だと思っています。

そして、記憶の話しをすると、ものっすごい膨大な領域の話になるんですよ。というのも、ただ単に「覚える⇒想起する」だけの話ではなく、例えば「行動・行為」にも関係しますし「認知・認識」にも関係してきます。

ですので、少し基本的なところだけお伝えしたいと思います。



「記憶の保持・想起・忘却」に関して言うと、大まかに上の図のようなシステムになっています。

感覚記憶…
目で見たり耳で聞いたり、匂いを嗅いだり肌で触れたりそんな刺激による情報が一時的に“記憶”として取り込まれます。

短期記憶…
感覚記憶で取り込まれた刺激に対して、「この情報は必要ない」とか「この感覚は記憶しておくべき」など自分の中で選別されて、「この刺激・情報は自分に必要だ!」と認知したものが“選択的注意”されたものを、さらにもう一段階、上のレベルで記憶すること。

ここで、短期記憶の中で「リハーサル(ループ)」と呼ばれる、記憶の追体験や想起を繰り返すことをしていると、それが長期記憶へ転送されます。

長期記憶…
その名の通り、長く記憶に残ること。主に「陳述記憶(意味記憶・エピソード記憶)」と「非陳述記憶(手続き記憶・プライミング)」に分類されます。


上の図は「暗記の種類」となっていますが、記憶に関する分類を分かりやすく図説しているので引用しました。

と、話が難しくなってきましたが、『認知症』になると短期記憶から障害されて長期記憶は比較的温存される、というのは有名な話。



ここからは、少し、心理学的なお話に移りたいと思います。

上の生物学的お話には触れませんでしたが、「記憶」に関わる脳の箇所にはいくつかあるのですが、特に「長期記憶」に関わるのが『大脳皮質』そして「短期記憶」に関わるのが『海馬』と呼ばれる場所です。


外界からの情報はまず、後頭葉(脳の後ろの方)で処理されて海馬へと取り込まれます。そして海馬は、その情報を「いるいらない」と言う取捨選択・選別する場所でもあるのです。必要であれば。リハーサルなどを行い、長期記憶として大脳皮質へ転送されるんです。

人間の脳には「古い脳」「新しい脳」と呼ばれる分類方法があります。これは、進化の過程で、「人間」になる前から存在していた脳の部分の事を「古い脳(古脳)」人間になってから発達した「新しい脳(新脳)」があり、海馬は「古い脳(古脳)」に分類されます。


さて、心理学的で記憶に関わる話題といえば…
誰もが経験あると思うのですが、学生時代、一夜漬けにしろコツコツ勉強するにしろ、その記憶は徐々に薄れていきます。しかし、どんなに小さな頃に経験したことでも、また、物心がつき始めた頃でも、強烈に記憶に残っている出来事というのは、人間誰しも一つや二つはありますよね?


ボクの話しを一つ。

確か小学1年生の冬だったと思います。クリスマスにサンタさんが、野球のグローブとバット・ボールのセットを贈ってきたことがあるんです。ボクは正直、興味がなかった(笑)。ただ、父が「キャッチボールをしよう!」と言って、自宅前の田んぼ(冬だから空き地みたいなもの)にボクを連れ出し、キャッチボールを始めたのですが…

上手く投げられないのは仕方がない。初めてだから。でも、グローブを使ってボールをキャッチする、と言うことがボクにはとても難しくて、父が投げるボールを掴みそこねて、ボールが胸や顔、頭や足にぶち当たるんです(笑)痛いし嫌だしとにかく早く辞めたかった。

でもボクは、父が一生懸命に教えてくれたりすることを無下に「やりたくない!」と気持ちを伝えられず、言われるがまま黙って黙々と、キャッチボールをしていたのですが、さぞ、楽しそうではなかったでしょう(笑)そのうちボクは「嫌!辞めたい!」と言えずただ、泣き出してしまったんです。

それを父がみて、慌ててその場は終わりました。

以降、そのグローブやバット、ボールが日の目を見ることはありませんでした…



5~6歳の頃の記憶なのですが、ボクには強烈に記憶されています。おそらく「嫌」「つらい」などの強い感情と一緒にその出来事が記憶されているからだと思います。

それはなぜか。


先にも書きました通り、外からの情報はまず「後頭葉」で処理されるのですが、感情を伴う記憶というのは、直接「海馬」へ運ばれる、と言われているんです。

つまり「後頭葉」と言う場所を、一度介すると言う「手順」をすっ飛ばすことができるので、ダイレクトに「海馬」に運ばれることで、強く記憶に残る、と言われています。



実は「海馬」というのは非常に脆くて、破壊されやすい部分と言われています。そして記憶力を鍛えるためには、海馬の破壊を少しでも抑えることも大切なのですが、実は、この様に強烈な感情を伴った体験をする、と言うことも海馬にとって活性化させる要因の一つになっていると言われています。


ただし!
あまりネガティブな感情を伴う刺激というのは、違う意味でメンタルヘルス上、良くないので、ボクがおすすめするのは「感動すること」「喜ぶこと」そんな感情を伴う体験を、沢山経験することをオススメします。



「記憶」と「感情」というのは、切っても切り離せない関係なのです。

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