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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年10月18日水曜日

結局さ、うつ病には運動がいいの?薬がいいの?どっちなの?!

 ボクのblog内に「カウンセリングなんて…って思っている人へ」と言う全3回のシリーズの中で、ボクの『チョー持論』で「うつ病に対する運動の効果を検討した研究には“バイアス”がある」と強く主張してきました。

ここにきて、面白い研究結果がでてきましたので、少し紹介したいと思います。

バイアスとは…
一般的には偏りや傾向を示す概念のことです。統計学では、測定値と真の値との間の系統的な差異を指します。これは、測定器具の誤差や観察者の主観などにより生じるものであったり、また、機械学習においては、モデルが真のデータ分布を適切に捉えられないことによる誤差を指します。



Antidepressants or running therapy: Comparing effects on mental and physical health in patients with depression and anxiety disorders(原文タイトル)

この研究報告は、「感情障害ジャーナル(Journal Of Affective Disorders)」と言う雑誌に掲載された介入研究です。

介入研究とは、ある疾患や障がいをもった人達をいくつかのグループに分け、それぞれ違った治療法をしその後の治療成績を比較する研究のことです。


うつ病または不安症の診断を受けた141人の患者が参加。患者は2つのグループに分かれ、1つは週に2回、みんなでランニングプログラムに参加するグループ。そして、もう1つは選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)と呼ばれる一般的な抗うつ薬を服用するグループです。どちらも16週間のプログラムでした。

結果から言いますと、研究期間の終了時に、両グループそれぞれ約44%の人に症状の明確な精神的健康の改善が見られ、寛解と見なされています。しかし、グループの間には大きな違いもありました。つまり、『運動をしても抗うつ薬を飲んでも効果は変わらない』と言う結果だった、といっているのです。


ほれ見たことか!!


そして、この研究の興味深いところは、対象者を2つのグループに分ける時に、まずは「無作為に分ける(患者が運動するグループになるか薬を服薬するグループか選べない)方法」と「対象者が好きな方法を選ぶ方法」のどちらかにするのかを対象者が選択する、と言うところから始まります。


そして、「対象者が好きな方法を選ぶ」を選んだ対象者のうち2/3がランニングを選択肢したそうです。そしてランニンググループの参加者のうち、16週間のプログラムを完全に守ったのは52%だけでしたが、一方、抗うつ薬を服用していた人のうち82%がプログラムを遂行していたのです。




つまり、自分自身で「ランニングします」と言っておきながら、16週間、週2回のランニングのプログラムをやり遂げたのは「たった52%だった」と言うことです。


ほれ見たことか!!


この論文を発表したBrenda Penninx教授は、「抗うつ薬は一般的に安全で効果的です。ほとんどの人に効果があります。うつ病を全く治療しないことは悪化を招きます。なので、抗うつ薬は一般的には良い選択肢とされていますが、抗うつ薬に反応しない患者や、服用する意志のない患者も存在するのです」とPenninx教授は述べています。

運動は患者にとって魅力的な代替手段かもしれませんが、この研究でランニングを続けた人の割合が低かったのは、多くの人がルーティンを維持するのにサポートが必要であることを示唆しています。またPenninx教授は「患者に走るように言うだけでは足りません。運動療法を取り入れるには、適切な見守りと励ましが必要なのです」と付け加えています。


結局のところ運動は「誰かと一緒、または励まし導いてくれる人がいると継続できる」「一人で継続して行うのは困難」だと言うことですね。

ボクのblog「医療従事者の言うことは絶対に守るべし?!コンプライアンスとアドヒアランス」にも記載しましたが、セルフケアと言うのは、継続することが非常に難しいです。「それが健康のために良い」とか「病気を改善してくれる」と分かっていても、もともとの習慣がなければ、続けることは難しいのです。


志を同じくし、互いに励まし合いながら切磋琢磨する…「同志」のような存在が必用なのです。



決めました。
実はボク、最近になって体重が増えていたんです。
運動します。だって近くに市のスポーツセンターがあるんですよ。しかもボクは身体障害者なので利用料が無料です。

ただね~やっぱり一人じゃ…って思ってスポーツセンターのサイトを確認したら、毎週木曜日にエアロビクスをやってるんです!ボクが唯一「楽しいと思ってやれるスポーツ」がエアロビクスなのです!(あとヨガも好きです)
もう、やらない理由がありません。

2023年10月17日火曜日

伝統を守るとは?そもそも“伝統”って何?

 8月の終わり、ボクの地元の神社のお祭りがありました。ボクも役をいただいたので、土日と参加してきたのですが、このお祭りについて母に色々話を聞き、「伝統を守っていく」と言うことは、どういうことなのか、そしてその本質はどこにあるのかと言う事を考えさせられる出来事でした。

また別の機会に、とあるコミュニティに参加した際、ボクは良かれと思ってした行いが「それは伝統違反です。分からなければ先輩にその伝統と概念を聞いて理解した上で参加して下さい」とお叱りをうけ(笑)少々、ご立腹のボクは、この「伝統」とはどういうことなのか、深掘りしたいと思い今回の記事のテーマにしました。



伝統とは…
伝統とは、古くから受け継がれてきた、しきたり・様式・傾向・思想・血筋などの有形無形の系統のことです。伝統は、民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い、伝えてきた信仰、風習、制度、思想、学問、芸術など、さまざまな分野において存在します。伝統は、普遍的な価値と精神性、歴史的な存在意義として継承・伝承されていきます。しかし一方で、本来は「伝統」ではないものが「伝統」として広まることもあり、これらは「創られた伝統」、「伝統の発明」、「伝統の捏造」等と呼ばれます。




ボクの参加した、地元の神社のお祭は、毎年8月最終週の週末に行われます。古く続くそのお祭りは「神楽舞」と「奴踊り」を神様に奉納しています。



この神社の氏子は5つの地区の人々から成り立っています。そしてこのお祭りも、その氏子たちが執り行うのですが、実は以前からの「しきたり」として人足を集める時、それぞれの役は決まった集落からしか出せない、と言うものがありました。

例えば、
奴:A地区 神楽舞の子ども:B地区 神楽舞の獅子:C地区 お囃子:D地区 旗持ち:E地区、のように。 
また、役をやるのは全て男性のみ。とか。

昔はこのようなしきたりでも問題ありませんでした。しかし、少子高齢化が著しい「限界集落」のこの地域で、このようなしきたりを守っていくことは非常に困難になってきています。

ある特定の地区だけから子どもを選出すると言うことや男性だけで役を担うということは、とても困難を極めていて、どこかで何かを妥協するしかなくなってきていたと言う事実があります。

そこで10年ほど前より、氏子総代が集まり、これらのしきたりを一部緩和したと言うことでした。例えば、女性も参加して良い、とか、子どもの役はどの地区から選出してもよい、とか。


ボクは個人的に、それはとても素晴らしいことだと思っています。そもそも、なぜ「役割を選出する時にその地区からしか選出しなければならない」とか「男性のみ」などのしきたりの『意味』は何なのか、と言う事だと思うんです。「そうでなければならない理由」「筋道の通った理由」と言うものがあるのでしょうか?

おそらく今の世に生きている氏子たちに明確に理由を答えられる人はいなかったのでしょう。それよりも「このお祭りを継承していく」事が重要と考えの結果だと思います。

お恥ずかしい話し、ボクは祖父が生きていた頃は、毎年、祖父の運転する自転車の後ろにまたがり、連れてきてもらっていました。ボクが小学4年生の時に祖父が他界し、中学生になるころにはもう、興味もなくなりお祭りを見に行く、と言うこともなくなりました。まあ言ってしまえば「毎年やっている同じこと」「代わり映えしない古い行事」のようにとらえていたのは事実です。

そこで、今回、せっかく役をもらったので、この神社の由来というものを調べてみました。と言っても、神社にある看板等をヨク観察しただけですが(笑)。


「南宮神社由来」
伝えるところによると、奈良時代、原村(はらむら)に住む大坪家の祖先が「東西を清流に囲む土地に移りなさい」という夢のお告げを聞き、同村の御手洗の池の中に神像を見つけ、養老元年(717年)是本(これもと)、中桐(なかぎり)、西洞(にしぼら)、印雀(いんじゃく)、原(はら)の5つの村民の協力を得て、中桐村宮切の現在地にお御堂を建立して祀った。
社殿は流造の本社(間口二間、興行二間)と拝殿(間口五間、興行三間)で、本道狛犬二体、御神体(金山彦命)、板獅子など文化財に指定。この社は宝暦四年に始まる宝暦騒動で郡内130余の村の百姓代が集まり、検見取廃止の相談傘形に連名をした舞台である。
創祭は、毎年8月末土日に奴踊(重要文化財)と大神楽が奉納される。
(平成18年2月吉日)
(一部、誤訳・誤字の可能性あります。スミマセン)

(この看板は郡上一揆について書かれています)


この神社の始まりは奈良時代となっています。710年(和銅3年)から784年(延暦3年)までの74年間と言われていて、今から約1500年ほど前の話になります。そしてそもそも、『神楽舞』や『奴踊り』をこの時期に執り行われる「意味」は何なのか。

『神楽舞』というのは神社で行われる祭礼の際に、神様に対して祈りと感謝を伝えるために奉納される舞のことで、神楽舞の起源は、豊作・豊漁を願い、疫病を追い払う儀式として舞われたと言われています。神楽舞は、1600年以上の歴史を持ち、全国に広まりながら様々な形で伝承されています。その起源は、紀記説話の中の「天岩戸(あまのいわと)伝説」にまで遡るともいわれます。

一方『奴踊り』というのは、奴踊りは、江戸時代の武家の下僕であった奴の姿に扮して踊る民俗芸能です。唄や囃子、楽器に合わせて上体を前後にゆすったり、首を左右に傾け前進するユーモアたっぷりの踊りです。旧藩主たちの参勤交代の先頭役をする「奴さん」の仕草を舞踊化したものとの説もあります。


ここで少し、矛盾が生じます。
この神社で奉納されている『神楽舞』と『奴踊り』には、その派生に時代的なズレがあるのがおわかりでしょうか。

『神楽舞』に関してはおそらくこの神社を建立し、神様が祀られた時期とほぼ同時期に執り行われるようになったと思います。時期的に「豊作祈願」が意味合いとして大きかったのではないでしょうか。

しかし『奴踊り』の発祥は江戸時代です。この神楽舞のおおよそ1000年も後の発祥です。

この2つが「あたかも同じ様な意味合いをもたせながら今に受け継がれている」というのはとてもとても不思議な感じがしますよね。

そしてなぜ、神事というのは「女人禁制」なのか。
その疑問を紐解くと、古くは、女性は穢れ(けがれ)ているとされ、清浄を重んじる神社の神事には遠ざけられてきました。また、女性の「月の物」に関連する概念は「(生死に関わる事なので)不浄」とされてきた事に由来するそうです。


何を伝えたいのかというと、「伝統」として今の世に受け継がれてきているものと言うのは、そもそも「ソレを」「どうやって」「何の意味で」行うのかと言うことを、『始めに考えだした人たちがいる』と言うことと『時代とともにその形が変わっている』と言うこと、そして『そのやり方自体も変化している』と言うことです。

ボクが参加したこの神社のお祭も、もし「どの役割をどの地区の人が担う」と言う“形”を取り続ける事が第一優先になっていたら、とうの昔に廃止となっており、今の世に受け継がれてはいなかったともいます。

そしてボクが考えるに『奴踊り』と言う「芸能」の文化が“後付”され、本来は『神事』であった」はずのお祭りも『楽しみごと』として変化しています。



おそらくこの様な『このお祭りにどのような意味・意義があっていつから始まっているのか』という事はある一部の人しか知らず、多くの人は「それを昔から行っていることだから続けていくことが当たり前だ」の様な感覚で受け継いでいるのではないでしょうか。

ボクはそれが良い・悪いの話しをしているのではなくて、その様に変化している事が事実としてあり、そしてそれは致し方のないこと、あるいは当たり前のことだと思っています。



『伝統』と呼ばれるものは、その時代・その時代にあった形・方法に変化していく部分と、変わらない部分があって、それは必然であり、それがなければ長く伝えられないと言う事実がある、とボクは思います。

2023年10月13日金曜日

うつ病や双極性障害の自殺(“死”に関する記述あり要注意)

 今回は、少しセンシティブな話題に触れたいと思います。

※現在メンタル不調を感じておられる方の閲覧はおやめ下さい。




 

ボクは双極性障害です。以前は「うつ病」の診断名でしたが、抗うつ薬の変更に伴い躁転したことをきっかけに「双極性障害」と診断されました。その間、何度かメンタルダウンを経験し、仕事を休職する事が何度もありました。

うつ病(抑うつ感)の気分とは、どのような気分なのかと言うと次のような事が言われています。

・絶望感
・孤独感
・無価値感
・無力感
・絶望感
・ふさぎ込み
・悲観的
・懐疑的


ボクもやはりこの様な気分になり、とてもつらい経験をしました。実はそれまでは「消えてしまいたい」と思う事はあっても、具体的にいつ、どういう手段で自死するか、と言う事を考えたことはありませんでした。しかし2年前に大きくメンタルダウンをした時は「自死したい」と心の底から考えた事があります。これは体験した方でしか分からないのですが「消えてしまいたい」と言う気分と「自死したい」とは全く別物です。


「消えてしまいたい」というのは必ずしも自死することではなく、今、この時に自分の存在が消えてしまえれば良いのであって、それはイコール「死」ではないということです。

「自死したい」というのはまさに「生物学的に生命活動を、自ら断つ」と言うことを意味します。そのため、具体的にどうやって、何を使って、どこで、などを考えます。


世界保健機関(WHO)「Preventing Suicide: a global imperative」(2014)では、自殺で亡くなった人のうち精神障害のある人は90%であり、自殺の生涯リスクは気分障害(適応障害・うつ病)4%、アルコール依存症7%、双極性障害8%、統合失調症5%と推定され、精神障害が2つ以上ある人は自殺の危険が有意に高いと記されています。


ここからはボクの『ちょー持論』です。

うつ病(抑うつ状態)の方が「死にたい」と思うののは「希死念慮」ではないかと思います。希死念慮はどのようにして生まれてくるのか…どちらかと言うと「生きている意味がない」「死んだら楽になれる」と言うどちらかと言うと「ボヤッ」とした理由からである事が多いように思います。

双極性障害の方の「死にたい」はどちらかと言うと「自殺企図」に近いと思います。「自殺企図」というのは先に書きました通り「どんな方法で」「いつ」「どこで」など具体性をもって考えることです。


双極性障害の特徴として、躁とうつの時期を反復することが知られていますが、躁の時期に後先考えない行動をとったり攻撃的になったりします。具体的には多額の借金をして必用度の低い買い物をしてしまう、とうてい現実不可能なプロジェクトを立ち上げ押し付ける、口論をするなどの行動があり、周囲の人を振り回すことで信頼を失っていきます。

そしてうつ期に入ると、それまでの自分自身の行動を省みることで、強い自己嫌悪感や自責の念が襲ってきます。「大切な人を傷つけてしまった」「皆から見放された」「返済できない借金をしてしまった」など強い絶望感に襲われます。つまり、うつ病のそれとは少し違い、自分のした行いに対して取り返しのつかない事態になったと強く認識することで、「生きることが困難になった」と感じるよりも「社会生活を送ることができなくなった」と考えてしまいます。

自死に対する思考というのは、一度それにとらわれるとなかなかそこから脱する事が困難なことが多く、支援してくれる機関やサービスがあるのに、それを客観的に考えることができず、「これ以上、周囲に迷惑はかけられない」「他人に迷惑をかける自分は、この世に存在しないほうが良い」など「死以外の選択肢はない」と強く考えてしまいます。


そして、ここからは僕の実体験です。

約1年前、ボクは絶不調で、仕事を休職したり復職したりの繰り返しでした。休職していたある日、朝からソファに寝転がりずっと「どうやって死ぬか」ばかりを考えていました。多分、2~3日続いたと思います。朝も夜もなく、時間的な感覚も薄れていたので記憶が曖昧なのですが、きっかけはやはり「大切な職場の理解者を傷つけてしまった(に違いない)」「ボクは今の職場に必用な存在ではない(に違いない)」「これ以上、生きていては迷惑をかけるだけ(に違いない)」と考え、とにかくどうやって死のうか考えていました。

ただ、その方法を考えれば考えるほど、「死んだ後、誰かに迷惑をかけてしまう」と言う結論になるんです。①血をたくさん出す方法②息ができなくなる方法③薬をつかう方法④車や電車に立ち向かう方法、どれをとっても誰か彼かに迷惑がかかります。

ボクは一人暮らしですので、①~③を実行するのはもちろん一人暮らしのマンションの部屋。まずは大家さんの顔が浮かびました。大家さんとは何度も顔を合わせたこともありましたし、そのお人柄も知っていたので、その大家さんに迷惑はかけられないから却下。④は例えば電車に乗っている人とか鉄道会社、車の運転手さんや巻き添えになった歩行者など多くの人に迷惑をかけるから却下。

最終的に思ったのは、失踪。今、この場所じゃないところへ行って①~③の方法をとると言うこと。けれど、今の部屋をどうするか。解約するにしても荷物がたくさんあるし、それをきれいに運び出したとしてもそれをどこで処分するか。そんな面倒な事は却下。

それよりなにより、ボクが自死することで悲しむであろう母や姉、義兄や甥や姪がいる。


「これ以上、人に迷惑をかけたくない」から自死を選ぶのに「死んだら迷惑がかかるから」と言う思考のパラドックスがあったのと、大切な人の存在があった。



厚生労働省のサイト「こころの耳」にはこう書かれています。

自殺の危機にある人は、生死に関して両価的であることが多い

つまり「死にたい」と考えながらも同時に同じくらいの熱量で「生きたい」とも思っているということです。まあ、ボクの場合は「死ぬことを諦めた」と言う感覚に近いのですが(笑)

そして、自死を選択しようとしているひとには予兆があることが多いと言われています。その予兆を感じ取った時に、どのような行動を取ればよいのか、それを上記サイトでは下記のように伝えています。


サインを感じ取ったら「TALKの原則」で対応することが必要です。
TALKとは、Tell、Ask、Listen、Keep safeの頭文字をとったものです。

Tell:あなたの様子をみていると、とても心配になるという点をはっきりと言葉に出して伝える。

Ask:自殺のことをうすうす感じているならば、はっきりとその点について尋ねる。誠実な態度で対応するなら、それを話題にしても危険ではなく、むしろ自殺予防の第一歩になる。

Listen:傾聴する。徹底的に聞き役に回り、相手の絶望的な気持ちを真剣に聴く。

Keep safe:少しでも危険を感じたならば、安全を確保する。その人を決してひとりにしないで、医療機関につなげる。


  

   

  


本日、お伝えしたのはボク自身の体験が主ですので、同じような精神疾患をもっているからと言って、同じ様な思考をするとは限りません。個々人での感じ方、考え方、もっと言ってしまえば人生観や倫理観、哲学など、その人が「生きる軸・芯」みたいなものがベースにあるので、全ての人に当てはまるわけではない、と言うことは強く強調しておきます。



ただ、自死することは勿体ない。

非常に勿体ない。

と、これだけはお伝えしておきます。

2023年10月12日木曜日

ふとした時に思い出す人①場面緘黙(かんもく)の同級生

 皆さん、ふとした瞬間に思い出す人、一人や二人いますよね?
初恋の人、同級生、元職場の同僚、祖父母などなど…すごく近しい存在だった人の場合もあるしそうでない場合もありますが。
今日は、ボクがふと思い出した小学校の同級生についてお話したいと思います。



ボクの通っていた小学校というのは、本当に田舎の学校で、1学年1クラス。ボクの学年は、全員で27人でした。

そのうち男子が9人。

ボクが今日、ふと思い出したのは女子Aさんです。

原因は分かりませんが、彼女は「話せない」人でした。言葉は理解できていて、指示された動作や行動もでき、運動機能などはなんら問題はないのですが「話せない人」だったんです。

ボクが住んでいた地区とは離れて住んでいたので、放課後とか休日とかに会うこともなく、学校でも一緒に遊んだ記憶もないのですが、彼女の声をボクは知りません。しかし噂では「自宅やごく親しい人であれば話せる」とは聞いたことがありました。

おそらく知的障害でも発達障害でもなかったと思います。むしろ、心の病気…だったのでしょう。


せっかくの機会と思い、そのような心の病気の事を何と言うのか、調べてみました。

場面緘黙(かんもく)』というそうです。

ボクは子どもながらに、彼女の事をとても不思議に思っていました。「耳で聞こえているのに、先生の言うことは聞けるのに、どうしてしゃべれないんだろう?」と。ボクは、自分自身との違いを持つその彼女を遠巻きにみていました。そして何だか“簡単に触れてはいけない何か”を感じ取っていて、ボク自身から彼女に話しかけたり遊びに誘ったりした記憶はありません。

日本場面緘黙研究会の公式サイトによると「不安症(不安障害)の一種」との見解がありました。


不安症(不安障害)とは…
不安は本来、脅威や精神的ストレスに対する正常な反応です。正常な不安は恐怖に根ざしており、生きのびるための重要な機能として働いています。しかし、その場面にふさわしくない状況で不安が沸き起こったり、日常生活に支障をきたすほどの症状(息切れ・めまい・はっかん・動悸など)が出現すると、『不安症(不安障害)』と診断されます。

代表的なものに
パニック障害
社交不安障害
強迫性障害
全般性不安障害
などがあります。



もう40年ちかく前の話なので、当然スクールカウンセラーなどはおらず、おそらく担任の教諭と養護教諭で何らかの対応をしていたとは思うのですが、なんせ田舎の小さな小学校、特別支援学級などなく、ボクらと同じ教室で机を並べて学校生活を送っていました。

田舎の小学校なので(何度も繰り返しますが)担任の教諭と言うのは、1~2年生、3~4年生、5~6年生と2学年続けて同じ教諭でした。どの学年の教諭も必ず一度は彼女に「皆のまえで口頭で何かを発表させる」と言うチャレンジをさせていた記憶があります。

ボクはそんな場面に遭遇すると「しゃべられないのにどうしても無理にしゃべらそうとするんだろう?」「無理やりやらせるなんてかわいそう」そう思っていました。ただボクもどちらかと言うと気が小さい方なので(笑)それを堂々と口にして大人に立ち向かうだけの勇気を持ち合わせていませんでした。


1990年のWHOが設定したICD-10(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)には「選択性緘黙」として疾患名が記載されており、情緒障害に含まれるとされていたようです。そう考えると、ボクが小学生の頃の彼女というのは、ある程度「心の病気」として認識されつつあったのかも知れません。



小学校を卒業して中学校に入学。
中学校は、いくつかの小学校区から児童が集まりますので、1クラス45人の全5クラスだったと思います。ただ、Aさんとは一度も同じクラスになったことがありませんでしたし、高校進学時に彼女の存在すら忘れていたので、その後、彼女がどのような人生を歩んでいったのか、全く分かりません。




ただ今は、場面緘黙に対しての治療方法がある程度確立されていて、「行動療法」特に「段階的エクスポージャー法」や「トークンエコノミー法」「SST(ソーシャルスキルトレーニング)」なども行われているそうです。

詳しい方法は割愛させていただきますが、キチンと「心の病気」と言う認識がなされていることに、少し安堵しました。彼女のような場合や、最近話題の「大人の発達障害」でもそうですが、「子ども本人のヤル気の問題」「親の躾の問題」など“誰かのせい”にしなくて良いと言うのは1つの安心材料ではないでしょうか。

ただ、ボクのblog「10月10日は世界メンタルヘルスデー!!」でも書きましたが、病気や障害に対する偏見差別というのは後を経ちません。



彼女のその後の人生の中で、偏見差別と言う障壁が少しでも少なくなっていることを祈るばかりです。


2023年10月10日火曜日

錆び付き症候群って?キャリア・アップチェンジから考える心理的レジデンス

 医療従事者やボランティアで活動されている方が陥りやすい心理的状態で『燃え尽き症候群(burnout syndrome)』という名前は、みなさんも一度はどこかで聞いたことがあると思います。今回、取り上げる『錆び付き症候群(rusteout syndrome)』というのは、一見、燃え尽き症候群と同じ状な状況ではあるものの、心理的にはもっと違った問題をはらんでいると言われています。



燃え尽き症候群とは…
それまで意欲を持ってひとつのことに没頭していた人が、あたかも燃え尽きたかのように意欲をなくし、社会的に適応できなくなってしまう状態のことをいいます。

今まででも、自分自身を「あの時は燃え尽き症候群だったかも…」と公言する有名人はたくさんおり、賀来賢人さん、星野源さん、小栗旬さん、山田裕貴さん、窪田正孝さん、そして宇宙飛行士の野口聡一さんもそうであったとのことです。






イメージとしては、「やりたい!」と思っていたことを思いっきりできて、それが自他ともに認めるほどの功績を残し「やり遂げたあとの無力感」とでも言いましょうか、風船が一気に破裂した感じ、とでも言いましょうか。


燃え尽き症候群も、放っておくと良いものでは有りません。慢性的なフラストレーションや自己嫌悪感、最終的には無気力感に襲われてしまいます


今回の話題は、この『燃え尽き症候群』と似ているけれども、その心理的状態に違う状態を示す『錆び付き症候群』について掘り下げていきます。


実はこの『錆び付き症候群』というのは、1970年代頃に言われ始めていたことではあるのですが、近年、仕事におけるキャリア・アップを考える時に、注意しなければいけないこととして取り上げられるようになりました。

錆び付き症候群とは…
日々の業務ややらなければならないことに忙殺されて、やりがいや充足感が欠如しており、“本当に目的が欠如している感覚”の事を言います。

キャリア・アップチェンジ(スカウトなどで引き抜かれたり、自分自身のキャリア・アップのために転職し、その先でそれまでの職位より良い職位になったり給与がアップした時)の際、自分自身が思っていた仕事の内容と違っていたり、自分自身の理想と思っていた職場環境ではなかったりした時、仕事量やその責任は増えたにも関わらず、退屈と感じてしまったりヤル気が起こらなかったりする事があります。

これって実は、ゆっくりとその人を腐食していき、実は自分自身が気づかないうちに「錆びついて」行くわけです。


『燃え尽き症候群』とは違い、ジワリジワリと侵食していくという意味で『錆び付き症候群』というわけです。

燃え尽き症候群とともに錆び付き症候群にもキチンと対処していけるかどうかという、『心理的レジデンス』にも挙げられるようになっています。


心理的レジデンスとは…
「脆弱性(vulnerability)」の反対の概念で、自発的治癒力の意味としても使われていますが、その人自身の不利な状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義されています。

環境が変わらないのであれば自分が変わる・変われる、そんな概念と思っていただければと思います。



仕事をしていく上において、錆びついていかないようにするためには、2つの方法があると僕は考えます。

一つは上記に示した通り心理的レジデンスを高め、その環境に合わせて自分自身を変えていくこと。

もう一つは、退職・転職すること。


正直、後者の方が楽ですよね。ある意味。特に資格職であれば、尚更です。少し、乱暴な言い方をすれば「自分の能力が低いからではなくて、その職場環境が悪いから」という理由を盾にしてしまえば良いわけですから。僕も、そういう人達を何人も見てきました。

これは僕の肌感覚であってちゃんとした統計を取っているわけではないので、根拠はないのですが、こういう考え方をする人って、医療従事者、特にコメディカルスタッフに多いような気がします。もちろんそんな人ばかりではないですよ。

ただ、そういう対処法をする人というのは、そういう対処法でしか対処できなくなり、言葉は悪いのですが“逃げ癖”がついてしまいます。人としてというか、職業人として生活していく上で、果たしてそれは、どうなのでしょうか?


良い悪いの判断ではないかも知れませんし、善悪の判断でもありません。どの方法をとるのかは、その人の人生哲学であったり生活環境であったり、社会的背景であったり生育歴であったり、そういうものに左右されることだと思うので、個々人の価値観だと思います。

ただ、『真の意味でのキャリア・アップ』を望むのであれば、『錆び付き症候群』ともしっかりと向き合う必要があるのではないか、と僕は思います。

僕が臨床で実習生を受け持っていた時、実習生さんによく「どんなところに就職したいの?」と聞くのがルーティンでして、そこから話題を広げることが多かったのですが、よく実習生さんから言われたのは「勉強ができるところ」という答えです。言い方を変えると、その答えの裏には「勉強を教えてくれるところ」「勉強をさせてくれるところ」という意味合いが強いように感じていました。
ですので僕はよく「勉強は自分ですることであって、しようと思えばどんな環境でだって勉強はできるんだよ」と諭していました(ウザいバイザーと思われてたと思います)。


Teena J Clouston氏は『この錆付き症候群』を回避するために必要なこととして以下の3つを挙げています。

①自分の価値を見つめ直す
自分にとって意味のあることは何かを見直して、そのための時間を作ることをする。そのために日々のルーティンを変えるなどの方法をとる。。

②どんな事に満たされるのかを見極める
たいていの人は、自分が満たされていると思う方向に導くコンパスを持っている。そのコンパスに従って行動する。しかし「自分が満たされていると思う方向」というのは流動的で変化するものであるため、それを敏感に感じ取る必要がある。

③“積み荷”のバランスをとる
自分自身を「船」と思い、そこにどんな荷物をどれくらい積むのかをよく検討する事。

つまり、「内観すること」が大切と言っています。


また、ある方はこのように言っています。

「自分の能力を錆びつかせないようにするには、自分自身を磨くしかありません。職場ではやりがいがないのなら、それ以外の場所で自己研鑽することも一つの方法です」
とし、例えば、資格に挑戦する、語学の勉強をする、ボランティア活動をするなどです。

僕は、この方のアドバイスにはもう一つの側面があると思っています。
それは、職場以外での自己研鑽が、実はその後の仕事に活かされる事が往々にしてある、ということです。そして究極の自己研鑽は『生涯学習』です。


ここからは僕の『ちょー持論』なので、ご承知おきを(笑)

『自己研鑽』『生涯学習』というと、「ステップアップ」というニュアンスが強くて、「一つの物事を追求する」という意味合いに取られる事も多いと思います。しかし、僕は違うな~と思っています。


究極の『生涯学習』とは「見聞を広げること」だと思っています。

常にアンテナを張って、色々な事にたいして情報収集し、多様な価値観や倫理観を知り、それを自己の中に取り入れながら「自分」というものをブラッシュアップしていく、そんなイメージだと僕は思っています。

僕はそれを実践し続けている人としてご紹介したいのは『若宮正子』さんです。


「世界最高齢プログラマー」として最近、メディアに出られる機会も増えていますので、ご存知の方も多いと思います。

詳しくは割愛させていただきますが、僕は彼女のような生き方に憧れを抱きます。




僕はHIV感染症という病気を持っていて、平均余命まで生きられるとは言われていますが、果たしてそれが本当なのかどうかは、まだ未知の領域です。AIDSの報告が世界で初めてなされたのが1981年のアメリカからです。まだ40年ちょっとしか経っていません。

ですので、僕自身、何歳ごろにどんな病にかかり、どんな死に方をするのか分かりません(まあ、それは皆さん同じですが(笑))。だからというわけではないのですが、尚更、錆びついていく事は、僕の「信条・信念」ではありません。



自分自身がどう生きていくのかは自分が決めること。誰かが決めてくれることではありません。

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 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...