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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年10月8日日曜日

医療従事者の言うことは絶対に守るべし?!コンプライアンスとアドヒアランス

 例えば糖尿病・高血圧症・HIV感染症・肝炎・通風などの内科的疾患から、変形性関節症・椎間板ヘルニアなどの整形外科疾患、双極性障害・統合失調症などの精神疾患にいたるまで、「治ることはないけどお薬やリハビリ、食事・運動・睡眠などの生活習慣などで症状を軽減することのできる病気」つまり『慢性疾患』というのは、医師や医療従事者と、長い長いお付き合いが必要ですよね。

僕も、その当事者なので(笑)イチ患者として思うのは、時々、嫌になる(笑)
「薬を飲む」くらいなら良いけれども、食事に気をつけるとか運動を継続するとか、時々、嫌になる(笑)

もちろん、遺伝的要因が大きい疾患もあるので一概には言えないけれど、どうしたらそれらの疾患の進行を遅らせて合併症を防いでいくか、と言うのは、言ってしまえば「当事者である患者さんの気持ちひとつで変わる」と言うのは容易に想像がつくでしょう。



『コンプライアンス』という言葉は、よく耳にすることが多いと思いますが、「compliance」という英語の名詞形で、「従う・命令に応じる」という意味です。現在の日本においては「法令を遵守する」という意味で、一般企業が使う言葉になっています。

医療における『コンプライアンス』というのは、「患者が医療従事者の指示通り治療を受ける」という意味で使われるのですが、例えば以下のようなことです。

・指示通りに薬を服薬する。
・決まった時間に血圧を測定する。
・決まった時間に血糖値を測定する。
・食事の塩分量を規定以内に抑える。
・体重を規定以内にコントロールする。
・指示された方法で運動する。

などでしょうか。
「コンプライアンスが良い」というのは、「医療従事者の指示通りにキチンとそれらが行えている」という意味で、「コンプライアンスが悪い」というのは「指示が守れない」という意味になります。

こうやって書いてみると、「やらされている感」が強いですよね。

患者当人にしてみたら「言う通りにすることが一番良いって分かっている“けど”」という気持ちがあると思います。僕だってそうですもん。面倒だし、食事だって美味しくないし、運動すると疲れるし。


そこで、少し見方を変えて『アドヒアランス』と言う言葉で考えてみたいと思います。「adherence」の名詞形なのですが「固着・執着」という意味なのですが、医療の現場では「患者が医療従事者の提案する治療方針の決定に賛同し、積極的に治療を受ける」という意味合いになります。

先程の『コンプライアンス』と大きく違うのは、患者さん本人が、どれだけ主体性を持って治療に関わるのか、ということに主眼を置いたのが『アドヒアランス』という言葉・考え方なのです。



なぜ、この記事を書こうかと思ったのか…実は先日、僕が体験したことがありまして。

ここ2年位、歯科を受診して口腔内のメンテナンスをしていなかったのです。そこで、自宅近くで通院しやすい開業歯科医を見つけて、行ってみたのですが、とてもすばらしい取り組みをされていまいた。

初診で行って、まず、歯科衛生士さんが口腔内を一通り観察し、歯周ポケットの深さを測り、う歯(虫歯)の状態をチェックすると、「レントゲンとお口の中の写真を撮りますね」と。まあ、レントゲンは普通ですよね。で、再び診察台の上に寝っ転がり、様々な道具を駆使して、正面・正面右・正面左・口腔内下・口腔内上をデジカメで撮影しました。そして、診察台の眼の前にあるディスプレーに、今、撮影した僕の口の中の画像を、デカデカと表示させるんです(汗)


(通院している歯科医の公式サイトから)

正直、めっちゃ恥ずかしかった。

歯並びが悪いとかもあるし、昔、喫煙していたので色が黄ばんでいることに加え、歯肉が腫れているんです。ずぶの素人の僕が見ても分かるくらいに。それを見ながら、歯科衛生士さんが懇切丁寧に、説明してくださったんです。

いや~ショッキングっていうのもあったし、恥ずかしさもあったし、でもそれと同時に、「これはヤバい!!」という気になったんですよ。僕の心に火が付きました!!


とにかく、歯肉の腫れを抑えるためには歯石をしっかり取って、そこに歯垢が溜まらないように、毎日のメンテナンスが大切なんです、と説明を受けました。

確かに、頭では分かっていました。日々のメンテナンスが大事だということは。

少し、話が逸れますが、僕の父は歯周病が酷く、40代で総入れ歯になった人だったので(笑)そうはなりたくない、とは思ってはいたのですが、今までの自分自身のメンテナンスが十分であったか、と言われると自信がありません。唯一、自慢?できるのは、ちゃんとした電動歯ブラシを使っていることくらいで(爆)



歯磨き粉も結構、お高いのを使ってたし。

そこで、初診の時、とりあえずその日のクリーニングが終わった時に、単刀直入に効きました。僕の今やっているメンテナンスに何が足りないのか、を。

それはズバリ「デンタルフロス」「歯間ブラシ」を使うこと。だと。


僕は、普段このタイプの糸ようじを常備はしていたのですが、したりしなかったり。それに、う歯を治療した後の被せ物(クラウン)のところに引っかかってしまい、とても使いづらいと思っていて、正直、嫌気がさしていた。
それを歯科衛生士さんに相談したら、「歯間ブラシ」を勧められました。


どっちでもいいので使ってみて下さい。と。
僕は、その歯科からの帰り道に、すぐ買いに行きましたよ。そして、毎晩、寝る前のブラッシングの後、この歯間ブラシを毎日使うようになりました。

通院しだして2~3回目からでしょうか。歯科衛生士さんは毎回、必ず同じ方(おそらくその歯科ではそういうシステム)ですので、前回の受診の際のお口の中の状況を覚えていらっしゃるので「勝水さん、すごく良くなっていますよ!!」と言っていただけるようになったんです。

その歯科衛生士さんは、何気なくそうされていると思うのですが、称賛の言葉にとても心がこもっていて、それが聞いている僕にも分かるんです。

実はそれって、とっても大切なことなんですよね。

少し話が逸れますが、「スゴク ヨク ナッテ イマスヨ」という言葉ヅラを、ただ言うのと心から言うのとでは、言われた相手への響き方・伝わり方が違うんです(これはある意味テクニックでもあり僕は時々、このテクニックを使います)。

心のこもった称賛というのは、本当に嬉しい(笑)だから、僕も、この歯科衛生士さんに心からの称賛をもらいたいから、また自分で行うメンテナンスを頑張れる(笑)。そうなんです。褒められて嫌な気がする人はいないと思います(逆に褒められると嫌な気になる方は、精神心理的にやや病的であることも…)。


また褒められたい!!!!!


これは人間の正常な反応です。それを利用して「アドヒアランスを良くする」のです。


先日、一通り、メンテナンスが終わったので、初診時のように口腔内の画像を撮って頂きました。そして初診時と並べて見せてもらうと、ズブの素人である僕が見ても、明らかに腫れは引き、歯茎が引き締まっている。もちろん、歯科衛生士さんからも沢山、褒めていただきました(笑)。



この開業歯科医さんの患者さんへの働きかけ方と言うのは、デジカメやディスプレイを使用するというハード面、歯科衛生士さんの効果的な声掛けというソフト面、その両方から僕のセルフメンテナンスのアドヒアランスを向上させた、というお話しでした(笑)。

2023年10月6日金曜日

10月10日は世界メンタルヘルスデー!!

 2023年10月10日は、世界メンタルヘルスデーです!!



世界メンタルヘルスデーとは…
世界精神保健連盟が、1992年より、メンタルヘルス問題に関する世間の意識を高め、偏見をなくし、正しい知識を普及することを目的として、10月10日を「世界メンタルヘルスデー」と定めました。その後、世界保健機関(WHO)も協賛し、正式な国際デー(国際記念日)とされています。


シルバーリボン運動とは…
シルバーリボンは脳や心に起因する疾患(障害)およびメンタルヘルスへの理解促進を目的とした運動のシンボルです。シルバーリボン運動は、統合失調症への理解を求める取り組みとして、1993年に米国カリフォルニア州からはじまりました。どんよりとした雲の隙間からこぼれる太陽の光が、銀色に輝き、それが希望の光のようだったことから、シンボルカラーがシルバーとなりました。その取り組みは年月と共に発展し、現在では脳や心に起因する疾患(障害)およびメンタルヘルスへの理解を促進する運動として、脳や心に起因する疾患(障害)に対する誤解や偏見を和らげ、それらを抱えるご本人やそのご家族が前向きに生活することができる社会の実現を目指して、世界規模で展開されています。日本では2002年に福島県の浜通り地方(楢葉町)からはじまり、現在はNPO法人シルバーリボンジャパンが、脳や心に起因する疾患(障害)やメンタルヘルスに関する事柄に対し、多くの方々に目を向けてもらえるよう、毎年10月10日の世界メンタルヘルスデーに合わせて普及啓発イベントを行っています。


今年の『世界メンタルヘルスデー JAPAN 2023』のイベントとして、『#ココロに聞いてみよう!~私たちの日常とメンタルヘルス~』と題したトークイベントが行われます。


当日、会場での観覧申込みはもう、締め切られていました(2023年10月6日時点)が、後日、ホームページにてアーカイブ動画が視聴できるようです。ご興味のある方はぜひ、ご覧いただきたいと思います。



精神疾患をもっと身近に、そしてもしあなたが当事者になったり身近な人が当事者になった時にお役に立つと思うサイトが「こころの情報サイト」です。

比較的、メジャーな?疾患、依存症・うつ病・強迫性障害・摂食障害・双極性障害・てんかん・統合失調症・認知症・パーソナリティ障害・発達障害・不安症・PTSD・不眠症について、病気の特徴や生活する上で発生する困難、治療法についての概要を知ることができます。


もう一つ。
精神障害にも地域包括ケアシステム構築支援情報ポータル」というサイトが厚生労働省から公開されています。こちらのサイトは、どちらかというと「精神障害者支援」に関わっている人向けのサイトですが、今現在、国が精神障害者に対してどのような支援策をとっているのかを知ることができます。



ここで僕から、問題提起させていただきたいと思います。

2017年に「障がい者総合研究所」というところが『障がい者に対する差別・偏見に関する調査』というアンケート調査を行っております。この調査は、身体障害者・精神障害者の方々にインターネットを使った調査で、有効回答数326人という規模の調査結果です。

実はこの調査の前年「障害者差別解消法」が施行されているのですが、それを受けての調査でした。





上の図は、このアンケート結果の一部を抜粋したものです。
そして「身体障害」「精神障害」それぞれの中にも更に細かく分類することができるので、十把一絡げにしてしまうのは、やや乱暴な解釈の仕方だとは思います。いさらに「差別・偏見」に対する基準というのも、各々によって分かれるところだと思いますので、定義が難しいとは思います。そしてどのアンケート調査でもそうなのですが、アンケーとの答えは全て「その人の主観」で答えていて、定量的ではありません。

そのことをある程度念頭に置いてこれらのデータを見ていただきたいのですが、身体障害者・精神障害者ともに約半数の方が「差別や偏見を頻繁に、または時々感じている」と回答しています。

さらに、約半数の方が、偏見や差別を受けているのは「職場だ」と回答されています。

このアンケート調査はやく5年前のものなので、果たしてどこまで変化があったのか、とても知りたいところではありますが、僕が注目したいのは「偏見を受けていると感じているのは職場」というところです。

障がい者であっても、全ての生活を政府が補償しているわけでは有りません。生きていくためのお金が必要です。そして、そのお金を稼ぐためには労働しなければならず、その労働を行う場所が職場です。

職場で偏見・差別を受けていると感じているのであれば、その障がい者にとって、とてもとてもつらい現実であるわけです。お金が必要だから働かなければならない。けれど働く場所である職場で偏見・差別を受ける。辞めることは簡単だけれども、障がい者だから次に働ける場所がすぐ見つかるとも限らない。しかも転職した先の職場でまた同じように偏見や差別を受けるかも知れない。

そう考えると、相当のストレス・ジレンマを感じてしまうのは、容易に想像できることだと思います。


就職先を見つける際、「障害者雇用枠」という雇用条件で就活を行うことができるのですが、大体の企業がこの「障害者雇用枠」での賃金が、一般雇用とは格段に安い。これ、本当です。


この話をしだすと、色々な観点から議論しなければならなくなるので、ここではやめておきますが、障がい者がせめて今働いている職場で、できるだけ長く働けるような環境にしていただきたい。

物理的・金銭的なことだけではなくて、「人間関係」にも焦点をキチンと当てて、社内教育や人材育成を行っていただきたいと思います。

もちろん、障がい者自身も努力し続けなければなりません。「障がい者のキャリア・アップ」という考え方も必要です。



これは僕自身の戒めとしても書かせて頂きました。

家族とは?家族の意味とは?…機能不全家族

 初めて耳にする方もいらっしゃるかも知れませんね、『機能不全家族』という言葉。
一方で『アダルトチルドレン』という言葉は以前から知られています。また、以前のblog「対人援助職者要注意!共依存と言う罠」にも書きましたが『共依存』という状態なども、この『機能不全家族』に関連のある事柄です。




機能不全家族とは…
別名「家庭崩壊」もしくは「家族崩壊」ともいわれる状態で主に「親子関係に問題がある」ことで、子育て・団らん・地域との関わりと言った一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指します。一番の被害者は、自らに生活力がないためにその家庭から脱出することのできない“子ども”です。

最近では「毒親」という呼び方を耳にするようになりましたが、まさにその「毒親」が原因で機能不全家族になってしまう事もあるようです。


家族の形というのは多様で、一つとして同じものはありません。しかし、家族を構成している人(家族構成員)にはそれぞれ役割があり、また一定のルールがあるもののそれは柔軟に変化しそのルールを運用しています。そして家族構成員はその役割に満足していて、お互いに敬意と尊敬をもち、尊重することで一体感がうまれます。しかし、家族構成員の各々が変化していくことにもキチンと受け入れる…それが家族。


機能不全家族になる要因にはいくつかの原因が考えられています。
・家族構成員の様々な依存症(依存症の中には共依存も含まれる)
・親の自殺、死亡、浮気、離婚、再婚
・親からのネグレクト、肉体的虐待、性的虐待
・兄弟姉妹間での処遇格差
・家庭内暴力
・多額の借金負債

またDan Neuharthは、機能不全の要因として、健全でない親の8つの兆候を示しています。
・条件付きの愛情
・非尊重
・発言の抑圧
・感情の強制
・嘲笑
・過大なしつけ
・内面の否定
・社会に対する機能不全、または社会からの孤立



先にも書きました通り、機能不全家族において一番の被害者は“子ども”です。では、その子どもが機能不全家族で育つとどうなるか、というのが上の図に示したものになります。

きょうだい児とは…
病気や障がいのある兄弟姉妹を持つ子どものことを呼びます。彼ら彼女らは幼少期からはっきりと言葉にはできなくても家族の雰囲気や周囲との違いを感じ、親の自分に対する愛情を疑ってしまうことがあります。一方で、周りとは違う兄弟姉妹を自分が守らなければいけないという使命感も生まれることで、親から見たら「よく家のことを手伝ういい子」と思われがちな傾向もあります。

アダルトチルドレンとは…
子どものころに家庭環境によって傷ついた経験などをしてきたことで、大人になってからもコミュニケーションなどの場面で困難を感じている人のことです。アダルトチルドレンの生きづらさとして、対人関係で距離感の取り方がわからない、他人からの承認がないと不安になる、自分に過剰に批判的になる、感情のコントロールが難しいなどがあります。なお「アダルトチルドレン」とは医学用語ではありません。

ヤングケアラーとは…
家族にケアを要する人がおり、本来、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものことです。自分の時間が取れない、勉強する時間が充分に取れない、ケアについて話せる人がいなくて孤独を感じる、ストレスを感じる、友人と遊ぶことができない、睡眠が充分に取れないなどの問題を抱えていることが多いとされています。

宗教2世問題とは…
何らかの宗教を信じている親や家族、またその宗教集団のもとで影響を受けて育った子ども(「宗教2世」)が望まない信仰や宗教活動を強いられたり、親に暴力や虐待を受けたり、その教義に基づいて行動に強い制約を受けたりする問題のことです。

被虐待児とは…
虐待を受けていた子どものことです。


不幸にも機能不全家族で育ってしまった子どもには、上記のような問題を抱えていることが多く、子ども自身が収入を得、その家庭環境から運良く抜け出せたとしても、人間関係の築き方に問題があったり、何らかの心理的負担を強いられ、生きづらさを抱えている方も多くいらっしゃいます。

先に「毒親」という呼ばれ方をする親が存在すると書きましたが、実はこの「毒親」と言うのは連鎖する事が知られています。つまり「毒親」の親も「毒親」だった。そして「毒親」は加害者であり被害者であるということです。

ここでは詳細を割愛させていただきますが、この『負の連鎖』を断ち切ることと言うのは、おそらく「毒親」に育てられた子どもだけでは解決できず、何らかの支援があって、やっと抜け出せる事が多いようです。

ゲイでエッセイシストの『望月もちぎ』さんのエッセイやマンガに、彼の「毒親」っぷりが書かれていますが、彼のように(少し特殊ではありますが)周囲に沢山の理解者や支持者がおり、そしてもちぎさんご自身が様々な人生経験をしていく事で、彼自身が生きやすくなるようなテクニックやライフハックを身につけていき、今を生き抜いていらっしゃるのだと思います。


「理解者や支持者」というのは自然に集まってくるのではなく、当人がどうにかしたい・こうなりたいという強い希望と、救けて欲しい・何とかして欲しいという『純粋なSOS』を発信できる人の周りに集まってくるものだと僕は思っています。



『機能不全家族』『毒親』という話題から少し話はズレますが…

僕自身もかつて「自分の生きづらさを誰かのせい」にした時期もありました。それはきっと、「自分自身が生きづらいという事を認めたくない」事に関連していると思っています。「誰かのせい」にしてしまえば「今の自分が不幸なのはアイツのせい」であり「自分の考え方や行動の仕方に問題があるから」ではない、と思えるからです。そして「SOS」を出すことは「今、自分が生きづらいと感じている」事に直結していて「今、生きづらいと本当は思っているんだけど、それを認めてしまうと“何かが音を立てて崩れそう”」な不安感があるから『純粋なSOS』を出せないのだと思います。

自分で書いていて笑ってしまったのですが、かなり歪んでいますよね。この理論(笑)。



少し補足を。

『Dan Neuharthによる健全でない親の8つの兆候』では、機能不全家族に陥りそうな危うい親の兆候を示していますが、「あっ、自分のことだ…」とか「私、当てはまるかも」と思った方は大丈夫だと思います。その兆候に「気づけた」という発見がある間は、その事を何とかしようと心がけるからです。


先日、姉の子どもの事に関して、僕がお節介を焼いたことがあります。僕から見てその子はとても苦しんでいるのではないか、そして親に心配をかけまいとして『純粋なSOS』を出せていないだけなのではないか、と。僕は沿う感じてしまい、姉に何か手を差し伸べたほうが良いのでは?と提案しました。そして姉夫婦は色々考え、そしてその子にも問いかけをした上で僕に返事をくれました。

「子どもたちを20年間育ててきて、色んな心配をしながらも、子どもたち一個人を大切に、親の意見ではなく、子どもたちそれぞれの意見を尊重してきました」

「親って結局、見守るしかできないのです。何かしてあげたいとか、手を差し伸べたいとか思ってしまうのですが、いつもグッと気持ちを堪えるのです」


僕の中で何かが「ストン」と落ちました。なんというか「姉」は「姉」であるけれど「親」なのだなって(笑)。そして僕のお節介さ加減に、ちょっと嫌気がさしました。




最後に。
望月もちぎさん、勝手に話題に出してごめんなさい。

2023年10月4日水曜日

マインドフルネス(瞑想法・呼吸法)の医学的根拠『ちょー持論』

 最近、よく耳にするようになりましたね。『マインドフルネス』と言う瞑想法、とでも言いましょうか。スマホのアプリにもありますし、You Tubeでも沢山の“専門家?”が色んなコンテンツを紹介しています。

実は僕もやってます。アプリを使って(笑)

その方法を正しく理解して、タイミングよく使えば、気分を落ち着けたり、高ぶった興奮を鎮めたり、カタルシスを得られたり、様々な効果が得られると思います。




僕は27歳の時にHIV陽性告知を受けてから3年間くらい、月に一度、臨床心理士さんのカウンセリングを受けていました。それはHIV陽性告知を受けたことが原因で引き起こされたメンタル不調もありましたし、気軽に相談が(セクシャリティも含めて)できず、自分の中で処理しきれない感情もあったりしてお願いしていたからです。そしてメンタル不調の一つの兆しとして「不眠」がありました。僕の場合は「入眠障害」です。

入眠障害とは…
ベッドや布団に入っても、なかなか寝付けない状態。睡眠障害の一種で、ベッドや布団に入っても1時間程度経っても寝られない場合は「入眠障害」とされます。

それで、HIV診療の主治医からは「睡眠導入剤」をもらっていてそれを定期的に服薬していました。

睡眠導入剤とは…
睡眠障害を改善するためのお薬の一つ。「睡眠薬」と一般的にまとめて表現されることが多いのですが、「睡眠薬」には効果の効き方の違いで『超短時間作用型』『短時間作用型』『中時間作用型』『長時間作用型』の大きく4つに分類されます。一般的に「睡眠導入剤」と呼ばれる睡眠薬は、この4つの中でも『超短時間作用型』のお薬で、その効果は1~3時間程度と言われているものです。

僕はお薬を服薬することに対する抵抗感は特に持ってはいないのですが(お薬は上手に使うもの、と言う認識をしています)、やはり、寝られないと言うのはストレスからくる自律神経系の働きの不調だと思っていたので、自分で何かできることはないか?と探していました。そこで見つけたのは「自律訓練法」でした。


引用元を見ていただくと分かるのですが、いわゆる「自己暗示」をかけていくわけです。心の中でそれぞれの“言葉”を自分自身に言い聞かせ、その言葉通りに感じるように訓練してくのですが、僕にとっては非常に困難でした。

何故か。

“言葉”を心の中で唱え続けるという事が、とても難しいのです。その“言葉”を心の中で唱えているつもりでも、いつの間にか他の事を考えていたり、物音が気になったり、様々な要因がその集中を妨げるのです。

何度やっても、何度やっても、何度やっても、何度やっても、上手くできませんでした。当時の僕の診断名は「うつ病」でしたがおそらくこの頃から「双極性障害」の気質があって、僕の頭の中というのは、常にグルグルといろいろな事を考えており「頭の中がうるさい」状態でした(笑)。ですので、静かに集中すると言うのは難しかったのだと思います。


色々な事情があって、通院先の精神科クリニックを転院することになり、その転院先の臨床心理士さんによるカウンセリングで「認知行動療法とマインドフルネスをセットで行うと相性が良い」と言うことを教えていただき、カウンセリングの中でもマインドフルネスを取り入れて行ってもらうようになりました。

マインドフルネスのことを「瞑想法」とか「呼吸法」とか様々な呼び方がありますが、それぞれ言い当てています。詳しいことは、ここでは割愛しますが、マインドフルネスを行う際、注意する事が2つあります。

1.常に「呼吸」に意識を向ける。
2.ふと頭に思い浮かんだことや思考が逸れた時、それはそれとして思考が逸れた事に対し良し悪しの判断をせず、頭の中でやりすごし、再び「呼吸」に意識を戻す。

この2つです。
実はこの2つの注意点というのは、誠に理にかなっている!!と僕は思っています。


1.常に「呼吸」に意識を向ける
自律訓練法も頭の中で自分に向かって“言葉”を唱えるのですが、マインドフルネスでは実際に身体で行っている「呼吸」に意識を向けるので、非常に集中しやすいと思います。「呼吸」というのは、下の図のように横隔膜と言う筋肉の塊が動いたり、肋骨が筋肉によって動かされたり、鼻の中や口元に空気が通ることでその摩擦を感じたりと、様々な観点から「感じる」事ができるのです。頭の中で言葉を唱える事と、この様に身体から生じる色々な刺激に対する感覚があるという事を比較すると、圧倒的に後者のほうがソレに集中しやすいのです。



そして、「呼吸」に集中すると言う点で僕なりに良いと思っていることがあります。呼吸というのは、意識しなくとも勝手に身体が動いてくれる運動です。しかし、呼吸を早めたり止めたりと意識してコントロールできる運動でもあります。“意識しなくても勝手に動いている運動”の代表として心臓があります。心臓も勝手に動いていますが、意識してその鼓動を早めたり止めたりできませんよね?ここが非常に『みそ』だと思っています。

先程も少し話題にしましたが、身体の内臓の動きというのは「自律神経」によって動かされていて、「交感神経」と「副交感神経」に支配されます。「交感神経」はストレスのかかる状況や緊急事態に際して体の状態を整える働き(闘争・逃走反応)を担っています。一方「副交感神経」はどちらかと言うと日常的な状況下で正常な体の機能を維持する機能を担い、リラックスしている時に働いています。

両者の働きはおおよそ拮抗していて、交感神経が働けば脈拍、血圧、呼吸数を増加させ、副交感神経系はこれらを減少させます。しかしこれは、大体の場合において無意識下で行われており、意識的にコントロールできません。

しかし、「呼吸」だけは意識してコントロールできるんです!!

交感神経が沢山働き呼吸が早くなっていたとしても、意識的に呼吸をゆっくりに鎮めることが可能ですよね(もちろんそうでない状況もありますが)。呼吸がゆっくりになる=副交感神経が働き出す=リラックスしていく、と言う公式になっていくわけです!!!!

皆さんも一度はしたことがありますよね?緊張した時に大きく深呼吸をする、と言うことを。それです。それ。


2.思考が逸れた事を良し悪しの判断をせず、再び「呼吸」に意識を戻す。
「良し悪しの判断をしない」というのが「みそ」です。
僕のように真面目な?(笑)人間は、こういう事に取り組んでいると、してはいけないこと、ルールから外れたことに対して「それはダメなこと」とジャッジしがちです。ジャッジしてしまうと途端に集中が途切れ「思考が逸れた自分はダメな自分」と思い込み、その「ダメな自分」に思考が囚われてしまい、落ち着かなくなります。


(上の図はマインドフルネスのやり方の方法の一つですが、姿勢は基本的に決まり事はあまりありません。椅子に腰掛けてもいいですしベッドに寝ていても大丈夫です。ただ、最初は腰掛けていたほうが集中しやすいです)

「意識が逸れたらそれに良し悪しの判断をせず呼吸に意識を戻す」と言う事を拡大解釈すると「呼吸という“今”に集中する」と言うことに繋がります。

人が不安に陥るときというのは「この先どうなるのか」と言う“先取り不安”や「あの時あーすれば良かった」と言う“過去の囚われ”に起因することが多いと言われています。人はそういった不安や後悔を積み重ねると「今を生きる」事が困難になります。不安や後悔に心が占領されてしまうと「今、何をすべきか」を忘れてしまい、それが原因で不幸な結果を招いてしまう。そしてそれが後悔の原因となる。そんな悪循環が生まれてしまいます。

「呼吸という“今”に集中する」=「今、何をすべきかを考える」と言う繋がりができてくると、自分に対しての客観性がうまれ、後悔しない(しづらい)行動をとりやすくなり、結果的によい循環へと変化していきます。


このような方法というのは、万能ではありません。僕も、感情の振れ幅があまりにも大きい時はかえって「イライラ」の原因になることもあるので、マイルールとして「やって良い時・やってはいけない時・積極的にやるべき時」に分けて実行するようにしています。

そして、アプリを使うことで、アプリの音声で色々な指示をしてくれるのでそれに合わせて自分の意識や思考を順応させるという、利点やとっつきやすさがあります。



もし、精神疾患をお持ちで、お薬やカウンセリングだけではなく、セルフケアとしてやってみたいという方に、ぜひお勧めします。

マインドフルネスについてもっと聞いてみたいということがあれば、当公式サイトの「お問合せ」からご連絡いただければ、僕のできる範囲でお答えしていきたいと思います。どうぞ、ご活用下さい!!

2023年10月3日火曜日

死を考える③父の命日に思う。最終回

今日10月3日は父の命日です。
そして、死を考える③父の命日に思う。その3からの続きです。




僕としては、父を在宅で介護しなくても良くなったことは、自分自身の重荷を下ろすことができ、正直、心の底からホッとしていました。母も、同じ様に言うのですが、時々、迷いがあるようで。

「ねえ、本当にお父さん、病院に預けてよかったのかな?」「もしかしたらもっと家で看てあげることが出来たんじゃないかな」と、こぼすようになりました。それは恐らく、病院に入院し、本当に人が変わったように穏やかになり、そして以前のような父に戻ったと思っていたからだと思います。

しかし僕は、少し厳し目に言っていました。

「お父さんが今、あれだけ穏やかになったのは病院に入院したからだよ。もしかしたら先生がお薬を変えてくれたり何かしらの対応をしてくれたからだとは思うけど、認知症って環境によっても症状の出方が変わるから。おとーさん、家にいたときにあれだけ暴れたり酷いこと言っていたのって、もしかしたら家にいることとかに何か不満や不安を抱えていたのかもしれない。だから、もし今、退院させて家に戻ってきたとしても、病院にいるように穏やかに過ごすことが出来ないかもしれないんだよ」そう言って、母を納得?説得?させていました。

今思えば、医療従事者として満点の答えだったと思います。
しかし、息子としてはある意味「冷酷」な言い方だったかも知れません。

僕の言ったことは「穏やかに安心して過ごせるはずの自宅にいるほうが父には負担」「自宅で介護されることに不満」だと言っているようなものです。その時、母は何も言いませんでしたが。多分、僕が「医療従事者だから」きっと僕の言う事が正しいんだ、と自分自身に言い聞かせていたのかも知れません。正直、今でも母にはその当時の気持を聞いたことがありませんし、今後も僕からは聞くことはないと思います。

しかし1年後、思いもよらぬ惨事が起こりました。
そう、新型コロナウイルスの感染爆発です。

父の入院している病院でも、感染症対策のため、病棟への面会はできなくなりました。もともと母は、週に2度、父の着替えの洗濯ものを取りに行っており、その度に父と面会をして帰ってきていました。もちろん僕も月に1回、帰省する時には必ず面会をしていたのですが、それもできなくなりました。下の写真はその面会ができなくなる直前くらいのものです。


3ヶ月位でしたでしょうか。全く面会が出来なかったのは。
そして、短時間であれば面会もできるようになった頃、主治医からお話しがあるとの連絡があり、母と一緒に主治医とお話しをする機会がありました。

面会ができなくなった頃から、父は誤嚥性肺炎を繰り返したようです。
そして、経口摂取(口から食べ物を食べること)が危険だと判断し、持続点滴(24時間ずっと点滴をすること)に切り替え、お楽しみ程度のおやつだけ許可している、と言うお話しでした。

いよいよ来たか。そう僕は思いました。
一応、僕は主治医に確認しました。「先生は胃ろうについてはどうお考えですか?」と。「おすすめはしません」と。僕も同感でした。仕事柄、胃ろうを行っている患者様をみてきましたが、今の父には胃ろうの適応になるとは到底、思えませんでした。「はい。分かりました」と僕は言うしかありませんでした。



母は、ただただ黙っていました。
その時の母の気持ちを聞いたことがないのですが、その後「ね~、ST(言語聴覚士)さんが訓練すれば良くなることはないの?」と聞かれた事があります。僕は「良くなる見込みがあれば(訓練を)すると思う」と言う答えしか言えませんでした。事実、脳血管障害などの摂食障害にはSTの訓練による効果は高いと思っていたけど、認知症による摂食障害に、STによる介入というのは、機能回復と言うよりこれ以上の誤嚥を防ぐと言う意味合いが大きいと思っていたし、この先、父の認知機能の低下が予測される中でどれだけの効果が望めるか、いち理学療法士として、希望的観測で判断はできない、と思っていました。

下の写真は、久しぶりに面会できたときのものです。


それから、母から「本当に、病院に入院させてよかったのか…」と何度も電話が入るようになりました。僕はその都度、何度も「あのまま自宅で介護していたら皆、潰れていたよ」「おかーさんもつらいって、言ってたじゃん」そんな言葉を繰り返していたのですが、ある時、あまりにも同じ話をする母に対して「何度言ったら分かるの!!」とつい喧嘩腰に電話を切ってしまいました。
正直、僕も我慢の限界でした。母は父の介護のことに関しての相談というのは、周囲のひとに漏らすことなく、ほとんど僕にだけ相談をしていたのです(後から知ったのですが)。僕も、自分自身に後ろめたさがあるため、母にそのような相談を何度もされることが苦痛でつらくて、思わず強い口調で拒絶してしまいました。そこで姉に連絡をとり、僕一人では母を支えきれないこと、姉からも連絡をとって母の話を聞いてあげて欲しい事を伝えました。

しばらく母からの連絡はありませんでした。
そして僕はいつもの様に、月に一度の帰省は続けていました。


経口摂取出来ていた頃は、病棟内を自由に歩き回っていた父でしたが、やはり点滴と栄養補助食品だけでは、元気になりようがありません。どんどん痩せていきとうとう、ベッドに寝たきりとなりました。

しかし父は、僕がお見舞いに行くたびに「やっとかめやな!元気にしとるか?」と口癖の様に言うのです。それが僕には辛かった。父自身、口から食べることもできなくなり衰弱していく一方の状況のなか、息子である僕の心配をしている…もしかしたら父は「お腹へったな」「何か食べさせてくれ」と思っていたかも知れない。しかし、そんな事は一言も言いませんでした。

いつもは、月に一回の帰省の時のお見舞いがルーティンでしたが、その日は何故か、母には内緒でお見舞いに行こう、と思いました。僕は手元に古いアルバムを持っており、その中には昔の家族写真や父のご兄弟の写った写真もあり、それを見せてあげたい、何故かそう思い車を走らせました。

父の入院する病院に着き、病棟の看護師さんから「コロナがあるので15分程度で」と念押しされ、父のベッドのそばで行くといつものように「おお!やっとかめやな。元気でやっとるか?」と。僕は元気だという事を告げ、「今日はおとーさんに見せたいものがあって持ってきた」と言って数枚の写真を見せました。すると父は「おお!これ兄貴やな!へー」と。父のお兄さんを写真の中に見つけてとても嬉しそうに見ていました。しかし15分というのはあっという間です。僕は二人の写真をスマホで撮ると(上の写真)また来ることを告げ、病院を後にしました。

それが父と交わした最後の会話になりました。

その2週間後の日曜日の午前中。
僕は友人とランチをする約束をしていたので、いそいそと準備をし車に乗り込んだところで母から電話。

「おとーさん、危ないみたい。私も今から病院に行くけど…」
「!!うん。分かった。おねーちゃんには電話した?」
「ううん。今から」
「じゃあおねーちゃんに電話してくれる?僕、準備が出来たら向かうわ。」
「うん。ありがとう。お願いね」

とりあえず、そのまま友人宅に向かい、カクカクシカジカ。ごめん!と言って自宅に引き返し、とりあえず数日分の着替えと常備薬を持って、父の入院している病院に向かいました。

道中、どんな事を考えていたのか全く覚えていません。

夕方前に病院に着き、病室に案内されると、一足先に着いていた母が父の横たわるベッドの横に佇んでいた。父は目を閉じていて、枕元にはモニターが。

僕はもちろん、そのモニターが何を示しているのかを理解していたし、父は目を閉じてはいたが「生きて」いました。
程なくして姉も義兄とともに駆けつけました。

いわゆる「危篤」の状態でした。

まだ、いつどうなるかは分からないけれども、ここ数日でその日がやってくるのは見て取れました。面会時間いっぱいいっぱい(夕方の17時)まで皆で父の周りを取り囲んでいましたが、様態はかわらなかったためそのまま僕とは母は実家へ、姉は嫁ぎ先へ帰りました。

途中、父の兄弟に連絡するかどうか母に相談され、伯父(父の兄)には連絡することにし電話を入れました。伯母(父の姉)は遠方に住んでおり高齢でかつ身体が不自由であったため、今は連絡しないことにしました。

程なくして伯父から電話があり、明日、見舞いに行く、と。高速バスで行くから途中まで迎えに来てほしいとの事で、僕が車で出迎えることにしました。

翌日、父の状態は変わらず。本当に眠ってるようでした。
午後になり、伯父夫婦が来てくれたので迎えに行きました。伯父は父の名前を呼び、とても悲しそうな目をしていました。
その日も、夕方までいたのですが、様態が変わらなかったため、皆、それぞれの家へ引き返しました。伯父夫婦は僕の実家に泊まっていかれました。

翌日、僕は伯父に、
「おじさん、せっかく来てもらって何なんだけど、おとーさんもう長くないと思う。もしかしたらとんぼ返りになるかもしれんけど…」
「うんうん。分かっとるよ。そのつもりで来とるから」
「ありがとうございます…その時はよろしくお願いします」

その日、伯父夫婦はまた、高速バスで帰っていきました。
僕は伯父夫婦を送るついでに自宅に一度戻り、喪服などの準備と着替えを取りに行きました。父が危篤となってから初めて自宅に帰り、一晩泊まったのですが、枕元にスマホを置き、いつでも電話に出られる状態にしていたのですが、ほとんど眠れず夜明けを迎えました。その夜は、スマホが鳴ることはありませんでした。

実家に戻り、二日ほどしたある日の朝、実家の宅電がなりました。
母が出たのですが「おとーさん、血圧が下がっとるって」と。
胸の鼓動が止まりませんでした。姉に連絡し僕は母を車に乗せ病院に向かいました。

病院に到着した頃、父は持ち直し枕元のモニターも安定した数値を示していました。
その日はその後、何もなく一日が終わりました。

翌日、正直、少し僕は疲れが出てきました。いつその時がくるのかわからないという、連日の緊張感。夜も寝ているんだか起きているんだかはっきりしないような曖昧な感覚。ずっとアドレナリンが出ている感覚。

流石にその日は少し休みたく、昼食を母と姉と3人で摂った後、僕は一人車の中でうたた寝していました。すこし休んでスッキリし、病室に戻りました。

しかし、モニターの示す値は明らかに違っていました。
この時ばかりは自分が医療従事者であることを恨みました。

徐々に心拍は弱まっていき
徐々にサチュレーションは低下し
呼吸は浅く
心電図の間隔がひろがっていく

それが何を示しているのか、いち早く僕は察知してしまい、一人涙ぐんでいました。
それに気付いた母や姉は、「おとーさん!!」と泣き叫びながら父の身体に触れていました。

そして数分後。

父は、僕ら家族に見守られながら、静かに、本当に静かに、そして眠るように召されていきました。


10月3日 15:15 享年78歳



親の死に目に会えるというのは、今の時代、とても稀なことだと思います。

父は、危篤になってから6日間、静かに静かに僕らを待っていてくれたんだと思います。そして最後の最後まで、僕らに悔いが残ってはいけないと、家族が揃うのを待って、そして旅立ったのだと思います。


父が他界してこんなにも時間が経っているのに、まだ、僕の中では答えが出ません。

あれで良かったのか。
これが正解だったのか。

父が認知症と診断されて亡くなるまで、丸六年でした。それを誰かに話しをすると「長生きしたね」と言ってくださいます。

しかしそれが良いことなのかそれもと誤りなのか、僕には分かりません。




もし今、父に聞けるものなら「どうして欲しかった?」と聞きたい。
でもそれは永遠にできません。

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