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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年8月20日日曜日

私の中核をなすもの⑤マンガ

以前のblog 「自分自身が持つ価値観へ与える影響(お金の話し)」で少し話がでたけど、僕の子供の頃のお小遣い事情を考慮してもらうと分かる通り、週刊誌なんてものは買えなかった😖

中学に入ると、他の小学区からやってきて新しく友人となった人は、大体、毎週、少年漫画雑誌を買っている子がほとんど。

少年ジャンプ
少年マガジン
コロコロコミック
ヤングジャンプ
ヤングマガジン

中には、マイナーな「月刊Newtype」と言う雑誌を買っている友人もいた!!

月刊Newtypeとは…
連載されていた有名な作品は「新世紀エヴァンゲリオン」「ファイブスター物語」「ロードス島戦記」などがあり、かなりマニアックなマンガが多いことで有名。

僕は、そういう週刊漫画誌を買っている友人に借りて、回し読みをするんだけど、もう1箇所、マンガが自由に読める場所があった。

それは…


床屋さん!!!✂️


僕の行きつけの床屋さん、その店主の息子さんが僕の3つくらい年上で、その息子さんが読み終わった週刊漫画誌とか、読み古した単行本とかが置いてあって、床屋さんに行く楽しみの一つだった😅

そこで読んでハマったのが「聖闘士星矢」で、単行本もプラモデルも買うほど熱烈にハマり、もちろんTVアニメも一話も漏らさず見た。

実は高校を卒業するまで、単行本を買うほどまでハマったマンガはなくて😅

医療短大に入ってから、同じ研究室の女子から紹介されたマンガ「王様はロバ〜はったり帝国の逆襲〜」にハマり全巻買ったかな。

僕ぐらいの年代の人にとって、「ギャグ漫画」といえば「Dr.スランプ」「パタリロ!」「ハイスクール!奇面組」なんかが周りでは流行っていたけど、僕の中ではイマイチ…っていうか、とりあえず話題についていくためだけに見ていた感じだったかな。

あと、このマンガ知っている人、少ないと思うんだけど「」ってのがあるんだよね。実はTVドラマ化もされてるんだけど…もし知ってる人がいたら、ぜひコメント残してほしい(笑)


ごめんなさい。
マンガに関しては、これくらい。

僕は、何でもそうなんだけど、一度ハマると、浮気しせずとことんそれを深掘りするタイプで、マンガにしろ音楽にしろ、映画やドラマにしろ。

ま、そんな感じ💦

2023年8月18日金曜日

忘れられない患者さん①腰椎圧迫骨折のおばあさん

 私が理学療法士として働いていた頃、何人の人に出会ったのか、もう数えることすら出来ないくらい多くの方の人生の一部に関わってきた。

その中でもどうしても忘れられない患者様が何人かいらっしゃって、そのエピソードを紹介したいと思う。


遡ること27年前。
私の最初の就職先である、整形外科と内科の有床診療所(入院設備19床あるクリニック)で、一番、最初に担当した入院患者様(Aさん)。

Aさんは80代の女性で腰椎圧迫骨折と言う怪我で入院されていた。

腰椎圧迫骨折というのは、腰椎という背骨のうち骨盤に一番近い5個のことで、Aさんはその腰椎の一つが潰れるように骨折した状態だった。
この、腰椎圧迫骨折というのは、臨床現場では比較的ポピュラーな疾患で、骨粗鬆症がすすんだ女性が尻もちを突くことがキッカケとなって骨が折れてしまう。人によっては、転んだりうというキッカケがなくとも、自然に潰れてしまう方もいらっしゃるが。

入職してすぐ、先輩理学療法士(以下、PT)から引き継ぐ形で担当となった。が、「とりあえず痛み見ながらこんな感じでベッドサイドから始めて」みたく、かなりざっくりとした申し送りを受け(笑)、痛みで起き上がれないAさんのベッドサイドリハから始まった。


その頃、腰椎圧迫骨折の治療としては、受傷直後に体幹ギプスと言って、腰骨の辺りから胸辺りまで、まずは固定をする事から始める。ギプスも徐々に緩んでくるため、2週間後に巻き直しをするのだが、その際に古いギプスをカットして、硬性コルセット(皆さんが想像するようなコルセットではなく支柱が付いた硬いコルセット)の型取りをしてから、もう一度ギプスを巻いて、さらに2週間後にギプスから硬性コルセットへと替えていく。

当時は、体幹ギプスを巻いている間は、寝起きや排泄がかなり不便であるため入院になることが多く、硬性コルセットになると、コルセットを着脱することで日常生活に自由度が高くなるため、ある程度痛みが抑えられ日常動作が可能となれば退院、というのが一般的だった。


Aさんは、僕が担当した時にはすでに硬性コルセットに変更になっていたが、痛みのために寝起きに介助が必要。もちろん立ったり座ったりも手すりを持ちながら私が両手で介助してやっと立ち上がれる状態。歩くなんてもってのほか。の状態で、引き継いだ。

もちろん今なら、Aさんの一番の問題である痛みに対する理学療法のプログラムを立てて、痛みを軽減させながら筋力の低下を防ぐ運動や立ったり座ったりと言った、日常生活に欠かせない基本的な動作の練習から始め、どうしても日常生活に困難があれば、介護保険を利用して電動ベッドの導入やデイサービスの利用、シルバーカーのレンタル、自宅の廊下やお手洗い・お風呂場などに手すりをつけるなどの住宅改修などを提案し、自宅退院に向けた流れを考えるのだが…27年前にはまだ、介護保険制度はなかった。

Aさんは息子さん夫婦とお子さんで同居している3世代家族だった。確か、その時の息子さんのお話では、身の回りのこと(ベッドから起きてトイレや食堂まで自力で移動する)ができるようになって欲しい、とのご希望があった。ただ、もともとベッドは使っていたとのことだったが、手すりなどはなく、Aさん自身の身体能力の回復へのハードルは、かなり高かった。

その時、私自身が立てたプログラムというのは、もう、ここに書くことすら恥ずかしくて書けないくらい、稚拙なものだった。

Aさん、本当にごめんなさい…

当時、そのクリニックでは、朝一番に院長(整形外科)の回診があり、セラピストが当番制で同行しながら、入院されている方々の現状をお伝えし、院長と情報を共有していたのだが、ある時、回診後に私のところへやってきて「かっちゃん(わたしのあだ名)、Aさんそろそろ退院できんかな?息子さんがそろそろ退院させたがってるんだよ」と。

実は、その時のAさんの状況と言うのは、なんとかシルバーカーで数m歩ける程度、しかも痛みをかなりこらえながらの状態で、ご自宅の状況を考えるととても退院していただくのは難しいと、私の中では考えていた。

さらに院長は「あとどれくらい(何日くらい)で退院できそう?」と尋ねてきたのだ。

焦った。
非常に焦った。

新人の私に、この状況であと何日で退院ができるかという「予後予測」をしろ、と言っているのだ!!酷だった。本当に。悩んだ。迷った。「分かりません」とは言えなかった。
そして私は苦し紛れにこう言ったのだ。

「あと2週間、時間を下さい」

2週間という時間に、なんの根拠もない。


もしあの時、今の私の知識と技術があるか、もしくは神様が奇跡を起こしてくれていたら、本当に2週間で、理想の状態で退院を迎えられたのかも知れない。


2週間後、しびれを切らした息子様から、なんとかシルバーカーで歩けるようになっているAさんを連れて自宅で介護します、と言う連絡が入り、退院となった。

今でも思い出すのは、クリニックを出て、痛いながらもなんとかシルバーカーを押して息子様の車まで歩くAさんの後ろ姿と、横でAさんの介助をしながら歩く息子様の姿を。

その後のAさんの様子を知る由もなく、私はAさんやご家族の方への申し訳無さと、自分への不甲斐なさで心が張り裂けそうだった。


そうあの時、院長が「あとどれくらいで?」と尋ねてきた時に、「今の僕では分からないので他のスタッフと相談してお答えします」と言って先輩PTに相談したり、もしくは担当を変わってもらったり、自分の実力のなさを素直に認めて、救けを乞う事をしていたら、もっと違った結果になっていたのかも知れない。


私のちっちゃなちっちゃなプライドが、邪魔をしたのだ。


本当に後悔した。


けれど、院長始め他のリハスタッフも皆、私の事を責めたり説教をする人は一人もいなかった。

ただ、この経験が私に火を付けた。

実は、私は医療短大在学中の成績は、下の中くらいでお世辞にも優等生ではなかった。1度留年しかかっており、科目担当教授のお情けで進級できたくらいだったし、国家試験も自己採点では合格できるか出来ないかくらいの点数であった。

「夢は歌って踊れるPTです!」と、ほざいていたくらいだから、今思えば舐めきっていたものだ。

私はAさんと言う始めての担当患者様を目の前にして、ほぼほぼ無力だった自分に気付き、そしてただ、打ちひしがれるだけではなく「このままではいけない!」と言う焦燥感と不安とやる気が一気に吹き出した感覚であった。


産業カウンセラーの資格を取って半年。
実際に、カウンセリングを行うようになって約1ヶ月。

今まさに私は、同じ様な状況になろうとしている。
しかし、同じ轍は踏まないと決めた。


最初から、全力だ。

2023年8月17日木曜日

対人援助職者要注意!共依存と言う罠

 「共依存」というのは、心理的な病気の事を指し、アルコール依存症や薬物依存症を悪化させたりすることで、注目された。


共依存とは…
共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする。(Wikipedia参照)

共依存関係にある両者は、「ケアする」「ケアされる」と言う関係性に見えるため、一見すると「無償の愛情」や「献身的な介護」の様に“否定されるようなネガティブな関係”には見えない事が多い。

実はここに落とし穴がある。

依存症者がパートナー(共依存者)に依存し、またパートナーが依存症者へのケアに依存するために、その人間関係(環境)が持続する。依存症者が何らかの問題を起こし、周囲の人間に迷惑をかけるが依存症者のパートナーはその問題の尻拭いをすることで“自分自身の存在意義(価値)”を見出してしまう。そのため、無意識のうちにパートナーは依存症者の回復を拒む(イネーブリング、と言う)ようになり、依存症者自身も「依存したい」ためその様なパートナーの振る舞いを拒むことなく受け入れてしまう。結果、依存症者は自立する機会を失うが、パートナーは依存症者が自立してしまうと、自分自身の存在意義を失ってしまうと言う『自己中心性※』を秘めている。

※自己中心性とは…
自分自身の視点や立場からしか物事を捉えることができず、他人の立場や気持ちを理解することができない性格的な特徴の事。

この「共依存」という概念は、元々はアルコール依存症者とそのパートナー(またはその家族)に見られるとして、看護の臨床現場から提唱されていたが、薬物依存症の家族、ギャンブル依存症の家族、ドメスティック・バイオレンス(DV)のある家族、機能不全家族などにも見られる現象であると言われている。

「ある人間関係に囚われ、経済的、精神的、身体的に逃れられない状態にある者」というのが一般的な定義である。

共依存者には以下の様な特徴が見られる。
・相手の気持ちを優先させる(強迫的世話焼き)
・相手の行動をコントロールしようとする
・自分の気持を押し殺す(自分の意見が言えない)
・強迫観念※にとらわれやすい
・自己肯定感が低い
・現実を直視できない
・何かに依存せずにはいられない
・コミュニケーション能力に乏しい
・他人との境界があいまいである
・怒りの感情が正常に働かない
・セックスが楽しめない
…などなど…

※強迫観念とは
頭から離れない考えやイメージの内容が「不合理」だとわかっていても、頭から追い払うことができなくなること。いわゆる「潔癖症」などの様な症状の事。


実はこの様な共依存という関係性、対人援助職者が陥りやすい関係性でもある。

もともと対人援助職者というのは「人の役に立ちたい」「誰かの力になりたい」と言う気持ちが強い人が選びやすい職種であるため、援助者が気を付けていないと共依存関係になりやすい職種とも言える。

被援助者(患者様や利用者様)が「〇〇して」「✕✕やって欲しい」と言うような要求をされた時は、援助者も理性的に「この人の能力は〇〇だから✕✕までは介助しよう」と考え「〇〇はご自身でやっていただけますか」などと対応が可能で、ここでは共依存関係は生まれない。

しかし、被援助者からこの様に言われたらどうだろう。
「あなたがやってくれるからとても助かっているわ」「あなたじゃなきゃやっぱりだめね」「あなたがお休みすると心細いの」などと言われると…悪い気はしないのが人間である。そのような言われ方をすると「仕方ない。やってあげよう」と一見“自然に”そのような行動を起こしてしまう。

それが毎回毎回、毎日毎日、続くとどうだろうか。

次第に「この人は私がいないとダメな人だ」「私はあの人に必要とされている」と思うようになり、その被援助者のことがいつも気になったり、本来その人ができることまで介助してしまったりと、被援助者の抱える問題に巻き込まれていく。

共依存である被援助者は、援助者を「気持ちよく」させて、言葉巧みに「人を操ろう」としてくる。その罠に巻き込まれないようにしなければならない。

もし共依存関係になり巻き込まれたら…
基本的に、本人たちは共依存関係に陥っていることに気づいていない場合が多い。他者が指摘する、もしくは物理的に距離を離す(担当を替えるなど)の対策が必要。援助者への対応は比較的容易だが、むしろ被援助者へのフォローが難しいと思われる。「見捨てられた」「無理やり担当を替えられた」などのクレームに繋がり、信頼関係(ラ・ポール)を一度崩してしまわなければならないからだ。

これは、私の経験則からであるが、この様な関係性に陥った場合、被援助者には根気よく丁寧に説明し、被援助者に「自分自身でできることはやらなければならない」と言う気持ちになるようにしていかなければならない。また、「援助者を自分の言動でコントロールしその人を拘束していた」と言う事実を認めさせなければならない。

これは、労を要し時には時間のかかる事で、共依存関係にある者以外の第三者が積極的に関わらないと、良い方向へ向かわない。


振り返れば、私自身、共依存関係に陥っていたと思われる患者様がいらっしゃった。
今だから冷静に判断できるのであるが、「あなただから言うのだけれど」とか「他の人には内緒で…」と言い、涙を流されながら訴えかけられると、やはり心揺らぐのである。しかし、私はその方に過介助で過干渉的になり、その方が回復しないのは私自身の努力不足、技術不足であると自責の念にかられ、結果的に私自身がメンタルダウンを起こすと言う結果を招いたこともある。

私が産業カウンセラーの養成講座を受けていく中で、私のウィークポイントとして指摘されたのは「その人の感情に流される」と言われたことがある。また、臨床心理士さんとのカウンセリングの中で「鈍感力を身につけて下さい」と言われたことも。


対人援助職であるからこそ、共感力とともに客観性というものを、同時に持ち合わせていなければならない、と今更ながらに強く思う。

どうか、皆さんも注意していただきたい。

2023年8月16日水曜日

人生の先輩から…恩師からの教え

 私にも「恩師」と呼んでいる方がおられる。

あ、あくまでも私自身が、一方的に思っているだけなので片思いだが。


その方は、医療短大時代の研究室の助教授K先生だ(今で言う准教授)。その先生、見た目もヒトクセあって、頭頂部は禿げて髪がないが側頭部~後頭部にはきちんと髪があり、後頭部の髪は少し伸ばし、必ず輪ゴムで小さく束ねていた。
口元には口ひげとあごひげを蓄えており、いつもループタイをし仁丹を口にしていた。きっと今で言う「フリスク」感覚で仁丹を口にしていた。
タバコは吸わず、お酒はよく飲む。でも楽しい酒で、説教をしたり叱ったりすることのない、笑顔の似合う先生だ。

その方は、理学療法士・作業療法士法が制定された頃に理学療法士になられた方で、元々は工学部出身の理系だ。

私はその先生の影響を、大きく大きく受けている。

理学療法士としての生き方
研究に取り組む時の姿勢
教育に対する思い

「理学療法士はその人の人生を変える仕事だ」
「当たり前だと教科書に書いてることをまずは疑え」
「後輩を育成するのは年長者の義務」

卒業研究で、K先生の研究室に同期の女子と2人で入って、研究をすすめていく中で、考えにつまずいたり方法に悩んだ時、いつもキチンと時間を取って向き合ってくれた。そして、絶対に「答えは言わない」人だった。でも、先生に相談した後は、いつも一筋の光が見え、また前向きに研究に取り組んでいた。

あゝ、もしかしたら僕がカウンセラーを目指したルーツは、ここにもあったのかもしれない。答えを与えてくれる人よりも、気付きを与えてくれる人というのは、本当の意味で人として成長を与えてくれる人なのだと、今更ながらに気付いた。

先生を囲んで飲み会をすると、必ず奢ってくれた。私達は「先生、今日は僕たちが払います!!」と言っても、頑なにそれを拒否して「そんな事は気にしなくて良いから、将来、自分の後輩や部下に奢ってあげなさい」と言われてきた。だから私は、後輩と呑みに行くときは、必ず自分が奢った。

あゝ、こうやって循環していくんだ。人間関係って。
そう思った。

いかん、泣けてきた。

私が医療短大を卒業して、10年弱が経った頃、私はとある短大に講師として勤務することになり、その恩師と同じ職場になった。私はとても嬉しかった。

「また、K先生に色々と指導してもらえる」
「いっぱい吸収しよう」
「いっぱいディスカッションしよう」

学生時代は、「助教授」と「学生」という立場だったが、同じ職場の「先輩」と「後輩」(かなり年の離れたwww)になったが、私自身も臨床もそれなりに経験し、研究活動もしてきたので、知識も増えたことでK先生とは対等に話ができるようになった。それが、とてもとても、とても楽しかった。


臨床に戻った元職場で、私は、実習生に関する取りまとめを行ったり、他の指導者の指導方法などの相談にものってきた。私は、実習生を受け入れることは「義務」であり、それは私が理学療法士として働ける「恩返し」でもあると思い、積極的に指導にあたった(まあ結果的に、メンタルダウンしてしまった一要因でもあるのだが)。

私が理学療法士として働けるのは、養成校のカリキュラムに必ず「臨床実習」があり、そして実習生として私達を受け入れてくれた医療機関があり、さらにそこには先輩理学療法士の指導者がいてこそなのである。


ここからは、医療機関の闇の部分を書く。

医療機関が実習生を受け入れる基準というのは、おそらくそれぞれの医療機関で決まっていると思う。しかし、その基準というのが曖昧、というか指導者の気分次第だったりするのが事実である。実習生を受け入れるとその養成校からは、謝金が医療機関に入る。しかしこの謝金には相場がなく、養成校によって格差がある。

国公立系は、謝金がかなり安いが指導者となることで「実績」になる。“博”が付く。
私立の専門学校などは、謝金が高いが「学力が低く手のかかる実習生がくる」事が多い(もちろん例外もある)。
また、その指導者の卒業校であったりすると、お世話になった先生から実習の依頼がくることもよくあり、断りづらかったりもする。

それらの“要因”を考慮し、どの養成校から何名の実習生を受け入れるか、と言う「ふるい」にかけられるわけだ。

時には「(この学校の学生は)手のかかるから、実習生の指導はしたくない(受け入れない)」と言う答えが聞こえることがある。

ある意味、当たり前の考え方だし、面倒なことは誰だってやりたくないし、自分自身の仕事が増えたり、患者様に迷惑がかかってはいけない。しかし、自分自身の指導力のなさを棚に上げて実習生に「手がかかる」と言い、それを放棄してしまうのは、いかがなものかと思う。

そんな事を考えてしまうのも、恩師の影響だな(笑)


短大で講師として学生を教える時になった時「当たり前だと教科書に書いてることをまずは疑え」を実感することになる。

皆さんは、「温度とは何か」と説明できるだろうか。「1mって何を基準にその長さが決まっているのか」「光とは何か」「音とは何か」「エネルギーを正しく説明できるか」「熱とは」などなど、普段、当たり前の様に使っている言葉や物事を説明するというのは、簡単なようで非常に難しい。それは『あまりにも当たり前過ぎて〝それがそれであること〟に誰も疑問を持たない』からである。

おそらく私の「知的好奇心」はK先生の教えがあったからこそだと思っている。


今は訳があって、K先生とは疎遠になってしまい、連絡先も知らない。
会ってお話したいことは、たくさんある。お礼もお詫びもまとめて全部したい。


今、私の最大の心残りだ。

2023年8月15日火曜日

神から与えられた猶予?!ヒトの本当の寿命

 今の世の中、医療の発達によって、どんどん寿命が伸びている。
詳細はblog「カウンセリングなんて…と思っている人へ①」を参照されたし。

もし、この世に「医療」と言うものがなければ、ヒトは何歳くらいまで生きられるのだろうか?


医療のない原始時代、その頃のヒトの平均寿命は30歳前後と考えられている。その要因は、乳児~幼児の間に、感染症や栄養不良による死亡率が非常に高かったから、と。ただ、中には80歳~100歳まで生きていたと言う記録もあるようだが、一般的に、多くは30歳前後と考えられている。

どんな生き物も、自分の子孫を残そうと必死だ。
もっと突き詰めていくと「自分の持っている遺伝子を残す」ことに必死だ。これが「利己的遺伝子説」である。どんな生き物も、同じ生き物であってもそれらには個体差があり、個体差があるということは、それぞれ持つ遺伝子も違う、と言うことである。

そのために繁殖を促進させ、その子孫である遺伝子のコピーをたくさん作り、また繁殖し…それを繰り返し、生き残っていく遺伝子だけが“優秀な遺伝子”として、後世まで生き残ろうとしている。

実は、生命の進化とは、遺伝子の突然変異の連続だという説もある。
遺伝子は、分裂しコピーを作る際に様々な影響を受けて、変化してしまうことがある。それが突然変異だ。しかし、その突然変異を起こすことで、その時々のその環境に最も適した「生命の営みの仕方」を獲得し、生き残っていく。

そうやって生命というのは、変化し続けてきた。


細胞というのは、核と呼ばれるものの中に、DNAの塊である染色体と呼ばれる機構をもつ。遺伝子とは、この染色体およびそれを構成しているDNAであるが、生物の細胞は日々、分裂と消滅を繰り返し、新しいものへ生まれ変わっているのであるが、実はその分裂には「最大、何回まで分裂できるか」と言う回数制限がある。それを決めているのが、染色体の先端にある「テロメア」と言う部分で、染色体が分裂するたびにこの「テロメア」が短くなり、テロメアが消失するとその染色体は分裂ができなくなり、その細胞は死んでしまう(一部の細胞の中にはテロメアが短くならなかったり、再び長くなるものもある)。


さて、話を元に戻そう。
もし医療がなければヒトの寿命は30歳だ。
仮に現在のヒトの平均寿命を80歳と考えると、その差50歳分は、ある意味“人為的に”伸びた寿命だとも言える。

検査

手術
栄養
リハビリ などなど

それらが、「命」を「時間的に長くする」事を可能にしてきた。

ここに面白いデータがある。
ヒトだけでなく、マウスも寿命が伸びているのだそうだ(Google Bard調べ)。1980年代頃にはマウスの寿命は2年と言われていたが、現在は3年まで伸びている。その理由は「遺伝子操作や食事療法などの技術により、マウスの老化を抑制できる可能性が示唆されているため」だそうで、言い換えればこれはヒトにも当てはまるわけだ。

さて、本来なら30年で終るはずの人生を50年も上乗せできるようになっているわけである。

もっと言ってしまえば、残りの「50年」は神様から与えられた、猶予期間、または“おまけ”とも捉えることができる。

この様に、生命の寿命というものを科学的に捉えようとすればするほど、私は哲学的に考えてしまう。そして、今の日本の現状を考えると「簡単に死なせてもらえない世の中」である。良くも悪くも、である。

誤解を恐れずに言うのであれば、だからこそ「生きる」という事を、もっと真剣に考え、そして語っても良いのではないかと思う。なにも「善行をしろ」「一日一日を大切に」と言っているのではない。おそらくこの答えに正解はなく、そして、個々人が見つけるものであり、それが自分自身で納得のいくものであれば、それがその人にとっての正解なのであろう。

(余談だが「一日一日を大切に生きる」なんてことは、誰にも出来ないはずである。一日くらい「大切じゃない日」だってある。それは人間だから。人だから。それを目標にしていては人は生きていられない。)


皆さんは、どう考える?

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