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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年8月7日月曜日

マイノリティ+マイノリティ+マイノリティ…

 私が半世紀生きてきて、そしてHIV陽性者となって約20年が経ち、医療や福祉、対人支援に関わるうちに、特に最近強く、思うことがある。


セクシャルマイノリティといえば、私がまだ若かった頃というのは「ゲイ」「レズビアン」「バイセクシャル」と言う、ほぼほぼこの3つの括り(くくり)で語られてきた気がする。

発達障害や知的障害という言葉は「知恵遅れ」「精神遅滞」と言う言葉(現在は差別用語である)で括られていたと思う。

何が言いたいかと言うと、医療の診断技術がすすむことで疾患や障害は細分化され、個人の特性もそれを表現しやすくなったことで、同じような特性を持った者同士が一つの集団を形成することで、さらにそれらも細分化されるようになった。

それが良いか悪いかは別として、結果的に、自己を表現する際に「この面はマイノリティ」「この面はマジョリティ」というように、自分を多角的に捉え(とらえ)そしてそれの組み合わせに広がりを見せるようになった、という現象が起きている。

私は「ゲイ」であり「HIV陽性者」であり「精神障害者」である。
タイトルに書いた通り、マイノリティ+マイノリティ+マイノリティ(トリプルマイノリティ)である。

自己を表現する時、1つのマイノリティ要素を持つ者同志の集団を見つける場合と、3つのマイノリティ要素を持つ者同志の集団を見つける場合とでは、いわずもがな、後者の方がはるかに困難である。

しかも「私は●●というマイノリティです!!」と開示することと「私は●●と〇〇と■■というマイノリティです!!」と開示することとでは、精神心理的な負担は、圧倒的に後者の方が大きい。

ただ、ここまできてしまうと「マイノリティとマジョリティに分けて考える必要があるのか?」と思ってしまうかもしれないが、当事者としては、やはり「マイノリティ」としての自覚があるからこそ感じてしまう周囲との隔たりや、そうさせてしまう社会環境に問題がある限り、そうせざるを得ないのである。

「マイノリティ」がそこに当たり前に存在して、そして「マジョリティ」がそれを理解する世の中になるまで(“受け入れる”と言うところまで求めてしまうのには多大なる時間がかかるだろうから)、必要なことなのである。

「あゝ、そーゆー人もいるよね」と言ってもらえるような世の中になるまで。


今回は、問題提起だけさせて終わりとする。

2023年8月4日金曜日

Z世代を理解する!!「タイパ」と言う価値観

 「タイパ」と言う言葉をご存知だろうか?


実は私、1年くらい前から言葉自体は知っていたのだが、その意味を知ったのはつい最近のことである。

「コスパ」と言う言葉は、もう一般的になってきて、意味もご存じの方も多いと思う。「コスト・パフォーマンス」の略語で、日本語で「費用対効果」の意味である。商品やサービスを購入する際に検討される重要な要素の一つである。「コスパが良い」というのは、同じ価格帯の商品やサービスより機能が充実していたり、質の良いサービスが受けられることを言う。

では「タイパ」とは何か。

「タイムパフォーマンス」の略語である。意味的には「コスパ」と同じような意味合いで使われることが多いが、時間に対する効果や満足度を示す言葉だ。「タイパが良い」というのは、同じ時間の使い方であっても、より有意義であったり効率的であったりした際に「タイパが良い」と言う。
その一例が動画配信サービスなどのを「1.2倍速」や「1.5倍速」で鑑賞する、と言う行動である。同じ動画を見る際、通常再生よりも早く見終わることで、その時間を他の時間に充てることができる。実際に、大手動画配信サービスでは、標準で視聴者が再生スピードを選択できるようになっており、それを言い換えればそれらの機能を利用する視聴者が大勢いる、ということだ。
どうやら、そのような価値観や行動は、2010年代後半頃より見られていたと言うが、顕在化してきたのは「今年の新流行語大賞 2022」大賞をとった前後であろう。

実は以前から気になっていた、若者が一般的に行っている行動がある。

それは、「音楽の聞き方」である。

最近は、音楽を聴くのもサブスクが一般的になってきて、安い値段で様々なアーティストの音楽にふれる機会が増えている。しかし「サビの部分まで早送りしそれが終われば次の曲へ飛ばす」と言う聞き方をする若者が増えている、と耳にしたことがある。

音楽が好きな私にとってみたら、もう、驚きでしかない。

音楽(一般的な歌唱曲)というのは、おおよそ以下のような構成になっていることが多い。

イントロ → Aメロ → Bメロ → サビ → 間奏(イントロ) → Aメロ → Bメロ → ブリッジ → サビ → エンディング

もちろん、これだけではなく様々なバリエーションがあるが、おおよそ、このような構成になっていることが多く、ある意味「最後のサビをいかに盛り上げるために聞かせるか」と言う意図もあると思われる。

私が10代~30代の頃、よく聞いていたアーティストの音楽というのは、このような構成であり、時々、いきなりサビから入る曲などもあったが、それは非常に稀で、アーティストの意図がそこには隠されていたと思う。

しかし、最近では「いきなりサビ曲」というのは当たり前になってきたようだ。

優里「ベテルギウス」
ヨルシカ「夜に駆ける」
米津玄師「Lemon」
LiSA「紅蓮華」
Ado「うっせぇわ」
Official髭男dism「Pretender」
King Gnu「白日」
星野源「恋」
嵐「Happiness」
乃木坂46「インフルエンサー」

どの曲も、ヒット曲でみなさんも一度は耳にしたことがあると思う。
実はこれらの曲は、カラオケでも人気のある曲であり「すぐに盛り上がる」という特徴を持つ。

それが良い悪いの話ではない。今は、そういう時代だ、と言うことだが、私には少し、寂しい気がする。

「すぐに盛り上がる」=「ノリが良い」と言い換えることもできるが、先程述べたように、最後のサビを盛り上げるための助走部分や、徐々に気分が高揚してくる感覚というものが、失われていくことが、なんとなく「心の余裕のなさ」というものと比例しているように思えて仕方がない。

「いきなりサビ」がくることで「すぐに盛り上がれる」ということはある意味「タイパが良い」と言うことになる(?極論すぎる?)。


そのような現象が起こっている背景には「無駄な時間を過ごしたくない」「無駄だと思う瞬間を作りたくない」と言う感覚がある、と言われている。つまり「より短い時間で」「より満足度の高い」「時間の過ごし方」を求めているとも言い換えられるが、一方で、「失敗したくないZ世代」と言う捉え方から、「タイパの良いものを求める」行動にはしる、とも言われている。

ここで少し、Z世代について説明したい。
1995年~2012年の間に生まれた世代のことで、インターネットやスマートフォンが普及した時代に育っているため「デジタルネイティブ」とも呼ばれている。社会的な意識が高く、環境問題や社会正義などに関心が高く、グローバルな視野を持っている、とも言われている。そして自分の個性を大切にし、他人と違うことに抵抗がない。などと言われている。


「タイパが良い」=「無駄がない」と言う考え方ではあるが、私は少し寂しさを覚える。

コロナ禍、大学を始めとする学校での講義や授業がオンライン化・オンデマンド化が進み、「動画で講義を受ける」事がごくごく当たり前となった。教える側としては、カメラの向こう側・パソコンの向こう側の様子が分からないため、その“空気感”をつかむために苦労したであろう。一方、受ける学生たちはというと、最初に述べたように「1.2倍速」「1.5倍速」で講義動画の視聴をしていた者も大勢いたと聞く。

何が寂しいかと言うと、教える側の俗に言う「話の脱線」が聞けなくなったことである。
私が高校生時代や大学生時代、教科書通りにしかも教科書に書かれたようにしか進めない講義や授業は、大変、つまらなく感じだものだ。「話の脱線」の中には、それこそ教科書に書かれていない事、例えばその先生の人生観や職業倫理、体験談また勉強方法や覚え方などの、実は「ムダでない知識」が詰まっていて、大変興味深く聞いていた。

Z世代というのは、このような「話の脱線」=「無駄な時間」と捉えているものが多いと聞く。

きっと私は昭和生まれの古い人間だ。
時代の流れ、と言ってしまえばそこまでだが、全てにおいて「タイパ」を求める事が必ずしも良いこととは思えない。

日本の文化の中に「行間を読む」「間を大切にする」と言う感覚がある。そこで養われるものは、実は人間関係を構築していく上で非常に大切な能力なのだと思う時がある。


その「間」を感じた時に、何を考えるのか。一度、皆さんも考えてみていただきたい。

2023年8月3日木曜日

自分自身が持つ価値観へ与える影響(お金の話し)

 ご自身が今、あらゆることに対する「価値観」というのは、どこからやってきたのか?


私は、子供の頃から、特に母親からお金の使い方に関して、口酸っぱく言われ続けている(現在も)事がある。

「計画的に使いなさい」「貯金しなさい」「無駄遣いしてはいけません」

私は小学生の間のお小遣いは、1週間に¥100だった。毎週土曜日がお小遣いをもらえる日になっていて、実はその日の午後は、母と姉と従姉妹の4人で習字教室へ通う日だった。習字教室が終るとその¥100を持って、近くの駄菓子屋さんへ駆け込んだものだ。

ちなみに、普段のおやつは毎日、母が用意してくれていて(時には手作りのこともあった)、文具や衣服などは必要時に応じて買ってくれる、と言うシステムになっていた。もちろん姉も、だ。

中学生になると¥1000/月となった。普段のおやつや文具、衣服などは同じようなシステムだったが、中学生にもなるともっと欲しい物が増えた。

好きなアーティストのCD
プラモデル
漫画本

その頃僕は「TM NETWORK」を筆頭に「森高千里」「斉藤由貴」「遊佐三森」「大貫妙子」「中島みゆき」「PSY・S」「渡辺美里」が好きでせめてアルバムだけでも欲しかった。でも、シングルCD¥800、アルバム¥3000くらいの時代。単純計算、アルバム一つ買うのにも3ヶ月はかかる。

プラモデルと漫画本に関しては「聖闘士星矢」が大好きで、不定期ではあったけどプラモデルも発売されてたしもちろん漫画本も発売されていた。プラモデルは確か¥1000くらい、漫画本も¥700くらいだったか。

とにかく僕としては、我慢して我慢して我慢して我慢して、その中のどれかを買うわけだ。

ちなみに高校生になった時は¥3000/月であった。音楽ももちろん大好きだったし、相変わらず「聖闘士星矢」も連載が続き、アニメも放映されて興味が薄れることはなかった。確かに、中学生の頃よりはお小遣いが増えたため買えるものも増えたが、それでも僕は我慢して我慢して我慢して我慢して、その中のどれかを買う。

高校生ともなると友達付き合いも増え、買い食いをしたり寄り道したりすることもある。でも、CDアルバム1枚買ってしまうと、その月はもう、買い食いもできない。

ある時、母親にお小遣いの「賃上げ交渉」をしたことがある。
「CDアルバム1枚買ったらもうその月は何も買えないから、せめて¥5000にして!」と。しかし母は「おねーちゃんもおんなじ値段だったんだからあなたも我慢しなさい」と一蹴され、ケンモホロロ、惨敗だった。

短大に入学し、一人暮らしを始めてからは、アルバイトを始めた。生活費は仕送りだったが、遊ぶお金は自分で稼いでいた。しかし当時、やっと週休二日が普及し始めた頃で、医療短大でのカリキュラムはきつかった。週2日は1~5限目まで、週3日は1~6限目まである状況で、6限目まである時は講義が終ると18時だったから、あまりアルバイトにも時間を割けなかった。

僕は、自宅アパートと短大の中間にあるミスドでバイトをしていた。夜間~深夜の大体4時間がベースで、月に稼げてたのはせいぜい、3~4万円だったと思う。

サークル(バンド)も始めて、音楽機材を買ったり、もちろん友達と遊びに出かけたり呑みに行ったりしていた(ただしバーに呑みに行くときは閉店まで1杯で過ごすという嫌な客だった)。

余談だが、行きつけのマスターが僕がリハビリの学校に通っていると知ってから、営業中に肩揉みをすると1杯ごちそうしてくれた。

短大を卒業して、夜間の福祉大学に入学しそれと同時に就職はしたが日中、理学療法士として働いた収入は、生活費を賄うことが精一杯でボーナスは大学の学費に消えた。

この間は、親に借金することもなく何とかやってこれた。

しかし、この後がいけなかった。
夜間の大学を卒業し、無事に社会福祉士の資格を取り、それまで勤めていた整形外科のクリニックを退職、そして地方都市の市民病院に就職してから「お金に余裕があるってこういうことか!」となんとも言えない開放感を味わった。

新車の車を買った。
飛行機に乗っていく旅行も行った。
ほぼ毎週末はデートだった。
好きな服のブランドも見つけた。
香水も買った。
相変わらず音楽は好きだった。
パソコンも買った。
一応、定期預金も始めた。
民間の健康保険にも入った。

でも、これは通過地点で、以前、僕のblogでも書いた通り僕は「理学療法士+α」の仕事がしたくて、その市民病院で働いている最中に、社会人入試で大学院に進学した。それで定期預金も解約した。また、僕のボーナスは学費に消えた(笑)。

ちょうど、その頃僕はHIVに感染した(27歳)。
だから民間の健康保険も更新手続きはしなかった(当時、HIV感染症患者は適応外だった)。

それがきっかけで(それだけではないけど)転職をし、理学療法士を養成する短期大学で講師として働くことになった(29歳)。もちろん、大学院生を続けながら。博士課程まで進学したけど、実験結果が思うように出ず、在学を2年伸ばしたけど結局、学位は取れなかった。もちろんその伸ばした2年間は、学費を払い続けた。そして僕は短大講師を辞めた(35歳)。

だから、金銭的に本当に余裕があった期間というのは、市民病院で働いていて大学院に進学するまでのほんの数年間である。そして、自分で言うのも変だが、なんだか金銭感覚が人とは違うというか、狂っていたと思う。

母の教えである「計画的に使いなさい」「貯金しなさい」「無駄遣いしてはいけません」と言う「価値観」は十分、理解していたつもりだし必要なことだと思っていた。しかし、実際の行動には伴っていないことが多かった。

夜間の大学に進学するときも大学院に進学するときも「ボーナスをつぎ込めば普段の生活はできる」ということだけで判断し「将来に備える」と言う事はほぼ、念頭になかった。

また、現在に関して言えば双極性障害の影響も多かれ少なかれあると感じている。私は鬱期に入ると過眠・過食の症状に悩まされる。基本的には鬱なので動けないけど食欲は底なし。もちろん料理する気力もなく、ましてや買い物に出かけるなんてもってのほかである。結局は割高なデリバリに頼る。
躁期には「もしもの時に蓄えておく」と言う考えはなくなり、お金はあればあるだけ使うと言う感覚で浪費していた。

しかし母の教えは僕の奥底に根付いているわりには行動は伴っておらず、しかしいつの間にか「お金にだらしないことはとても恥ずかしいこと」と言う認識に変換されていた。そして「お金にだらしない私はダメな人間だ」へと変換されることになる。


人間の価値観というのは、幼少期から成人期にかけ以下のような要因によって形成されると言われている

①家庭環境
②教育
③社会環境
④個人の経験
⑤宗教
…など…

もちろん価値観そのものは、生涯に渡って変化していくものである。

しかし、子どもの頃うけた親からの教育や躾というのは、その人の価値観の奥深く、まるで「棘のある蔦」の様に強くしつこく絡まっていることが多い。その呪縛から開放されるには、その人が成人期に入った時に、どれくらいのインパクトを持ってどの様に何を経験するか(これには社会環境の影響も含む)によって大きく変わってくると考える。


私はこの歳になっても母から聞かされる話がある。

「おとーさんはね、おかーさんと結婚する時、1円も貯金がなかったのよ」
「おねーちゃんは結婚する時〇〇円貯金したの」
「おねーちゃんは子どもたちの学費のために、一人〇〇円ずつ貯金をためたの」

何歳になっても親は親。
でも“子”のほうは、いつの間にか“子”でなくなる。
“子”は親を客観的に評価する“成人”になっていることが多い。


しかし、親の呪縛を振り払うには、並大抵の努力では困難であることも事実である。

2023年8月2日水曜日

私を中核をなすもの(③友人・30代~現在)

少し間があいちゃったけど「私の中核をなすもの(③友人・短大~20代終わり)」からの続きでーす。


この頃になると、「友人」から「知人」へ降格🥴する人や淘汰されていく人がたくさんいることに気付いてきたんです。

逆に「友人」から「親友」に昇格🫣する人もいたり、もともと「親友」である人が、さらに付き合いが深くなったり。

ちょっと気になったから言葉の定義を調べました📖

【知人】
互いに知っている人。知り合い。
【友人】
ともだち。朋友(ほうゆう)。とも。
【親友】
互いに心を許し合っている友。特に親しい友。

僕の親友と呼べる人とは、僕が30代始めの頃に知り合ったんやけど、そん時はまだ「友達の友達」で「知り合い」程度だったんやけど、たまたま僕がお付き合いを始めたパートナーと友達でもあった❗というつながりができ、そのパートナーとの関係について相談したり、その親友のパートナーとグループデート(死語ですか?😬)したりと仲を深めていって。

お互いの人間性や価値観を知るうちに、共感できるところがたくさんあったり「ここまで言っても大丈夫💪」みないな感覚がうまれてくると、どんどん距離が近づいていって、パートナーとは違う存在になってくるんよね。

なんていうか…いつも味方でいる存在ではないけど、必ず見守って寄り添ってくれる…しかも、付かず離れずの微妙な距離感でいてくれる心地よさがうまれてくるんよね。親友って。

間違ってもそこに恋愛感情は芽生えません❗いやマジで。
これは僕だから、なのかもしれないけど、「この人とは友達関係だな」とか一度関係性を定義しちゃうと、そこから脱線しないというか、それ以外には見えなくなるというか💦
一線を超えないからこそ、“親友”という関係性が続いているのかもしれないしね。その親友とはもう20年近くか。知り合ってからも含めると。

知人は無尽蔵に増えていくよ。まあ、どんなコミュニティに属しているかとか仕事の種類とかにもよるけど、年を取れば取るほど知人は増える🧑‍🤝‍🧑🧑‍🤝‍🧑🧑‍🤝‍🧑🧑‍🤝‍🧑🧑‍🤝‍🧑。

言っちゃ悪いけど、所詮「知人」は「知人」だから(これ以上は言うまい)。

それと「友人」は時々、利害関係が発生することがあるから。
(詳しく書くと炎上しそうなのでこれ以上は説明しませんが…)

これも結局『大人の階段上った結果』でしょう。


そう言えば今朝「紙兎ロペ」でこんなやり取りがあった。

アキラ先輩「おまえ、親友って何人欲しい?」
ロペ「オレは一人で十分っすね」
アキラ先輩「お~~かっけ~~。けどお前、その一人の親友が〇〇(どこかの国名)に行ったらどうするんだよ?」
ロペ「え~~~~…じゃあ親友2人で」
アキラ先輩「じゃあその2人がサッカー留学にブラジルへ行ったら?」
ロペ「じゃあ、親友11人で」(続く)
(多分そのうちにユウツベでUPされるだろうから気になる人はチャンネル登録してね💕)

まあ、「紙兎ロペ」だから最後にオチがついて笑い話になるんだけど、この話には疑問があって、じゃあ「親友ってどんな存在か」を議論していないんだよね。

これは全く持って僕の持論なんだけど、「親友に距離は関係ない」。です。
だって、考えてみてよ。今のこの世の中、どんな方法でだって“繋がる”ことはできるんだよ。そりゃリアルに勝るものはないけれど、お互いに「親友だ」とつながりを感じていて忘れない限り、どこにいたって親友は親友。

少なくとも僕はそう思ってる。

本当に必要だから…「泣く」と言う反応「笑う」と言う反応

 人は、様々な場面で「泣く」。そして「笑う」。


先回までblogに書いていた「カウンセリングなんて…と思っている方へ」のシリーズの中でも述べてきたが、カタルシス効果を得るために「泣く」こともある。

実は「泣く」ことで『コルチゾール』というストレスホルモンの分泌が抑制され、その代わりに『エンドルフィン』『オキシトシン』と呼ばれる、別名「幸せホルモン」が分泌される。

この「幸せホルモン」であるが、性的接触や抱擁やキスなどのスキンシップをした時、また笑っている時に多く分泌される。言い換えれば“快”の感覚を味わっている時に分泌されるホルモンである。

ここで「ん?」と疑問に思われるかもしれない。

「泣く」ときと「笑う」ときで、同じ「幸せホルモン」が分泌される??

まるで真逆の状況であるかのような時に、同じホルモンが分泌されるというのは、いささか納得がいかない部分かもしれない。

人はどんな場面で「泣く」のだろうか?ご自身の体験を思い返してみていただきたい。

①悲しい時
②怒りを感じた時
③喜びを感じた時
④恐怖を感じた時
⑤過度の緊張状態にある時
⑥助けを求めたい時
…などなど…

③以外の時というのは、できれば避けたい心理状態であり、それが極限まで達すると生命の維持行動(危険から身を守る・逃げる、摂食・排泄行動をするなど)を行えなくなってしまう危険性がある。そのため、そのような心理状態から脱するため、また回復するために「泣く」と言う反応が起こり「幸せホルモン」が分泌されることで、生命の維持行動が行えるような心理状態に導くために働く。

「幸せホルモン」である『オキシトシン』が分泌されるとどのような効果があるかというと…

①愛情や信頼を促進する
②ストレスを軽減する
③痛みを緩和する
④免疫力を高める
⑤記憶力を向上させる
⑥学習能力を向上させる
⑦睡眠の質を向上させる

などがあると言われている。

ここからは私の持論であるが、「泣く」「笑う」両者でも「オキシトシン」は分泌されるが、どのような状況・精神心理状態で「オキシトシン」が分泌されるのかによって、より得られる効果は違うと思われる。

例えば「泣く」時に「オキシトシン」が分泌されると①②③④の効果が、「笑う」時に「オキシトシン」が分泌されると①④⑤⑥⑦の効果が得られるのではないだろうか。

(これはあくまでも持論であってエビデンスはない。経験から想像するに、である。)

ここで一つ心に留めていただきたいことがある。

先にどんな時に「泣く」のかを述べ、次に「泣く」時に分泌される「オキシトシン」の効果について述べた。つまり、「泣く」であろう場面で“泣かない(泣けない)”ということは、本来「泣く」時に得られる「オキシトシン」の効果が、得られなくなってしまうということである。

何を伝えたいか、というと、

『泣きたいと思った時には泣いたほうが良い』

と言うことである。


「泣くことは心の弱い証」「泣くことは恥ずかしいこと」「男は泣いてはいけない」そんな根拠のない言葉に振り回されてはいけない。「泣く」ことは正常な身体の反応で(一部、正常でない場合もあるが)「泣く」こと事態を非難するのはお門違いである。

以前「男が泣いて良いのは産まれた時と親が死んだ時だけ」と言うパワーワードを耳にしたことがあるが、日本人には特に男性が「泣く」ことへの否定的な印象が強いのではないだろうか。


私事ではあるが、50歳を目前にして、異常に涙もろくなった。
「年をとると涙もろくなる」とよく言われるが「じゃあ何故、年をとると涙もろくなる」のか?調べてみたところによると…

①涙腺の機能が低下する
②ストレスや疲労が溜まる
③ホルモンバランスの変化
④一部、薬剤の副作用

と言う理由があるそうだ。
私自身、双極性障害であるため、精神に作用するお薬を服薬しているので、④の影響も大きのかな?と。更に「涙もろくなる副作用をもつお薬」について調べてみると…

①抗うつ薬
②抗アレルギー薬
③高血圧薬
④降圧薬
⑤糖尿病薬
⑥抗凝固薬
⑦抗炎症薬
⑧抗がん剤
⑨ホルモン剤
⑩ステロイド剤

出るわ出るわ!!その多さにびっくりするのであるが、副作用というのは、そのお薬を服薬していて誰しもがかならず出るというものでもないので、これだけの数が挙がるのだと思われる。

しかし…
私は、①④を服薬しており、さらに年齢を加味するとホルモンバランスも崩れているのかもしれない(笑)。


それで精神心理が安定するのであれば、まあ、良しとしよう。

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 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...