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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年9月14日土曜日

人は何故「差別」する?~社会心理的背景から

 今も昔も無くならないものの一つに『差別の心』があると思います。どんなに時代が進んでも、その時代時代に対象はかわるものの、『差別する心』がこの世から消えてはいません。

とても残念なことですが…

ボクだってそうです。

パラちゃんねるカフェに掲載していただいたボクのコラム『ボクのLiving with HIV~番外編』でもお伝えしましたが、ボクがHIV陽性者になり、なぜ長い間、苦しい思いをしていたのか。それは、ボク自身がHIVやエイズに対して偏見を持っており、だから自分を受け入れることができなかったから、と言う事実が心理カウンセリングを通して明らかになりました。

もちろん『偏見を持っている=差別する』とはなりませんが、『偏見を持っている≒差別する』だとは思っています。

日本人ならよく知っている、江戸時代の身分制度『士農工商』というものがありますよね。ボクらが学生の頃は、江戸時代にはこの身分制度が世の中の秩序を平穏に保てていた、と勉強しましたが、最近の研究では『士農工商』と言う身分制度は、それほど厳密ではなかった、と言うのが一般論だそうです。


ただし、忘れてはいけません。『士農工商』には続きがありますよね。

『士農工商穢多非人(しのうこうしょうえたひにん)』

ただ、この『穢多非人』についても諸説言われていて、差別部落などとの関わりも研究されているようですが、一つ言われているのが『穢多非人と呼ばれる人々が、一般的に好まれないシゴトをしていた』と言う事が伝えられているということです。

また、諸説ある『穢多非人』の配置について「士農工商のよりも下の身分をおくことで、士農工商たちの不満を抑え込んだ」とも。

実はこの「自分よりも身分の下の人がいることによる心の安寧」が『差別の心』を芽生えさせる原因だ、と言う研究があります。

この研究は、米国エモリー大学のエミリー・ビアンキが行った研究で、2年おきに行われるアメリカ・ナショナル・エレクション・サーベイから、3万189名の白人が、黒人をどう評価しているのかというデータを抜き出して分析た、と言うものがあります。なお経済状況は、失業率を使いました。

その結果、経済状況が悪くなると、白人は、黒人を悪く評価するようになることがわかりました。

経済が好調のときには、白人も黒人に悪い感情はそんなに持ちません。ところが、いったん経済が悪くなってくると、差別の心がむくむくと湧き上がってしまうようです。


もちろん、様々な要因が重なり合い、『差別の心』が生まれるのは確かです。しかし、経済的余裕が心の余裕に繋がり、『差別の心』にも影響を及ぼすということは、感覚的にイメージできるのではないでしょうか。

『士農工商穢多非人』のところでもお伝えしましたが、心の安寧を、誰かを見下し差別することで得ようとする社会心理的な影響は、いつの時代にもあることだと思います。


ここで誤った理解をして欲しくないのは『経済的余裕がないから誰かを差別して良い』と言う事が言いたいのではない、と言うことです。

当たり前ですけど…


ふと誰かの事を差別しそうになった時に思い出してほしいのです。

その『差別の心』は経済的余裕がないからかもしれない、と。

もちろん、『経済的余裕』というものは、一瞬で改善するものではありません(一瞬で悪くなるものではありますが…)。ですので、自分が誰かを差別しそうになった時、人道的に考えて欲しいのです。

倫理的に哲学的に考えて欲しいのです。

よく「相手の立場に立って考える」と言う物の言い方をしますが、これって本当に難しいことだと思います。

でも…

ボクは事あるごとにお伝えしているのですが、人間は考える動物です。『快』『不快』で判断して行動して欲しくない、と言うのがボクからのお願いです。

2024年9月3日火曜日

㊗️開設1周年を迎えるにあたって~初心に帰る~

  2024年9月4日、「勇者の部屋」の開設1周年を迎えることになりました。これもひとえにご利用していただいている方々、様々なアドバイスをくれた友人知人、ハローワークや障害者就労支援センターなどの支援員の皆様、その他たくさんの方からのご支持があってこそと思っております、本当にありがとうございます🙇🏻‍♂️

この一年を振り返ってみると、本当に色々なことがありました。「心理カウンセラー(心理職)をしていく」と言う信念は、絶えず持ち続けていましたが「個人事業主として働く」と言うことに関しては、何度も何度も心が揺らぎ、途方に暮れ歩む道に悩んだこともあります。

ただ、正直、今でもその答えは出ていないものの、誤った道ではない、と何となく思っています。

今日のBlogは、以前の公式サイト内には書かせていただいた内容なのですが、「なぜボクが心理カウンセラーと言う仕事を選んだのか」と言う原点についてお伝えしたいと思っています。


①理学療法士という仕事の限界

高校を卒業し医療技術短大の理学療法学科に進学、卒業と同時に理学療法士免許を取得してから、20年近く理学療法士という仕事をしてきました。今ではリハビリセラピスト(理学療法士・作業療法士・言語聴覚士)のお仕事はかなりメジャーになりましたが、ボクが高校生だった1990年代後半には、まだまだマイナーな仕事でした。

理学療法士になるためには、その専門課程を持った専門学校・短大・大学に進学し、所定の科目を修了し初めて国家試験を受験する資格を得ることができます。当時は、専門学校が主流で短大は少なく大学に至っては2校くらいしかない時代でした。

紆余曲折あって、正直、ボクは理学療法士と言う仕事をよく知らないまま(笑)短大に進学したのですが、理学療法学を学んでいくうちにその面白さに気づいた、というのが事実です。

また、当時の学科長だった整形外科の医師は、事あるごとに「あなた達は臨床に出てから医者と対等に話ができる理学療法士にならなければならない」とボクたちに言い聞かせていました。それにも洗脳されたかもしれません(笑)

理学療法士免許を取得してから、整形外科のクリニック・地方の公立病院・私立の総合病院などで臨床経験を積み、本当に多種多様な疾患の患者様と関わらせていただくことができました。

理学療法の世界には『〇〇法』とか『〇〇手技』などと呼ばれるものが非常にたくさんあります。

これはそのセラピストの『主義』によると思うのですが、ボクはそのような『○○法』『〇〇手技』というものに対しては、なにか一つを極めるというよりそれぞれの理論やテクニックの良いとこどりをする、そして患者様の症状などに合わせてそれを使い分けていく、というのがボクのスタンスでした。


5年、10年、20年と続けていくうちにボクは、ハタと気付いたのです。

「患者様が回復して良くなっていくのはボクの技術・テクニックが向上しているからののだろうか?」と。

リハビリの仕事というのは、根本的に“患者様にしてもらう”ことばかりです。ボクらはそのお手伝いをしているにすぎません。

もっとザックリ言ってしまえば「患者様のやる気一つ」なのです。


臨床で働いている時、よく「〇〇さんのモチベーションが…」とか「〇〇さんのやる気次第なんだけど…」みたいな話題は絶えずあり、あたかもその患者様の気持ちの問題、みたいな事が、それはそれは沢山(笑)ありました。

そんな事を経験していくうちに、ボクは「これが理学療法の限界なのでは」と思うようになり、人の心理というものに大変、興味を持つようになりました。


②ボク自身が心理カウンセリングを受け、その効果を知っていた


ボクが最初に心理カウンセリングを受けたのは、HIV陽性告知を受けた時でした。その時の経緯などは、ボクがコラムを書いています『パラちゃんねるカフェ』の『ボクのLiving with HIV』と言うシリーズを御覧ください。

ボクは4年近く、一人の臨床心理士さんに担当して頂き、本当に本当に、救われてきました。

もちろん『癒やし』と言う意味でも救われてきましたが、道に迷ったときの羅針盤であったり、自分の知らない自分を探求したり、『楽に生きること』『幸せに生きること』そんな事を考えたり行動するための基礎を作ってくれたのが『心理カウンセリング』と言うものでした。

その後、メンタルダウンを経験し『うつ病』と診断されてからは(後に双極性障害となる)、精神科・心療内科で心理カウンセリングを受けてきました。

それは治療の一環という意味合いもありましたが、“ただ苦しい心の内を打ち明ける”とか“ツラさを吐き出す”場ではない、と言う事を強調しておきたいと思います。

実際に、ボクの心理カウンセリングを受けたことのある方はご存知かと思いますが、“なぜ辛いと思ってしまうのか”“どうして苦しいと感じてしまうのか”と言う根本的な問題を探っていきます。

どうしてそんな事をするのか。

それは、一時(いっとき)の癒やしや問題解決ではなく、これから先、長い人生を歩んでいくうちに同じ様な状況や環境に遭遇した時、上手にそれらに対処していくための手段を体得していくために心理カウンセリングを受けていただく、と言う意味合いが非常に大きいからです。

ボク自身が数年にわたって受けてきた心理カウンセリングで、そんな事を肌身で感じてきました。

③医療従事者へのメンタルフォローがとても疎かである


ボクは30代始めにメンタルダウンを経験し、40代始めに双極性障害と診断され、その間のほとんどを医療機関で理学療法士として働いてきました。

しかし、それはとてもとても辛くて苦しくて楽なものではありませんでした。

一般企業では、従業員の健康管理のため「産業医」がおり「産業保健師」や「産業カウンセラー」の配置を義務付けられています(ただし従業員数による)。

医療機関も「働く場」と言う意味で、同様に産業保健スタッフの配置が義務付けられています。

しかし…

ボクの勤務してきた医療機関のほとんどが、その医療機関に勤務する医師の一人が「産業医」と位置づけられているだけで、一般企業のソレほど「産業医」としての機能を果たしている医療機関は皆無でした。

理由は色々あると思います。しかしボクは、自分自身がメンタルに不調を抱えるものとして、職場に安心して相談できる場がない、相談できる相手がいない、と言うのはとてもとても心細いものでした。

上司や同僚に相談すればいいじゃない、と言われそうですが、同じ現場で働いているからこそ話しづらいこと、言えないことと言うのは、たくさんあります。

それに、これは何となくボクが感じていたことですが「医療従事者なのだから自分の健康は自分で守るのが当たり前」の様な風潮、社風があったように思います。

医療機関というのは、一種独特の環境です。もちろん専門機関であるため、一般企業と比較するのは乱暴なのですが、とても閉ざされた組織であり、表と裏がハッキリとしている業界でもあると、今でも思っています。

そんな環境に長くいると、それが当たり前に感じるようになってきてしまうのですが、ボクは、医療機関で働く従業員に対し、もっともっと手厚くフォローすべきなのではないか、と強く思うようになりました。


これは介護業界や福祉業界でも同じです。

『善意の詐取』

何となく、『自己犠牲が当たり前』と言う風潮が漂うこれらの業界では、もっともっと従業員を大切にすべきです。それはお金の話ではありません。

マインドです。社風です。

ボクはそんな業界に正直、嫌気がさしていました。それに呼応するように、じゃあボクに何ができるのか、と考えた時『産業カウンセラー』と言う資格・仕事が浮上してきました。

④心理カウンセラーはもっと身近であって良い


これは日本人の国民性もあると思います。『我慢することの美徳』と『人に弱みを見せることの恥』。

この記事も『パラちゃんねるカフェ』の『心理カウンセリングのススメ』と言うシリーズでも書かせて頂きました。

日本において『心理カウンセリング』が何となく理解されず受け入れられていないな~と思う原因がいくつかあります。

その詳細については、上記コラムを参照していただきたいのですが、人はもっとオープンマインドであるべきだ、というのがボクの持論です。

“忖度”や“配慮”、“先回り”や“阿吽の呼吸”など、日本人には『言葉にはしないけど通じ合うこと』をとても素晴らしいものとする価値観があると思います。

それを頭から否定するつもりもありません。

けれど、人間は神様ではありません。超能力者でもありません。

人間は言葉を使って(一部、非言語を使って)コミュニケーションをとり、お互いに理解し合う生き物です。

“気持ち”や“感情”だって、なんらかの方法を使って表現しなければ、相手には伝わりません。

その方法を見つけ出したり、表現する勇気をもらったりするのが『心理カウンセリング』の目的の一つだと思っています。

精神疾患患者のためのもの、特別な病気を持った人のためのもの、と言う時代は終わりました。

日常の些細なことや、周囲の誰かに相談しづらいこと、そんな事を気軽に相談できる存在として『心理カウンセラー』を利用していただきたいと思っています。

その気持ちを込めボクは『皆様のかかりつけ心理カウンセラー』を目指したいと思っています。


大変、長文になりました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ボクもこのBlogを書きながら改めて自分の気持ちが整理でき、そしてまた明日から、このお仕事を続けていくんだ!と言う気持ちになりました(笑)

どうかこれからも末永く宜しくお願い申し上げます。


2024年8月1日木曜日

身体の不調→メンタルの不調②甲状腺機能亢進症

 「内蔵や臓器が原因で起こるメンタルの不調」第2弾です。『甲状腺機能亢進症』と言う疾患があるのですが、日本人の場合、人口1000人あたり0.2~3.2人程度と報告されていて、特に女性に多く、男女比は1:3~5くらいと言われています。年齢は20~30代の若い女性に多い病気です。

ただ、症状が軽度であったり他の病気と間違われたりしてしまって、正確な診断に繋がらなかったケースもあるようで、そのために長年、病気に苦しめられた、と言う方もおられるようです。


甲状腺というのは上の図のような部位に位置していて、甲状腺ホルモンというホルモンを生産、分泌する大切な臓器のうちの一つ。では甲状腺ホルモンにはどんな働きがあるのでしょうか?


・新陳代謝の促進: 体内のエネルギー消費を活発にし、体温を維持する働き。

・成長の発育: 特に、胎児や小児の成長に欠かせないホルモン。

・神経系の発達: 脳の発達や神経系の機能に深く関わっている。

・心拍数や血圧の調節: 心臓の働きを活発にし、血圧を上昇させる働き。


『甲状腺機能亢進症』と言うぐらいですから、甲状腺の機能が過剰に働いてしまう、つまり甲状腺ホルモンが必要以上に分泌されてしまう病気です。

では、具体的にどの様な病気があるのかと言うと…


・バセドウ病: 自身免疫疾患の一種で、甲状腺を刺激する抗体ができてしまい、過剰にホルモンが分泌される状態。

・甲状腺炎: 甲状腺に炎症が起こり、一時的にホルモンが過剰に分泌される。

・甲状腺腫瘍: 甲状腺に腫瘍ができ、ホルモンを過剰に分泌する場合がある。

・薬剤性: ヨウ素製剤やある種の薬剤が原因となる場合もある。


バセドウ病などは比較的有名で、皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

では、甲状腺機能亢進症になるとどの様な症状がでるのか。主な症状を挙げてみますね。


①全身症状:
・動悸、息切れ
・手足の震え
・多汗
・暑がり
・体重減少
・食欲亢進
・下痢
・頻尿
・月経異常

②神経症状:
・イライラ感
・不安感
・不眠
・集中力の低下

③眼症状:
・眼球突出
・まぶしさ
・目のかゆみ


特に③眼症状の眼球突出と言うのは、この病気の特徴としてよく知られています。

そして②神経症状にもあるように、一見すると精神疾患の様な症状を引き起こすことも…冒頭で『症状が軽度であったり他の病気と間違われたりしてしまって、正確な診断に繋がらなかったケースもあるよう』とお伝えした通り、この②神経症状が顕著で他の症状が軽症であったがために、甲状腺機能亢進症であると言う確定診断が遅れてしまった、と言うケースもよく耳にします。

ただ、下の写真の様に眼球突出のように見た目にわかる症状もあるため、そこから病気が見つかった、と言うこともよくあるようです。


また、甲状腺機能亢進症を発症したことを公言している有名人、芸能人の方々もおられますね。

X JapanのYOSHIKIさん


立川志らくさん


絢香さん


愛内里菜さん


中には、この病の発症を期に芸能界を引退された方もおられますが、正確な診断を受け適切な治療を続けていれば、特に恐れる病気ではありません。


先にもお伝えしました通り、精神症状がメインで出現することもあるので、精神科や心療内科での治療があまり功を奏しない様な場合は、一度、甲状腺機能亢進症の様な内蔵臓器の病気を疑ってみるのもいいかと思います。

ここで大切なのは、主治医とのコミュニケーションです。例えば、何らかの精神症状をきっかけに精神科や心療内科などを受診し、服薬などの治療を開始し、ある程度の時間、同じ治療を続けても、あまり大きな効果を感じられなかったり、逆に症状が悪化するような印象を持った時に、ありのままの事実をキチンと主治医に報告・相談できる関係性を作っておくことです。

もちろん、主治医のキャラクタもあるかもしれません。それに医師も人間です。合う合わないもあるかと思いますが、「医師とうまく付き合う方法」を見つけておくことも、治療を行う上で大切なことだと思います。

2024年7月30日火曜日

ゴミ屋敷問題だけじゃない!“セルフネグレクト”

『ネグレクト』という言葉は一般的になってきたのはここ10年ぐらいでしょうか。特に『育児放棄』という意味合いで使われることが多くて、ネグレクトも虐待の一部だ、という認識が広まりましたよね。

今回、話題にするのは“セルフ”がつくんです。

何じゃ?とお思いになるでしょう(笑)


いつものように言葉の整理から。

セルフネグレクトとは…
セルフネグレクトとは、健康や生活への関心が薄れ、自己管理ができなくなる状態を指します。具体的には、極端に不衛生な環境に住んだり、適切な食事や医療を拒否したりすることで、健康を害する状態を指します。セルフネグレクトは、ゴミ屋敷や多頭飼育の問題とも関連しています。

最近、若い女性でがSNSで「お風呂キャンセルして3日目」とか「今日はシャワーキャンセル」のような表現の仕方を見聞きすることがあります。「キャンセル」というのは、そのままの通り、お風呂に“入らない”シャワーを“浴びない”などを意味しているのですが、まだ、SNSで自己申告できている間は大丈夫。

セルフネグレクトは、本人が「困っていない」「支援してほしくない」と感じて助けを求めないことが多い点が特徴だったりして、認知症やうつ病などの精神疾患、あるいはストレスによって「支援を求める力が低下」していることが原因として考えられています。

他にも、日本人は遠慮や世間体を気にする傾向があり、本心では支援を必要としていても、自分から言い出せない場合もあるようです。


では、どうしてセルフネグレクトになるのでしょう?先ほど、少し書きましたが、セルフネグレクトに陥る要因をもう少し詳しく見ていきましょう。

①配偶者の死や病気、リストラなどのライフイベント
②認知症、統合失調症、うつ病、アルコール依存症などの精神疾患
③経済的な困窮
④社会的な孤立
⑤家族からの虐待

など

セルフネグレクトを考える時「本人がそうしたいと思っているんだから、それで良いんじゃない?」とか「本人の意志を尊重すればそれでいいじゃない」と思われるかもしれません。しかし、セルフネグレクトを放置すると、家族や地域社会からの孤立、孤独死や近隣トラブルなどのリスクにつながる可能性があります。

日本におけるセルフネグレクトの現状は、ここ数年で表面化し、深刻化しつつある問題として認識されています。高齢化や独居高齢者の増加に伴い、セルフネグレクトは「ゴミ屋敷」問題や孤立死の増加とも関連付けられています。



セルフネグレクトについて色々、調べていくうちに「あ!あの時、ボクはセルフネグレクトしてたんだ…」と思い当たることがありました。

何度もお伝えしていますが、ボクは双極性障害Ⅱ型です。うつ症状がメインの病気なのですが、理学療法士として勤務している時、自分のメンタルの状態が悪くなっていく過程で、このセルフネグレクトの状態になっていくことが、如実にあることを思い出しました。

ボクの場合は以下の過程を辿ります。

①キッチンのシンクに食器が溜まる
②洗濯物が溜まる
③シャワーを浴びなくなる
④着替えをしなくなる
⑤服装に気を使わなくなる

そんな感じ(笑)
⑤まで行くと、最終的に出勤できなくなったり外出できなくなったり。


では、このセルフネグレクト。どの様に予防していったらいいのでしょうか?セルフネグレクトの予防には、個人と地域社会の両面からの取り組みが必要と言われています。


1.個人の取り組み
①自身の体調やストレスの程度を意識する
②ストレスのかかるライフイベントに注意する
③社会的な孤立を避ける

2.地域社会の取り組み
①セルフネグレクトに関する理解を深める
②早期発見・見守りネットワークを構築する
③相談窓口の設置や情報提供を行う
④地域住民への啓発活動を行う

セルフネグレクトは複雑な問題であり、支援には困難が伴うことも少なくありません。しかし、根気強く、本人に寄り添いながら、関係機関と連携していくことで、状況を改善できる可能性があります。


ボクの経験上、最も大切なのは「孤立・孤独状態をいかに防ぐか」がポイントになってくると思います。高齢者にせよ若者にせよ、最近は独居・一人暮らしという世帯が増えてきています。しかもそのような生活状況にある人が、何らかの病気を抱えていることも少なくありません。

社会サービスに繋がることはとてもハードルが高いと思います。ですので、少なくとも、何かのコミュニティに属していたり、友人知人関係を持ち続けることが、本当に大切な世の中になったのだと思います。



2024年7月11日木曜日

幸福な人生を送るために…「情けは人の為ならず」

 誰もが、幸せな人生を送りたい…今の世の中、何をどうすれば幸せになれるのか。もちろん『幸せの定義』と言うのは、人それだし正解というものがないのが正解だとも思います。

近年、『幸せ』に関する研究が、非常に多くなされてきています。その中でも今回、ご紹介するのは「見ず知らずの他人の幸せを願うだけでも、願っている人が幸せになる」と言う、非常に面白い研究結果をご紹介します。


アイオワ州立大学のダグラス・A・ジェンタイルらは、被験者496名に大学内の建物の周囲を12分間歩いてもらい、その間、目に入る見知らぬ人たちについて、次の4グループに分けて、それぞれの内容を一所懸命に考えてもらいました。

①彼らが幸せになることを心の底から願う
②彼らと共有できる希望や感情について考える
③彼らと比べて自分が恵まれているか考える
④彼らの衣服やアクセサリーについて考える

すると、グループ①の被験者は、不安感が減少し、幸福感や共感力が向上し、思いやりや連帯意識が高まるなどの結果が出たのです。

タイトルにもしましたが『情けは人の為ならず』なのだと言っているのです。


ところで…『情けは人の為ならず』って慣用句の意味、ご存知ですか?(笑)
“「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味”ですよ。


「人のために何かをする」と言うと、皆さんはどんな事を思い浮かべますか?例えは寄付をする、ボランティア活動をする、そんな事を考えるのではないでしょうか?

この研究では「誰かのために祈ること・心寄せることだけでも、その人の幸福度が上がる」と言うことを示しているんです。

つまり、具体的な行動は必要ないんです。

誰かのために思いを寄せ、祈るだけで良い、と言うことなんです!

しかもその対象は「見知らぬ人でいい」んです。(むしろ、知っている人の事は、利害関係が生じるため、純粋に心寄せることができないとか…)

よくさ、『利他的行動』って言うじゃない。
利他的行動』と言うのは“自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動のこと”で、色んな動物に、その様な行動が観察されるんやけど、この研究のように「見知らぬ人の幸せを願う」とか「誰かのために祈る」というのも、一種の利他的行動と言えるのかもしれませんね。



実は、話が前後するのですが、なぜ、今、この様なblog記事を書こうかと思ったかと言うと、令和6年元旦、能登半島地震が起きたのは記憶に新しいところです。その時ボクは、3.11(東日本大震災)の事を思い出し、しばらく一切のメディア(特に地上波のTV)は見ないようにしていました。

それはなぜかと言うと、悲惨な映像が流れるたびに、苦しくなり自分自身のこころが不調をきたすと分かっていたからです。3.11の時、実はボク、メンタルダウンし休職中で、自宅休養していたため、繰り返し繰り返し、何日間もあの衝撃的な映像を目にすることで、非常に胸が痛く苦しい経験をしていたからでした。

そして、先日、能登半島地震の影響と支援についてニュースを見たとき、再び、ボクは苦しい思いをしました。


寄付するだけの金銭的な余裕がない。
かといって、現地入りしボランティア活動できるほどの生活にも余裕がない。


そう思うと、例えばSNSで「能登半島地震のために寄付をしました」とか「1週間ボランティア活動に行ってきました」などような報告をする投稿を見るたびに、なんとなく自分自身が、無力で情けなくて人の役に立ってないかのような、とてもネガティブな気分になってしまいました。


しかし、困っている人のために心寄せることならできる。誰かのために祈ることならできる。これらのことって「プライスレス」ですよね。


人は時に、大自然を前にした時や病気というどうにもならない事実を目の前にした時、大きな無力感に苛まれることもあります。しかもそれが、自分ではなく、自分とは全く関係のないところで起こっていたとしたら、なおさらです。

しかし、その苦しんでいる人、そこからなんとか回帰しようとしている人に心を寄せ、祈ることだけでも、自分自身が救われている、ということも忘れてはならない、とボクは思っています。

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 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...