この一年を振り返ってみると、本当に色々なことがありました。「心理カウンセラー(心理職)をしていく」と言う信念は、絶えず持ち続けていましたが「個人事業主として働く」と言うことに関しては、何度も何度も心が揺らぎ、途方に暮れ歩む道に悩んだこともあります。
ただ、正直、今でもその答えは出ていないものの、誤った道ではない、と何となく思っています。
今日のBlogは、以前の公式サイト内には書かせていただいた内容なのですが、「なぜボクが心理カウンセラーと言う仕事を選んだのか」と言う原点についてお伝えしたいと思っています。
高校を卒業し医療技術短大の理学療法学科に進学、卒業と同時に理学療法士免許を取得してから、20年近く理学療法士という仕事をしてきました。今ではリハビリセラピスト(理学療法士・作業療法士・言語聴覚士)のお仕事はかなりメジャーになりましたが、ボクが高校生だった1990年代後半には、まだまだマイナーな仕事でした。
理学療法士になるためには、その専門課程を持った専門学校・短大・大学に進学し、所定の科目を修了し初めて国家試験を受験する資格を得ることができます。当時は、専門学校が主流で短大は少なく大学に至っては2校くらいしかない時代でした。
紆余曲折あって、正直、ボクは理学療法士と言う仕事をよく知らないまま(笑)短大に進学したのですが、理学療法学を学んでいくうちにその面白さに気づいた、というのが事実です。
また、当時の学科長だった整形外科の医師は、事あるごとに「あなた達は臨床に出てから医者と対等に話ができる理学療法士にならなければならない」とボクたちに言い聞かせていました。それにも洗脳されたかもしれません(笑)
理学療法士免許を取得してから、整形外科のクリニック・地方の公立病院・私立の総合病院などで臨床経験を積み、本当に多種多様な疾患の患者様と関わらせていただくことができました。
理学療法の世界には『〇〇法』とか『〇〇手技』などと呼ばれるものが非常にたくさんあります。
これはそのセラピストの『主義』によると思うのですが、ボクはそのような『○○法』『〇〇手技』というものに対しては、なにか一つを極めるというよりそれぞれの理論やテクニックの良いとこどりをする、そして患者様の症状などに合わせてそれを使い分けていく、というのがボクのスタンスでした。
5年、10年、20年と続けていくうちにボクは、ハタと気付いたのです。
「患者様が回復して良くなっていくのはボクの技術・テクニックが向上しているからののだろうか?」と。
リハビリの仕事というのは、根本的に“患者様にしてもらう”ことばかりです。ボクらはそのお手伝いをしているにすぎません。
もっとザックリ言ってしまえば「患者様のやる気一つ」なのです。
臨床で働いている時、よく「〇〇さんのモチベーションが…」とか「〇〇さんのやる気次第なんだけど…」みたいな話題は絶えずあり、あたかもその患者様の気持ちの問題、みたいな事が、それはそれは沢山(笑)ありました。
そんな事を経験していくうちに、ボクは「これが理学療法の限界なのでは」と思うようになり、人の心理というものに大変、興味を持つようになりました。
②ボク自身が心理カウンセリングを受け、その効果を知っていた
ボクが最初に心理カウンセリングを受けたのは、HIV陽性告知を受けた時でした。その時の経緯などは、ボクがコラムを書いています『パラちゃんねるカフェ』の『ボクのLiving with HIV』と言うシリーズを御覧ください。
ボクは4年近く、一人の臨床心理士さんに担当して頂き、本当に本当に、救われてきました。
もちろん『癒やし』と言う意味でも救われてきましたが、道に迷ったときの羅針盤であったり、自分の知らない自分を探求したり、『楽に生きること』『幸せに生きること』そんな事を考えたり行動するための基礎を作ってくれたのが『心理カウンセリング』と言うものでした。
その後、メンタルダウンを経験し『うつ病』と診断されてからは(後に双極性障害となる)、精神科・心療内科で心理カウンセリングを受けてきました。
それは治療の一環という意味合いもありましたが、“ただ苦しい心の内を打ち明ける”とか“ツラさを吐き出す”場ではない、と言う事を強調しておきたいと思います。
実際に、ボクの心理カウンセリングを受けたことのある方はご存知かと思いますが、“なぜ辛いと思ってしまうのか”“どうして苦しいと感じてしまうのか”と言う根本的な問題を探っていきます。
どうしてそんな事をするのか。
それは、一時(いっとき)の癒やしや問題解決ではなく、これから先、長い人生を歩んでいくうちに同じ様な状況や環境に遭遇した時、上手にそれらに対処していくための手段を体得していくために心理カウンセリングを受けていただく、と言う意味合いが非常に大きいからです。
ボク自身が数年にわたって受けてきた心理カウンセリングで、そんな事を肌身で感じてきました。
ボクは30代始めにメンタルダウンを経験し、40代始めに双極性障害と診断され、その間のほとんどを医療機関で理学療法士として働いてきました。
しかし、それはとてもとても辛くて苦しくて楽なものではありませんでした。
一般企業では、従業員の健康管理のため「産業医」がおり「産業保健師」や「産業カウンセラー」の配置を義務付けられています(ただし従業員数による)。
医療機関も「働く場」と言う意味で、同様に産業保健スタッフの配置が義務付けられています。
しかし…
ボクの勤務してきた医療機関のほとんどが、その医療機関に勤務する医師の一人が「産業医」と位置づけられているだけで、一般企業のソレほど「産業医」としての機能を果たしている医療機関は皆無でした。
理由は色々あると思います。しかしボクは、自分自身がメンタルに不調を抱えるものとして、職場に安心して相談できる場がない、相談できる相手がいない、と言うのはとてもとても心細いものでした。
上司や同僚に相談すればいいじゃない、と言われそうですが、同じ現場で働いているからこそ話しづらいこと、言えないことと言うのは、たくさんあります。
それに、これは何となくボクが感じていたことですが「医療従事者なのだから自分の健康は自分で守るのが当たり前」の様な風潮、社風があったように思います。
医療機関というのは、一種独特の環境です。もちろん専門機関であるため、一般企業と比較するのは乱暴なのですが、とても閉ざされた組織であり、表と裏がハッキリとしている業界でもあると、今でも思っています。
そんな環境に長くいると、それが当たり前に感じるようになってきてしまうのですが、ボクは、医療機関で働く従業員に対し、もっともっと手厚くフォローすべきなのではないか、と強く思うようになりました。
『善意の詐取』
何となく、『自己犠牲が当たり前』と言う風潮が漂うこれらの業界では、もっともっと従業員を大切にすべきです。それはお金の話ではありません。
マインドです。社風です。
ボクはそんな業界に正直、嫌気がさしていました。それに呼応するように、じゃあボクに何ができるのか、と考えた時『産業カウンセラー』と言う資格・仕事が浮上してきました。
④心理カウンセラーはもっと身近であって良い
これは日本人の国民性もあると思います。『我慢することの美徳』と『人に弱みを見せることの恥』。
この記事も『パラちゃんねるカフェ』の『心理カウンセリングのススメ』と言うシリーズでも書かせて頂きました。
日本において『心理カウンセリング』が何となく理解されず受け入れられていないな~と思う原因がいくつかあります。
その詳細については、上記コラムを参照していただきたいのですが、人はもっとオープンマインドであるべきだ、というのがボクの持論です。
“忖度”や“配慮”、“先回り”や“阿吽の呼吸”など、日本人には『言葉にはしないけど通じ合うこと』をとても素晴らしいものとする価値観があると思います。
それを頭から否定するつもりもありません。
けれど、人間は神様ではありません。超能力者でもありません。
人間は言葉を使って(一部、非言語を使って)コミュニケーションをとり、お互いに理解し合う生き物です。
“気持ち”や“感情”だって、なんらかの方法を使って表現しなければ、相手には伝わりません。
その方法を見つけ出したり、表現する勇気をもらったりするのが『心理カウンセリング』の目的の一つだと思っています。
精神疾患患者のためのもの、特別な病気を持った人のためのもの、と言う時代は終わりました。
日常の些細なことや、周囲の誰かに相談しづらいこと、そんな事を気軽に相談できる存在として『心理カウンセラー』を利用していただきたいと思っています。
その気持ちを込めボクは『皆様のかかりつけ心理カウンセラー』を目指したいと思っています。
大変、長文になりました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ボクもこのBlogを書きながら改めて自分の気持ちが整理でき、そしてまた明日から、このお仕事を続けていくんだ!と言う気持ちになりました(笑)
どうかこれからも末永く宜しくお願い申し上げます。
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