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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年2月29日木曜日

実は深刻な問題…職場での孤立と孤独感

皆さんは働いていて「孤独感」を感じたことがありますか?実はボクはあります(笑)それは、前職を休職する直前は、本当に孤独でした。もちろんそれは、ボク自身に問題があって、メンタル不調を何度と繰り返し、休職と復職を繰り返していたので、同僚たちからの信頼感は、皆無であったから、と思っています。

正直、その頃は、同僚と職務に関する会話しかしていなかったし、業務が終わって定時になったらとっとと退社していたので、なおさら、ですよね。


日本で、職場における孤独・孤立の問題が注目されたのは、実はCovid-19の感染拡大があり、在宅ワークやフルリモートワークが一般化した、ココ数年のお話です。

職場の孤立・孤独研究の先駆者である松井 豊氏は雑誌『産業カウンセリング』の中でこう述べています。

〝職場内の孤独は家庭内での癒やしでは完全には防げません。ただ職場で孤独を感じている人も、家庭内でサポートがあれば、大きな問題にならないといったデータもあります〟

つまり、職場の孤独は職場で解決するほうが望ましい、ということです。



少しここで、言葉の整理をしましょう(笑)いつものように。

孤独
〘名〙
① みなしごと、年とって子どものないひとりもの。また、身寄りのない者。ひとりぼっち。ひとりびと。
② (形動) 精神的なよりどころとなる人、心の通じあう人などがなく、さびしいこと。また、そのようなさま。

孤立
① 他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること。
② 対立するもののないこと。対応するものがないこと。主として、「孤立義務」などと法律上の語として用いられる。


一見、同じようなコトを説明しているように思われるでしょうが、決定的に違うことがあります。『孤独』は本人が感じている感情のことで、『孤立』というのは客観的に見た状態、対人関係の状態を示します。

さて、前述の松井氏はこの様に続けます。

〝(日本の)データとしては、男性の非正規労働者のほうが孤独・孤立感が強く、女性の非正規の方はむしろ弱いといったデータも出ています。(中略)つまり職場の孤独・孤立を考える上では、正規と非正規の雇用を分ける必要があるのがわかりました〟

また、この様にも述べています。

〝(前略)孤独・孤立は、何らかの問題が起きる前段階であるため、どの状態で他者が介入できるのか、また会社がどう取り扱うかも難しいのです。〟

例えば、同僚の中に、他者から見たら明らかに『孤立』している人がいたとします。しかし当人にしては『孤独』と感じていないかもしれません。一方で、本人が『孤立して孤独を感じている』場合においても、同僚や上司・人事や総務の人間が、本人にどようにアプローチすればよいのか、非常にセンシティブでその対応は非常に難しいと思います。

ここに今の日本の『働く環境における孤立と孤独感の問題』があるように思います。

これはアメリカのデータなのですが、大変興味深い結果があります。

「職場に親友はいますか?」という質問について「強くそう思う」と回答したのはわずか2割だったのです。英語での調査ですので「親友」と言う言葉の定義が、正しく和訳されているか疑問ではありますが、「職場内に気軽に何でも話せる友人(同僚)がいるかどうか」というのは、職場内の孤立や孤独感に大きく影響するのは、火を見るよりも明らかですよね。


職場内で孤立し孤独感を感じる要因というのは、色々なことが考えられます。
ボクの様に、同僚からの信頼感を得られなくなった、と言うこともあるでしょう。そのバックグラウンドには、(身体的・精神的)不調や、仕事に向き合う姿勢、責任を持って任務を遂行できる能力など、様々な要因があります。

また、家庭内の状況(家庭内不和・家族の体調・介護など)やプライベート(パートナーとの関係・趣味や興味)などが、仕事のパフォーマンスに影響を及ぼし、それが原因で職場内での信頼を失墜させてしまうこともあるかもしれません。


職場内で孤立している人に対して、どう接すればよいのかは、松井氏が述べているように、非常に困難な場合が多いと思います。

しかし、ボクは声を大にして言いたい。


それを見て見ぬふりをするままでいいのですか?
生理的に受付けない人だから、ドライに接していても良いのでしょうか?
管理職にお任せ、でいいのでしょうか?
仕事しない人だから、無視してもいいのでしょうか?
管理職が使えない人材だからそのまま放置していていいのでしょうか?
自分の事で精一杯だから知らんぷりでいいのでしょうか?


職場内での孤立・孤独感というのは、一歩間違えれば、メンタル不調を招きます。そして下手をすれば自死を招きます。



もしかしたら、あなたの行動一つで、何かが変わるかもしれません、よ。
そして、もし迷うことがあれば、産業保健スタッフにぜひ、相談してください。できれば産業カウンセラーに(笑)

2024年2月27日火曜日

記憶…きをく…キヲク

 だんだん年を取ってくると、「認知症」の危惧をするようになりますよね。ボクの父も70歳になる頃に認知症になりました。母は80歳になりますが、まだ、実家で一人暮らししていますし、彼女はその心配はないと思っています(笑)

「認知症」に大きく関わってくるのが『記憶』ですよね。

今回は、『記憶』について、医学的な側面から心理学的な側面について、紐解いていきたいと思います。

まずは、いつもの様に言葉の整理から(笑)

記憶とは…
・ものごとを忘れずに覚えていること。また覚えておくこと。
・(心理学)過去の経験の内容を保持し、後でそれを思い出すこと。
・(心理学)将来に必要な情報をその時まで保持すること。
・(生物学)生物に過去の影響が何らかの形で残ること。

ボクが記憶の話しをする時に、大切だなと思うのは、『記憶というのはただ単に〝覚えておく〟ことだけではなくてそれを思い出すこと(想起)』ってすごくた大事だと思っています。

そして、記憶の話しをすると、ものっすごい膨大な領域の話になるんですよ。というのも、ただ単に「覚える⇒想起する」だけの話ではなく、例えば「行動・行為」にも関係しますし「認知・認識」にも関係してきます。

ですので、少し基本的なところだけお伝えしたいと思います。



「記憶の保持・想起・忘却」に関して言うと、大まかに上の図のようなシステムになっています。

感覚記憶…
目で見たり耳で聞いたり、匂いを嗅いだり肌で触れたりそんな刺激による情報が一時的に“記憶”として取り込まれます。

短期記憶…
感覚記憶で取り込まれた刺激に対して、「この情報は必要ない」とか「この感覚は記憶しておくべき」など自分の中で選別されて、「この刺激・情報は自分に必要だ!」と認知したものが“選択的注意”されたものを、さらにもう一段階、上のレベルで記憶すること。

ここで、短期記憶の中で「リハーサル(ループ)」と呼ばれる、記憶の追体験や想起を繰り返すことをしていると、それが長期記憶へ転送されます。

長期記憶…
その名の通り、長く記憶に残ること。主に「陳述記憶(意味記憶・エピソード記憶)」と「非陳述記憶(手続き記憶・プライミング)」に分類されます。


上の図は「暗記の種類」となっていますが、記憶に関する分類を分かりやすく図説しているので引用しました。

と、話が難しくなってきましたが、『認知症』になると短期記憶から障害されて長期記憶は比較的温存される、というのは有名な話。



ここからは、少し、心理学的なお話に移りたいと思います。

上の生物学的お話には触れませんでしたが、「記憶」に関わる脳の箇所にはいくつかあるのですが、特に「長期記憶」に関わるのが『大脳皮質』そして「短期記憶」に関わるのが『海馬』と呼ばれる場所です。


外界からの情報はまず、後頭葉(脳の後ろの方)で処理されて海馬へと取り込まれます。そして海馬は、その情報を「いるいらない」と言う取捨選択・選別する場所でもあるのです。必要であれば。リハーサルなどを行い、長期記憶として大脳皮質へ転送されるんです。

人間の脳には「古い脳」「新しい脳」と呼ばれる分類方法があります。これは、進化の過程で、「人間」になる前から存在していた脳の部分の事を「古い脳(古脳)」人間になってから発達した「新しい脳(新脳)」があり、海馬は「古い脳(古脳)」に分類されます。


さて、心理学的で記憶に関わる話題といえば…
誰もが経験あると思うのですが、学生時代、一夜漬けにしろコツコツ勉強するにしろ、その記憶は徐々に薄れていきます。しかし、どんなに小さな頃に経験したことでも、また、物心がつき始めた頃でも、強烈に記憶に残っている出来事というのは、人間誰しも一つや二つはありますよね?


ボクの話しを一つ。

確か小学1年生の冬だったと思います。クリスマスにサンタさんが、野球のグローブとバット・ボールのセットを贈ってきたことがあるんです。ボクは正直、興味がなかった(笑)。ただ、父が「キャッチボールをしよう!」と言って、自宅前の田んぼ(冬だから空き地みたいなもの)にボクを連れ出し、キャッチボールを始めたのですが…

上手く投げられないのは仕方がない。初めてだから。でも、グローブを使ってボールをキャッチする、と言うことがボクにはとても難しくて、父が投げるボールを掴みそこねて、ボールが胸や顔、頭や足にぶち当たるんです(笑)痛いし嫌だしとにかく早く辞めたかった。

でもボクは、父が一生懸命に教えてくれたりすることを無下に「やりたくない!」と気持ちを伝えられず、言われるがまま黙って黙々と、キャッチボールをしていたのですが、さぞ、楽しそうではなかったでしょう(笑)そのうちボクは「嫌!辞めたい!」と言えずただ、泣き出してしまったんです。

それを父がみて、慌ててその場は終わりました。

以降、そのグローブやバット、ボールが日の目を見ることはありませんでした…



5~6歳の頃の記憶なのですが、ボクには強烈に記憶されています。おそらく「嫌」「つらい」などの強い感情と一緒にその出来事が記憶されているからだと思います。

それはなぜか。


先にも書きました通り、外からの情報はまず「後頭葉」で処理されるのですが、感情を伴う記憶というのは、直接「海馬」へ運ばれる、と言われているんです。

つまり「後頭葉」と言う場所を、一度介すると言う「手順」をすっ飛ばすことができるので、ダイレクトに「海馬」に運ばれることで、強く記憶に残る、と言われています。



実は「海馬」というのは非常に脆くて、破壊されやすい部分と言われています。そして記憶力を鍛えるためには、海馬の破壊を少しでも抑えることも大切なのですが、実は、この様に強烈な感情を伴った体験をする、と言うことも海馬にとって活性化させる要因の一つになっていると言われています。


ただし!
あまりネガティブな感情を伴う刺激というのは、違う意味でメンタルヘルス上、良くないので、ボクがおすすめするのは「感動すること」「喜ぶこと」そんな感情を伴う体験を、沢山経験することをオススメします。



「記憶」と「感情」というのは、切っても切り離せない関係なのです。

2024年2月25日日曜日

都合のよい病名『◯◯不全』

 最近のこのblogの話題は、心理学的なお話が多かったので、ここらで少し、一般医学的なお話を。

時々、マスコミの報道で「俳優の〇〇さんが心不全で◯月◯日亡くなっていたことが分かりました。」「歌手の〇〇さんが呼吸不全のため、本日◯時亡くなられました」こんな文言を聞いたこと、ありませんか?

この〇〇不全と言う表現の仕方なのですが、実は、厳密に言うと「病名」ではないのです!


「〇〇不全」と言う名前のつく病名(?)をいくつか挙げてみますね。

心不全
呼吸不全
肝不全
腎不全
多臓器不全
免疫不全

よく耳にするものとしては、これくらいでしょうか。もっと言うと

慢性心不全
慢性呼吸不全
慢性腎不全
慢性免疫不全

と、『慢性』と言う言葉がくっつくこともあります。


さあ、そろそろ答え合わせしましょうか(笑)
この『不全』と言う言葉がつくのは、「その内臓の機能が低下(または停止)している状態」と言うことを言い表しています。


例を一つ挙げてみましょう。
『心不全』とは…
心臓の機能が低下(または停止)している状態。心臓の機能というのは、心筋(心臓の筋肉)が収縮したり弛緩したりして、血液を全身に送り血流を生み出す、と言うのが心臓の機能です。

では、心臓の機能が低下(停止)してしまう病気というのは具体的に、どんな病気があるのでしょうか?

例えば…
虚血性心疾患(心筋梗塞・狭心症など)
高血圧性心疾患(左心室肥大症など)
弁膜症(大動脈弁狭窄症・僧帽弁閉鎖不全症など)
心筋症(拡張型心筋症・たこつぼ型心筋症など)
心筋炎
先天性心疾患(心室中隔欠損・心房中隔欠損など)
不整脈(心室期外収縮など)

など

病気の名前というのは、一見、複雑そうに見えますが、実はある程度の規則性があります。

例えば、弁膜症の一つ『大動脈弁狭窄症』と言う病気を例に上げてみましょう。


上の図の「大動脈弁」と言う箇所がありますよね。見つけてください(笑)
この『弁』というのは、血液の流れが逆流しないように、心臓の鼓動に合わせて、閉じたり開いたりします。しかし、様々な原因(その多くは加齢)によって、この弁が固くなったりカルシウムなどがくっついて、その閉じたり開いたりすることが難しくなることがあります。そうすると、血液が流れる経路が狭まり、なかなか血液が流れにくくなるんです。

『大動脈弁狭窄症』=大動脈弁が固くなって血液の流れる経路が狭くなる(狭窄)病気

と言う事になるんですよ。


さて、随分と話が脱線しました(笑)元に戻します。

『〇〇不全』と言うのはその機能が低下(停止)した状態ですので、先に上げた『心不全』以外の事をまとめると、以下の通りになります。


呼吸不全=呼吸に関係する臓器(主に肺)の機能低下(停止)

『肝不全』=肝臓の機能低下(停止)
肝臓にはいくつかの機能がありますが、例えば体内に入ってきた毒素を解毒する作用や、古くなった血液の細胞を壊して尿として排出する、など。

『腎不全』=腎臓の機能低下(停止)
腎臓は、血液をろ過して尿を作る場所です。

『多臓器不全』=このままです(笑)ありとあらゆる内臓が機能低下(停止)していまう状態で、高エネルギー外傷(交通事故や飛行機事故など)や高度の火傷などで多くの臓器が一度に機能低下(停止)していまう状態です。

『免疫機能不全』=免疫機能と言う、体の外からやって来る、人間の体に害を与えるウィルスや菌を体内で攻撃してやっつける機能の低下(停止)です。


ちなみにボクも罹患している「HIV感染症」ですが、これが進行すると「AIDS」になります。「AIDS」の和名は『後天性免疫不全症候群』と言います。


こうやって見てみると『〇〇不全』というのが「病名ではない!」と言う理由がはっきりわかっていただけましたでしょうか?

ご自身の身内の方が亡くなられた時に、各所に提出しなければならない『死亡診断書』と言う書類がありますよね。もし、機会があったらそれを見てみてください。結構「〇〇不全」と言う言葉で、表現されていることが多いんです。

でも、これはその死亡診断書をかいた医師が悪いとか、知識がないと言うふうに受け止めないでいただきたいです。人間の『死の理由』というのは、厳密にういうと『死体解剖』しなければ分かりません。絶対に。または、『死亡時画像診断』のように、亡くなられてからCTやMRIなどで撮影し、内臓の状態を確認しなければ、ちゃんとした理由は分かりません。


医師で作家の海堂 尊氏はこのような日本の状態を『死因不明社会』と表現されています。そして同名の書籍もあります。

もし、ご興味があれば一度、お読みいただくことをオススメします。



人間の体というのは本当に不思議なものです。医学の進歩は日進月歩ですが、それでもまだまだ。

だから、面白い、と言うのもあるのですが。


2024年2月22日木曜日

人が大切にすべきもの…正解のない答え

 多分、ボクが40歳に近づいた頃からでしょうか。

人の幸せって?
人が大切にすべきものって?
人が人であることって?

と、すごく哲学的な事を考えるようになりました。それはおそらく、自分自身の年齢も関係していた、ユングは『40歳は人生の正午』と比喩したように、まさにこれから人生の後半戦に向かうに当たって、自分自身の価値観をもう一度見直す時期、エリクソンの精神発達課題の言うところの『ミドルエイジ・クライシス』へ突入したから、とも思っています。

カール・グスタフ・ユング


エリク・ホーンブルガー・エリクソン

そしてもう一人、超有名な世界的な偉人も、同じような事を考えたことを、記録に残しています。

その人の名は『ブレーズ・パスカル』です。

パスカルは「パスカルの定理」「パスカルの三角形」「パスカルの原理」など、様々な数学的な発見をした人ですが、みなさんも一度は教科書でその名前を見たことがあるのではないでしょうか?

神童とも呼ばれていた、パスカルは、実は39歳で生涯を閉じたと言われています。そんなパスカル、数学的物理学的な思考だけを持っていたかというと、実はそうではなく『人間は考える葦である』と言う言葉を残したもの、パスカルです。

『人間は考える葦である』と言う言葉など、パスカルの哲学的な思想を集約したのが『パンセ』と呼ばれる遺稿です(これは彼の死後、発表されました)。

ブレーズ・パスカル

そんな彼が「パンセ」に残したいくつかをご紹介したいと思います。


〝世には証明される事物がいかに少ないことか!(中略)習慣こそ、もっとも有力なもっとも信頼すべき証拠となる。(中略)あすはくるだろう、われわれは死ぬだろうということを、だれが証明したであろうか? (中略)だから、それらをわれわれに信じさせているのは、習慣である〟

〝想像力はすべてを左右する。それは美や正義や幸福をつくる。それはこの世のすべてである。神を直感するのは、心情であって、理性ではない。これこそすなわち信仰である。心情に直感される神、理性にではない〟


様々な発見をしていたパスカルですが、『世の中には(数学的に)立証不可能なものの存在』や『神や信仰』とう言う、到底、関係のなさそうなことですら、常に考えていたんですね。

しかも39歳で生涯を終えたパスカルですから、ものすごく若い時にこんな事を考えていたんですよ!もう、早熟すぎ(笑)


10歳になる前に三角形の内角の和が二直角であることを自力で証明したパスカルは、科学者として世界に大きな貢献をしました。19歳で最初の機械式計算機を発明し、先に述べたような様々な数学的な業績を残し、フェルマーの定理で有名なフェルマーとの文通の助けもあって確率論の基礎を考案しました。

機械式計算機


更に彼は、貧民救済の資金をつくるために乗り合い馬車を考案して会社を創り、1662年の春にはパリに乗り合い馬車を開通させました。  


天才であったパスカルの考え方の特徴は、「人間」「時間」「自然」「存在」「神」といった、ふだんよく口にしたり、身近であったりするものを『無定義概念』と見たところです。

つまり、それらはわたしたちにとってまったく何だかわからないものなのです。何だかわからないのだけれども、わたしたちはそれらをいろいろに利用して生きているわけです。むしろ、それらなしでは生きてはいけません。 

この、曖昧な、宙ぶらりんの場所に置かれているのが人間です。そうでありながら、人間は自分の日々の生活の仕方によって、定義されないものに自分なりの概念を与えていくことになるのです。


ボクは根っからの理系人間です。数学・物理、大好き人間です!多分それは、元々の性格「白黒はっきりさせたい」とか「竹を割ったような」とか「0か100思考」とか

←度が過ぎるとメンタルヘルス上、良くないやつばかり(笑)

つまり「ハッキリした答えがある事を好む」性格で、反対に言えば「曖昧さを嫌う」と言う性質でした。ですので「公式に当てはめて考えれば必ず、正しい答えが一つだけ見つかる」と言う数学や物理が好きだったのだともいます。

しかし、理学療法士として働いていく中で、人間と言う「曖昧な」「宙ぶらりんな」対象物を目の前にした時に、それまでの思考では上手く理解できない、もっと言えば思考停止に陥るような状況に出くわし、戸惑いもあったけれども、逆にそんなものだからこそ「答え」を求めるために、心理職・心理カウンセラーになったのだとも言えます。


しかし、この『曖昧さ』に人間らしい部分があるわけで、でもこの『曖昧さ』に振り回されたり悩まされたりもするわけで…



ああ、なんて素晴らしき人間かな!!

2024年2月20日火曜日

何故、私達に宗教や神が必要なのか?

 ボクは基本的に無神論者です(笑)。

ボクの実家のお隣さんは仏教のお寺さん。ですので、小さな頃からお寺さんの行事ごとには参加していました。それはボクがおじいちゃんっ子で、おじいちゃんが『勝水家の家長』だったから、それらの行事ごとに出席していたので、ボクも自然とおじいちゃんと一緒に参加していました。

おじいちゃんが亡くなったのはボクが小学校2年生頃だったので、それ以降は、あまり積極的にお寺さんに足を運ぶことこはなくなったのですが…


以前、テレビで「ハヤブサ消防団」と言うドラマを放映していたのですが、皆さんはご覧になられましたか?原作は、池井戸 潤氏で、彼の出身が岐阜県加茂郡であったので、そこが舞台になっていると言われています。

事実、ドラマを見ていると「鶏ちゃん」が出てきたり、方言がその地方の方言だったりしていて(ボクが岐阜県郡上市出身のため方言が非常に似ているwww)、親近感をもって見ていたのですが。


主人公が、ハヤブサ地区に移住してきた時、「寺世話だよ」とか「燈明当番だから」みたいな会話を地元の人とやり取りしていたのを覚えております。

「寺世話」と言うのは菩提寺であるお寺のお手伝い、「燈明当番」というのは神社の石灯籠に日を灯す当番の事で、田舎の風習として当たり前にある地元住民の「役割」です。しかし、お気づきの方もおられると思いますが、ここに日本人特有の矛盾があるんです。

「寺世話をする」と言うことは「仏教に仕える」と言うことなのですが「燈明当番をする」と言うことは「神道に仕える」とも言えるわけで、「宗教へのこだわりのない日本人」の現れではないかと思います。

よく言われることですが、このような現象は世界的に見ても珍しいことだと言いますよね。

それでも、全世界には「宗教」または「信仰」のようなものは、形は違えど必ずあるわけで、それが大きな動きを生み出すことも多いと思います。


イギリスの、ロビン・ダンバー氏は進化生物学者的に、以下のような事を述べています。

〝ヒトが真に親密性を感じて暮らすことができる集団のサイズには上限があり、それはおよそ150人である〟

これは『ダンバー数』と言う名前で知られるようになりました。彼はこの数字のことを「もしあなたがバーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人たちのことだ」とも説明しています。

ヒトと言う生物は、集団生活を手に入れることで、外敵から身を守り生物として生き残ってきた経緯があります。それはblog『人はなぜ共感を求めるのか?』でも述べています。しかし、今の人間社会を見ても分かるように、一人の人間は150人以上の人と関わり合いながら社会生活を送っていますよね。

そこで登場するのが『宗教』『信仰』だというのです。

集団生活を送るには「共感が必要」というのは先のblogにも書きました。しかし、多くの人と共感し合うには、150人の壁があり、限界があるのです。そこで『宗教』と言う手段を使って、人々を繋ぎ関わり合いを閉ざさないようにしている、と言うのです。


そしてもう一つ、『宗教』の大切な役割があります。

それは、「超自然現象に因果関係の説明をする」と言う役割です。

ボクの父は危篤状態になってちょうど1週間で息を引き取りました。その間、父の兄弟が見舞いに来たり(もう十何年も父と会っていなかった)、母やボク、姉が付きっきりで見守っていたりと、「父が逝くための準備期間」を与えてくれているように感じていました。

これって、受け止めようによっては「超自然現象」なんですよね。この様な出来事を説明するために『宗教』が存在する、とも言われています。


さらに付け加えるならば、この世の中の理不尽な出来事や事実に対し、人間がなすすべもない、個人が無力だ、と感じた時に『宗教』は心の平安を保つためにも必要だ、とも言われています。それは『祈り』に代表されるような行為です。



冒頭でボクは『無神論者です』と書きましたが、良く考えたらウソでしたwww

今住んでいるボクの自宅には、父の遺影が飾ってあり、毎朝蝋燭に火を灯しお線香をあげます。また、神棚のようなものを自作で作り、破魔矢などに柏手を打ってお参りします。

今回は、宗教について、ロビン・ダンバーの研究から科学的に紐解いてみました。宗教や信仰が悪いとか良いとかの話ではなく、実は生物として進化していく上で必要不可欠なものであった、と言う事をお伝えしたかったのです。



ただし!この様な理論を悪用してはいけませんよ!

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