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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年12月13日水曜日

理学療法士であったと言うトラウマ(ボクの場合)

 ボクは長く、理学療法士として医療機関に勤務していました。しかしメンタルダウンを機に、医療機関に勤め理学療法士として働くことに対し、徐々に自信を失っていきました。

前職を退職してから約1年近くがたった今、先日、HIV診療のために感染症内科のクリニックを受診した際、ボクは急に、言葉には出来ない「恐怖心」を覚えました。



自分自身の診察が終わり、採血なども終わっってお会計を待つ間、他に来院された患者さんとともに、待合の長椅子に座っていた時のことです。

眼の前に座られていた患者さんのもとに看護師さんがやってきて、看護師さんがしゃがんで患者さんとやり取りしているのを見ていた時に、不意に自分自身がその看護師さんと一体化するような感覚に襲われました。

詳しく書くと、「ああ、昔はボクもああやって患者さんとやり取りしていたな~」と思い出した途端に、前職で勤めていた医療機関での思い出が、走馬灯の様に思い出されたのです。そして、前職で勤めていた医療機関だけでなく、今まで勤めてきたクリニックや病院、教育機関などで経験してきたこと、携わってきた患者さん、学生さん、様々なことが本当に一瞬の間に、頭の中を駆け巡りました。

そしてなぜか「怖い」と思い、思わず目をそむけてしまいました。


ボクが初めてメンタルダウンを経験したのは32歳の頃だったと思います。当時は教育機関である、理学療法士の養成校の教員をしていました。その教育機関を退職してから、主に医療機関に勤務していたのですが、精神疾患が原因で休職や復職を繰り返しており、その都度、強い罪悪感・自責の念・申し訳無さというものを強く強く感じながら、過ごしてきました。

対人援助職であり、患者様にリハビリーション医療を提供し、初めて対価を得られる仕事であると同時に、チームで動くため同僚以外の職種など多くの人と関わらなければならない仕事です。

ボクが仕事のできない状態になることによって、多くの人に迷惑をかけてしまい、それが重なれば重なるほど、信用を失い、どんどん自己肯定感が低くなっていきました。



自己肯定感が低くなると自尊感情がなくなります。

自己肯定感とは「ありのままの自分を肯定する感覚」のことで、自尊感情とは「自分には存在する価値があると言う感覚」のことです。

とにかく、どんどん自分に自信が持てなくなり、自分は理学療法士として存在意義があるのか?ちゃんと患者さんの役に立っているのか?と言う考えから、どんどんエスカレートし、この世に自分という人間が存在する意味があるのか?意義があるのか?と言う疑問の答えが「NO」としか言えなくなるのです。

ここまでくると病的ですよね(笑)自分でも思います。


前職を退職する時、実は休職期間中に何度も自死することを考えました。本当に何度も。

その部分に関しては当サイトのブログ「うつ病や双極性障害の自殺(“死”に関する記述あり要注意)」でも記載しましたのでそちらをご参照下さい。

最終的には、自死することを思いとどまるのですが、ボクにとっては「理学療法士として働く」事に対する思い出には、どうしても「負の感情」がついて回るのです。


ボクは理学療法士という仕事が好き(でした)。患者様との触れ合いももちろん、自分自身の技術力が向上し、どんな疾患や障害に対しても自分なりの答えをもって臨むことができるようになると、本当に楽しくまた、理学療法の奥深さも更に実感していたのですが、いつの間にやら「大好きであった仕事」が「できれば関わりたくない仕事」になってしまいました。

もちろんそれには、精神障害(精神疾患)があったからだとは思いますが…


前述した通り、先日のボクのHIV診療の際に感じた「恐怖心」というのは、一種のトラウマだと思います。


「そんな大げさな!」と思うかもしれませんが、理学療法士免許を取得して現在で27年が経ちます。その期間の全てが負の思い出ではありませんが、その要所要所で辛い経験をしていく中で、理学療法士という仕事をするに良い影響を与えず、辛い経験が「タダの辛い経験」として蓄積してしまったのでしょう。


ただし!(ここは強調しておきます)
これまでの経験が全て無駄だったのかと言うと、それは断じてありません!

患者様、お一人お一人から教えていただいたこと、教え子一人ひとりに伝えたこと、それらは今の自分の血となり肉となり、それが統合されて「産業カウンセラー」「心理カウンセラー」と言う心理職としての『ボク』に大きな知識と経験を与えてくれていると思っています。

職種は変わりましたが、対人援助職にはかわりありません。

ボクも懲りないですね(笑)

でも、ある意味、この心理職というのは、ボクの職業人生の集大成だと思っています。



この先、何年生きられるかは分かりません。
しかし、生涯現役を目指し、邁進したいと考えております。





2023年11月30日木曜日

精神的ストレスにどう対処する?!ストレスコーピングとレジリエンス

 少し前の話になってしまいますが、労働安全衛生法の改正により、2015年12月1日から、常時50人以上の従業員を雇用する事業場では、毎年1回以上ストレスチェックを実施することが義務付けられるようになりました。従業員が50人未満の事業場には、ストレスチェックを実施する義務はありませんが、努力義務とされています。

それ以前の労働安全衛生法では「健康診断」に代表されるように『身体的な疾病の予防と早期発見』に主眼を置かれていましたが、このストレスチェック制度が始まったことで、『精神的な健康』にも企業努力が必用となりました。


また翌年の2016年には『健康経営優良法人認定制度』を経済産業省が創設し、健康経営に取り組む優良な大企業や中小企業、その他の法人を認定・顕彰することを目的としています。この『健康経営優良法人』というのは「従業員や求職者、関係企業や金融機関などから従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に取り組んでいる法人」と言う法人のことで、その認定制度が始まりました。


この様に産業保健分野では、「企業が労働者の健康を守る」ことの一環として身体的な健康だけではなく精神的な健康も含めた「全ての健康」に対して取り組まなければならなくなりました。

そして近年、精神的な健康を語る時、「ストレス」とそれにどう対処していくかと言う話題が、非常に多くなったように感じます。そして、以前は「如何にストレスを解消するか」と言う“対処法”ばかりに目が向いていたのですが、最近では「如何にストレスに強くなるか」「ストレスをストレスとして処理しない方法はどんな事があるか」などが話題にのぼるようになりました。

今日は、「どうストレスに強くなるか」に関係した『レジリエンス』『ストレスコーピング』についてお伝えしたいと思います。


先に『ストレスコーピング』についてお伝えします。
人間は、精神的ストレスにさらされた時にそれに対して何とかしよう!とします。それは自然な反応でその反応の仕方には大きく3つの対処の仕方があると言われています。


問題焦点型コーピング
例えば人間関係に問題がありストレスを感じる時、その原因となっている人間関係を何とかしようとして対処する方法です。

情動焦点型コーピング
例えば人間関係に問題がありストレスを感じる時、その人間関係の捉え方を変え自分の中の認知の仕方を変化させることで、ストレスとして処理しないようにしようとする方法です。

気晴らし(ストレス解消)型コーピング
買い物や運動など自分の趣味や好きなことをして、気分転換を行うことで、ストレスを解消する方法です。


どれが良いとかどれが悪いとかはないのですが、問題焦点型コーピングというのは、ある意味勇気がいります(笑)。情動焦点型コーピングは自分自身の認知の仕方を変えなければならないので、コツが必用ですし何より訓練が必用です。そして皆さんが一番手っ取り早く日常的に取り入れているのが、気晴らし型コーピングではないでしょうか。

しかし、一番手っ取り早い「気晴らし型コーピング」というのは落とし穴があります。それがよく言われる「依存行動」や「依存物質の使用」などの「依存」につながる方法です。

例えば…
・過食
・多飲酒
・多喫煙
・(後先考えない)買い物
・(限度のない)ゲーム
・薬物使用(市販薬・処方薬・違法薬物)
・(行き過ぎた)性行為

等ですね

もちろん、スポーツやカラオケ、園芸や手芸など「健全な気晴らし」であれば問題ありません。今回は、気晴らし型コーピングと依存症については詳しく述べませんが、機会があればお伝えします。


このストレスコーピングと非常に関係性が深いのが『レジリエンス』と言う考え方です。

レジリエンスとは…
レジリエンス(resilience)とは、「回復力」「弾力性」「しなやかさ」などを意味する英単語です。心理学では「精神的回復力」と表現され、トラブルや困難な状況の際に、逆境をはねのけて回復することを意味します。ビジネスでは「困難やストレスをうまく対処し、回復する力」という意味で使われ、目標達成やパフォーマンス向上を目的に、高めることが求められています。


変化が早く、またコンプライアンスを重要視される世の中は正に「ストレスフル時代」と言ってもいいでしょう。しかし、「ただストレスが多い時代だから」と言ってそれを野放しにしていては、社会も経済も機能しなくなります。

精神ストレスへの対処法であるコーピングを使ってでもなんでもいいので、ご自身の精神的なエネルギーを使ったとしても、できるだけ早く平時に戻す、または上手く対処する必用が出てくるわけです。


では、具体的に『レジリエンスを鍛えるための要素』にはどんなものがあるのか。1つずつご説明致します。



①自尊感情
自分の存在を肯定的に捉えることができることが大切です。自己肯定感と言ってもいいでしょう。この自尊感情あるいは自己肯定感は大切な基礎となる要素です。

②感情の調整(コントロール)
レジリエンスが低いと、物事に「一喜一憂」してしまうと言う側面があります。直面する問題に一喜一憂せず、物事を大らかに柔軟に捉えていくことが重要なのです。そのため、感情をコントロールすることは、必須条件ともいえるでしょう。

③楽観性
②感情の調整にも関係することですが、人間は自分ではどうにもならないと感じる問題に直面した場合、無力感に襲われることが多くあります。そんな時は感情をコントロールすることすら難しくなります。そんな時は、直面している問題を一時的な問題と捉えるか、それとも永続的な問題と捉えるかでは全く認識が変わってきます。「きっとこの問題も乗り越えていけるんだ」という楽観的な思考は、問題を一時的なものとして捉えることが可能になり前向きな方向に進んでいけます。これを『合理的楽観主義』とも言います。

④人間関係
自分が直面した問題を他者に話したりすることによって、心が軽くなったり、貴重なアドバイスを受けたりすることってありますよね?その様な「自分自身の味方」となってくれる人間関係を持っているかいないかで、心の持ちようというのは大きく変わってきます。
心を前向きにする1つの要素として、人間関係は非常に大切な要素です。

⑤自己効力感
自己効力感とは自分が直面する問題に「自分なら大丈夫」という前向きな認識をすることをいいます。前述した自尊感情と異なる点は、自尊感情が「いま現在の自分」を前向きに捉えることであるなら、自己効力感は「いま現在の自分から未来に対する可能性への前向きさ」ということになります。たとえ今の自分が直面する問題が大きなものに見えても、自分なら乗り越えていけるという自分への期待ともいえます。




これからの社会を上手く生き抜いていくには、ストレスコーピングの考え方とレジリエンスの二つの観点から、「強く・逞しく」と言うより「上手く・しなやかに」対処できるようになると、どんな局面にでもメンタルダウンすることなく、生き抜いていけるのではないでしょうか?

2023年11月26日日曜日

対人援助職者・感情労働者とは

 当サービスの1つとして『メンタル不調を抱える対人援助職者・感情労働者のためのPGM』があります。その『対人援助職者『感情労働者』とはどんな仕事・職種の事を指すのか、その概念と具体例をお伝えしたいと思います。




日常生活や社会生活のなかで、私たちはみな助け合いながら生きています。その意味でどんな仕事も「人を援助する」活動にちがいありません。

一方、狭義(狭い意味)での『対人援助』は「援助の必要な人を援助する」仕事です。こんにちさまざまな分野で行われているボランティアも対人援助ですね。そして、これを業務(仕事)として行う職種には、より直接的に援助する仕事と、より間接的に援助する仕事があります。



①人を援助する職種(より直接的な援助)

医療・保健:医師、歯科医師、看護師、助産師、保健師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、救急救命士、ソーシャルワーカー、心理士、歯科衛生士、視能訓練士、カイロプラクター、柔道整復師、はり師・きゅう師、あんまマッサージ指圧師など

教育:教員、学童保育指導員、カウンセラーなど

介護・保育・福祉:保育士、児童指導員、心理士、介護士、ホームヘルパー、ケアマネジャー、手話通訳者、ソーシャルワーカー、相談員など

その他:裁判官、弁護士、検察官、警察官、消防士など


②人を援助する職種(より間接的な援助)

薬剤師、臨床検査技師、診療放射線技師、歯科技工士、臨床工学技士、栄養士、調理師、義肢装具士、学校事務員など



一方『感情労働者』とはなにか

「感情労働」は、近年注目されている新しい概念で、相手(=顧客)の精神を特別な状態に導くために、自分の感情を誘発、または抑圧することを職務にする、精神と感情の協調が必要な労働のことをいいます。

この『感情労働』と言う言葉は、『肉体労働』『頭脳労働』などの言葉による分類に分ける際に使われる言葉の1つで、狭義(狭い意味)では『対人援助職』と同じ仕事を指すことが多いのが現状です。

これらの労働は、感情が労働内容にもたらす影響が大きく、かつ適切・不適切な感情が明文化されており、会社からの管理・指導のうえで、本来の感情を押し殺して業務を遂行することが求められます。

感情労働とは、自分の感情を「抑える」ことで賃金を得る労働です。規範的な感情を商品価値として提供するため、組織に決められたとおりに感情を管理しなければなりません。 会社からの管理・指導のうえで、本来の感情を押し殺して業務を遂行するため、ストレスを溜めやすいといわれます。従業員に感情労働を強いる場合、組織的にメンタルヘルスを管理する必要があるでしょう。

感情労働が求められる職業につく人材は、もともとコミュニケーション好きで、感情豊かである場合が多いといわれます。それだけに、知らず知らずのうちに疲れを溜めてしまい、バーンアウト(燃え尽き症候群)を招くこともあります。


この様に、『対人援助職者』『感情労働者』というのは、仕事そのものが気分や感情に直接関わってくるお仕事であるため、本来であるなら、他の労働よりもメンタルヘルスを意識し、本来であればメンタルケアに力を入れるべき労働であると、ボク個人は思っております。

2023年11月25日土曜日

『セクシャリティ問題におけるAlly(アライ)』に思う

ここ最近、セクシャルマイノリティの同性婚問題に関連して、『Ally(アライ)』と言う言葉を耳にするようになりました。皆さん、この『Ally(アライ)』と言う言葉の意味、キチンと理解されていますか?先日、SNSでとても気になる投稿を見たので、それに感化されまして(笑)ボクなりに深掘りしたいと思います。



(セクシャリティ問題における)allyとは…
ストレート(異性愛者)のシスジェンダーやセクシュアル・マジョリティ(性的多数者)ではあるけれど、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者/LGBTQ+などの当事者)が社会的に不利な立場に置かれていると認識し、当事者を支援する人々を指す。


つまり、「私はallyですよ」と公言すると言うことは「セクシャルマイノリティの味方です」と“わぞわざ”周囲に伝える、と言う事です。


では、『ally』の語源は何でしょうか?
[自他動] 同盟する [自動] 提携する [名] 同盟国

この語源から考えるにallyと言う言葉が使われる時、1対1または1対複数の関係性を表していて、その両者には上下関係はなく並列に扱われるべき関係性であると思います。


では『ally』の対義語は何でしょう。

『ally』の対義語は『opponent』と言う単語になります。

opponentとは…
競技や議論などにおいて自分と対立する立場にある人物を指す言葉である。対戦相手や相手、対抗者といった意味合いが含まれる。スポーツやゲーム、政治やビジネスなど、さまざまな分野で使用される。

では『opponent』の語源は?
[名] 対戦相手・敵 [形] 対立する


言葉の意味を考える時、その語源や対義語を知ることで、より深くその言葉の意味を知ることができるのですが、今回『ally』と言う言葉の意味を考える時に、その語源や対義語を知ることで、ボクはより一層、今、日本で使われている『ally』と言う言葉に違和感を覚えずにはいられません。


そしてボクは、その違和感に気づきました。

つまり『ally』と言う言葉を使うことで必然的に『allyではない=opponent』になってしまう、と言うことです。

恐らく、今の日本で、セクシャリティにおけるマジョリティの人たちが、マイノリティの人たちと接する中で、わざわざ「私はallyです」と言う立場をとる人が、どれだけの人数いるか、と言うことです。

「allyでもない。でもopponentでもない」と言う人が大多数ではないでしょうか?

「セクシャルマイノリティがそこにいて当たり前」と思っている人たちがあえて『ally』と言う言葉を使う必要があるかどうか、と言うと、ボクはそれは違うと思います。


セクシャリティ問題におけるallyと言う言葉が、いつ頃から使われ始めたのか少し調べたのですが、はっきりとした事は分かりませんでした。ただ、1つ言えるのは、やはりSDGsが話題になりだした2015年頃からや、日本における同性婚問題が明るみに出始めた頃に、よく耳にするようになったように感じます。


ここからは超持論なのですが(笑)正直、『Ally』と言う言葉を使うその意図には、どうしても「お金」の匂いがしてなりません(笑)。

企業や団体が『Ally』をアピールすることで、何らかの利益を得ると言う、きな臭さがあるような気がするんです。


もっと言うならば、「LGBTQフレンドリー」と言う言葉の方が、よほどしっくり来ます。




もう、ここまでくると理論的ではなくほとんど「印象」とか「感性」の問題になるかもしれませんが(笑)でも、ボクはそんな気がしてなりません。


ボクはよく、「言葉に対してキチンと理解して使う」と言うことを、常に意識しています。その理由の1つはボクが心理職であるということが関係していて、「言葉」というのは「自分以外の誰かに何かを伝えるための手段」ですよね。だから、「その言葉を使う(発する)人」と「その言葉を受取る人」の間に、理解のズレがあっては正しく伝わらない、と思っていて、それって心理カウンセリングでとても大切なことだと思っているんです。

感情を表現する言葉だけではなく、環境や状況を正しく伝えて理解すると言う事はとても大事です。

もう一つは、医療短大時代の恩師の教えです。

医療の分野では、論文を書いたりレポートと書いたり、または書籍を読んだりする機会は非常に多いです。つまり自分自身が伝えたいと思っていることをキチンと相手に伝えるために言葉を正しく使う、と言う事が必然的に求められるからです。

話が逸れました…(笑)


先程述べたように『ally』と言う言葉を使うことに、何らかの利益を生むために使われているのでは?と言うボクの推測のもう一つの理由に「言葉がおしゃれ」「響きが良い」「なんとなくかっこいい」と言うような理由で使われている印象もあります。

「LGBTQフレンドリー」と言うより「ally」と言ってしまったほうが、そんな印象うけませんか?(笑)



言葉は時代とともに変化するものではありますが、それはそれでいいと思うのです。
しかし、「そもそもこういう意味で使われていてこういう使い方だったんだよ」と言う“源”を知っておくことは、とても大事だと思っています。

2023年11月24日金曜日

HIV/AIDSの偏見差別に思う・RED RIBBON LIVE NAGOYA 2023に参加して

 さる2023年11月23日(木・祝)にアスナル金山において、FM AICHI主催、名古屋市共催の『RED RIBBBON LIVE NAGOYA 2023』が行われ、ボクもトークゲストと言う形で参加させていただいたので、そのご報告をしたいと思います。



この『RED RIBBBON LIVE』は厚生労働省主催で企画・制作がTBSラジオ/レッドリボン実行委員会と言う、比較的大きなイベントで、その一環として名古屋ではFM AICHI様が主催となり、名古屋市と共同で進めている企画で、毎年11月23日がイベント日となっていました。

なんと今年で14回目!だそうです。


総合企画プロデューサーは、山本シュウさん

当日のMCは、FM AICHIのパーソナリティ、重田優平さん

トークゲストは
名古屋市健康福祉局医監 名古屋市保健所所長 小嶋雅代 先生
名古屋市保健所港保健センター 所長 片山幸 先生
そしてボク 産業カウンセラー・HIV当事者 勝水健吾


総合プロデューサーの山本シュウさんは「コメント出演」と言うことで、会場にはいらっしゃらなかったのですが、コロナ禍で中止を余儀なくされていたこのイベントに向けて、とても嬉しいお言葉を頂きました。

イベントはライブ①心悠さん


トーク①
小嶋 雅代先生と片山 幸先生による、HIV感染症の予防法や検査、治療などや、最近、流行している梅毒に関してのお話をされました。

ライブ②はLUCY IN THE ROOMさん


その後にトーク②
ボクが、HIV/AIDSに関する偏見・差別(行動)に対する私見をお話させていただきました。

ライブ③はK:reamさん


約1時間半のイベントとなりました。


当日はきれいに晴れて、少し寒かったのですが日がさしているお陰で屋外イベントにはもってこいのお天気。後ほど聞いたところによると、会場には300名程度の来場者があったとのことでした。


さて、ボクのトークパートについて少しお話をしたいと思います。

ボクは十数年、HIV/AIDSに関するスピーカー活動を行っています。その関係もあって、例えばお薬の開発や社会制度の変化について、ある程度勉強し、その都度知識をアップデートしているのですが、ほとんど変わらないテーマがありまして。それが「偏見・差別(行動)」です。

『障害者に対する偏見・差別(行動)』と言う大きなくくりで話しをしだすと、日本での障害者福祉の話とその歴史にまで話が広がってしまい、また、国民性や社会心理学的な話にまで発展してしまうので、今回は、もっとコンパクトに「HIV/AIDS」に限定したお話をさせていただきました。


今の日本に於いて、HIV/AIDSに対する偏見や差別(行動)がなくならないのは何故か。いくつかの要因が考えられるのですが、順を追って説明したいと思います。


①偏見・差別(行動)をなくすには「正しい情報を知る」事が大事と言うけれど…
 今の世の中、行政や医療機関など、HIV感染症やAIDSに関する知識というのは、非常に新しくそして正しい情報が溢れています。しかもネット社会ですので、誰もが簡単にその情報を手に入れることができます。それなのに「偏見・差別(行動)」がなくならいのはなぜでしょうか?それには、『情報を正しく扱う』事に関係します。

②『情報を正しく扱う』とはどういうことか
 今の世の中、情報が溢れている事は事実です。しかし、その情報をキチンと「受け取りに行く」「情報収集する」と言う行動を起こさなければ、その人に正しい情報は伝わりません。情報を発信する側が、色んな手段を使って色んなタイミングで発信していたとしても、受け取る側にそれを「受け取ろう」とする意志がなければ、それは“情報がない” ということ同じことです。
 つまり情報というのは「発信する側の問題」と「受け取る側の問題」があるわけです。

③HIV感染症・免疫機能障害は目に見えない障害
 HIV感染症というのは、外見からでは判断がつかない病気で、免疫機能障害というのは目に見えない障害です。つまり本人が「私はHIV感染症です」「私は免疫機能障害です」と開示(何らかの方法で周知してもらう)しなければ分かりません。もしHIV陽性者自身が周囲の人に「私はHIV陽性者です」「私は免疫機能障害者です」と言わなければ、誰もそれを知ることなく、一緒に生活したり仕事したりすることになります。

④『リアリティがない』
 ③で述べたようにHIV陽性者が身近にいると知らなければ、また、大切な人がHIV陽性者であることを知らなければ、おそらくHIV陽性者の周囲の人はあえて『HIV感染症ってどんな病気?』『免疫機能障害ってどんな障害?』と知ろうとしないでしょう。つまり②に述べてことに関係してくるわけです。HIV陽性者自身が『私はHIV陽性者です!』『私は免疫機能障害です!』と声を挙げなければ、誰もその病気や障害について、“あえて知ろう”としない、つまり自分たちの周囲にHIV陽性者がいるとは思っていないから、正しい情報を手に入れない、と言う事になってしまうのです。

⑤とはいえ「HIV陽性者であることを開示する事」のリスク
 しかし今の世の中、HIV/AIDSに対する偏見や差別(行動)はなくなっていません。ですので、当事者は余計に声を挙げにくい。つまり「開示することで不利益を被るかもしれない」「差別行動を受けるかもしれない」と言う恐れがあるわけです。そうなるとドンドン、当事者は開示しづらくなるわけです。

⑥HIV感染症はSTI(性感染症)であるという事実
 HIVの感染は、現在の日本において、そのほとんどがSTI(性感染症)です。つまり性行為で感染します。それがまた、大きな偏見を生む原因となっています。「不特定多数の相手と関係を持つ人」「リスキーなセックスをする人」と言う一種のスティグマがあり、尚更、自分自身の病気や障害を開示しづらくなっていると言う現状があります。

⑦じゃあ、どうする?
 1つは当事者が周囲に対して開示していく、と言う行動が求められるでしょう。つまりHIV陽性者というのは意外と身近にいるんだということをもっと知って貰う必要があると思います。しかしそれは⑤でお伝えした通り、当事者にとってとてもハードルが高く、また、非常に困難なことです。ボクのように顔を晒し実名まで公言した上でHIV陽性者であることを開示できる人は本当に限られていると思います。
 では、どうすればよいか…やはり当事者が周囲に開示しやすい雰囲気を作っていただきたい。そのために周囲の人達が、 “自分事”として「正しい情報を自ら取りに行きそれをキチンと理解する」行動をとって欲しい、とボクは思います。



実はイベントの時に、ボクがトークを終え舞台袖に下がった時に、次のLIVEをされるK:reamさんの内川祐(Vo, Piano)さんがボクにこう声をかけてくれたのです。

「ありがとうございました!勉強になりました!」

と。

そして、その後のLIVEのMCの中でこの様にお話されました。

「今日、本当は楽しくLIVEができればそれでいいと思っていた。けれど生きづらさを感じている人がこの世にたくさんいることに気付かされた。そんな人達をちゃんと受け入れていける世の中にしようぜ!」

と、言ってくださったのです。

ボクはそれを舞台袖で聞いて泣きそうになりました。
あゝ、ボクの伝えたいことがちゃんと伝わったんだ、と。


その後に歌ってくださった「See The Light」と言う曲が、とにかく心に染み渡り、このイベントに参加できて、心から良かったと思いました。




ボクは今まで、スピーカーとしてお話をさせていただく時というのは、顔は晒すけれどもニックネームで呼んで頂き、お話をする対象者というのも、ある程度カテゴライズされ、しかもHIV/AIDSに関わる、または関心のある人を対象にしてきました。

今回のように、どんな人が会場に来ているのか分からない、そして顔を晒し実名で呼んで頂くということも初体験で、実は前日まで、かなり緊張し少し恐れもありました。

しかし、今回のイベントに参加し、大きな手応えを感じました。

ボクの進むべき道の1つがここにあった、と。

そして、このイベントを通して、またいくつかの人脈ができました。
それは、何物にも代えがたい、大きな収穫・宝物です。



このイベントに関わってくださった方全てに感謝します。

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