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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年11月17日金曜日

そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その④

 そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その③からの続きです。




臨床心理士Kさんとの心理カウンセリングを、月に一度、受けることになったボク。どんなが対話があったのかというと…


最初の頃は、とにかくボクは自分を責め続けていたと思います。
HIVに感染したと思われる時期というのは、20代の大半を一緒に過ごしてきたパートナーと別れた比較的直後で、しかもパートナーと破局する原因を作ったのは、ボクの浮気でした。そして当時のボクは性活動がとても盛んで、多くの人と肉体的な関係を持っていました。そんな事実が重なり、ボクは「感染したのは自業自得」「自分の行いが悪かったから」そう自分を責め立てていました。

そしてボクが友人や元カレにHIV感染のことを開示し、皆が優しく受け入れてくれたのにも関わらず、ボクは自分自身が許せなかった。

そして両親への思い。
五体満足に生んでくれて、それまで両親は、ボクがやりたいと思ったことを好きなようにさせてくれていた。もちろん経済的に困ることもなく何不自由暮らしてこれたのも両親のおかげであるのに、ボクは一時の快楽に身を任せて自分の健康を害するような事をしてしまったことに対し、本当に自分が許せなかった。

そんな思いをKさんの前で、時に涙を流しながら話しをしました。

ボクはもう、幸せになってはいけない。
ボクは大きな十字架を背負っていかなければいけない。
そしてこの事実は誰にも言ってはいけない。絶対に。
そんな事を考えて、素直な気持ちをKさんに吐露していきました。


おそらく1年位は同じ様な話しをしていたような気がします。しかしKさんとの対話を通じて、徐々に「幸せに生きていってもいいのかな」「自分がやりたいと思ったことを今まで通りにやっていってもいいのかな」「今ボクが一番やりたいと思っていることはなんだろう」と、前向きに『生きる』事を考え始めました。

そして徐々にボクは「自分を許す」と言うことにたどり着いていきました。
このままの自分でもいいんじゃないか。
HIV陽性者である自分も、それも自分だよな。
もうこの事実は変えられないし、治癒しない病気になったんだから、いい加減自分を受け入れないと。

そんな事を思うようになりだし、心理カウンセリングのなかでも前向きな自分を表現するようになったのが初診から2年くらいたった後でしょうか。

その頃、Kさんからある相談をされました。
「勝水さんのケースをエイズ学会で発表したい」
そんな申し出でした。

ボクは少し迷って、条件付きで了承しました。その条件とは「学術集会の抄録を発表前に読ませて欲しい」と言うことです。

Kさんは快く了承してくださいました。

なぜボクがこのような条件を出したかというと、ボクの心の変化の過程を専門家はどんなふうに分析し解釈しているのか知りたかったからです。

そのケーススタディのタイトルが『他者受容より自己受容』と言うタイトルでした。


一通り抄録を読ませていただいて、なんだかスーッと腑に落ちたように思いました。
あゝ、ボクはずっと自分で自分を受け入れられなかったんだ。
周りの人がどんなにボクを受け入れてくれたとしても、自分が受け入れなかったから楽になれなかったんだ。
ボクはこのままのボクで良いんだ。
ボクはボク自身がHIV感染症やAIDSに対して、とてもネガティブな事しか考えてこなかったんだ。


それからの心理カウンセリングは、HIV/AIDSとは直接関係のない話し、例えば仕事のことであったり恋話であったり家族関係のことであったりと、それまでとは毛色の違う内容へと変化していきました。


Kさんとの対話の中で時々出てきた話題が「ボクは宙ぶらりんな状態が嫌い、耐えられない」と言うボクの心理状態についてでした。

HIV陽性告知を受けたのが2003年の11月。
それから心理カウンセリングを重ねていくなかで「ボクがやりたいことはなんだろう」と考え始め、その1つが「大学院に進学する」と言うものでした。そして2008年に大学院修士課程に入学することができました。また、その頃、転職も経験しているのですが、とにかくボクは「試験を受けてから結果がでるまでの“宙ぶらりん”の状態がとてもとても不快だった」。

ボクはKさんに、何度も何度も、何度も何度も「この宙ぶらりんの状態が嫌だ!」と訴えていたのです。

その頃のボク自身の自己分析として「白黒はっきりつけたい」とか「竹を割ったような」とか「優柔不断が嫌い」とかそんな言葉で表される様な性格をしていました。

ですので、転職するときもそうでしたし院試を受けたときもそうでしたが、その結果が出るまでの数週間は「落ち着かない」と言うレベルではなく「不快」と言うレベルでの不安定な気分でした。

そんな事があるたびにボクはKさんに「この状況、早く何とかしたい」「とにかく早く落ち着きたい」と言う気持ちをお伝えしたのですが、いつもの笑顔とあの柔らかな言葉遣い
「揺れるのがそんなに嫌ですか?」
「ゆら~りゆら~り揺れるのも良いものですよ」
「こういう状況を楽しんでみては?」
などの言葉をもらったのですが、いまいちボクには響かなくて(笑)口では「そうですね~」とか「そう思えるようになりたいですね」などと全く心にもないことを口にしていました。

おそらくKさんはそんなボクのキモチに気付いていたと思います。

ボクにとってこの「宙ぶらりんな状態」というのは、とてもストレスフルな状態やった。でも、転職にしろ大学院の院試にしろ、「ある期日がくれば答えが分かる事」なんだよね。Kさんはきっと「待つことも楽しみする」と言う事を暗に言っていたのかな~って思うの。


人は精神的ストレスに晒されたとき、それに対してなんとか対処しようとするんやけどそれを『(ストレス)コーピング』と言うん。で、そのコーピングは上の図のようなやり方に分類することができるんやけど、ボク自身「健康的なコーピング」を自分の中に、たくさん持っていなかった。

例えば上の図の「直接的・消極的」に『感情を抑える』っていうのがあるでしょ。まさにコレをしようとしていたんだと思う。また「間接的・消極的」に『アルコールやタバコで気を紛らわせる』と言うのも当てはまるかな。ボクの場合アルコールではなく、例えば一晩だけの相手と肉体関係を持つ、とか。そういう「不健康なコーピング」しか持っていなかったんだと思う。

それって本当に不健康(笑)


Kさんとの心理カウンセリングでは、そんなボクの「心の不健康さ」を沢山、指摘してくれたように思う。けれどね、心理カウンセラーは、ズバリそのものを言わないんだよ。「あなたのその対処の方法、不健康だからやめなさい」とはね。ある程度、信頼関係(ラ・ポール)が形成されていれば、伝えることもあるかもしれないけど、ほとんどの場合、答えは言わない。

それは、クライエント自身が『気づく』ことに重きをおいているから。
なぜ『気づき』が大事かというと、それが「内的動機づけ」になって、自ら変わろう、変化しようと言う思いにつながるから、です。



十数年前のKさんとの対話をこうやって思い返してみると、今やっと気づけた(笑)。そんな気がする。もし、あの時、ボク自身が気付けていれば、今のボクの有り様というのは変わっていたのかもしれないな~

ま、結果論だけど。



次回、そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その⑤では、ボクの体調がどの様に変化して言ってどの様な治療を開始することになったのか、日常生活の様子を交えながらお伝えしたいと思います。


2023年11月16日木曜日

PGM(Peer Group Meeting:ピア・グルーブ・ミーティング)とは

 「勇者の部屋」でも開始しましたプログラム
『メンタル不調を抱えるゲイ・バイセクシャル男性のためのPGM』
『メンタル不調を抱える対人援助職者・感情労働者のためのPGM』
の“PGM”とは何か、を少し説明したいと思います。


ボクが社会福祉の勉強をしていた頃は『セルフ・ヘルプ・グループ』と言う言い方が一般的だったと思います。

セルフ・ヘルプ・グループとは…
Self Help Group
病気や障害、悩みなど、同じ問題を抱えた当事者同士が自主的につながり、問題解決のために経験や悩みを分かち合う集団です。自助グループ、当事者組織、本人の会などとも呼ばれます。


では、ピア・グルーブ・ミーティングとは…
Peer Group Meeting
病気を抱えて生活する仲間同士が集まり、意見や経験談を語り合う場です。一般的に「同じような問題を抱えている人同士が集まる語り合い」です。ピアサポートとは、仲間としての支え合いを指し、集団での支え合いの場合は、自助グループ(セルフヘルプグループ)と呼ばれます。


では両者に何か大きな違いがあるかと言うと、ほとんど無いでしょう(笑)
セルフ・ヘルプ・グループというのは当事者で構成された組織そのものの名称であるのに対し、ピア・グループ・ミーティングというのは、当事者が語り合う場の事を指し示していると考えていただければ、と思います。


ボクが

『メンタル不調を抱えるゲイ・バイセクシャル男性のためのPGM』
『メンタル不調を抱える対人援助職者・感情労働者のためのPGM』

を始めたのは、ボク自身が両者の当事者であるから、と言う意味合いが大きいです。

ボクは「メンタル不調を抱えるゲイ男性」であり「メンタル不調を抱える対人援助職者」でもあります。つまり、このPGMを主催してはいますが、同時にボクは当事者です。

ボクはこれらのPGMに『ピア・ファシリテーター』として参加しますが、あくまで『ピア(Peer:当事者)』なので、話しをまとめたりタイムキーパーとして動きますが、気持ちは参加者の皆さんと同じ、なんです。


PGMはあくまで当事者会なので「まとめ役の人が偉い」とか「年長者が正しい」とかそんな上下関係は、本来、あってはいけません。

参加者は、主催者も含めて、皆、同じ立場です。同じ当事者なのです。


ただし、参加する人たちが発言をしやすいように皆が『護られる必用』があります。そのPGMに参加して傷ついたり傷つけられたり、誰かを攻撃したり攻撃されたりすることは、ご法度です。そしてそれは、PGMの中だけでなくミーティングの時間以外にも考慮されなければなりません。

そのためにグランドルールがあります。
そのためにファシリテーターは、参加者へ最大限の配慮しなければなりません。


PGMの主催者として願うのは、ボクも含めた参加者の方々が「参加して良かった」と思えるような会であり続けたい、と言うことだけです。

そして「もうPGMに参加しなくても、自分は・私は大丈夫」と思えるようになり「また参加したいな」と思った時にそこにあり続ける会でありたい、と願っています。



もし興味を持たれましたら、ぜひボクが主催するPGMに参加していただければと思います。

2023年11月15日水曜日

そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その③

 そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その②からの続きです。




2003年当時『HIV陽性者のリアル』を知る術がなく、様々な不安を抱えたボクの『with HIV』生活。前回のお話しでも書きましたが、まずは1回/月の定期受診(毎回、血液検査を行う)し、免疫細胞の数とHIVのウィルス量を見ながら体調報告も兼ねて通院が始まりました。

『免疫細胞の数』と言っても、人間の体の中には多数の免疫細胞があります。


上の図のマクロファージ・NK細胞・好中球・キラーT細胞・B細胞・(樹状細胞)などが主な免疫細胞なのですが、HIVは下記の図のTリンパ球(キラーT細胞)の中でも『CD4リンパ球』と言う免疫細胞に感染します。


少し生物学的なお話しをしますと、ウィルスというのは細胞の『核』と呼ばれる部分だけの生命体で、ウィルスは細胞の中に取り込まれてその細胞の中だけでしか生きることができません。そして取り憑いた細胞を栄養分にして、ウィルス自身の分身を作るわけですが、その分身を作るたびに取り憑いた細胞を壊していくのです。

そういう意味ではウィルスは非常に弱い存在、とも言えるわけですが、いかんせんHIVは外敵から体を守るための免疫細胞に取り憑いてしまうため厄介なわけです。


話しをもとに戻しますね。

ボクが初診で検査したときは、CD4が600/μL台(血液1μL中に何個のCD4細胞があるか)だったと思います。ウィルス量は10の8乗個/mL(血漿1mL中に何個のウィルスがあるか)くらいでしょうか。

μL=1000000分の1L
mL=1000分の1L

CD4というのは、もともと個人によって持っている細胞数が違っていて、正常値は700-1300/μLと言われています。正常値でもかなり幅が大きいのが分かるかと思います。(これはボクの憶測ですが、ボクは元々CD4の数は少なめだったのではないかと思います)

当時のHIV治療ガイドラインでは『CD4が200を切ったら投薬開始の目安』でしたので、ボクはその日を、毎月の受診と検査で待つことになりました。もう一つ付け加えるなら、当時の法律では、CD4が200を切らないと(つまり投薬が始まるタイミングにならないと)身体障害者手帳が申請できませんでした。身体障害者手帳が申請できないということは、治療費の自己負担額は、毎回、病院の会計窓口で支払わなければなりませんでした。当時3割負担で、毎回の診察で1万円位は支払っていたと思います。



CD4というのはとても敏感な細胞で、その日の体調やストレスなどの精神的なものからもかなり影響を受けるため、血液を採取した時の状況で値が大きく変わることがあります。しかし長いスパンで見ていくと、ジワリジワリとCD4が下がっていくのが分かりました。

そして前回のblogでもお伝えした通り、ボクはこの間、月に一度、心理カウンセリングを受けることにしました。

保健所で陽性告知を受けた時に元カレと友人二人に開示してから、誰にもボクのHIVステータスについて開示することはなかったのですが、初診から2~3か月後、当時の職場の後輩二人に開示しました(その職場は上司があん摩マッサージ師でその下がボク、1つ年下と2つ年下の後輩の全部で4人だけの部署でした)。


ボクの心理カウンセリングを担当してくださったのはKさんという中年女性の臨床心理士さんでした。当時、心理職の地位というのは非常に低く、そもそも臨床心理士と言う資格も任意資格であるため、とてもめずらしい存在でした。

Kさんは長く拠点病院に所属されていて、HIV陽性者の心理カウンセリングを一手に引き受けてくださっており、また、セクシャリティなどの十分な知識と理解を持っていらっしゃる方でした(この方との出会いがあったからボクは心理職をしたいと思うようになった、そんな方です)。

初めましての時からいつも笑顔。
そして柔らかい言葉遣い。
言葉の選び方も丁寧。

今思えば、Kさんは本当に僕らHIV陽性者の患者のために、言葉通り「身を削って」尽くしてくれていたんだと思います。

拠点病院は土日祝日は休みで診療も9:00~16:30と言う時間帯でした。ボクの勤務先も公立病院でしたので、勤務は8:30~17:30で土日祝日が休み。だから受診の際は平日午後に有給休暇をとって受診していたのですが、心理カウンセリングに関しては診療時間外、しかもボクが仕事を終わってから公共交通機関を使って拠点病院に到着する19:00から1時間ほどの時間をわざわざ作っていただいて、心理カウンセリングをしていただきました。

当時、Kさんがどのようなポジションで雇用され、また残業代など支払ってもらっているのかなど、知るよしもありません。しかも心理職が心理カウンセリングを行って診療報酬が支払われるようになったのはここ数年の話なので、当時は心理職が心理カウンセリング業務をしたところで、病院の儲けにはならなかったはずです。


ただ…
ボクは、Kさんに沢山、救けていただきました。
ボクが初診で受診し、Kさんがその拠点病院を退職されるまでの4年間、ほぼ毎月心理カウンセリングをしていただきました。
そしてその方は、拠点病院に通院しているゲイのHIV陽性者のための自助会・当事者会も開いてくれました。しかも勤務外である土曜の午後に。
Kさんとは忘れられないエピソードはたくさんあります。

あかん、泣けてきた…



次回、そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その④では、そのKさんとの対話の中でとても印象的だったエピソードをいくつか紹介したいと思います。

2023年11月14日火曜日

そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その②

 そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その①からの続きです。




2003年11月、ボクは保健所の匿名無料検査を受検してHIVの陽性告知を受けました。そして、いよいよボクの「with HIV」が始まったわけです。

告知を受けた夜、自宅に帰ってまずしたことはなにか…それはとりあえずインターネットで情報を収集するところから始まりまりました。

まずは敵のことを知るところから始めたのです。

当時、ゲイコミュニティ周囲には、HIV/AIDSの予防啓発運動が盛んで、HIVコミュニティセンタが全国にいくつかあり、ボクもその存在を知っていました。もちろん、ボク自身が医療従事者であったので、病気などの情報は何となく見聞きはしていたので、ある程度の知識はあったと思います。


上のような図は、何かしらの機会に見ていたし、この図が意味することもちゃんと理解していました。しかし、いかんせん、『具体的な療養生活』が見えてこない。

そこでインターネットで情報収集したのです。

当時、SNSなどと言うものはなく、老舗のTwitter ですら日本では 2008 年 4 月から日本版が公開だったので、いち個人がどんな生活を送っているのかと言う事を知る手段としては、唯一「ブログ」があったくらいです。

そのため、HIV陽性者が実際の生活を綴ったモノというものはなく、どんなに調べても、厚生労働省やどこかの医療機関、研究機関が公開しているホームページにぶち当たるだけで、「HIV感染症は死ぬ病気ではない」「薬でAIDSの発症を抑えることができる」「生活にはなんら影響がない」など、正直『現実味のある話』はどこにも転がっていませんでした。

ちなみに日本で大流行したSNSといえばmixiですよね。
あのmixiですら、開始は2004年2月ですから。


ネットにはボクの知りたい情報が転がっていないと分かってから次に何をしたか。正直、ボクはこういう事実を一人で抱えるだけの心に余裕がある人間ではなかったので(笑)仲の良い友人二人と、元カレに連絡を取りました。ありがたいことに、みんなボクの事を拒絶することなく、静かに受け入れてくれました。友人二人は遠方に住んでいたのですが、ふたりとも「何かあったら連絡してちょうだいね」と温かい言葉をかけてくれ、元カレは「大丈夫か?」と心配してくれました。

そんな事を一晩のうちにやってのけ、その日は確か、疲れて眠ってしまったと思います。


翌日は勤務日でした。
ボクは、とにかく医療機関を早く受診したいと言う思いがあり、初診の予約を早く入れたかった(この辺りはせっかちというボクの性分です)。朝から「予約の電話を入れるなら昼休みだ!」と思い、朝からソワソワしていたと思います。

そしてドキドキしながら電話をし翌週の金曜日の午後に初診となりました。

今までボクは、その職場で「(病欠以外の)急な予定で有給を取る」と言うことをしてこなかったので、正直、なんと言って上司に休みをもらおうか悩みましたが、結局、口頭で「スミマセン来週の午後から急に予定がありまして…」みたいな感じで有給申請したと思います。


翌週。
どうやって病院まで行ったのか、どうやって受付をしたのか、医師との診察の前後のことは全く覚えていません。ボクを担当してくださった医師は、驚くほど落ち着いてボクに説明してくださいました。HIVに感染していることに間違いはないこと、感染経路は同性間の性行為によるものかと言う確認、今後血液検査のデータを見ながら投薬の時期を決めること、月に一度は定期受診してほしいこと、今の生活を変える必要はないこと、理学療法士という仕事も今まで通りに行って良いこと、そんな事をお話していただきました。

検査や診察を一通り終え、最後に看護師さんとお話する機会があって、何だかそこで一気に感情が溢れ出してしまって…仕事を変える必要はないとか、今まで通りの生活ができるとか、頭では分かっているのですが「心」の部分で納得できないと言うか、不安な気持ちというものが抑えきれなくて、ボロ泣きしてしまいました。

それを見かねた看護師さんが、「カウンセリング受けられるけど、受けてみますか?」と声をかけて頂き、ボクは二つ返事でお願いすることにしました。


このとき、ボクの心の中には色々な「思い」があって
・病気の事を誰かに伝えたほうがいいのか
・家族には説明したほうがいいのか
・恋愛は、セックスはどうすればいいのか
・本当に医療従事者として働いていいのか
・薬を飲み始める頃にはどの様な体調になっているのか
・薬の副作用は
・身体障害者手帳の申請は

などなど…もうこの溢れる思いの処理が自分ではできなくなっていたのですが、とにかく自分の気持を落ち着かせながら、1つずつ整理するしかない、と思いました。






そろそろ本当の話しをしましょう(HIV)その③へ続きます。

2023年11月13日月曜日

私の中核をなすもの(⑦映画)

 ずーっと書きたかった(笑)この話題。


ボクは、M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan)監督が大好きだ!
一応、彼の歴代の監督映画を列挙すると…

Praying with Anger
翼のない天使(Wide Awake)
シックス・センス(The Sixth Sense)
アンブレイカブル(Unbreakable)
サイン(Signs)
ヴィレッジ(The Village)
レディ・イン・ザ・ウォーター(Lady in the Water)
ハプニング(The Happening)
エアベンダー(The Last Airbender)
アフター・アース(After Earth)
ヴィジット(The Visit)
スプリット(Split)
ミスター・ガラス(Glass)
オールド(Old)
ノック 終末の訪問者(Knock at the Cabin)

ボクが彼の作品にハマるきっかけになったのはズバリ「シックス・センス」


当時、彼の作品で驚かされるのは、すごく平和な日常から徐々に非日常に変わっていく。そしてその原因が全くわからないままストーリーがすすみ、中盤から終盤にかけて何となく全容が分かるんだけど、終わり15分くらいで大どんでん返しが待っている、というのがお決まりの構成でした。

「あなたは終わり15分まで驚愕する!!」的なキャッチフレーズで宣伝されることも多くて、シックス・センス以降、何作か「駄作だ」と評価れる作品もあったりして…

ボク的には「サイン」「ヴィレッジ」「ヴィジット」「オールド」「ノック終末の訪問者」なんかは、意表を突かれて最後まで退屈せずに見たかな。






「サイン」でもそうだったけど、ジワリジワリとやってくる「恐怖の正体」というものを、映像としてハッキリとしたモノを描かないんだよね。「サイン」なんかは、きっと宇宙人が全ての元凶なんだろうけど、宇宙人をハッキリと「宇宙人の姿」として描かない(確かクライマックスで宇宙人らしき人影が映し出されるシーンはあったかな)。

そこがスゴク想像力を掻き立てられる。

そしてどの作品にも「子ども」が重要な役割を果たしていて、どの作品の子役も演技力がスバラシイ。

あと、脇役のキャスティングが秀悦。ビジュアルと役柄のギャップがすごくて、いつも「見た目で人を判断しちゃダメだ」と思い知らされます。


そして、物語は一応の結末を迎えるんだけど、「あれはどうなったの?」「あれとあれの関係は?」「結局あの人たちって何?」みたいな「モヤモヤ感」が残るんだよね。

それがまた良い(笑)

映画を見終わってからもその「モヤモヤ感」を抱えたまま、見たものの想像力をものすごく掻き立てられるから。

一昔前の映画というのは、ホラーにしろサスペンスにしろ、悪者や悪しきものが退治されたり、存在がなくなり「スッキリと平和が訪れる」というのが主流だったと思います。これはシャマラン監督作品に限らず、「モヤモヤ感が残る作品」が多くなりました。

しかも、そういう結末を望むオーディエンスが一定数いて(ボクもその一人www)、ある種のジャンルとなりつつあるかもしれません。

じゃあなんで「モヤモヤ感の残る作品」が好まれるか。

それはエンディングを迎えても、その先をオーディエンスが自由に想像できる、と言う楽しさがあるからだと思います。つまり、映画は終わったけれどもその物語の結末というのは、オーディエンスの数だけあり、それを話題にして一緒に見た人たちと会話を楽しめる、と言う特徴があるからではないでしょうか。



映画は良いですね~

それではみなさん。さようなら。さようなら。さようなら。



最新のblog

 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...