自己紹介

自分の写真
オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年10月25日水曜日

あなたは知っていますか?「8050問題」

 現在の社会問題となっている「引きこもり問題」。そしてその問題に関連して「8050問題」と言うものが現在の日本で取り沙汰されることも多くなりました。

人はなぜ引きこもるのか…

様々な視点から色んな議論がなされていますが、今回は「引きこもる人と国の対策」に焦点を当てて、少し深掘りしてみたいと思います。



2023年3月31日に内閣府は「引きこもりは全国でおおよそ146万人と推定される」と発表しました。

そしてタイトルにも書きました「8050問題」というのは「80歳代の親が50歳代の子どもを支えるために経済的にも精神的にも大きな負担を強いると言う社会問題」を指しています。

80歳代前後というのは第一次ベビーブームの頃に生まれた「団塊世代」でその子どもは「団塊世代ジュニア」とも呼ばれています。


上の図は、2022年10月時点での人口ピラミッドです。「Dankai」というのが「団塊世代」の事ですが、その前後に比べて突出して人口が多いのが見て取れると思います。そして「Dankai-Jr」というのが「団塊世代ジュニア」のことで、ちょうど第二次ベービーブームの頃に生まれてきた人達です。

「人口が多いんだから引きこもりの人数が多くても当たり前じゃない?」と思いますよね。ボクもそう思います。

この内閣府の発表をもう少し紐解いていきましょう。

広義の引きこもりの割合
・15~39歳で2.05%
・40~64歳で2.02%

現在の外出状況になった理由
・15~39歳では「退職したこと」21.5%、「人間関係がうまくいかなかったこと」20.8%、「中学校時代の不登校」18.1%、「新型コロナウイルス感染症が流行したこと」18.1%、「学校になじめなかったこと」12.5%等が上位。
・40~69歳では「退職したこと」が44.5%を占め、「新型コロナウイルス感染症が流行したこと」20.6%、「病気」16.8%、「人間関係がうまくいかなかったこと」11.6%であった。


15~39歳・40~64歳と言う「24歳区切り」の意味はハッキリとは分かりませんが(笑)2つの世代で広義での引きこもりの割合は大きく差がありません。ここで強調しておきたいのは「割合は」です。

では人数に換算してみましょう。
15~39歳:約3,445万人✕0.0205=約71万人
40~64歳:約4,235 万人✕0.0202=約86万人
その差は、約15万人にものぼります!!

しかも、40~64歳というのは、労働人口としても貴重な存在である(例えば管理職であったり後輩育成であったり)はずの人達が引きこもりになっていると言うのは、日本にとっては大きな経済損失とも言えるのではないでしょうか。

そしてもう一つ注目していただきたいのは、「引きこもりになった原因」です。40~69歳では「退職したこと」が44.5%を占めております。この調査ではその「退職した理由」は明記されておりませんが、この調査がコロナ開けに行われていることも踏まえると、コロナ禍で増えたとされるメンタル不調や失業なども大きく関わっていると思われます。


この「8050問題」には1980年代の引きこもり問題とは、やや、毛色の違う問題もはらんでいます。それは「親が80歳代前後であり健康問題を抱えている可能性がある」と言うことです。引きこもっている“子ども”にとってはある意味“親がライフライン”であり、親が要介護状態になることで、介護を担う子どもへの経済的・精神的負担、親が他界することで子どもの経済的危機が訪れる、と言うことです。


引きこもりの大きな原因の1つとして「対人関係の問題」があると言われております。しかしそれが本当の原因ではなく、引きこもる人の「心の病気」が関係していると言われています。

それは「うつ病」「社交不安障害」「統合失調症」「発達障害」などです。結局は、それらの心の問題を解決しなければ、引きこもりから脱することは困難とも言えるでしょう。


この引きこもり問題に関して厚生労働省は「ひきこもりVOICE STATION」と言うサイトを開設し「ひきこもり地域支援センター」という機関を各地域に設置しています。


ボク自身も50歳を前にして前職を退職しています。そしてボクは双極性障害と言う心の問題を抱えています。しかも前職を退職したのは、メンタル不調が主な原因でした。ボクはとてもありがたいことに、退職してすぐに支援機関の門を叩き、勇気を持ってボクの「負の部分」を支援者に開示することで、本当に必用な支援というものを手にすることができました。



まずは「救けて」とSOSを発することに躊躇しないでほしいと思います。

誰かに救けを求めることは恥ずかしいこと・後ろめたいことではありません。

2023年10月24日火曜日

「チーム・バチスタの栄光」田口先生の専門!不定愁訴

 「チーム・バチスタの栄光」シリーズで出てくる田口医師。
彼は、東城大学医学部付属病院の「不定愁訴外来」別名「グチ外来」の精神科医師です。ボクは、このシリーズが好きで、全ての小説を読破しております。

チーム・バチスタの栄光
ナイチンゲールの沈黙
ジェネラル・ルージュの凱旋
イノセント・ゲリラの祝祭
アリアドネの弾丸
ケロベロスの肖像
カレイドスコープの箱庭
コロナ黙示録
コロナ狂騒録

その他にも「桜宮市」や「東城大学医学部付属病院」に関連する海堂尊さんの作品はいっぱいあり、その作品一つ一つが、実はそれぞれに繋がりをもって物語が広がる面白さがあります。もちろん、医療ミステリーと言う意味でもボクの好きな分野なのですが。


さて、今日のテーマである「不定愁訴」とはなにか

不定愁訴とは…
患者からの様々な訴え、例えば「頭が重い」「肩がこる」「なんとなく食欲がない」「寝た気がしない」「疲労が取れない」などの訴えがあるものの、様々な検査をしてもその原因は見つからず、また、訴えがコロコロとその都度変わり、症状が安定しないことを指し示します。


精神医学や心理学に明るい方であれば「心身症(身体症状症)」と言う言葉を思い浮かべる方もいらっしゃると思います。

心身症(身体症状症)とは…
慢性的な身体症状がみられることに加えて、その症状に関連して不釣り合いに大きな苦痛、心配、日常的な役割遂行の問題がみられることを特徴とします。身体的な病気が否定されてからも依然として症状にとらわれ、心配が続く場合、または身体的な病気に対する反応が異常に強い場合、この病気の診断が下されます。

ただ、上記の図のように心身症の場合は何らかの「診断名」がつくことが殆どですが、不定愁訴にしろ心身症にしろ、原因は「ストレスからくる自律神経系の乱れ」が原因であるだろうと言われています。

つまり、症状としては「身体的な訴え」なのですが、その原因は「心」にあることがとても多く、身体的な症状の訴えばかり注目していても改善していかない特徴を持っています。

心身症と不定愁訴の違いをあえて言うならば、「心身症」はある一定の同じ症状の訴えをするのに対し、「不定愁訴」は症状の訴えそのものに一貫したものがない、と言う特徴の違いがあります。


上記の図のように、心身症には4つの側面から影響を受けているとされており、そのどれか1つが解決しても症状は軽くなりません。言い換えると、自律神経の働きというのは、様々な要因に左右されるため、一筋縄ではいかなんですね。


※ここからのストーリーはあくまでもボクの経験をもとにしたフィクションです。
そしてここでは「心身症」としての一例を挙げますが「不定愁訴」の場合も同じ様な経過をたどることが多いとボクは感じています。


例えば「ひどい肩こり」と言う症状で病院を受診したとします。

みなさんならまず「何科」を受診されますか?

恐らく多くの方が「整形外科」と考えるのではないでしょうか。


整形外科医からは「では首と肩のレントゲンを撮りましょう」となります。しかし、レントゲン上、首にも肩にも異常は見つからなかったとしましょう。整形外科医はとりあえず「痛み止め・湿布・胃薬を2週間続けてみましょう」となると思います。

しかし、症状は改善されず、2週間後、整形外科を受診します。「そうですか…それならば神経の可能性もあるので首のMRIを撮ってみましょう」となります。MRIで首の神経の状態を見ても、たしかになんとなく神経に触っているような所見があったとします。すると整形外科医は「では今までのお薬に加えて神経の通いを良くするお薬を追加で2週間出して見ますね」となり、ビタミン剤などが追加になります。


しかし2週間後、症状は改善しません。むしろ悪化したり症状の範囲が広がっている事も出てくるかも知れません。ここでやっと整形外科医は「もしかしたら心臓の病気の可能性もあります。循環器内科へ紹介状を書きますね」と言う事になり、今度は循環器科へ受診となります。

ここで1つ付け加えておきます。
実は狭心症や心筋梗塞などの病気で、特に左首~左肩~左背中にかけて痛みが出ることがあるんです。


さて、循環器科へ受診しました。「まずは血液検査と心電図を撮りましょう。お時間があれば胸部のCTもお願いします」となることが一般的です。循環器科医は検査結果をひと通り見て「心臓や心臓の血管には問題なさそうですね」「ではもう少し神経の病気を見てもらうために神経内科を紹介します」となり、今度は神経内科を受診することになりました。


神経内科では、今までの整形外科医や循環器科医の検査結果や診断を一通りみて、「じゃあとりあえず脳のMRIとCTを撮りましょう。そしてもう一度血液検査をお願いします」となります。

ここで1つ。
一言で「血液検査」と言っても検査する項目は非常に多くあり、「循環器疾患に関係する項目」「脳神経疾患に関係する項目」などあるため、何度も血液検査をすることも珍しくありません。

神経内科の医師はMRI・CT・血液検査の結果を一通りみて「どうやら神経の病気ではなさそうですね」「もう一度、整形外科の先生と相談してもらってリハビリしてみてもらってはどうでしょうか」となります。


“となります”で締めくくっていますが、最終的に原因は分からないまま「とりあえずリハビリ」と言う処方が出来上がることもあります。

このお話しは「フィクション」と書きましたが、実際にこういうやり取りがなされることもあり、本当は社会・環境面や心理・性格傾向など、いわゆる「検査」ではあぶり出すことのできないことが根底にあるにもかかわらず、そこに着目した治療がなされないため、「とりあえずリハビリ」が「なんとなくリハビリ」になり「ずーっとリハビリ」になっていくことも有りうるんです。

そして、「ひどい肩こり」だけであれば「心身症」と言う診断も納得がいくのですが、そのうちに「頭が痛い」「いつも吐き気がする」「腰まで痛くなってきた」などと症状に広がりをみせてくると、まさに『不定愁訴』となります。

こんな時、精神科や心療内科など、心の問題に着目してくれる医師がいてくださりうまくリファー(紹介)していただけると「ひどい肩こり」の裏に隠された精神心理的な原因が見えてくることもあると思います。

しかし患者さんからしてみると「肩こりなのに精神科?!」と驚かれる方、また受け入れてもらえない方もいらっしゃいます。

また、リハビリで患部を温めたり電気治療を行ったり徒手療法(マッサージ)などしながらセラピストが、温かくその方の他愛のないお話しに耳を傾けてくれる事が、心理的な癒やしになり症状としては軽くなっていく事もあるかと思います。しかし、根本的な原因の治療にはなりません。何度となく通院し、良くなったり悪くなったり他の症状を訴えたりと『リハビリに依存』するようにもなります。

リハビリセラピスト(理学療法士・作業療法士・言語聴覚士)は心の専門家ではありません。しかし、いつの間にやらリハビリセラピストが「メンタルフォロー」を担ってしまうことも、実は臨床ではよくある話なんです。



最近ではこのような「患者のたらい回し」や「不適切な検査や治療」をできるだけ避けるために「総合診療科」と言う標榜を掲げている病院も多くなりました。

総合診療科とは…
総合診療科は、特定の臓器や疾患に限定せず、患者さんの健康問題を幅広く対応する診療科です。総合診療科は、次のような診療を行っています:

・頭痛や発熱などのよくある症状
・複数の健康問題を抱える患者さんに対する包括的なアプローチ
・受診科が判り難い各種症状の診療
・生活習慣病(糖尿病、高血圧、脂質異常症など)などの一般的な疾患
・感染症(肺炎やウイルス感染症、C型・B型肝炎、HIV/AIDSなど)
・漢方外来、渡航外来、禁煙外来



今は医療において、専門分野が細分化されてそれぞれのスペシャリストが増えています。しかし、「病(やまい)」と言うものを“まずは大きくとらえてあらゆる可能性を考えましょう”と言う考え方をしなければ、本当の原因を突き止めることが困難であるとボクは思います。

そのためには、患者さんご自身もあらゆる可能性を視野に入れてご自身の健康状態を把握し、医療従事者には正直な態度で接していただきたいと思います。

2023年10月23日月曜日

忘れられない患者さん⑤元ヤクザの脳梗塞片麻痺のオジサン

 ボクが理学療法士として働いていた中で、様々な方に関わらせて頂きました。「忘れられない患者さん」シリーズの第5弾。「元ヤクザの脳梗塞片麻痺のオジサン」



脳梗塞とは…
脳血管障害ということも多いですね。簡単に言うと、脳細胞に栄養を行き渡らせている血管が詰まったりすることで、脳細胞に栄養が行き渡らなくなり脳細胞が壊死(死んでしまうこと)してしまうことです。大きく3つに分類することができます。



脳卒中とは…
脳卒中の中に「脳梗塞」と「脳(内)出血」「クモ膜下出血」があります。いずれも脳の中やそんの周辺で血管が詰まったり裂けたりして脳細胞へ栄養が行き渡らなくなることで脳細胞が壊死することです。


片麻痺とは…
脳卒中によって、左右どちらかの上下肢が麻痺することです。脳卒中による麻痺というのは、右側半分だけとか左側半分だけに出現することがほとんどですが、何度も再発していると、最終的に左右両側とも麻痺を遺す事もあります。
また、「麻痺」というのは「感覚麻痺」と「運動麻痺」に大きく分けることができれ、「感覚麻痺」というのは、例えば痛いとか熱いとか皮膚を通して感じる感覚が麻痺すること、「運動麻痺」というのは手足や体感、唇や舌など自分の思うようの動かせなくなることを指します。



今回、話題に出すのでは70代前半の男性Aさんです。

もともと糖尿病からくる動脈硬化が原因で、10年ほど前に脳梗塞を発症し左片麻痺(左の上下肢の麻痺)を呈してしまいました。数年後、糖尿病性腎症により腎機能の低下があり、維持透析になってしまいました。

その方はもともと右利きでしたので左が麻痺するというのは、一見すると「不幸中の幸い」の様に思われるかもしれませんが、実はそうではないことが多いのです。左片麻痺の場合、ただ「麻痺する」だけではなく「失認・失行」と言う症状が出やすかったり、「構音障害」を伴う場合が多く、実は生活をする上で非常に困難な事が多い麻痺の仕方なのです。一方、右片麻痺の場合は単純な麻痺である事が多い、とボクは感じています。


失認とは…
失認とは、1つまたは複数の感覚で物体を識別する能力が失われる障害です。皮膚で何かを触っていたり温度を感じていたりしてその信号を神経が脳細胞に伝えるのですが、最終的に「それが何なのか」を判断する「認知機能」が低下・消失しているため、御本人は判断ができなくなります。

失行とは…
失行とは、パターンや順序を覚える必要がある作業を行う能力が失われる障害です。例えば、パジャマを見せて、それがどういうものなのかはハッキリと分かるしどういう時に着るものかは理解しているのに、下衣に腕を通してみたり上位のボタンをめちゃくちゃに掛け違えてみたり、と言う行動の障がいです。


構音障害とは…
構音障害とは、言葉を正常にはっきり発音する能力が失われる障害です。例えば、話し方がぎこちなくなる、ブツブツ途切れる、息の音が混じる、不規則になる、不明瞭になる、または単調になることがありますが、患者は言語を正しく理解し、正しく使用できます。


話しを戻しますね。

Aさんは、透析を開始になった頃は、左片麻痺がありながらも、ご自分で起き上がったり車椅子に乗り移ったり、トイレにいって排泄したりなどの自宅内での生活は、ほぼ、自立されていました。ご自宅は持ち家のマンションで、独身ではありましたが内縁の妻さんがいらっしゃり、同居はされていませんでしたが、食事など身の回りの介護はその方が行っていました。

しかし、脳梗塞を再発し救急搬送され、ボクが勤めていた病院へリハビリとサービス調整のために転院されてこられました。


ボクは基本的に初めましての患者さんとご対面する前は、かならずカルテを見て、前医での様子や疾患の状態、合併症や併存疾患の確認、普段服薬しているお薬、家屋状況、家族関係、経済状況など一通り確認した上でご挨拶に行くのですが、入院時の病棟担当看護師さんの記載に「全身に入れ墨あり」との記載がありまして…まあ、ボクも理学療法士として20年以上働いてきましたので、その筋の方を担当したことは何度かあるのですが、小心者のボクは(笑)やや緊張気味で初めましてのご挨拶をしました。

しかし…

もちろん、先にも書きましたが、構音障害があるので、お話しづらいということもあったり、きっとそれが原因で「話すことは最小限にしたい」と言う意識が働いてたのだとも思うのですが、いろいろご質問させていただいても首振りによる応答がほとんどで、喋られても単語でしか言葉を発することがなく、ボクは少し困ってしまいました。

それよりもなによりも

表情がないんです。そう、ないんです。目線も合わせてもらえない、微笑みかけてもニコリともされない、目は伏し目がちで口角は下がりっぱなし。これは、色々と厳しそうだぞ、と覚悟しました。

お体の状態としては、左上下肢の麻痺はかなり重度で、ご自分の意志ではほとんど動かすことができず、皮膚の感覚は若干あるようでしたが、正常よりも鈍い状態でした。寝返りはベッド柵を右手で把持してなんとか自力で可能、起き上がりは困難、そんな状況でしたので、まずは、どんな方法を使ってもいいので起き上がりを自力でできるようになり、ベッドの端に座っていられる、と言うことを目標に理学療法をすすめて行くことをお伝えしました。

ちなみにこの方のご希望は、元のご自宅マンションに戻って生活をしたい、と言うことでした。

ちなみに脳梗塞による運動麻痺は別名「痙縮」と呼ばれます。
「麻痺」と言うと手足の力が入らない、と言うイメージが強いと思うのですが、脳梗塞による痙縮という状態は、力が入りすぎることで関節の動きをコントロールすることが困難になることです。


脳梗塞の運動麻痺を呈している方でこの図のような手足の形をしてる方をご覧になられた事がある方もいらっしゃるかと思います。Aさんの左上下肢は、まさにこのような状態でした。

痙縮の難しいところは、例えば起き上がろうと腹筋に力を入れるだけで、麻痺している側の腕が自然に曲がってきたり、脚がピーンと伸びてしまったりして、それらが邪魔することで起き上がりが難しくなる、みたいな事が日常生活のなかで起こってきます。

Aさんはこの状態が、かなり顕著に出ている状態でした。しかし構音障害はあるものの、失認・失行の症状は見られませんでした。


理学療法としてはベッドサイドで、まずは固くこわばっている左上下肢の関節を柔らかくする運動、力を入れる時に必用のないところに力が入らないようにするための運動学習、起き上がりを介助してベッド端に座り、座ったまま手で柵などを持たずにバランスを取る練習から始めました(起き上がる練習をこの段階で行わないのには理由がありますがここは割愛します)。

いつも言いますように、運動の合間合間には休憩を取るのですがその時に、ボクは患者さんの色んな事を聞きます。もちろん、内容によってはセンシティブなこともあるので、それは患者さんとの信頼関係がどの程度、築けているかを探りながらになるのですが。


初めましての時にボクが感じた「色々と厳しそうだぞ」と言う感覚は、患者さんの「意欲」の問題に起因する事が多くて、やはりご本人が「良くなりたい」「自分でここまでできるようになりたい」と言うお気持ちが大事なのですが、Aさんからはそれを全く感じられなかったのです。

そんなある日、ボクが関わらせてもらうようになって2週間後くらいでしょうか。いつもの様にお部屋へお伺いしご挨拶した後、Aさんは堰を切ったように話しだされました。

「リハビリなんてやっても意味ない」
「別にこのまま家に帰ってもなんとかなる」
「ヘルパーも女もおるから全部やってくれる」
「これ以上構わないでくれ」
などなど…

事実、リハビリの効果としては正直、厳しいところがあってボクは長期戦を覚悟していたところでした。

ボクはまず、Aさんに、Aさんのお気持ちをしっかりとお聞きしないままリハビリを続けてきたことに謝罪をし、ベッドの横にしゃがんでAさんのお話しに耳を傾けることにしました。

ご自身ではこれ以上良くならないと思っているしなりたくないと思っている、なんなら今すぐに死んでも構わない、今までの人生に悔いはない、できれば静かに家で過ごしたい、など正直なお気持ちを吐露されました。

その中でとても記憶に残っているお話しがあります。


Aさんは全身に入れ墨が入っていることはお伝えしたとおりですが、左手の小指と薬指もありませんでした。ご本人が「自分の人生に悔いはない」とおっしゃられてたのには意味があって、御本人はヤクザとして生きていきて、ある程度の地位まで上り詰めたそうです。舎弟がいたり、島を任されたり、刑務所も金沢刑務所に入ったこともある、と。

少し余談ですが、刑務所というのは日本各地にありますが、実はそれぞれ役割があります。例えば、初犯の人が入るところ、何度か受刑した経験した人が入るところ、重い罰を受ける人が入るところ、など。有名なのは網走刑務所ですよね。

その事はボクは以前より知っていたのですが、金沢刑務所がどの様なところなのかは知らず、Aさんにも聞きました。

金沢刑務所というは、何度も犯罪を犯している人や反社会勢力の人が収容される刑務所だということです。


Aさんにとって「金沢刑務所に収容される」というのは、ヤクザとして「箔が付く」ことであり名誉なこと、そうお話しを聞いてボクは理解しました。
そして、ご結婚はされずお子さんもいらっしゃらないのですが、伴侶も得てそして病気になって。

「やりたいことをやりたいようにやりたいだけやって病気になったのだからこれ以上は何も望まない」

そんなニュアンスでしょうか。


おそらく1時間くらいお話しを聞いていたと思います。

ただ、理学療法士としてのボクは、とても苦しい立場になりました。

正直、御本人の気持ちもよく分かるし、「これ以上何も望まない」と思っている人に「これ以上を望もうよ」と押し付けるのは、理学療法士としてのエゴだとも思う。けれど実際問題、どんなに介護サービスを使ったとしても、この現状でご自宅での生活はムリ。そことどう折り合いをつけていくか、まずはボク自身の気持ちや理学療法としての方向性を決めなければなりません。

とっても悩ましい。本当に悩ましい。

以前、このblogでも書かしていただきましたが、ボクは多分、理学療法士として失格なんだと思います。または、こういうボクの中での葛藤が生まれた時の対処方法が下手くそで、どっちつかずというか、何を優先すべきかを見失ってしまう。




実は、このお話し、これで終わりです。

この後ボクは、体調を崩しそのままこの職場を退職してしまったからです。

そしてAさんのその後も、知るよしもありません。

2023年10月18日水曜日

結局さ、うつ病には運動がいいの?薬がいいの?どっちなの?!

 ボクのblog内に「カウンセリングなんて…って思っている人へ」と言う全3回のシリーズの中で、ボクの『チョー持論』で「うつ病に対する運動の効果を検討した研究には“バイアス”がある」と強く主張してきました。

ここにきて、面白い研究結果がでてきましたので、少し紹介したいと思います。

バイアスとは…
一般的には偏りや傾向を示す概念のことです。統計学では、測定値と真の値との間の系統的な差異を指します。これは、測定器具の誤差や観察者の主観などにより生じるものであったり、また、機械学習においては、モデルが真のデータ分布を適切に捉えられないことによる誤差を指します。



Antidepressants or running therapy: Comparing effects on mental and physical health in patients with depression and anxiety disorders(原文タイトル)

この研究報告は、「感情障害ジャーナル(Journal Of Affective Disorders)」と言う雑誌に掲載された介入研究です。

介入研究とは、ある疾患や障がいをもった人達をいくつかのグループに分け、それぞれ違った治療法をしその後の治療成績を比較する研究のことです。


うつ病または不安症の診断を受けた141人の患者が参加。患者は2つのグループに分かれ、1つは週に2回、みんなでランニングプログラムに参加するグループ。そして、もう1つは選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)と呼ばれる一般的な抗うつ薬を服用するグループです。どちらも16週間のプログラムでした。

結果から言いますと、研究期間の終了時に、両グループそれぞれ約44%の人に症状の明確な精神的健康の改善が見られ、寛解と見なされています。しかし、グループの間には大きな違いもありました。つまり、『運動をしても抗うつ薬を飲んでも効果は変わらない』と言う結果だった、といっているのです。


ほれ見たことか!!


そして、この研究の興味深いところは、対象者を2つのグループに分ける時に、まずは「無作為に分ける(患者が運動するグループになるか薬を服薬するグループか選べない)方法」と「対象者が好きな方法を選ぶ方法」のどちらかにするのかを対象者が選択する、と言うところから始まります。


そして、「対象者が好きな方法を選ぶ」を選んだ対象者のうち2/3がランニングを選択肢したそうです。そしてランニンググループの参加者のうち、16週間のプログラムを完全に守ったのは52%だけでしたが、一方、抗うつ薬を服用していた人のうち82%がプログラムを遂行していたのです。




つまり、自分自身で「ランニングします」と言っておきながら、16週間、週2回のランニングのプログラムをやり遂げたのは「たった52%だった」と言うことです。


ほれ見たことか!!


この論文を発表したBrenda Penninx教授は、「抗うつ薬は一般的に安全で効果的です。ほとんどの人に効果があります。うつ病を全く治療しないことは悪化を招きます。なので、抗うつ薬は一般的には良い選択肢とされていますが、抗うつ薬に反応しない患者や、服用する意志のない患者も存在するのです」とPenninx教授は述べています。

運動は患者にとって魅力的な代替手段かもしれませんが、この研究でランニングを続けた人の割合が低かったのは、多くの人がルーティンを維持するのにサポートが必要であることを示唆しています。またPenninx教授は「患者に走るように言うだけでは足りません。運動療法を取り入れるには、適切な見守りと励ましが必要なのです」と付け加えています。


結局のところ運動は「誰かと一緒、または励まし導いてくれる人がいると継続できる」「一人で継続して行うのは困難」だと言うことですね。

ボクのblog「医療従事者の言うことは絶対に守るべし?!コンプライアンスとアドヒアランス」にも記載しましたが、セルフケアと言うのは、継続することが非常に難しいです。「それが健康のために良い」とか「病気を改善してくれる」と分かっていても、もともとの習慣がなければ、続けることは難しいのです。


志を同じくし、互いに励まし合いながら切磋琢磨する…「同志」のような存在が必用なのです。



決めました。
実はボク、最近になって体重が増えていたんです。
運動します。だって近くに市のスポーツセンターがあるんですよ。しかもボクは身体障害者なので利用料が無料です。

ただね~やっぱり一人じゃ…って思ってスポーツセンターのサイトを確認したら、毎週木曜日にエアロビクスをやってるんです!ボクが唯一「楽しいと思ってやれるスポーツ」がエアロビクスなのです!(あとヨガも好きです)
もう、やらない理由がありません。

2023年10月17日火曜日

伝統を守るとは?そもそも“伝統”って何?

 8月の終わり、ボクの地元の神社のお祭りがありました。ボクも役をいただいたので、土日と参加してきたのですが、このお祭りについて母に色々話を聞き、「伝統を守っていく」と言うことは、どういうことなのか、そしてその本質はどこにあるのかと言う事を考えさせられる出来事でした。

また別の機会に、とあるコミュニティに参加した際、ボクは良かれと思ってした行いが「それは伝統違反です。分からなければ先輩にその伝統と概念を聞いて理解した上で参加して下さい」とお叱りをうけ(笑)少々、ご立腹のボクは、この「伝統」とはどういうことなのか、深掘りしたいと思い今回の記事のテーマにしました。



伝統とは…
伝統とは、古くから受け継がれてきた、しきたり・様式・傾向・思想・血筋などの有形無形の系統のことです。伝統は、民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い、伝えてきた信仰、風習、制度、思想、学問、芸術など、さまざまな分野において存在します。伝統は、普遍的な価値と精神性、歴史的な存在意義として継承・伝承されていきます。しかし一方で、本来は「伝統」ではないものが「伝統」として広まることもあり、これらは「創られた伝統」、「伝統の発明」、「伝統の捏造」等と呼ばれます。




ボクの参加した、地元の神社のお祭は、毎年8月最終週の週末に行われます。古く続くそのお祭りは「神楽舞」と「奴踊り」を神様に奉納しています。



この神社の氏子は5つの地区の人々から成り立っています。そしてこのお祭りも、その氏子たちが執り行うのですが、実は以前からの「しきたり」として人足を集める時、それぞれの役は決まった集落からしか出せない、と言うものがありました。

例えば、
奴:A地区 神楽舞の子ども:B地区 神楽舞の獅子:C地区 お囃子:D地区 旗持ち:E地区、のように。 
また、役をやるのは全て男性のみ。とか。

昔はこのようなしきたりでも問題ありませんでした。しかし、少子高齢化が著しい「限界集落」のこの地域で、このようなしきたりを守っていくことは非常に困難になってきています。

ある特定の地区だけから子どもを選出すると言うことや男性だけで役を担うということは、とても困難を極めていて、どこかで何かを妥協するしかなくなってきていたと言う事実があります。

そこで10年ほど前より、氏子総代が集まり、これらのしきたりを一部緩和したと言うことでした。例えば、女性も参加して良い、とか、子どもの役はどの地区から選出してもよい、とか。


ボクは個人的に、それはとても素晴らしいことだと思っています。そもそも、なぜ「役割を選出する時にその地区からしか選出しなければならない」とか「男性のみ」などのしきたりの『意味』は何なのか、と言う事だと思うんです。「そうでなければならない理由」「筋道の通った理由」と言うものがあるのでしょうか?

おそらく今の世に生きている氏子たちに明確に理由を答えられる人はいなかったのでしょう。それよりも「このお祭りを継承していく」事が重要と考えの結果だと思います。

お恥ずかしい話し、ボクは祖父が生きていた頃は、毎年、祖父の運転する自転車の後ろにまたがり、連れてきてもらっていました。ボクが小学4年生の時に祖父が他界し、中学生になるころにはもう、興味もなくなりお祭りを見に行く、と言うこともなくなりました。まあ言ってしまえば「毎年やっている同じこと」「代わり映えしない古い行事」のようにとらえていたのは事実です。

そこで、今回、せっかく役をもらったので、この神社の由来というものを調べてみました。と言っても、神社にある看板等をヨク観察しただけですが(笑)。


「南宮神社由来」
伝えるところによると、奈良時代、原村(はらむら)に住む大坪家の祖先が「東西を清流に囲む土地に移りなさい」という夢のお告げを聞き、同村の御手洗の池の中に神像を見つけ、養老元年(717年)是本(これもと)、中桐(なかぎり)、西洞(にしぼら)、印雀(いんじゃく)、原(はら)の5つの村民の協力を得て、中桐村宮切の現在地にお御堂を建立して祀った。
社殿は流造の本社(間口二間、興行二間)と拝殿(間口五間、興行三間)で、本道狛犬二体、御神体(金山彦命)、板獅子など文化財に指定。この社は宝暦四年に始まる宝暦騒動で郡内130余の村の百姓代が集まり、検見取廃止の相談傘形に連名をした舞台である。
創祭は、毎年8月末土日に奴踊(重要文化財)と大神楽が奉納される。
(平成18年2月吉日)
(一部、誤訳・誤字の可能性あります。スミマセン)

(この看板は郡上一揆について書かれています)


この神社の始まりは奈良時代となっています。710年(和銅3年)から784年(延暦3年)までの74年間と言われていて、今から約1500年ほど前の話になります。そしてそもそも、『神楽舞』や『奴踊り』をこの時期に執り行われる「意味」は何なのか。

『神楽舞』というのは神社で行われる祭礼の際に、神様に対して祈りと感謝を伝えるために奉納される舞のことで、神楽舞の起源は、豊作・豊漁を願い、疫病を追い払う儀式として舞われたと言われています。神楽舞は、1600年以上の歴史を持ち、全国に広まりながら様々な形で伝承されています。その起源は、紀記説話の中の「天岩戸(あまのいわと)伝説」にまで遡るともいわれます。

一方『奴踊り』というのは、奴踊りは、江戸時代の武家の下僕であった奴の姿に扮して踊る民俗芸能です。唄や囃子、楽器に合わせて上体を前後にゆすったり、首を左右に傾け前進するユーモアたっぷりの踊りです。旧藩主たちの参勤交代の先頭役をする「奴さん」の仕草を舞踊化したものとの説もあります。


ここで少し、矛盾が生じます。
この神社で奉納されている『神楽舞』と『奴踊り』には、その派生に時代的なズレがあるのがおわかりでしょうか。

『神楽舞』に関してはおそらくこの神社を建立し、神様が祀られた時期とほぼ同時期に執り行われるようになったと思います。時期的に「豊作祈願」が意味合いとして大きかったのではないでしょうか。

しかし『奴踊り』の発祥は江戸時代です。この神楽舞のおおよそ1000年も後の発祥です。

この2つが「あたかも同じ様な意味合いをもたせながら今に受け継がれている」というのはとてもとても不思議な感じがしますよね。

そしてなぜ、神事というのは「女人禁制」なのか。
その疑問を紐解くと、古くは、女性は穢れ(けがれ)ているとされ、清浄を重んじる神社の神事には遠ざけられてきました。また、女性の「月の物」に関連する概念は「(生死に関わる事なので)不浄」とされてきた事に由来するそうです。


何を伝えたいのかというと、「伝統」として今の世に受け継がれてきているものと言うのは、そもそも「ソレを」「どうやって」「何の意味で」行うのかと言うことを、『始めに考えだした人たちがいる』と言うことと『時代とともにその形が変わっている』と言うこと、そして『そのやり方自体も変化している』と言うことです。

ボクが参加したこの神社のお祭も、もし「どの役割をどの地区の人が担う」と言う“形”を取り続ける事が第一優先になっていたら、とうの昔に廃止となっており、今の世に受け継がれてはいなかったともいます。

そしてボクが考えるに『奴踊り』と言う「芸能」の文化が“後付”され、本来は『神事』であった」はずのお祭りも『楽しみごと』として変化しています。



おそらくこの様な『このお祭りにどのような意味・意義があっていつから始まっているのか』という事はある一部の人しか知らず、多くの人は「それを昔から行っていることだから続けていくことが当たり前だ」の様な感覚で受け継いでいるのではないでしょうか。

ボクはそれが良い・悪いの話しをしているのではなくて、その様に変化している事が事実としてあり、そしてそれは致し方のないこと、あるいは当たり前のことだと思っています。



『伝統』と呼ばれるものは、その時代・その時代にあった形・方法に変化していく部分と、変わらない部分があって、それは必然であり、それがなければ長く伝えられないと言う事実がある、とボクは思います。

最新のblog

 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...