セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極性障害)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。
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- Kengo Katsumizu
- オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。
2023年9月18日月曜日
クララが立った!!ってクララは何の病気だったの?最終回
2023年9月17日日曜日
クララが立った!!ってクララは何の病気だったの?その3
前々回から続いている「クララが立った!!ってクララは何の病気だったの?その2」の続編です。今回で最終回。
クララは「ビタミンD欠乏性くる病」が大元でそれを契機に「身体症状症」になった可能性があると、僕の妄想を爆走させたわけですが、僕自身も理学療法士時代、二名の「身体症状症」を担当させていただきました。
A君(20代・男性)は仕事の休憩時、中抜けして自宅に帰り、職場に戻る最中、路上でてんかん発作(と思われる)症状で失神し、救急車でとある大学病院に運ばれました。意識はすぐに回復して命に問題はないとの結論だったけれども、両足が全く動かすことができなくなり、様々な検査をしたのだけれども、結局原因は分からなかったのです。もちろん、様々な検査をしながらもリハビリによる訓練や練習を続けてはいたのですが、ほぼ、回復やその兆候はみられなく、結局、入院期間いっぱいいっぱいまでその大学病院で過ごし、僕の勤めていた病院に転院となりました。
リハビリは理学療法士と作業療法士で関わることになりました。
大学病院からの紹介状には、「〇〇の検査しました」「〇〇の検査しました」ととにかく、様々な観点から検査したけど結局は「原因不明です」とのことでした。一応、診断名は「てんかん発作」と言う曖昧な診断名がついていたけど…
いや~かなりまいりましたね。
前回のブログ「クララが立った!!ってクララは何の病気だったの?その2」でも書きましたが、僕らリハビリセラピストは「立てない原因」「歩けない原因」を見つけてそれにアプローチするわけですが、そもそも何の病気か分からないので、本当に頭が痛かった。
一般的に、身体の一部分が思うように動かない病気、と言うのは大きく「神経が原因の病気」と「筋肉が原因の病気」に分けられます。
神経が原因の病気の代表的なものとしては「脳梗塞」「パーキンソン病」「脊髄損傷」「(他の病気が原因による)ニューロパチー」などがあります。
筋肉が原因の病気の代表的なものとしては「筋ジストロフィー症」「(アルコール依存症による)アルコール性ミオパチー」「重症筋無力症」「筋萎縮性側索硬化症」などがあります。
ただ、大学病院でそれら全ての病気を鑑別するための検査はしっかりされており、結局どれも原因ではない、と除外されたわけです。
実は彼のリハビリを開始して2~3週間くらい経った頃から、僕は違和感を覚えていました。ハッキリ言ってしまえば彼は「演技的」なのです。
20代という若さで両足が動かなくなってこれから生活がどうなっていくか分からないと言う状況で、かつ大学病院で3ヶ月過ごしてきただけで、極端に「切迫感」「悲壮感」がないんです。
理学療法では、四苦八苦しあれやこれやと手をつくしとにかく脚に少しでも力が入るように様々なトレーニングを続けましたが、2ヶ月経ってもほぼほぼ変化は見られませんでした。当時、彼が入院していた病棟は入院期間が3ヶ月となっていたので、いよいよ、本当にどうするか、と言うところまで来てしまったのです。
これ以上は(身体的な回復や日常動作の獲得は)無理だよね、と。どうやって母親や本人に伝えていくか、と言うことに問題はうつっていきました。
もっと早く、精神科への転院をすすめるべきだったのかも。
2023年9月15日金曜日
クララが立った!!ってクララは何の病気なの?その2
前回のblog「クララが立った!!ってクララは何の病気なの?その1」からの続き…
前回は、「アルプスの少女ハイジ」のクララは「ビタミンD欠乏性くる病」の可能性が高い、と言うお話を、スイスの時代背景と共にお伝えしました。
クララは3歳頃から歩けなくなりハイジと出会ったのは12歳の頃だそーです。ってことは約10年弱、歩いていなかったことになりますね。そしてクララがアルプスに過ごすようになって3年の月日が経ち、あの「クララが立った!!」になるわけです。
19世紀のお話なので、もちろん医療も現在のように十分でなかったでしょう。もちろん医学的リハビリテーションなどの概念もなく、それらを提供する人もいなかったと推察されます。10年間、車椅子生活を送っていたクララ。その脚はどうなっていたでしょうか。特別な何かをしていない限り、関節は拘縮と言って固くなり筋肉はやせ細り、骨はくる病の影響と脚に体重をかけない期間が長くなっていたため、なおさら弱く脆くなっていたと思います。人間の骨というのは、適度に力が加わることでその部分の強度が増す事が知られていて、脚の様に長い骨と言うのは、長軸方向に重力が加わることでドンドン、強度が増します。
何度も繰り返しますが、10年間歩くこともせず医学的リハビリテーションも受けずいた人間の脚と言うのは、骨の弱さや筋肉の萎縮はもちろん、一番の難題は関節拘縮(関節が固くなって動かなくなること)のはずなんです。関節が固くなると、自分で関節を曲げ伸ばししようにもできない、そして他人が動かそうとしても動かせない、そんな状態になるのが一般的なのです。
皆さんの中にも手足を骨折してギプスを数週間巻いた経験のある方は分かると思うのですが、ギプスという固定を外して関節を動かそうとしても力が入らないのはもちろん、怪我をする前より関節が動かせる範囲が狭くなっていることに気付くかと思います。
たった1~2ヶ月でもそんな状態になるのに、10年もほとんど動かさないとなると、不可逆的(もうもとには戻らないということ)な関節拘縮に出来上がってしまいます。
「アルプスの少女ハイジ」の物語では、クララがアルムおんじの元(ハイジの住むアルプス)に来た当初は、もちろん車椅子でした。しかしハイジは、クララが立てるように、歩けるように「手を貸しながら立つことを手伝った」ようです。それを3年間続けた結果、何故か「クララのバカ…」から始まり
「クララが立った!!」になったとのことです。
しかし、医学的リハビリテーションの観点から言わせていただくと、「立てないから立つ練習をするだけ」「歩けないから歩く練習をするだけ」では、その練習はおおよそ失敗に終わります。どんなに励ましや自身の努力があったとしても、です。
大事なのは「何故立てないのか」「何故歩けないのか」の評価(分析)が必要で、その分析の結果「〇〇と言う関節が固くて動かないから」とか「〇〇と言う筋肉が弱くなっているから」とか「神経の伝わりが悪いから」とか原因を探りそれに対して直接アプローチすることで、結果として「立てるようになる」「歩けるようになる」のです。
ここで僕なりの見解を加えます。
もともとクララは「ビタミンD欠乏性くる病」であった可能性は高いと思います。しかし実は、立って歩けないほどの病状ではなかった。彼女本人が意識していないところで「筋肉は働き関節は動かせていた」可能性が高いと思うのです。以前は「ヒステリー」とか「心身症」などと呼ばれていた精神疾患で、現在は「身体化障害」や「身体症状症」と言われる疾患があります。僕は、クララがその精神疾患だったのでは、と思っています。
よく「精神状態が身体症状として現れる“身体化”」と呼ばれています。
病状や症状を大袈裟に表現したり、時には病状を捏造したりすることがあるけれど、本人にその自覚はなくて、本人が嘘をついていると言う自覚のある詐病(仮病のこと)とは区別されます。その点が非常に厄介で、本人の訴えを軽視したり無視したりすることで、自殺をほのめかしたり実際に自殺企図をしたり、最も典型なのは病院や主治医を変えたりして、生活の全てをその身体症状に支配されてしまうことです。
クララは幼い頃に母親を亡くしています。本来ならば母親に甘えたい盛の時に母を亡くており、父親のゼーゼマンは献身的にクララの世話をする事になるのですが、父親に母親の代りはできなかった…幼い頃というのは甘えることで愛情の確認作業をすることがあります。甘えに対して厳しくしつけられることが、成長するにつて、必ずしもよい影響を与えているとは限りません。
クララはもっと母親に甘えたかった。しかしもう母親はおらず父親に甘える対象を向けるわけですが、そこでやや歪んだ甘え方になってしまった。
つまり、クララは知らず知らずのうちに、抑圧している母親への甘えを身体化し「身体症状症」になったわけです。
身体症状症の場合、医療従事者の前では多様な症状を訴え、また実際に動けなかったりするわけですが、そうでない時というのは動かせていたりすることも多いのです。しかも本人はそれをハッキリと自覚しておらず、動かせていた事を指摘すると強く拒否反応を示すこともあります。
「クララが立った!!」
平たく言えば「健康な精神・心理状態」になれたことが、「クララが立った!!」
実は今回、このブログ記事を書くことにしたのは、ちょうど5年前の夏、前職で「身体症状症」の方を担当した経験があって、いつもこの時期になるとその方のことを思い出すのです。
ハッキリと「身体症状症」と診断された方と、おそらくそうであろうと言う方を、半年の期間をおいてお二人、担当させていただくことがあった、どちらも若い男性で。いつも「彼らは元気にやっているのかな」「今はどんな生活をしているのかな」と思いを巡らす事が、この季節になるとあるんです。
次回は、そのお二人の事について、少し書いていきたいと思います。
2023年9月13日水曜日
クララが立った!!ってクララは何の病気なの?その1
実は、原作にもその点については書かれていないのです。そこで、色々な人が色々な見解を述べていて、時代背景とともに具体的な病名が浮かび上がってきました。
2023年9月11日月曜日
㊗️公式サイトオープン・サービス提供開始~この1年半を振り返って~
2023年9月11日(月)公式サイトオープンしました!!
「いよいよ開業します!!」でお伝えしました通り、9月4日に開業、9月7日に開業届を提出し、無事に本日を迎えることができました。
月並みな言葉ではございますが、これもひとえに『僕』と言う人を支えて下さった方々あっての事と、感謝の気持ちで一杯です😭
思い起こせば2021年冬、前職のボーナスを手にした時「今しかない!」「今がその時や!!」と思い、清水の舞台を飛び降りる気持ち(笑)で、一般社団法人 日本産業カウンセラー協会の『産業カウンセラー養成講座』を受講するために、受講費を振り込んだことから始まりました。
年が明けて2022年1月10日(この日は忘れもなしない)、僕はオンラインコースの開講式で「ZOOMを使った研修」と言うものに始めて参加しました。
オンラインコースでは、体験学習(カウンセリングの練習)はZOOMを主に使い、スクーリング的に数日間、対面での研修もあり、普段の自己学習はオンデマンドの講義を視聴し、単元ごとに小テストを受けたりレポートを書いたりと、10ヶ月コースで受講していた僕でも、大変でした。大変だけど、楽しかった😃
仕事をしながら勉強するという経験は、これで3度目。
1度目は、理学療法士免許を取得してから福祉関係の夜間大学に通いながら昼間はクリニックで理学療法士として働く、と言う経験があって、その頃は20代前半やったし、若かったのもあって、なんだか勢いで社会福祉士の資格も取って。
2度めは、30歳前で大学院に入学し、修士課程では講義もあったから、昼間働きながら講義を受けて。プラス自分自身の研究もあったりして。僕は動物実験をしていて、実験を開始すると3週間は毎日、動物に操作を加えないと行けなかったから、遠出の旅行とか出来なくて。でも、修士号を取得できた時は嬉しかったな~
そのまま博士課程に進学したけど、実験で思うような結果が出ず、結局満期退学になったけど…
しばらく、そういう「二足のわらじを履く」的な生活をしていなかったけど、産業カウンセラーの勉強も本当に楽しかった。
実はコースが終了する2022年11月までの10ヶ月と言うのは、僕にとってみたら人生の転換期で。というのも、もともともっていた双極性障害の症状が悪化し、休職と復職を繰り返してて。今だから言えるけど、じつは希死念慮とかもあって、ギリギリのところで生きてた。そんな時に勉強なんて…って、ね。や、受講申込した時に、まさかこんな1年を過ごすことになるなんて分かんなかったし💦
カウンセリングの体験学習は、最低◯コマ受けないと受験資格がありません、みたいな規定があったんだけど、やっぱり調子悪くて3回程連続で休んでしまって。カウンセリングの体験学習は、5~6人のグループに別れて一人指導者がついて、一人がカウンセラー役、もうひとりがクライエント役、他は観察者という役割で、クライエントは話せる範囲で自分自身の本当の悩みをカウンセラー役に話をして、対話をするというセッションを体験して。その後指導者や観察者を交えて、カウンセラー役の人へ色んな助言をしていく、と言う形やった。
ちょうど僕が3回ほど休んだ7~8月の時期、僕は本当にメンタルダウンの真っ只中で、辛かった。で、なんとか復帰した最初の体験学習の時、同じグループの人や指導して下さった先生皆が泣いて僕の復帰を喜んでくれて…(あかん、また泣けてきた)。指導して下さった先生の言葉が、今でも覚えていて。「時々、コースの途中でいなくなる人がいるんです…脱落していく人が…そういう時、私達は本当にツラい(泣)。でも勝水さんは戻ってきてくれた。本当に良かった…本当にありがとう(泣)」と言われて、学ぶ仲間がいてくれた事に、本当に感謝しました。その日の体験学習は、泣きっぱなし、しかもボロ泣きで(笑)
その後、スクーリングで同じグループだった人にお会いしたときには、皆さんに「大丈夫?」と声をかけていただき、本当に嬉しい思いがありました。
僕がメンタルダウンしたのは、もちろん持病である「双極性障害の悪化」というものがあるけれど、それにはきっかけがあったわけで。詳しくは書かないけど、職場での色んな出来事が、僕にとってツラい・苦しいことばかりで。でも、はっきり言うと、職場は助けてくれなかった。もちろん色んな配慮はしてくれたけど、僕が完全に前職に復帰できるほどのサポートは受けられなかった。
前職の職場は医療法人で法人内にいくつか施設をもってはいたんだけど、例えば「休職者の復職判定」とか「復職プログラム」とかはもちろん、そういうことを気軽に相談できる部署もなく、結局、それぞれの施設のそれぞれの部署のそれぞれの上長が、場当たり的に個別に判断するっていう、まあ、言ってしまえば、その当たりは適当な職場だった。
僕はそれが納得がいかなくて、「自分が産業カウンセラーを取ろう、そして僕がこの法人の職員のための部署を作ろう」とは思ったんだけど…辞めた(笑)
だって、2022年を休職と復職を繰り返した“僕”と言う事例があるにも関わらず、多少の対応策は改めてつくられたものの、法人単位で見たらそれほど大きな動きではなかったと僕は思っている。。産業カウンセラー養成講座を受ける前に、前職の病院の事務長にも直談判しにいったこともあったけど、最初はなんだか“相談によるよ~”的な雰囲気だったけど、結局は「今検討中だけど」とか「なかなか難しい問題があって」とか、なんだかノラリクラリと話を逸らされた。そんな印象だった。
悪い言い方をすれば「別に辞めてもらってもまた補充するだけだし」みたいな。
やめよう。愚痴になってきた。
だったら、オンラインカウンセリングと言う手段で、僕が個人事業主となって提供すればいいやないか、と思うようになった。しかも2023年の2月に休職しとる最中に(笑)。どんなシステムを使って、どんな方法でやれば良いのかはイメージできていたし、それを形にするのは、それ程難しいわけでもなく、ちょっとしたネットの知識があればできることだった。
ただ、いかんせん、販路(集客方法)がない。それが一番の懸念材料やった。
だから、一生懸命Xでも告知させてもらったり、古い友人・知人に声をかけたりしてプレ・オープンには数名、利用して下る人がいて。本当に嬉しかった。多分この先、この数名の方の経験というのは、忘れられないものになったと思う。
この数名のクライエントのお悩みは多岐にわたっていて、この方々と関わらせてもらうことで、まだ勉強し直して。
なんだろ…僕が関わらせてもらうことでクライエントが変化していく。しかも良い方向に変化していく、とか、クライエントに気づきがある、とか、それを肌身で感じるたびに「ああ!やっぱり僕、この仕事したい!!この仕事で頑張りたい!!」って思いが強くなっていき、50歳手前にして今後の生き方というか、仕事との向き合い方を変えることになって。でもそれは自分が望んだ変化でもあったわけで。
Xのfollowerさんには本当にたくさん励まされ、協力していただきました。もちろんリアルの友達、古い知人にも助けてもらいました。プレ・オープン前に、大切なfollowerさんが一人、天に召されてしまいとてもとても悲しい思いもしましたが、今ここにたどり着くことができました。
NAOく~ん🙋🏻♂️
僕は頑張っているから、安心してね~🤗
僕は本当に人に恵まれて生きている、そして生かされているんだと、これほどまでに思った1年はありません。きっとこれからもそうなのでしょう。
もう、感謝しかありません。
ありがとう以上の感謝の気持ちを皆さんにお伝えしたいと思います。
そしてこれからが本番です。
この「勇者の部屋」を末永くよろしくお願いいたします🙇♂️🙇♂️🙇♂️
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