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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年7月14日金曜日

(モヤモヤ…)ある日のできごと(モヤモヤ…)

 確かあれは、今年の4月の下旬頃の話し。


都市中心部で用事を済ませ、次の目的地のある市郊外に向かう市バスに乗り込んだ時の事。始発のバス停から2つ目の停留所から僕は乗車した。見渡すと乗客は学生らしき男性と女性が2~3人、中年のサラリーマンと思しき人が1人、友人同士と思われる中高年の女性が1組くらい先に乗車していたと思う。

そしてもう一人。

バス車体中程にある“優先席”に、「年齢不詳の女性」が座っていた。

僕は、車体やや後方の二人がけの席に一人腰をおろした。たしかあの時は小雨が降っていたので、僕は傘を持っていた。傘は手に持ったまま席に座ると同時にリュックを隣の席に置いた。いつも使っている骨伝導式のヘッドホンをし、大好きな女性テクノポップユニットの曲を聞きながら、雨粒が濡らすガラス窓の外をぼんやりと眺めていた。

バスは、定刻通りに停留所を出発した。

僕は変わらず窓の外を見ていたが、その「年齢不詳の女性」が落ち着きなくしている様子が目の端に映り、また何か独り言を言っているようにも見えた。声はヘッドホンから聞こえてくるアップテンポな曲にかき消されて、僕には何を言っているのかまでは分からなかった。

停留所を2つ過ぎた辺りだっただろうか。バスは赤信号で停まった。

その途端「年齢不詳の女性」は立ち上がり、前方のバス出口へ向かっていき、何かを叫びながらドアを蹴り始めた。

僕は驚いてヘッドホンを外してみると、その女性は「ここで降りる!」「降ろして!」「早く開けて!!」と叫ぶ声が耳に飛び込んでき、ドンドンと扉を蹴る音が響いてきた。

僕は一瞬、何が起こったのか分からず、ただ呆然とその様子を見ていることしかできなかった。信号は青に変わっていたけれど、バスは止まったままで、運転手さんは「やめてください!」「危ないですから席に座って下さい!」と大声で制止することしかできないようであった。

僕自身、このような状況に出くわしたことはなく、全く初めての経験であったので、何を優先させ、今何をしなければならないのか、頭が真っ白になりさっぱり何も思い浮かばなかった。

しかし、間髪入れずその女性は、運転手さんに掴みかかっていった。

「危ない!」

僕が叫んだのか、心の中で思っただけなのか今でも思い出せないが、そんな言葉が頭をよぎった瞬間、僕のすぐ後ろに座っていた中高年の女性の一人が、それと止めようとしたのか運転席まで走っていった。

そこで僕は我に返った。「皆の安全を確保しなかれば」

とっさに、持っていた傘と耳にかけていたヘッドホン、メガネを座席に放り出して運転席まで走り寄り、「年齢不詳の女性」の掴みかかっている手を何とかしちょうとしている中高年の女性に席に戻るよう伝え、運転手さんと「年齢不詳の女性」の間に割って入った。そして力づくでその「年齢不詳の女性」を車体中程の優先席まで連れていき、押し込むように座らせた。

僕の心臓は口から飛び出そうなほど鼓動しているのに、何故かどこか頭の中には冷静な自分がいることに、ひどく驚いた。

「年齢不詳の女性」は、背丈は僕よりやや小さいくらいだけれども酷く痩せていて、けれどものすごい力で僕に抵抗してきた。しかし、優先席に座らせた後、僕は「年齢不詳の女性」の横に身体をしっかりと寄せ、脇から腕を通してしっかりと離さなかった。

「何があってもこの腕を離してはいけない」

必死で「年齢不詳の女性」の腕を掴んだまま、ふたりとも徐々に落ち着きを取り戻していくのが肌で感じとれた。

「どこのバス停で降りるんですか?」

「◯◯◯」

「じゃああと3つ先ですね」

その時不意に、彼女は言った。

「…トイレ…行きたい…」

その時、僕はハッとした。彼女はトイレに行きたかったのだ、と。きっとすぐにでも降りてトイレに行きたい、ただ、それだけだったのだと。

「もう少し。もう少し…我慢できますか?」

そうたずねると彼女は静かに首を縦に振った。

目的の停留所に着くまで、おそらく15分程度だっただろうか。僕は心のなかで「早く着いてくれ」「このまま冷静でいてくれ」その2つの言葉を繰り返し繰り返し唱えていた。そして彼女を落ち着かせるため、そして自分を落ち着かせるため少し身体を横に揺らし、腕を組んでいないもう片方の僕の手で、彼女の膝をゆっくりと一定のリズムを刻むように、ポンポンと軽く叩きながら停留所に着くのを待った。

目的の停留所に着くと、彼女は僕の腕を振りほどき小走りしながら、バスを降りていった。

それを見届けた僕は、バスが走り出す前に、車体後方のもともと座っていた席に戻るために歩き出したのだが、途中、中年のサラリーマンからは「ありがとう」と声をかけられ、大学生からは会釈され、後方に座っていた中高年の女性からは「すごいですね。ありがとうございました」と感謝の言葉をいただいた。

けれど…

僕が元の席に座る頃には、何か釈然としないというか腑に落ちないと言うか居心地の悪さを感じていた。バスを下車するときには、運転手さんからも「ご迷惑おかけしました。本当にありがとうございました」と声をかけていただいたのだが、「善い行いをした後の何とも言えない爽快感」は全く無かった。


事実だけを並べると「バス車内で暴れていた女性を、たまたま同乗していた男性が制し乗客乗員の安全を守った」と言う美談になるのだが。


おそらく彼女は、精神障害者または発達障害者(心身障害者?)だったのだと思う。

そして僕も、精神障害者で身体障害者だ。


どうも、ここで僕の思考は引っかかって止まってしまう。そして、何か物悲しさを感じてしまう。理由が分からない。今でも何故なのかが分からない。文章にして言語化すれば何か答えが見つかるのかと思ったのだが、何かの答えを出そうとすると筆が止まる。

ここに書いたことは全て事実で、ややドラマチックに仕上げてしまったが、その出来事と僕の心の動きは理解していただけたのではないかと思う。

誰かこの僕の「腑に落ちない何か」の答えを解説してくれる人はいないだろうか。

コメントをお願いしたい。

2023年7月13日木曜日

他人の正義感に流されないで!!「嘘をつく」と「あえて言わない」

お恥ずかしながら、この年齢になって改めて実感した事がある。


私がHIV陽性告知を受けてから、必死に守ろうとしてきた事がある。それは「自分自身がHIV陽性であるとこに嘘をつかない」と言う事である。

27歳であったのでまだ若く、そして変な「熱量」があった。

嘘をつく=絶対悪
嘘をつかない=絶対正義

これがその頃の私の信念でありそれが原動力であった。
特に、お付き合いをしたいと思っている相手には、できるだけ早い段階で開示をして理解を求め、受け入れてもらいたいと言う強い気持ちがあった(今思えば、相手への考慮を全くしないという何とも身勝手な考え方だ)。しかも、聞かれもしないのに自分自身から積極的に開示するという選択肢を、いつもとっていた。

ここでお気付きの方もいるかもしれないが、私の中では「嘘をつく」と「あえて言わない」を混同していたのである。

嘘をつく=あえて言わない=絶対悪

この考え方をしていると自分を許す機会を逃し、自分で自分の首を絞め、自分を追い込んでしまう。そして余裕がなくなり、自分にも他人にも優しくなれなくなってしまう。
しかも厄介な事に、この自分の判断基準を他人に当てはめて考えてしまい、「あの人はダメな人間だ」「あの人の考えはおかしい」と、口にはしないものの内心毒づいていた。

(ろくでもない人間だなwww)

若干、言葉遊びのような印象も受けるが、「嘘をつく」と「あえて言わない」は似ているようで、意味合いとしてはかなり違っている。

嘘をつく=事実とは異なる虚偽を伝える(Weblio辞典より)ことであり、あえて言わないのは、虚偽となるような事“すら”も伝えないのである。つまり、相手の質問の内容や質問の仕方によって『こちらの出方を変える』ことであり、どちらも受動的な意味であるが、「聞かれないことにはあえて触れない」という手法(?)は、一見、ずる賢そうであるが正攻法でもある。

“やぶ蛇”という言葉がある。
「藪をつついて蛇を出す」の略語で『余計なことをして状況を悪くすること。しなくてもよいことをして危難に遭うことなどを意味する』(Weblio辞典より)という意味で、まさしく「あえて言わない」その理由が「やぶ蛇」である。

もしかしたらここまで来ると、個人の価値観に関わってくる事かもしれない。「相手は聞いてこないけど黙っていられない」「嘘はつかないけど事実を隠すことに罪悪感を覚える」「隠すことがとても疲れる」または「聞かれはしないけど先に伝えたほうが誠実さが伝わる」「後からバレるよりも先に伝えた方が印象が良い」そう思われる方もいるかも知れない。

しかし、伝える相手側がどのような価値観を持っていてどのようにジャッジを下すかは、結局のところその人にしか分からないのである。

人間を半世紀もやっていると、多少の罪悪感と当面の利害を天秤にかけた時、多少の罪悪感は無きものとして処理できてしまうことが、往々にしてあることを知り、自分自身も実践するようになった。

バレてしまったら、その時はその時。
その時に“いかに誠実に対応するか”が大切で、そこで誤っても「嘘の厚塗り」をしてはいけない。それこそ取り返しがつかなくなる。
なぜあの時“あえて言わなかった”のか、“あえて言えなかった”のか、それを包み隠さず伝えることで挽回できる事もあるはずである。

もちろん時と場合にはよるし、私が保証するものでもないので強く勧めるつもりもない。先程述べたように、個人の価値観や考え方もあるが、そういう選択肢もあり「嘘をついているわけではない」という、自分自身の罪悪感からも開放されることもあるという事を、頭の片隅に入れておいても損はないと思う。


『後出しジャンケン』は大人の特権である。

2023年7月12日水曜日

ちょっとそこのあなたの事ですよ!!ミドルエイジ・クライシス

 このタイトルを見てドキッとした方もいるのではないだろうか。


かの有名な心理学者「ユング」は、40歳前後を「人生の正午」と例えたと言う。

つまり、40歳前は、職業を得て社会に根付くことや家庭を築くことなど「外的世界に自分を適応させること」が大きな目的であるのに対し、人生の後半(ここでは40歳以降)では、自己の内的欲求や本来の自分の姿を見出し、それを実現させていくことが大きな目的であるとした。

つまり人生の後半は“死”に向かいつつある自分の人生を、もう一度見直し本当に自分のしたかったことは何か、どんな人物になりたいと思っているのか、それを実現するためにはどうしたら良いのか、と言う心の力が働くのである。

また、日本の心理学者「岡本祐子」によると、中年期に見られる自我同一性意識の変化過程には4つの段階があるとして、①心身の変化の認識を伴う危機期 ②自己の再吟味と再方向づけへの模索期 ③これまでの生き方の軌道修正・軌道転換期 ④自我同一性の再確立期 となっている。

簡単に言ってしまえば、心身ともに衰え始めることに気づくとともに、子育てが一段落しこれから自分自身がどのように生きていくのか、どう生きていきたいのかを再度確認、そして模索し確立していくと言うのが中年期である、というしている。

そう、まるで青年期に起こる「自我同一性の危機」がもう一度やってくるわけである。それを日本では揶揄して「第二の思春期」「思秋期(ししゅうき)」とも言う。

ユングの時代で40歳前後であるから、現在の年齢に修正するとざっくり50歳前後だろうか。

現代の日本(人)に当てはめて考えると、50歳前後というと、ちょうど自身の子どもが大学を卒業し社会人になる頃、会社ではある程度の地位になりその地位を定年まで全うしようとする時期、身体は無理が効かなくなり疲労を翌日に残さないことが第一で、風邪をひいてもスッキリと治るまでに時間のかかるようになってくる頃であろう(半分は実体験から)。

この心理的・身体的・社会的な変化は、じつはジワリジワリと心を蝕むことがある。

自己の限界を自覚しつつも、達成できなかった物事への後悔や固着、若さを失っていく絶望、また若さを取り戻したいという実現不可能な執着、社会的ステータスや健康に対する不満など、実は心理的に乗り越えなければならない「危機」が多く潜んでいる時期である。

この危機をうまく乗り越えられないとどうなるか。

適応障害・うつ病・依存症、そして行き着く先は…ということもある。

以前、私の書いたblog「親というものは、子というものは」で記したように、私の父は50歳ごろに「うつ病」になり、それはこの危機をうまく乗り越えられなかったからなのだと、今では理解できる。教科書に出てくるような症例を私は、目の当たりにしていたのだ。

そして私自身が今、まさにその時を向かえている。

確かにこの半年間「このまま人生を終えて良いのか?」と自問自答することがよくあった。残された時間が20年なのか30年なのか、はたまた5年なのか40年なのかは分からない。それこそ“神のみぞ知る”ことである。やはり心のそこから「やりたい」と思うことをやりたいし「やってみたい」と思うことに挑戦したい。だから、それまでの「自分の常識を覆さなければいけない」と思うようになった。

そして今がある。

「岡本祐子」氏が述べているように、私は今、これまでの生き方の軌道修正・軌道転換期を向かえていると、しみじみと感じている。

ありがたいことに、応援してくれる人がいる。協力してくれる人がいる。手を貸してくれる人がいる。残された時間を「自分が幸せに」生きるために、「自分が思うよう」に生きるために、欲を言えば「この世に何かの爪痕を残せる」ように生きてみたいと思っている。


もしよければ、こんな私の戯言にお付き合いいただければ幸いである。

2023年7月11日火曜日

患者として言わせて頂きます!!身体が病むと言う事は心も病むと言う事

私が臨床の場で、実習生さんや新人さんに、必ず伝えていた事がある。

それは「身体が病むと言う事は心も病む」と言う事である。

私自身がHIV感染症であったり双極性障害であったりと「病む」経験が豊富であると(?)、自分自身が医療従事者であると同時に患者さんでもあるわけで。その様な立場でいると“両者の言い分”と言うものがよく分かる。
良くも悪くも。

HIVに感染していることが分かってから2~3年経った頃であろうか。まだ、投薬も始まっておらず体調そのものが不安定であった頃、私は生まれて初めてインフルエンザに罹った。医療機関で働いていた頃は、福利厚生で毎年必ずインフルエンザワクチンを接種しており、それまで一度もインフルエンザに罹ったことはなかったが、その時は医療機関で働いておらず、私もうっかりしていて予防接種を忘れていたのである。

あの時は確か、ひとり暮らしでパートナーもおらず、友人はいたが気安く何かを頼めるような関係の友人はいなかったため、とにかく何もかも一人でしなければなかった。症状が出始めたのは、出勤してしばらくしてからだった。

頭がぼーっとする
咳が出始める
ん?なんだか体調がおかしい?
ただの風邪か?

私は元々、扁桃腺肥大があり、扁桃腺が腫れるとすぐに高熱を出していたので、風邪で咳が出ることや熱が高いことには慣れっこだったが、大事を取って午前中で早退した。帰り道のドラッグストアでスポーツ飲料やゼリー飲料を買い込んでとりあえず、自宅にたどり着きベッドに潜り込む。すると…

襲ってくる悪寒と震え
止まらない咳
少しでも動けば軋む関節

食事はおろか水分を摂ることさえつらくて、ベッドから起き上がることももちろん立って歩くことすらままならない状況で、それでも「生きて」いかなきゃならない(大袈裟だがその時の本人の気持ちはこんな感じだった)と思い、汗ばんだ下着やパジャマを着替え、水分補給し、手元にあった解熱鎮痛剤を飲み、夜が明けるのを待った。

こんな時の夜は、本当に長い。
まだ30分しか経ってない。
まだ1時間しか経ってない。
寒気がぶり返してきた。
解熱鎮痛剤が飲めるまであと1時間。
病院が開くまであと3時間。

寝ているのか起きているのかすら自分でも分からない状況の中、それでも何とか病院に電話をかけ、状況を説明し受診のための準備をする。定期受診なら車を運転して行くが流石にそれはやめてタクシーで病院へ向かう。

あゝ、タクシーのメーターが上がっていく。
お金、足りるかな。

何とか病院にたどり着き、受付を済ませ受診科の受付に行くと看護師さんから「ケンゴさん大丈夫?!」と。待合の椅子に座って看護師さんから問診を受け、とりあえずインフルエンザの検査をすぐしていただくことに。

結果を待つこと30分。

「永遠の30分」(なにかの映画のタイトルではない)のように感じたその30分後「インフルエンザ陽性でした。水分摂れてますか?しんどいですよね?横になって点滴しましょう」という主治医の声が天使、いや神様のように聞こえその後ろからは後光が…射したかの如く、私には救いの言葉であった。

処置室のベットに横になって点滴をしていただいていると、どこからか聞きつけたのか、臨床心理士さんのKさんまで顔を出してくれて「ケンゴさん大変だったね。心配で見にきちゃったわ」と。

少し大げさかもしれないが、体が病んでいるときというのは、とにかく「苦痛から逃れる」ことが大一優先になるのは、きっと皆さんも経験があることだと思う。そんな時にかけられる「優しい言葉」「共感の言葉」「いたわりの言葉」というのは、心深く染み渡り何とも言えない癒やしの効果を与えてくれる。

簡単に言えば「ホッとする」のである。

それは老若男女共通することではないだろうか。
もちろん、他人であれ家族であれ、パートナーであれ友人であれ。


身体の苦痛を除くためにはもちろんそのための処置が必要で、それが根治療になるわけだがその効果を何倍にもしてくれるのがこの「言葉かけ」だと私は思っている。

「言霊」とよく言うが「言葉のもつ力」をあなどってはいけない。
(私は無宗教であるがスピリチュアルなものを真っ向から否定する気もないのであしからず)

2023年7月10日月曜日

私の欠点↷揺れる→迷う→悩む

人生の岐路に立った時、人はストレスを感じる時がある。


私は、元々の性分として(あえてここでは“性格”とは表現しないでおく)、『中途半端が嫌い』『白黒はっきりさせたい』『優柔不断が嫌い』と言う、文字面だけ観ると“キツい”性分の持ち主だ。だから何かを選択する時に「AかB」を早く決めて、早く落ち着きたいと、いつも思っていた。

人はAとBと言う選択肢がある時、次のような条件の時にストレスと感じるときがある。
①AにもBにも同等の利点と欠点があり、ABどちらかを選ばなければならない。
②AにもBにも利点がなく、ただし同等の欠点しかないがどちらかを選ばなければならない。
AにもBにも欠点がなく利点しかないときは、あまりストレスを感じることがなく、どちらかを選択することができるが、①②の場合は、大なり小なりストレスが生じる。

つまり私は、無意識のうちに“選択をする時間”を「ストレスフルな時間」と認識していて、できるだけそれを避けようとしてきていたのだと思う。

AとBの間で揺れている=AとBで迷う=AとBで悩む

という公式が成り立ち、揺れている時間・迷っている時間を極力短時間に、そして意識しないようにしてきていた。

しかしここに大きな落とし穴がある。

つまり「熟考」しないのだ。
いや、本人は熟考したつもりでいるのだ。そして「熟考したつもりでいる」先に待っているのが「決断の失敗」「誤った決断」である。

何度となく、これを繰り返してきた。

一つここで言っておきたいのが「熟考」と言うのは、一人で考えること“ではない”ことである。誰かに相談する、教えを請う、意見を聴く、そういう行為も「熟考」に入るのだと思う。私はそうやって、「ストレスと感じる迷う行為」を避けるがために、熟考もせず決断を急ぎ、結果、「こんなはずではなかった」と後悔する。これを何度となく繰り返してきた。

失敗は成功のもと。
間違いを犯して学習する。
人間はそういう生き物だ。

しかし、私がHIV感染症の治療を始めてから受けた、臨床心理士さん(Kさんとする)のカウンセリングでは、しばしば、これが話題になった。しかも、何度も何度もKさんに「揺れているのもいいんじゃない?」「グレーの何が駄目なの?」「曖昧を楽しみなさい」言われたことか。

私が20代終わりから30代始めにかけての頃である。

Kさんにそのような言葉をもらって「そうですね~」「それもそうだと思います」「やってみます!」と“優等生なふりをしたクライエント”の私は、口先だけでKさんの提案に同意するものの、内心は「そうは言ってもさ…」「嫌なものは嫌なんだよね」と、結局、臨床心理士さんであるKさんの意見や提案“すら”受け入れられなかった。

おそらくKさんは、優等生ぶっている私を見抜いていたと思う。

話を戻そう。
私は、40大半ばにして産業カウンセラーになろうと決心し、講座を受講して試験に合格することができた。そして一念発起し、務めていた病院を辞め、理学療法士という仕事に一区切りをつけ、フリーランスとしてカウンセラーを“生業(なりわい)”とすることに決めた。やはり、この決断に至るまでは相当の「熟考」があった。

Aと言う選択肢は、精神的な不安を抱えながら病院勤務を続ける。組織の中で働く窮屈さはあるがしかし社会的補償はあり、ある意味安心感はある。
Bと言う選択肢は、自分自身で仕事のペースを決められ、人間関係の煩わしさから開放されるフリーランスという働き方。精神的な抑圧や決められた枠組みで働かなくてもよい反面、金銭的な不安定さや将来への備えと言った不安要素はある。

実は、この決断をするにあたり、それまでつとめていた病院を休職していた期間があり、その頃より「自分自身が“生きやすい方法は何か”」「どんな仕事の仕方が自分にあっているのか」「なにより私にとって“幸せに生きる方法”とはなにか」を考える期間が、十二分にあった。
中にはTwitterのfollowerさんの仕事の仕方も参考にさせてもらった。
親しい友人にも相談した。
姉にも相談した。
産業カウンセラー協会の方にも話を聞いてもらった。

AかBか…AかBか…AかBか…AかBか…

そして私は、この道を選んだ。


臨床心理士のKさんの助言が、20年の年月を経て、やっと私の心に響いている。
(Kさんありがとう)


※余談ではあるが、このKさん、HIV診療に長く携わっておりそして私達HIV陽性者の心を癒やすことに情熱を注がれていた。10年近く前に結婚され旦那様の住む遠くの国へ引っ越され、もうやり取りもなく、どのような暮らしをされているか知る由もないが、ご健在であれば50代なかばくらいであろうか。元気にされていることを心より願う。

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