前々回から続いている「クララが立った!!ってクララは何の病気だったの?その2」の続編です。今回で最終回。
クララは「ビタミンD欠乏性くる病」が大元でそれを契機に「身体症状症」になった可能性があると、僕の妄想を爆走させたわけですが、僕自身も理学療法士時代、二名の「身体症状症」を担当させていただきました。
A君(20代・男性)は仕事の休憩時、中抜けして自宅に帰り、職場に戻る最中、路上でてんかん発作(と思われる)症状で失神し、救急車でとある大学病院に運ばれました。意識はすぐに回復して命に問題はないとの結論だったけれども、両足が全く動かすことができなくなり、様々な検査をしたのだけれども、結局原因は分からなかったのです。もちろん、様々な検査をしながらもリハビリによる訓練や練習を続けてはいたのですが、ほぼ、回復やその兆候はみられなく、結局、入院期間いっぱいいっぱいまでその大学病院で過ごし、僕の勤めていた病院に転院となりました。
リハビリは理学療法士と作業療法士で関わることになりました。
大学病院からの紹介状には、「〇〇の検査しました」「〇〇の検査しました」ととにかく、様々な観点から検査したけど結局は「原因不明です」とのことでした。一応、診断名は「てんかん発作」と言う曖昧な診断名がついていたけど…
いや~かなりまいりましたね。
前回のブログ「クララが立った!!ってクララは何の病気だったの?その2」でも書きましたが、僕らリハビリセラピストは「立てない原因」「歩けない原因」を見つけてそれにアプローチするわけですが、そもそも何の病気か分からないので、本当に頭が痛かった。
一般的に、身体の一部分が思うように動かない病気、と言うのは大きく「神経が原因の病気」と「筋肉が原因の病気」に分けられます。
神経が原因の病気の代表的なものとしては「脳梗塞」「パーキンソン病」「脊髄損傷」「(他の病気が原因による)ニューロパチー」などがあります。
筋肉が原因の病気の代表的なものとしては「筋ジストロフィー症」「(アルコール依存症による)アルコール性ミオパチー」「重症筋無力症」「筋萎縮性側索硬化症」などがあります。
ただ、大学病院でそれら全ての病気を鑑別するための検査はしっかりされており、結局どれも原因ではない、と除外されたわけです。
実は彼のリハビリを開始して2~3週間くらい経った頃から、僕は違和感を覚えていました。ハッキリ言ってしまえば彼は「演技的」なのです。
20代という若さで両足が動かなくなってこれから生活がどうなっていくか分からないと言う状況で、かつ大学病院で3ヶ月過ごしてきただけで、極端に「切迫感」「悲壮感」がないんです。
一般的に、病気の後遺症が強く残ることで派生する「障害」と言うものを、その人自身が受け入れていくにはこの図のような過程をたどると言われます。
ただ、それぞれの過程をどれくらいの時間かけて、またどれくらいの程度でと言うのは個人差があるので、一概には言えません。
しかし、どう考えても3ヶ月の間で「受容」にたどり着いたとも思えない。僕の経験から言えるのは、過程の最後「受容」の一歩手前である「抑うつ」に留まる人が多く、それは一見「諦め」のような状態なので、言葉の端々にそれらを匂わすような事を言ったり、投げやりな行動をとったりするのだけれども、彼にはそれもない。
納得のいかなかった僕は、担当のMSWさん(医療ソーシャルワーカー・社会福祉士)に無理を言って(笑)もう一度、大学病院に診断名等の確認とちゃんとした経過を教えてもらうよう依頼しました。
そして帰ってきた回答が「器質的な原因(脳や脊髄、筋肉などの身体的な原因)が見つからなかったので精神科にコンサル(他科受診)したところ“身体表現性障害”の診断名でした」と。
彼は母親と妹さんの3人家族で、もちろん入院中は母親が見舞いや身の回りの世話をしていたので、精神科を受診したことやこの身体表現性障害と言う診断名がついたことは知っていたはずなのですが、大学病院側からの紹介状にもかかれておらず、また、本人や母親からもその診断名は告げられていませんでした(身体表現性障害とは前述した身体症状症のこと)。
そう、彼はクララと同じ(であろう)精神疾患の可能性が高かったわけです。
これは担当MSWの意見だけれども「大学病院側は(転院先が見つからないといけないから)精神疾患については伏せていた可能性がある」ということと「この親子はその診断名に納得がいっていなかった」からそれらを伏せていた可能性があると思う、とのことでした。僕もそれに同意しました。
これはこれで非常に困ったのです。
作業療法士とMSWと三人で何度も話し合いました。
彼はこの病気で倒れるまではアパートで一人暮らしをしながら仕事をしていました。彼の母親も僕とほぼ同年代で、パートの仕事をしながらアパートに住んでいました。別々に暮らしてはいたものの、この状態で一人暮らし、しかも一般的なアパートでの生活はとても無理です。
彼は、車椅子に乗ってしまえば手を使って上手に操作し、運転はうまいのですが、いかんせん、立てないのでベッドと車椅子の移乗が一人では困難。作業療法士が提案し、ベッド柵を工夫し、かつ車椅子を一般的ではない車椅子に変更することで、何とか一人で移乗できる様にはなりました。
理学療法では、四苦八苦しあれやこれやと手をつくしとにかく脚に少しでも力が入るように様々なトレーニングを続けましたが、2ヶ月経ってもほぼほぼ変化は見られませんでした。当時、彼が入院していた病棟は入院期間が3ヶ月となっていたので、いよいよ、本当にどうするか、と言うところまで来てしまったのです。
またまた作業療法士とMSWの三人で話し合いました。
これ以上は(身体的な回復や日常動作の獲得は)無理だよね、と。どうやって母親や本人に伝えていくか、と言うことに問題はうつっていきました。
結論、窓口は一つに絞ろう、と言うことになりました。
僕や作業療法士、MSWがそれぞれ別々のことを言ってしまっては、結局、不信感につながるし、特に母親に説明する時は気を付けないと、と。そしてその役割をMSWが担うこととしました。
当時、僕の務めていた病院には精神科や心療内科はなく、もちろん臨床心理士などもおらず、「メンタルを扱う専門家」が不在のまま病院での療養とリハビリをすすめていくしかなかったのです。
結局、どうなったか。
回復が遅々としてすすまない事に業を煮やした母親が「もう連れて帰ります」と、退院期限がくるころに、彼を車椅子に乗せて退院されました。
どこにどのような形で退院されたのか不明です。
僕らは具体的な退院に関する提案もできないまま、退院されました。
その後、作業療法士とMSWで反省会をしました。
もっと早く、精神科への転院をすすめるべきだったのかも。
もっと強く、主治医に対応策を考えるよう、進言するべきだったのかも。
もっともっと…
でも、クララでさえ立って歩けるようになるのに3年かかっています。
しかもハイジのような友人がいて、です。
これが僕の体験した「身体症状症」の方の体験例です。
もう一方、いるのですが、次回にまた。
冒頭で「最終回です」と書いてしまいましたが(笑)思ったより長文になってしまったので。