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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年8月16日水曜日

人生の先輩から…恩師からの教え

 私にも「恩師」と呼んでいる方がおられる。

あ、あくまでも私自身が、一方的に思っているだけなので片思いだが。


その方は、医療短大時代の研究室の助教授K先生だ(今で言う准教授)。その先生、見た目もヒトクセあって、頭頂部は禿げて髪がないが側頭部~後頭部にはきちんと髪があり、後頭部の髪は少し伸ばし、必ず輪ゴムで小さく束ねていた。
口元には口ひげとあごひげを蓄えており、いつもループタイをし仁丹を口にしていた。きっと今で言う「フリスク」感覚で仁丹を口にしていた。
タバコは吸わず、お酒はよく飲む。でも楽しい酒で、説教をしたり叱ったりすることのない、笑顔の似合う先生だ。

その方は、理学療法士・作業療法士法が制定された頃に理学療法士になられた方で、元々は工学部出身の理系だ。

私はその先生の影響を、大きく大きく受けている。

理学療法士としての生き方
研究に取り組む時の姿勢
教育に対する思い

「理学療法士はその人の人生を変える仕事だ」
「当たり前だと教科書に書いてることをまずは疑え」
「後輩を育成するのは年長者の義務」

卒業研究で、K先生の研究室に同期の女子と2人で入って、研究をすすめていく中で、考えにつまずいたり方法に悩んだ時、いつもキチンと時間を取って向き合ってくれた。そして、絶対に「答えは言わない」人だった。でも、先生に相談した後は、いつも一筋の光が見え、また前向きに研究に取り組んでいた。

あゝ、もしかしたら僕がカウンセラーを目指したルーツは、ここにもあったのかもしれない。答えを与えてくれる人よりも、気付きを与えてくれる人というのは、本当の意味で人として成長を与えてくれる人なのだと、今更ながらに気付いた。

先生を囲んで飲み会をすると、必ず奢ってくれた。私達は「先生、今日は僕たちが払います!!」と言っても、頑なにそれを拒否して「そんな事は気にしなくて良いから、将来、自分の後輩や部下に奢ってあげなさい」と言われてきた。だから私は、後輩と呑みに行くときは、必ず自分が奢った。

あゝ、こうやって循環していくんだ。人間関係って。
そう思った。

いかん、泣けてきた。

私が医療短大を卒業して、10年弱が経った頃、私はとある短大に講師として勤務することになり、その恩師と同じ職場になった。私はとても嬉しかった。

「また、K先生に色々と指導してもらえる」
「いっぱい吸収しよう」
「いっぱいディスカッションしよう」

学生時代は、「助教授」と「学生」という立場だったが、同じ職場の「先輩」と「後輩」(かなり年の離れたwww)になったが、私自身も臨床もそれなりに経験し、研究活動もしてきたので、知識も増えたことでK先生とは対等に話ができるようになった。それが、とてもとても、とても楽しかった。


臨床に戻った元職場で、私は、実習生に関する取りまとめを行ったり、他の指導者の指導方法などの相談にものってきた。私は、実習生を受け入れることは「義務」であり、それは私が理学療法士として働ける「恩返し」でもあると思い、積極的に指導にあたった(まあ結果的に、メンタルダウンしてしまった一要因でもあるのだが)。

私が理学療法士として働けるのは、養成校のカリキュラムに必ず「臨床実習」があり、そして実習生として私達を受け入れてくれた医療機関があり、さらにそこには先輩理学療法士の指導者がいてこそなのである。


ここからは、医療機関の闇の部分を書く。

医療機関が実習生を受け入れる基準というのは、おそらくそれぞれの医療機関で決まっていると思う。しかし、その基準というのが曖昧、というか指導者の気分次第だったりするのが事実である。実習生を受け入れるとその養成校からは、謝金が医療機関に入る。しかしこの謝金には相場がなく、養成校によって格差がある。

国公立系は、謝金がかなり安いが指導者となることで「実績」になる。“博”が付く。
私立の専門学校などは、謝金が高いが「学力が低く手のかかる実習生がくる」事が多い(もちろん例外もある)。
また、その指導者の卒業校であったりすると、お世話になった先生から実習の依頼がくることもよくあり、断りづらかったりもする。

それらの“要因”を考慮し、どの養成校から何名の実習生を受け入れるか、と言う「ふるい」にかけられるわけだ。

時には「(この学校の学生は)手のかかるから、実習生の指導はしたくない(受け入れない)」と言う答えが聞こえることがある。

ある意味、当たり前の考え方だし、面倒なことは誰だってやりたくないし、自分自身の仕事が増えたり、患者様に迷惑がかかってはいけない。しかし、自分自身の指導力のなさを棚に上げて実習生に「手がかかる」と言い、それを放棄してしまうのは、いかがなものかと思う。

そんな事を考えてしまうのも、恩師の影響だな(笑)


短大で講師として学生を教える時になった時「当たり前だと教科書に書いてることをまずは疑え」を実感することになる。

皆さんは、「温度とは何か」と説明できるだろうか。「1mって何を基準にその長さが決まっているのか」「光とは何か」「音とは何か」「エネルギーを正しく説明できるか」「熱とは」などなど、普段、当たり前の様に使っている言葉や物事を説明するというのは、簡単なようで非常に難しい。それは『あまりにも当たり前過ぎて〝それがそれであること〟に誰も疑問を持たない』からである。

おそらく私の「知的好奇心」はK先生の教えがあったからこそだと思っている。


今は訳があって、K先生とは疎遠になってしまい、連絡先も知らない。
会ってお話したいことは、たくさんある。お礼もお詫びもまとめて全部したい。


今、私の最大の心残りだ。

2023年8月15日火曜日

神から与えられた猶予?!ヒトの本当の寿命

 今の世の中、医療の発達によって、どんどん寿命が伸びている。
詳細はblog「カウンセリングなんて…と思っている人へ①」を参照されたし。

もし、この世に「医療」と言うものがなければ、ヒトは何歳くらいまで生きられるのだろうか?


医療のない原始時代、その頃のヒトの平均寿命は30歳前後と考えられている。その要因は、乳児~幼児の間に、感染症や栄養不良による死亡率が非常に高かったから、と。ただ、中には80歳~100歳まで生きていたと言う記録もあるようだが、一般的に、多くは30歳前後と考えられている。

どんな生き物も、自分の子孫を残そうと必死だ。
もっと突き詰めていくと「自分の持っている遺伝子を残す」ことに必死だ。これが「利己的遺伝子説」である。どんな生き物も、同じ生き物であってもそれらには個体差があり、個体差があるということは、それぞれ持つ遺伝子も違う、と言うことである。

そのために繁殖を促進させ、その子孫である遺伝子のコピーをたくさん作り、また繁殖し…それを繰り返し、生き残っていく遺伝子だけが“優秀な遺伝子”として、後世まで生き残ろうとしている。

実は、生命の進化とは、遺伝子の突然変異の連続だという説もある。
遺伝子は、分裂しコピーを作る際に様々な影響を受けて、変化してしまうことがある。それが突然変異だ。しかし、その突然変異を起こすことで、その時々のその環境に最も適した「生命の営みの仕方」を獲得し、生き残っていく。

そうやって生命というのは、変化し続けてきた。


細胞というのは、核と呼ばれるものの中に、DNAの塊である染色体と呼ばれる機構をもつ。遺伝子とは、この染色体およびそれを構成しているDNAであるが、生物の細胞は日々、分裂と消滅を繰り返し、新しいものへ生まれ変わっているのであるが、実はその分裂には「最大、何回まで分裂できるか」と言う回数制限がある。それを決めているのが、染色体の先端にある「テロメア」と言う部分で、染色体が分裂するたびにこの「テロメア」が短くなり、テロメアが消失するとその染色体は分裂ができなくなり、その細胞は死んでしまう(一部の細胞の中にはテロメアが短くならなかったり、再び長くなるものもある)。


さて、話を元に戻そう。
もし医療がなければヒトの寿命は30歳だ。
仮に現在のヒトの平均寿命を80歳と考えると、その差50歳分は、ある意味“人為的に”伸びた寿命だとも言える。

検査

手術
栄養
リハビリ などなど

それらが、「命」を「時間的に長くする」事を可能にしてきた。

ここに面白いデータがある。
ヒトだけでなく、マウスも寿命が伸びているのだそうだ(Google Bard調べ)。1980年代頃にはマウスの寿命は2年と言われていたが、現在は3年まで伸びている。その理由は「遺伝子操作や食事療法などの技術により、マウスの老化を抑制できる可能性が示唆されているため」だそうで、言い換えればこれはヒトにも当てはまるわけだ。

さて、本来なら30年で終るはずの人生を50年も上乗せできるようになっているわけである。

もっと言ってしまえば、残りの「50年」は神様から与えられた、猶予期間、または“おまけ”とも捉えることができる。

この様に、生命の寿命というものを科学的に捉えようとすればするほど、私は哲学的に考えてしまう。そして、今の日本の現状を考えると「簡単に死なせてもらえない世の中」である。良くも悪くも、である。

誤解を恐れずに言うのであれば、だからこそ「生きる」という事を、もっと真剣に考え、そして語っても良いのではないかと思う。なにも「善行をしろ」「一日一日を大切に」と言っているのではない。おそらくこの答えに正解はなく、そして、個々人が見つけるものであり、それが自分自身で納得のいくものであれば、それがその人にとっての正解なのであろう。

(余談だが「一日一日を大切に生きる」なんてことは、誰にも出来ないはずである。一日くらい「大切じゃない日」だってある。それは人間だから。人だから。それを目標にしていては人は生きていられない。)


皆さんは、どう考える?

2023年8月14日月曜日

踊る!!郡上おどりを考察する!!

 皆さんは、踊ったことがあるだろうか?
踊る、と言っても、昭和な言葉で表現するなら『ディスコ』平成な言葉で表現するなら『クラブ』。令和な言い方では何というのか知りませんが…とにかく、音楽が爆音で流れその中で思い思いに踊る。そんな経験はあるだろうか?

私は、何度もある。
20代~30代始めの頃までだろうか。友人と一緒に、と言うのもあるし一人でというのもあるし。ディスコやクラブ(以下、クラブとする)で踊ることには、やや中毒性があり、クラブで踊り明かした後には、なんとも言えない爽快な疲労感を覚えたものだ。

そうそう。身体は汗でベタベタ、顔もギトギト、耳は爆音で変な感覚になるので、普通であれば「不快」と感じるであろう身体反応があったとしても「爽快」なのだ。

(あ、もしかしたらこれは「運動する」と言うことも類似することか)

なぜ、クラブで踊ると爽快感を得られるのだろうか?私見を交えなが論じてみたいと思う。


クラブで踊っているといわゆる「トランス状態」を味わう。トランス状態と言うと“ヤバい状態”と思われるかもしれないが…

トランス (英: trance) あるいはトランス状態とは、通常とは異なった意識状態、つまり変性意識状態の一種であり、その代表的なものである。入神状態と呼ばれることも、脱魂状態や恍惚状態と呼ばれることもあり、リハビリテーション、教育、スポーツなどの幅広い領域へと応用されている。(Wikipediaより)

トランス状態の時には通常の感覚は失われ、脳ではα波〜θ波が優勢になることが知られている。α波やθ波というのは、「覚醒しているけれども精神活動が活発でないとき」に現れているとされており、よく「リラックスしている時に出現する脳波」として皆さんも、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

踊る時、あれ程に身体を動かしているのに「リラックスしている」というのは、なんだかチグハグな感じがするのだが…


私は、学生時代に始めてクラブへ踊りに行き、その「トランス状態」を味わったのだが、実はその時、一種の懐かしさを覚えた。

それは何故か。

私の地元である、岐阜県郡上市で行われる「郡上おどり」。みなさんも一度は耳にしたことがあると思うが、その「郡上おどり」を踊っている間も、「トランス状態」になるのだ。


「盆踊りは、現在でも、全国各地で盛んに行われており、夏の風物詩となっています。盆踊りは、単に踊りを楽しむだけでなく、ご先祖様を供養する意味も込められています。また、盆踊りは、地域の人々が集まって交流する場にもなっています。」(Google Bard調べ)

他にも仏教を広めるためなどの意味合いも合ったようだが、江戸時代には娯楽としての盆踊りが定着している。

私が考察するに、「郡上おどり」や「阿波おどり」などの単調な踊り方をする盆踊りというのはトランス状態になりやすいと思われる。

盆踊りを踊っていて「今トランス状態だ」と認識するには2つの感覚を意識するといよい
①あまり考えなくても「勝手に身体が動く」ような感覚
②時間の経過がわからなくなる

郡上おどりを例にとると、曲は全部で10曲ある。

かわさき
春駒
三百
ヤッチク
古調かわさき
げんげんばらばら
猫の子
さわぎ
甚句
まつさか

それぞれに振り付けは違うのだが、それぞれの曲の振り付けは、一つのパターンが短く、それを延々と、曲が終わるまで繰り替えす。
「〇〇音頭」と名付けられた盆踊りの振り付けというのは、非常に難しく、コロコロと振りが変わってしまうので、練習と慣れが必要だが、郡上おどりは、人が踊っているのを少し見ていればすぐに覚えられ、誰でも踊りの輪に入れる。だから、観光客に人気なのだ。

振り付けが簡単であるがゆえに、踊りながら「次のフリはこうで、その次はこうで…」とか「きれいに踊るには…」「見栄えがよくするには…」などの余計な雑念がなくなる。そのうちに『考えなくても勝手に身体が動く』ようになる。するとどんどん「トランス状態」になっていく。

(ちなにみ私がすきな曲は『猫の子』である)


先程、述べたように、盆踊りには様々な意味合いが込められているが、実は、メンタルヘルスにもとても良い。

エビデンスはないが。


まだ、一度も体験したことがない方は、ぜひ、踊りの輪に加わることをおすすめする。
見ているだけでは楽しめない。

踊らなければ。

2023年8月12日土曜日

私の中核をなすもの(④音楽)

 僕は音楽が好きだーーーーーーーーーーーー😄

僕の音楽遍歴は、以前のblog「自分自身が持つ価値観へ与える影響(お金の話し)」でも書いたけど、結構、音楽は本当に好きだ💕

音楽って楽しい!って思い始めたのは、確か、小学生低学年の頃かな~
日曜日の朝、あの長寿番組『題名のない音楽会』を見るのが習慣だった😅(渋い小学生…)

実家にはTVが一台しかなかったんやけど、日曜日の朝のあの時間、誰もTV見ないんだよね。だから、僕がTVを独り占めして『題名のない音楽会』を見てた。

Wikipediaによると、なんと1964年から放送されているそうだ😲
しかも「番組の本編中にコマーシャルは一切入らない。これは協賛社・出光興産創業者の出光佐三が「芸術には中断はない」と考えていることからである。このためCMが流れるのは番組冒頭とエンディングのみである。」とのこと。

いや、確かに思い起こすと、本編中にCMあたりはなかった。すげーなー!出光興産🤔

僕の音楽好きは両親譲りだ。

父は、独学でトランペットを一人で吹いていたらしい。
地元の父をよく知る人から聞いた話だと「よく親(僕から見た祖父母)の手伝いをサボって、河原の土手で一人で🎺吹いとった」らしい😄

父はジャズトランペットが好きで、車の中でよくそのカセットを聞かされたな~
(ちなみに僕は、ジャズはあんまし好きやない💦)

そうそう、それで僕が小学生中学年くらいの頃かな、突然、家に30本くらいある「クラッシック全集」みたいなカセットテープが届いた!!びっくりしたなぁ。どういう経緯で買ったのか、全然知らないんやけど、僕、嬉しくて、とりあえず全部聞いたさ♫

僕が好きだったのは、フルオーケストラで演奏されるやつ全て(作曲家で聞き分けていない😁)とマーチ。特にマーチは大好きで、ソレばっかり聞いてたから、カセットテープが伸びちゃって、聞いているとブツブツ音が途切れる😅

小学生6年の時に放送部に入ったん。なんでかっていうと、給食の時間、放送部が曜日交代でそれぞれジャンルの違う音楽を全校放送して良いことになっていて、僕は「クラッシック」の曜日を担当したくて。それで音楽室準備室にある棚の中からレコードを1枚借りてきて、毎週金曜日、僕は放送室で給食を食べながら、好きなクラッシックを聞くという、なんとも優雅な時間を過ごしてた😙

僕の音楽好きは、姉(2歳年上)からも影響を受けていて、中学生になった時、姉が友人から借りてきた「TM NETWOR」のアルバムを一緒に聞いて、本当に雷⚡に打たれたような衝撃を受けた!!いや、ほんとマジでこれ。
そしてしばらくして、あの「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」で初TV出演した時の映像は、今でも忘れられない。ボーカル・ギター・キーボードの3人でどうやってバンド演奏するのか不思議に思ってたけど、そのセットにはコンピューターが鎮座し、いくつもシンセサイザーが並び、ピアノが勝手に演奏を始める…もう、衝撃としか言いようがない。

https://youtu.be/r107W1YXrSM

マジ、かっけー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

いわゆる「DTM」のハシリですよ。

僕の音楽のルーツではあるんだけど、ある意味「デジタルガジェット好き」のルーツでもあるかな~💻📱

(その他のアーティストについてはblog「自分自身が持つ価値観へ与える影響(お金の話し)」を参照してね)

もう二組。僕が音楽を語る上で衝撃を受けた人を紹介します。

「エンヤ(Enya)」だ。
彼女の、透き通った声、そして幾重にも多重録音されたハーモニー。アイルランド出身の彼女が、母国の音楽の伝統を受け継ぎ、そして新しい音楽へと昇華させた傑作だ。「オリノコ・フロウ」(Orinoco Flow)と言えば、知らない人はいないと思うし、タイトルを知らなくても曲を聞けば「ああ!あの曲ね!」って、誰もが知っている曲。

https://youtu.be/LTrk4X9ACtw

あれは本当に衝撃だったな~

そして、我らが「Perfume」
彼女たちがブレイクした曲「ポリリズム」を聞いた時は、ぜんっぜん、なんっとも思わなかったwwwTVでパフォーマンスしてるのをみても、何も響かなかった。
それから、全然、意識にも登らなかったんだけど、たまたま見たYou Tubeで「エレクトロ・ワールド」と言う曲のパフォーマンスを見て、鳥肌がたった🐔

https://youtu.be/oF7jYjdie5E

なんじゃこりゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~👀

ノリノリの楽曲、そして3人のシンクロしたダンス。感動すら覚えた!!

楽曲はもともとTM NETWORKが好きで、ピコピコ鳴る音楽(笑)は好きだったし、ユーロビートとかテクノとか“踊れる曲”が好きだったから、もうドハマリ。

そこからですよ。ライブDVDを借りてみたりアルバムやシングルを買い漁り、最終的にはファンクラブに入りました。

彼女たちの魅力を語りだすと、長くなるのですが、やっぱりライブ。何と言ってもライブ。
楽曲・ダンス・舞台演出その三位一体となった空間は芸術の域ですよ。マジで。

そして、ライゾマティクスによるテクノロジーを駆使した“見せ方”は、本当に見ている人の想像を優に超える。



このあたりにしておきます😅

この記事を読んでいただいたお分かりの通り、僕の音楽好きのジャンルは比較的幅広いと思う。クラッシック・吹奏楽からPOP・テクノまで。

これはつくづく思うけど、音楽って生活を豊かにしてくれる。

2023年8月10日木曜日

あなたは大丈夫?仕事がデキる!≠管理職に向いている?

 私が理学療法士となった約30年近く前、リハビリセラピストがその部署の上長であり管理職になっている人というのは、かなり稀であった。大体どこも、事務方や他のコメディカルスタッフと一緒の部署で、リハビリセラピストが昇進したとしても、せめて“主任”どまりであったろう。

しかし今の世、リハビリセラピストの人数は増え、それを抱える施設も増えたことにより、正真正銘のリハビリセラピストによる「管理職」が誕生し、それほど時間が経っていないと思う。管理職であるから、業務の大半は管理業務で、「直接、患者様の担当をしない」というのが当たり前。

私は、管理職になったことがないが、元職場にはリハセラピストの科長と主任がおり、本当の管理業務を行っていた。

ただ、困ったことに、リハビリセラピストは「管理業務」については、学校では習わない。まあ、当たり前といえば当たり前で、恐らく、それぞれの所属機関で教育を受けたり、ご自身で自己投資してその素養を身につけられてこられた方が多いのではないだろうか。

これはどこの業界でもそうだ思うのだが、仕事がデキる≠管理職が向いている、のではない。

私は理学療法士という仕事が好きだ。それは患者様に対して理学療法と言う医学的リハビリテーションサービスを提供する、と言う意味で仕事が好きだ。では、「リハビリテーション科の管理職は?」と聞かれれば、断じてNO!である。

元職場の上長(科長)の仕事ぶりをみていると、私には絶対に務まらない、と思った。まあ、精神疾患を持っているという時点で、除外されるであろうが(笑)。

また、患者様から慕われ、理学療法士として素晴らしい技術を持った者が、デキる管理職者になるか、と問われれば、断じてNO!である。私がそうであるように(笑)。


ではどんな人が管理職に向いているのか。

私が考えるに「部下を正しく評価しその部下を“動かす”能力の高い人」である。そして「突発的なトラブルに対する対応力が高くストレス耐性が高い」事もはずせない要素ではないだろうか。


「部下を正しく評価しその部下を動かす能力の高い人」

これはいわゆる「マネージメント力」とでも言えるだろう。管理職と言うのは自ら率先して動く人は向いていないだろう。大体、そう言う管理職は潰れてしまう。全てを“自分の仕事”にしてしまい、自分だけで抱え込むことで、結局、抱えた全てを中途半端のままで投げ出してしまいかねない。むしろ「この仕事は◯◯さん」「この仕事は■■君」と言う様に、その人の能力に見合った人材に振り分け自分の手から離す事が必要である。『適材適所』と言う考え方だ。ただし、丸投げではなくタイムスケジュールと共に途中経過の確認や、いつでも相談にのる姿勢等が必要であろう。実は、私が思うに、この「途中経過の確認やいつでも相談にのる姿勢」と言うものに欠けている管理職が多いような印象を受ける。もちろん「人を正しく評価する」能力も大変難しいことかもしれない。しかし、仕事を振り分けたまではいいが、結局その『部下から確認されるまで放置』している管理職もいるのではないだろうか。

確かに、管理職は忙しい。いくつかの案件を抱え、それら全ての手綱を引きながらタイミングを見計らっていると思う。しかし、管理職側から「あれはどうなってる?」とか「あの事で何か悩んでいることはない?」と率先して声掛けや目配りがデキる管理職は、本当の意味で管理職に向いていると、私は思う。人によっては「部下から声をかけてくるまで待つ」とか「部下から確認してこないのはやる気がない」などの評価を下す者もいるだろう。もしかしたらケース・バイ・ケースなのかもしれないが、部下だって忙しい。「忙しい」を理由に“必要なコミュニケーション”を取らないのは、管理職の怠慢だと考える。


「突発的なトラブルに対する対応力が高くストレス耐性が高い」

もう、これは読んで字のごとく。「責任者は誰だ?!責任者連れてこい!!」と言うクレームから始まり、部下の起こしたインシデントやアクシデントに責任を持って冷静に対処する。そしてそれらの原因をキチンと分析し今後へ活かすと共に、部下へのフォローアップや他部署への謝罪など、必要に応じた対応力が求められる。この様な対応力というのは、一朝一夕に身につくものでもないと思う(一部の人ではそれを若いうちに体得した人もいるか)。ただ、この様なストレスフルな要求をされ続けていると、いくらなんでもその管理職が潰れてしまう。だからこそ、管理職になる人には、自分なりのセルフメンタルケアの方法を習得している事が必須だ。

ここまで書いていて、つくづく思う。私には管理職は無理だ、と(笑)。


欧米では、一部の富裕層や企業の経営者の間では「ライフコーチ」と言うサービスが浸透している。日本でも近年になって、ライフコーチを受ける人が増えてきているようだ。

ライフコーチとは「クライアントの人生における目標や課題を達成するために、サポートする専門家のこと。コーチングセッションでは、クライアントの強みや価値観を理解し、目標達成に向けて具体的な計画を立て、実行をサポートする」ことであり、ライフコーチは、クライアントの人生をより良くするための伴走者であり、サポート役のことである。

カウンセリングに近い事を行うが、カウンセリングよりもより長く、よりその人の世界観を理解し、長期にわたりサポートしてく。やはり、先回のblog「心理的安全性と言う環境評価」の中でも触れたが、変化が早く、正解が分からない今の世の中、管理者や経営者というのは、常に様々なストレスに晒(さら)されていると思う。そうなってくると、自分自身を見失いメンタルダウンしかねない。私の様に個人事業主やフリーランスと言う働き方をしている人も、当てはまるかもしれない。その様な人には「ライフコーチ」は必要な存在なのかもしれない。

ライフコーチとは上記に示したような役割を担っている専門家であるが、昔はそんな職業はなかった(当たり前の話だが)。ではそのような役割は誰が担っていたのだろうか。実はその役割を担っていたのが『管理職』なのではないかと思う。戦後~高度成長期、終身雇用が当たり前であった時代、社内の人間関係は現在よりも密であり、そして仕事外での付き合いも多かった。仕事以外のプライベートの事も、管理職が部下の事をことを心配し思いやり、そして助言を与え導いてくれる。そんな関係性が出来ていたのだと思う。いわゆる「義理人情」が当たり前の世の中だ。

今が良いとか昔が良いとか、そのような話ではなく、時代が変わるとともに人間関係のあり方とか築き方なども変わるのは仕方のないことである。

私がもうすぐ50歳になると言う年齢も関係しているかもしれないし、長く対人援助職をしているからかもしれないが、私は自他ともに認める「義理人情派」である(笑)。恩義のあることに関しては恩で返したい。そして一期一会を大事にし、一度、深いつながりを持ったのであれば、その人に思いを馳(は)せるのは“当然のこと”と思っている。


最近は何でも「ガチャ」をつける。「親ガチャ」を始め「容姿ガチャ」「能力ガチャ」「性格ガチャ」「学歴ガチャ」「家柄ガチャ」「財力ガチャ」「健康ガチャ」「恋人ガチャ」「結婚相手ガチャ」(Google Bard調べ)。

そして「上司ガチャ」も使われているようだ。


良いか悪いかは別として。


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 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...