皆さんは、踊ったことがあるだろうか?
踊る、と言っても、昭和な言葉で表現するなら『ディスコ』平成な言葉で表現するなら『クラブ』。令和な言い方では何というのか知りませんが…とにかく、音楽が爆音で流れその中で思い思いに踊る。そんな経験はあるだろうか?
私は、何度もある。
20代~30代始めの頃までだろうか。友人と一緒に、と言うのもあるし一人でというのもあるし。ディスコやクラブ(以下、クラブとする)で踊ることには、やや中毒性があり、クラブで踊り明かした後には、なんとも言えない爽快な疲労感を覚えたものだ。
そうそう。身体は汗でベタベタ、顔もギトギト、耳は爆音で変な感覚になるので、普通であれば「不快」と感じるであろう身体反応があったとしても「爽快」なのだ。
(あ、もしかしたらこれは「運動する」と言うことも類似することか)
なぜ、クラブで踊ると爽快感を得られるのだろうか?私見を交えなが論じてみたいと思う。
クラブで踊っているといわゆる「トランス状態」を味わう。トランス状態と言うと“ヤバい状態”と思われるかもしれないが…
トランス (英: trance) あるいはトランス状態とは、通常とは異なった意識状態、つまり変性意識状態の一種であり、その代表的なものである。入神状態と呼ばれることも、脱魂状態や恍惚状態と呼ばれることもあり、リハビリテーション、教育、スポーツなどの幅広い領域へと応用されている。(Wikipediaより)
トランス状態の時には通常の感覚は失われ、脳ではα波〜θ波が優勢になることが知られている。α波やθ波というのは、「覚醒しているけれども精神活動が活発でないとき」に現れているとされており、よく「リラックスしている時に出現する脳波」として皆さんも、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
踊る時、あれ程に身体を動かしているのに「リラックスしている」というのは、なんだかチグハグな感じがするのだが…
私は、学生時代に始めてクラブへ踊りに行き、その「トランス状態」を味わったのだが、実はその時、一種の懐かしさを覚えた。
それは何故か。
私の地元である、岐阜県郡上市で行われる「郡上おどり」。みなさんも一度は耳にしたことがあると思うが、その「郡上おどり」を踊っている間も、「トランス状態」になるのだ。
「盆踊りは、現在でも、全国各地で盛んに行われており、夏の風物詩となっています。盆踊りは、単に踊りを楽しむだけでなく、ご先祖様を供養する意味も込められています。また、盆踊りは、地域の人々が集まって交流する場にもなっています。」(Google Bard調べ)
他にも仏教を広めるためなどの意味合いも合ったようだが、江戸時代には娯楽としての盆踊りが定着している。
私が考察するに、「郡上おどり」や「阿波おどり」などの単調な踊り方をする盆踊りというのはトランス状態になりやすいと思われる。
盆踊りを踊っていて「今トランス状態だ」と認識するには2つの感覚を意識するといよい
①あまり考えなくても「勝手に身体が動く」ような感覚
②時間の経過がわからなくなる
郡上おどりを例にとると、曲は全部で10曲ある。
かわさき
春駒
三百
ヤッチク
古調かわさき
げんげんばらばら
猫の子
さわぎ
甚句
まつさか
それぞれに振り付けは違うのだが、それぞれの曲の振り付けは、一つのパターンが短く、それを延々と、曲が終わるまで繰り替えす。
「〇〇音頭」と名付けられた盆踊りの振り付けというのは、非常に難しく、コロコロと振りが変わってしまうので、練習と慣れが必要だが、郡上おどりは、人が踊っているのを少し見ていればすぐに覚えられ、誰でも踊りの輪に入れる。だから、観光客に人気なのだ。
振り付けが簡単であるがゆえに、踊りながら「次のフリはこうで、その次はこうで…」とか「きれいに踊るには…」「見栄えがよくするには…」などの余計な雑念がなくなる。そのうちに『考えなくても勝手に身体が動く』ようになる。するとどんどん「トランス状態」になっていく。
(ちなにみ私がすきな曲は『猫の子』である)
先程、述べたように、盆踊りには様々な意味合いが込められているが、実は、メンタルヘルスにもとても良い。
エビデンスはないが。
まだ、一度も体験したことがない方は、ぜひ、踊りの輪に加わることをおすすめする。
見ているだけでは楽しめない。
踊らなければ。