自己紹介

自分の写真
オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2023年9月26日火曜日

忘れられない患者さん④糖尿病性網膜症による全盲のおばさん

 僕が理学療法士として働く中で、忘れられない患者さんの第4弾。



糖尿病性網膜症というのは、糖尿病が原因で眼球の網膜というところを走っている毛細血管が破裂したりすることで、網膜が破損し、徐々に視力が奪われていく病気です。




“おばさん”と言う表現が正しいのか間違っているのかは別として、僕が担当した時は、母の3歳下で、僕は母にいつも「80歳超えたらおばあさん。70代はまだおばさんだから」と説明していたので、この患者さんの事も“おばさん”と表現させて頂きます(笑)。

Aさんは旦那さまと持ち家でおふたり暮らし、お子さんは二人いらっしゃって、第1子は娘さんで同県に嫁がれ、第2子は息子さんで同じ市内に世帯を持っていらっしゃった。

実はこのAさん、糖尿病が原因で糖尿病性腎症のため維持透析をされており、かつ糖尿病性網膜症で全盲でした。そして不安定型狭心症と言う、狭心症の中でもちょっと厄介な心臓の病気を抱えていらっしゃった。

不安定型狭心症
狭心症というのは、心臓の細胞に栄養を送る「冠動脈」と言う血管の一部が、詰まりかける病気で、完全に詰まってしまうと「心筋梗塞」になるのですが、その一歩手前ととらえてもらえればいいかと思います。ただし、“不安定型”とつくのは、血管を詰まらせる元となる脂肪の塊が、移動したり剥がれたりを繰り返して、いつ、血管が詰まるか予測が出来ないという危険性があります。


Aさんは自宅で狭心症発作(胸が痛くなるやつ)をおこし、救急搬送された病院で心臓のバイパス手術をされました。下の図のように、冠動脈の詰まっているその先に、内胸動脈と言う動脈の通り道を変更してあげる手術をしました。その時にはもう、全盲でかつ維持透析をしていました。



術後の経過も良好で、リハビリ目的で僕の勤めていた病院に転院してきた時は僕の担当ではなかったのですが、しばらくして再び狭心症発作を起こし、手術をした病院に転院になり、今度はカテーテルにてステントを埋める手術をしました。

上の図のバルーン治療と言うのは、古い治療法で、ステント治療というのは血管の狭くなっている部分にステントと呼ばれる金属の網状のストローを通し、血管を内側から裏打ちするやり方です。こうすると、バルーン治療と違い、その部分が再び狭くなることはありません。

Aさんはその治療を終えて、再び転院してきました。そこで僕は改めて担当になりました。

「あら、前の先生と違うのね」と初めましての時におっしゃられ。今までの病気の経過などをお伺いしていたのですが、Aさんは50代で失明し全盲になられました。しかし、もともとの気質でしょうか(笑)「盲人センター」と言う目が不自由になられた方の、いわば「学校」に行きだしたそうです。
そこでは、白杖の使い方、点字の読み方・打ち方、目の不自由な方のためのPCのセッティングの仕方など、色々な生活の知恵を教えていただいたそうです。

バイタリティあるというか(笑)

心臓の手術後なので、自覚症状はもちろん、心電図・血圧・脈拍・サチュレーション(動脈血酸素飽和度)など頻繁にモニターしながら、運動強度を上げていくのですが、比較的、早く、自力で歩くことも獲得できるようになりました。

僕は、全盲の方を担当するのは初めてだったので、リハビリの最中にいろんな事を質問しました。

「ねーAさん。“目が見えない”って言うと、僕のイメージだと“真っ黒”って感じなんだけど、Aさんにはどんな感じで“見えてる”の?」と聞くと「私はね“ベージュ色”昼でも夜でも。不思議でしょ?(笑)」と教えてくれました。僕の全く知らない世界。

そして不思議だったのが食事。
たまたま、透析後にお部屋にお伺いしたら、まだ食事が終わられていなかったので、こっそり(笑)その方の食事風景を観察していたのですが、見えていないはずなのに、キチンと器を左手で持って右手で箸を上手に使い、お一人で食べられていたのです!これはびっくりしました。

食事が終わられた後に、実は食事風景をこっそり見ていて、どうしてそんなに上手に食べれるのか聞いたみたら「だって配膳に来てくれた人が、器を触らせてくれてここに何があってここに何があってって説明してくれるから。後はちゃんと覚えてるよ」と。まーーーーーー驚きですわ。ホントに。

それまでは大事をとって、ご自身のお部屋と病棟内だけで運動などをしていたのですが、状態もよくなったので、少しずつ歩く距離を伸ばすことにしたんです。

短い距離だと下の図のように両手引で介助していたのですが、距離が長くなると、介助する側がずっと後ろ歩きになり転倒のリスクが高いので、介助者である僕がどうやれば良いのか、知識的に知らなかったので、Aさんに聞きました。「ちょっと長い距離を歩くんだけど、僕、どうやってお手伝いしたりい?」と。



そしたら「腕組んで💕」と!!は?!

実は、これが一番楽なのだそうです。
僕の古い知識だと、介助者の肩に手を載せる方法を覚えていたのですが、Aさんに聞くと「それだと背の高い人だととても怖いの」だそうです。

いつも病室にお向けにお伺いし上の図のようにして僕が介助し、リハビリ室までいく途中、病棟の看護師さんに「まあ、Aさん、いい男捕まえてデートいいわね😃」と何度となく冷やかされ(笑)

そんなこんなで、治療が順調に行っていたと思っていた矢先、透析中に狭心症発作を起こし、またまた、転院されました。

狭心症発作もこれで3回目。流石にもしかしたらもうだめかも…と思っていたのですが、再びステント治療をし、更に左下肢の太い動脈もつまりかけていたのことで、そこにもステント治療をしたようです。

心臓と左下肢の治療を終えて、改めて僕の勤める病院に転院する際「診療情報提供書」と言う医師の書く紹介状を読んで、文字面だけみたら「命はとりとめたけど、どれくらい身体機能が回復するか、心配だな…」と思い上司にもその様に漏らしたことがあります。

が、

転院してきて改めて挨拶にお伺いしたら、何のことはない。少し足腰が弱っている程度で、すぐに元のように回復されました。



その方、いつもおっしゃってて心に残ってるのは、「目が見えないでしょ。だから耳に頼るしかないじゃない。暇な時ってラジオ聞くか点字に翻訳した本を読むくらいなのよね。それってすごくつまらなくて。私、女だから(笑)誰かとおしゃべりしてる時が一番楽しいの」と。

比較的お元気で、手が不自由なく使える方だと、リハセラピストが“大人の塗り絵”や“数独”“難解間違い探し”などの印刷物をお渡ししたりして、お時間のある時にやっていただいたりするんだけど、Aさんは全盲だからそういう時間の使い方が出来ない。確かに退屈だろうなって思った。

だから、僕がリハビリでお伺いすると「これでもか!」と言うくらいずーーーーーーーっとお話しされて、いつも「今日も先生とお話できて本当に楽しかったわ!」と言ってくださって。


そしてもう一つ。
少し踏み込んで「目が見えなくなった時どんなお気持ちだったの?」と聞いたことがあるんです。「最初はね“困ったな~”って(笑)。ほんと、ただそれだけ」と。「悲しい」とか「つらい」とかそういう感覚ではなかったとおっしゃってみえて。「人生、ケ・セラ・セラよ~」と口癖のようにおっしゃっていたのが、すごく心に残ってるんです。



まあ、僕も障害者の端くれ(笑)
落ち込んだり、悩んだり、やけになったりもしたけど、本当の意味で「障害受容」出来たのは、障害者になってから3~4年位はかかったと思う。


もし、僕が障害者となった当時、Aさんの様に「ケ・セラ・セラ」と言えていたら、もしかしたら今と違った人生を歩んでいたかもしれないな、と今でも思います。

まあ、過去は変わらないので(笑)変えられないし。

ただ、ちょっと想像してみたりすることもあるんですよ。



今と違った“今”を。

2023年9月25日月曜日

ヤル気=モチベーションではない?!どゆこと?

 どの業界でも「モチベーション」と言う言葉をよく聞きますよね。僕が臨床で働いていた時も「あの患者さんはそもそもモチベーションが低いから離床できない」とか、実習生を指導・評価する時も「(実習生の)モチベーションが低くて質問が少ない」など、多用してきました。しかし、心理学的に言ってこの使い方はNGなんです!!


皆さん、そもそも「モチベーション」の言葉の意味をご存知でしょうか?

モチベーション
〘名〙 (motivation) 動機づけのこと。個体の行動を引き起こす動因。また、そういう動因を与えること。動機づけの動因としては欲求、均衡の破れた状態、または緊張状態などが考えられている。学習指導の場合は、学習意欲をかきたてること。特に、導入の過程で関心を引き出すことをいう。(精選版 日本国語大辞典より)

あれ?なんか違うぞ?と思いませんか?

説明の最初に「動機づけのこと」とありますよね。前述の文章の“モチベーション”という言葉を日本語に置き換えると、以下のようになります。

「あの患者さんは動機づけが低いから離床できない」
「(実習生の)動機づけが低くて質問が少ない」

この様に言い換えると、まるでチグハグな文章になります。



なぜ、この様な現象が起きるのかと言うと、そもそも「モチベーション」の原語である英語の「motivation」は「motivate」の名詞形なのですが、ではそもそも「motivate」の意味は何かというと

motivate
動詞 他動詞
1〈…に〉動機[刺激]を与える,興味を起こさせる 《★しばしば受身で用いる》.
2〈人に〉〈…する〉動機を与える 〈to do〉.

基本的に、「他動詞」として使われるので、そもそも「自動詞」の様に扱われる日本語の使い方が誤っているのです。


もう少し簡単に説明しますね。

「あの患者さんはモチベーションが低くて離床ができない」と言う文章をもっと噛み砕くと「あの患者さんは、リハビリに対する意欲が低くて離床ができない」と言う意味として使われています。つまり、離床できない原因は「患者さんの内面にある」と言っているのです。



「(実習生の)モチベーションが低くて質問が少ない」も噛み砕いてみましょう。「(実習生の)実習に対するやる気がなくて質問が少ない」と言う意味になり、これも質問が少ない原因は「実習生の内面にある」と言っています。


しかしそもそもmotivateというのは他動詞であるので、そもそも「ヤル気がない」のではなく「ヤル気を起こさせる動機がない」というのが正しい意味になります。

とかく人は、対象者が自分の思うように動いてくれないとか、こちらが期待している様な行動をとってくれない時に「対象者自身に原因がある」と考えがちです。しかしそこから視点を変える必要もあります。例えば環境だったり目標設定だったりに原因があるのではないか?と言う視点です(環境の中には対象者に関わる“人”だったり人間関係も含みます)。


では、動機づけとは何なのか。

動機づけ
行動を始発させ、目標に向かって維持・調整する過程・機能。

大きく「生理的動機づけ」と「社会的動機づけ」があり「社会的動機づけ」には「達成動機づけ」「内発的動機づけ(内的動機づけ)」「外発的動機づけ(外的動機づけ)」に分けられます。


達成動機づけ
評価を伴う達成状況において高いレベルで目標を達成しようとする形態の動機づけを言う。

内発的動機づけ
好奇心や関心によってもたらされる動機づけであり、賞罰に依存しない行動である。

外発的動機づけ
義務、賞罰、強制などによってもたらされる動機づけである。


この中でも、一般的に「内発的動機づけ」によって発動した行動や動作と言うのは、効率的にしかも継続的に遂行されると言われていて、「外発的動機づけ」がそれが一番低いと言われています。


と、書くのは簡単(笑)


ですので、一般的に使われるのが「達成動機づけ」です。いわゆる「ゴール(到達目標)設定」ですね。

医学的リハビリテーションの臨床現場でも、セラピストは“ロングゴール(長期目標)”を設定し、その目標を達成するために、今、頑張って達成可能な“ショートゴール(短期目標)”を設定します。

つまり、「やれそうだけどちょっと頑張らないとやれない事」「すこし努力して出来そうな事」を積み重ねて行くことで、最終的に目標としていたゴールを達成可能にしていく、と言うやり方です。

そのためにセラピストはあれやこれやと手を変え品を変え、四苦八苦して患者さんの機能回復や日常動作の改善に取り組んでいるのです。



結局、何が言いたいかと言いますと、「全ての責任を対象者だけに押し付けず、自分自身の関わり方を見直して欲しい」ということです。

もしかしたら目標の設定の仕方に誤りがあったのかもしれない。
もしかしたら動機付ける方法に誤りがあったのかもしれない。
もしかしたら賞罰でなんとかしようとしていたのかも知れない。

これは決して医療の現場だけの話では有りません。一般企業においても同じことです。


何だか上手く行かないな~と思ったら、まずはご自身の事を振り返ってみて下さい。

2023年9月24日日曜日

心理カウンセリングで症状悪化?!あり得るんです。

心理カウンセリングを受けたことがある方だと、そのセッションが終わった後に「何となく道が開けた」「少し前向きになれた」「モヤモヤが晴れた」などの気持ちを味わったことがあると思います。

しかし、中にはその様に一筋縄ではいかない場合もありまして…




今現在、苦しんでいる様々な症状の原因が、実は幼少期の体験が影響していたり、顕在化していない(無意識下での)トラウマであったり、見て見ぬふりをしている家族関係であったりすると、セッションを重ねる毎に、徐々にその問題が顕在化・表面化してくる事があります。

そうすると、クライエントにとってみたら、意識したくない事や忘れてしまいたい事、無意識のうちに蓋をしてしまった事などをえぐり出すわけですから、その事を頭の中で追体験してしまったり、その当時の感情が蘇ってきたりして、かなりツラい事になりかねません。

また、その様な経験や出来事を、クライエントは重要と思ってもみなかったりすると、突如湧いてきた感情に戸惑ったり、さらにその感情を否定的に受け止めたりする事にもなり得るんです。

そうなると、過去の自分自身と向き合いそして対峙せざるを得なくなり、今現在のクライエントでも処理しきれなかったり、上手く受け入れられなかったりすると、さらにこじれてしまいます。


以下の様な疾患や障害の場合、もしかしたから、前述した事が原因である可能性もあります。



心理療法の中に「催眠療法(ヒプノセラピー)」は皆さんご存知だと思います(メディアなどで「催眠術」などと言う表現の仕方は誤りで、正しくは「催眠療法」です)その催眠療法の中に「退行療法」「年齢退行」という技法があり、催眠状態のクライエントの、無意識下に押し込められた経験や事実を、顕在化してく方法があります(催眠療法は熟練者が行うもので不用意に行うものではありません。ご注意下さい)。



催眠療法では、かなり強固に抑圧されている過去の経験やそれに伴う感情を想起させることも可能です。しかし、そうでなければ一般的な心理カウンセリングでも対話を通して、抑圧が外れることも、よくあります。

そこで「状態が悪くなった」「心理カウンセリングが原因で悪化した」と思い、中途半端に心理カウンセリングを辞めてはいけません。それこそ、もっと酷い心理状態になり、それが身体化(精神症状が身体症状として現れること)してしまう恐れもあります。

この段階で、過去の自分と対峙し真正面から向き合い、隠されていた感情などに気づきが得られることで、過去の自分では処理しきれなかった経験やその感情を、様々な人生経験を積んだ今の自分が、キチンと受け入れ認めることで、様々な問題が解決に向かっていきます。

ここで強調したいのは、あくまで抑圧してきた事実や感情は、今の自分よりずっと幼く稚拙で、その対処法しか知らなかった、出来なかっただけなのです。言い換えれば、今の自分自身であればキチンと受け止め、対処し、楽に処理できる可能性が高い、ということです。

そしてそのお手伝いをするのが心理カウンセラーです。
過去のご自分と向き合うことは非常に困難で辛いことですが、心理カウンセラーが適切な距離感を持って、クライエントに寄り添い支えます。

誤解を恐れずに言うと、解決するのはクライエント自身です。あくまでも。私達、心理カウンセラーは、そのお手伝いをするに過ぎません。



僕がインテーク面接(初回のカウンセリング・セッション)で、クライエントの主訴や状況を把握し、上記の様に過去の体験や抑圧された感情が原因であると見立てた時には、正直にお伝えするようにしています。このままセッションを重ねることで、一時的に状態が悪化する可能性とその理由についてお伝えし、その上で継続していくかどうかを。その上でどうするかの決断をしていただきたいと思っています。

2023年9月22日金曜日

実は慢性疼痛との関連も…破局的思考とリハビリ

 精神心理状態が、人間の「感覚」に大きく影響を及ぼすと言うのは、医学の世界では当たり前のことですが、少し詳しくお伝えできたら、と思います。



人間の感覚、特に皮膚などから感じる感覚は「触覚・温冷覚・痛覚」と言うものがあります。「触覚」というのは、皮膚に触れているか、どの程度の強さで触れているかなどを感じる感覚です。「温冷覚」というのは、熱い・冷たい、「痛覚」は痛いなどの感覚です。皮膚には、それらの感覚を感じ取るための器官『受容体』と言うものが存在していています。




触覚:メルケル盤・マイスナー小体
圧覚:パチニ小体
痛覚:自由神経終末
温覚:ルフィーニ小体
冷覚:クラウゼ小体

これらの受容体が刺激されて、神経によって脊髄→視床を経由して大脳新皮質の第一体性感覚野に到達し、さらに高次な脳の領域に伝わります。そこでやっと、触覚なら「触った」痛覚なら「痛い」温覚なら「温かい」と認識します。これを「知覚」といい、その知覚を処理しどのように次へ繋げていくか、これを『感覚認知』と言います。


少し難しい話になりますので、もう少し簡単に説明しますね。
皮膚にある、それぞれの受容体が刺激されただけでは、人間は「感じる」事ができません。その受容体から脳に伝わる神経、そして脳が正常に機能して「感じる」事ができます。しかし、厄介なことがあります。例えば「10」と言う程度の刺激が受容体を刺激して神経を通り、脳で感じる時、必ずしも「10」と言う程度で感じるとは限らないのです。

人によってその程度は「9」だったり「3」だったり時には「15」だったりします。また、刺激の強さだけでなく「サワサワ」と感じるのか「ジワジワ」と感じるのか「ビリビリ」と感じるのか、感じ方にも個人差があります。

皮膚感覚には「刺激の程度」と「刺激の質」によって表されるのですが、これらに個人差があるのは、その時のその人の精神心理状態に大きく左右されることが知られていて、精神心理状態に左右されるということは、大きく捉えるとその人の生育歴や家族歴、人間関係や価値観、倫理観や哲学など複雑に影響を及ぼされているんです。



さて、一方、『破局的思考』とは何か。
ひとことで言えば「よくある状況から最悪の状況を想像し、それをバカげた発想として片付けずにくよくよと考えて、話を大きくしてしまうこと。」と説明されます。英語では〝pain catastrophizing〟と表記されます。


「悲観主義(pessimism)」と比較するとよく分かります。

悲観主義:うちの猫は他の猫に比べて活発ではない。まあいつものことだけど。
破局的思考:うちの猫は他の猫に比べて活発ではない。もうすぐ死んでしまうから!!

悲観主義:今日、上司は言葉数が少ない。私がなにか失敗をしたから?
破局的思考:今日、上司は言葉数が少ない。きっともうすぐ私をクビにすると伝えに来るから!!

悲観主義:水道の蛇口が閉まらなくて水が漏れてる。業者よんで修理しないと…ついてないな~
破局的思考:水道の蛇口が閉まらなくて水が漏れてる。どんどん止まらなくなって家中水浸しになっちゃう!下の階の人に迷惑かけて管理人から部屋を追い出されてしまう!!


この様に考えてしまうのは、その人の「考え方の癖」です。この「考え方の癖」というのは、その人の長年培ってきた経験や生育歴などが大きな影響を及ぼすとともに、その時の精神心理状態からも影響を受けます。しかも破局的思考というのは「そんな考えは馬鹿げている」と何となく自分でも分かってはいるんだけど、それが止められない。そこが「病的」な部分でもあると言えます。

この様な破局的思考というのは、抑うつ感や不安障害の原因になっていることが多いと言うことは、容易に想像がつくと思います。同じ事象に対して、破局的思考をする人とそうでない人では、認知の仕方が違うため、それを「ストレス」として受け止めるかそうでないかの差が生まれてしまい、メンタルダウンするかどうかにも深く関わってきます。


一方で、痛み、特に慢性疼痛と破局的思考に関連性があるのは、臨床で患者様を診ていると何となく理解できるのですが、ハッキリと論文的な裏付けがあると言われだしたのは2000年に入ってからです。

痛みというものは誰にとっても不快なものですよね。だから、痛みが出るような動作・行動・行為というのは自然と避けるようにインプットされています。そして、持続的に痛みを感じてしまう「慢性疼痛」では、常に痛みを感じてしまうために、その人はどんどん、抑うつ的になったり悲観的になっていったりします。

そこで悪循環が生まれます。



痛みというのは、確かに身体の異常を知らせるアラートの役割を果たしていることは事実です。しかし、「見逃してはいけない痛み」と「それほど重要でない痛み」と言うものがあり、それは痛みの程度であったり痛みの種類(ズキズキ・ズンズン・チクチク・シクシクなどと表されます)であったり、そういうもので鑑別できます。

例えば、ストレッチ。ピーンと筋肉が伸ばされると痛いですよね。また、凝りを感じている部分を指で圧迫したりすると痛みを感じます。人によっては「痛気持ちい」と表現されますが、そのような「痛み」というのは「それほど重要でない痛み」です。

もともと破局的思考をするような人だと、そのような「それほど重要でない痛み」ですら「見逃してはいけない痛み」として認識してしまい、その痛みを常に意識し避けるようになるため、例えば筋力が落ちたり関節がより硬くなったりして、どんどん身体機能が落ちていきます。身体機能が落ちていくと、今まで出来ていたことができなくなり、悲観的になったり自己肯定感が下がったりして抑うつ感を生んでしまう。そしてどんどん痛みに敏感に反応するようになり、生活そのものが「痛み」中心に振り回されるようになる…

ここまで来ると「完成された悪循環」に陥り、その負のループからなかなか抜け出せなくなり、身体的にも精神心理的にも病んでしまいます。


何度も言いますが、これはもともとの「考え方の癖」であったり物事をどの様に捉えるのかという「認知のゆがみ」であったりするわけです。ですので、そこを修正していけば良いのですが、これがなかなか大変。

近年、うつ病などの治療に効果があると言われている「認知行動療法」と言うものがあります。これは、前述した「認知のゆがみ」を修正していき、目の前に起こった事象に対して、自分自身にストレスとならない受け止め方(認知)をする治療法です。治療なのですが僕なりに言うと「トレーニング」です。

とっさ的に起こる事象に対して「これは こうだから こういうふうに とらえて こう かんじれば よい」なんて、瞬時に判断なんか出来ませんよね(笑)それを瞬時に判断できるようになるためには、繰り返し繰り返し、何度も何度もトレーニングする必要があるんです。できればそれは自分自身の頭の中だけで処理するのではなく、同じ様な立場の仲間であったり心理カウンセラーであったり、自分以外の人からのフィードバックをもらうことで、より強固になっていきます。


クララが立った!!ってクララは何の病気だったの?」でもお伝えしましたが、運動機能と精神心理状態とは、かなり密接な関わりを持っています。リハビリセラピストは、目の前に起こっている患者様の異常に対し、どうしても身体機能ばかりに目がいきがちです。もちろんその異常に敏感に感じ取る必要もありますが、何か違和感を覚えるようであれば、やはり患者様の精神心理状態にもきちんと向き合い、そして面倒くさがらずに正しく対処していくことを身に着けて頂きたいと思っています。


そのためには「完成された悪循環」「負のループ」に陥る前、できるだけ早期にその兆候を察知して対処する必要があるので、患者様とかかわる時に、「破局的思考になりやすい性格か」「過去のライフイベントに対してどの様に対処してきたか」「食欲や睡眠状態」「抑うつ的になりやすいか」などを把握しておくと、良いかも知れません。

2023年9月20日水曜日

忘れられない患者さん③後縦靭帯骨化症のおじいさん・その2

 「忘れられない患者さん③後縦靭帯骨化症のおじいさん・その1」からの続きです。



前回の終わりに、「この方とはまた2回同じ病院で関わることになりますが」と締めくくったのですが、その前に、前回の冒頭で「制度上、透析通院の際、ドライバーは患者様の移動の介助をしてはいけない」に対して※裏ワザはあります、と書きました。それはどの様な意味かと言いますと、やはりドライバーは送迎車までの移動の介助はできません。しかし、そのお手伝いができるサービスがあります。それは「ヘルパー」です。実は、ケースによっては、透析送迎車の到着に合わせてヘルパーさんが利用者様のお宅にお伺いし、送迎車とご自宅(自室)の移動を介助する、と言う利用の仕方も可能です。


さて、本題に戻ります。

前回から話題のAさん。様々な介護保険サービスを導入し、同じ賃貸マンションのお部屋に退院されましたが…約1年後、症状が悪化し、御本人の希望で後縦靭帯骨化症の手術を行うことになりました。ただし、手術を待っている期間の間、手術前の検査やリハビリのため、一時的に僕の勤務していた病院に2週間ほど入院し、その後、手術をする病院へ転院、さらにそこから2週間後にリハビリ目的で、再入院となりました。

手術後のリハビリによる入院の時、当初、僕の担当ではなく後輩が担当していたのですが、諸々の理由により、途中から僕が担当となり、また、初回の入院時と同じ作業療法士とペアを組むことになりました。

手術後ということもあり、ひげは綺麗サッパリと剃られており「仙人」ではなくなると同時に、前回と同じ病院に入院したということもあり、ある程度、勝手が分かっていると言うか、職員にも顔見知りが増え、前回よりも穏やかでかつクセが二つくらい取れていた感じでした(笑)。

手術をしたものの、やはり、後縦靭帯骨化症によって神経が圧迫していた時間が長かった影響もあり、ご本人曰く「やってもあんまり変わらんかった」と。しかしこれはよくある話で、神経というのは圧迫されている期間が長くなれば長くなるほど、回復するための時間は長くなり、場合によっては回復不可能となることもよくあります。それは、御本人も手術前のIC(インフォームドコンセント)で説明を受けており、それを承知で手術したわけですから、まあ、あまり強くは言われませんでした。

また、僕が担当を引き継いだ時には、T字杖をついてほぼほぼ介助なしでも歩ける状態で、時々、つまづいて転倒しそうになるのを介助する程度でした。


この頃になると、訓練の内容もレベルアップして、寝たままや腰掛けたままで行う筋力強化練習ではなく、立って行う筋力強化練習へと変えていきました。その方が、筋力の付き方も早く、また、「歩く」事により近い状態での練習に繋がり、様々な良い効果があるためです。

「これなら早く帰れそうだね」と作業療法士と僕とAさんで話をしたちょうどその頃でした。


実は、この時点で、僕はメンタルダウンしてしまい、1ヶ月の休職をしてしまいました。

この休職期間中に、院内ではCovid-19(新型コロナ)によるクラスターが発生し、Aさんも感染してしまいました。僕は、そんなこととはつゆ知らず、「Aさん、もう退院されただろうな…」と内心寂しく思っていたのですが、復職したその時にもまだ退院されておらず、久しぶりにお顔を拝見しても、活気なく、また顔はやせ細り、いつもの元気なAさんの姿はそこには有りませんでした。



これは、僕が復職してからカルテを見て初めて知ったのですが、Aさんはかなりの高熱を出し、やや危険な状態だったのです。しかも食事もあまり摂れておらず、とても心配しました。

メンタルダウン後の復職直後の僕には、この現実はあまりにもつらい現実でした。

やはりまだ、僕の心は不安定で、変わり果てた御本人の前で涙してしまい、また、Aさんの状態を上司に報告するだけでも、何故か涙が溢れて仕方有りませんでした。
それだけが原因では有りませんが、僕は、復職して2週間で、再びメンタルダウンし休職をしたのです。

あんなに元気だったのに…
もうすぐ退院だって時に…
どうして…
どうして…


この年、僕は絶不調で、1年の間に何度か休職と復職を繰り返してしまい、Aさんだけでなく担当の患者様と僕のフォローに回ってくれた同僚や対応して下さった上司には、本当にたくさんご迷惑をかけてしまいました。

忘れられない患者さん③後縦靭帯骨化症のおじいさん・その1」でも書きました通り、Aさんは僕の父と同い年。それもあって、強い思い入れがあったのも確かですし、お互いに「秘密の共有」をした仲であったので、なおさらです。

その後、無事に自宅へと退院されましたが、僕はその病院を退職したため、その後のAさんの様子は分かりません。



今でも思い出す、Aさんの笑い話があります。
Aさんは糖尿病でかつ維持透析をしています。そのため食事には制限があるのですが、ある日、その様な現状に嫌気が差したらしく、やけになってコンビニでポテトチップスを買ってきて、一気に6本食べたそうです。

小さくて短い方ではなく、長くて大きい方を(このポテトチップスがAさんの好物であることは、初回の入院時にお聞きしていました)。
そしたら、その日の夕方から急にめまいや吐き気などの体調不良を引き起こし、救急車で搬送されたことがあったと。そして緊急で透析をして一命はとりとめたらしいのですが「わしはもう絶対にあんなことはせん(笑)」と。そんなお話しを聞いて僕は思わず吹き出し、二人で大笑いした記憶があります。

もちろん、医療従事者としては「そんなこと二度としてはいけません」と釘をささなければならないところですが、嫌気が差す気持ちも分かるしやけを起こしたくなる気持ちも分かる。僕だってそうしてたかもしれないと思うと、注意する気にはなれませんでした。



初回の入院時「や~ば~い~」と思っていたヒトクセもフタクセもあるAさんでしたが、僕にとってはなんだか「親戚のおじさん」のような感覚になっていたのかも知れません。

今でも、ご健在でいらっしゃることを祈るばかりです。

最新のblog

 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『 第38回日本エイズ学会 』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。 なお、読みやすい...