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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年12月1日日曜日

POSITIVE TALK 2024~第38回日本エイズ学会学術集会より

 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『第38回日本エイズ学会』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。

なお、読みやすいように段落ごとにタイトルをつけてお届けします。




①問題提起
皆さん、初めまして。ボクは勝水健吾(かつみずけんご)と申します。よろしくお願いいたします。

よく「珍しい名前ですね」と言われますが、ニックネームでもなければ芸名でもペンネームでもありません。紛れもない実名です。

なぜボクが実名でここに立っているのか、それを頭の隅においていただいて、これからの15分間、お聞きいただければと思います。

ボクが陽性告知を受けたのは2003年ですので、もう20年以上経ちました。その間、医療技術は進歩し、ボクらの療養生活は困難なものから開放されつつあります。また、行政や福祉制度も、より健康的に寿命を全うできるような制度へと、少しずつではありますが変化してきました。

陽性告知を受けて医療機関につながった時、医師・看護師さんを始め、心理カウンセラーや薬剤師さんなど、非常に多くの方々の温かい支えがあり、とても安心した記憶があります。そしてそれは、20年以上たった今でも変わることはありません。

何より、ボクらを勇気づけてくれたのは「U=U」と言う科学的根拠に基づく事実です。
ボクは、陽性告知を受けた後、何より恐れていたのは「自分自身が感染源となり他人に感染させてしまうこと」でした。しかしその恐れも払拭してくれました。

けれど、昔も今も変わらない事実があります。

それは、HIV陽性者に対する偏見や差別です。

ボクが経験してきたのは「ただの勝水健吾さん」がHIV陽性者だと開示しても、多くの方はその事実を受け入れてくれました。しかし「HIV陽性者の勝水健吾さん」となると、途端に雲行きが怪しくなります。

これは何故でしょうか?
ボクなりに考え、導き出した答えが3つあります。


②行動免疫システムとHIV
1つは、人間は行動免疫システムに支配されている生物である、と言うことです。

行動免疫システムの詳細については、おそらくここの中にも、専門家がおられると思うので、ボクの口から改めてご説明することはいたしませんが、人間は生物として本能的に、「感染症」や「感染物」に対して嫌悪するという、生物としてのアラームが備わっているため、ある意味、致し方ないのかもしれません。

思い出して下さい。数年前、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、医療従事者が、医療従事者だということだけで忌み嫌われ、いわれのない差別行動を受けていた事実を。

③集団心理とHIV
2つ目に、集団心理というのもあるでしょう。

人の心というのは、「集団」になると思いも寄らない反応を示します。

集団心理を考える時「利他的行動」を理解するとある程度、問題解決の糸口があるような気がします。

「利他的行動」とはみなさんご存知の通り、「自分を犠牲にして誰かのために何かの行動をする」ことです。人間以外の生物でも、この「利他的行動」は見られるそうなのですが、人間だけは少し違う側面があります。人間は「自発的に利他的行動をする生物だ」ということです。人間以外の生物は、相手から求められれば利他的行動をするそうなのですが、自発的に利他的行動を取るのは人間だけ、なのだそうです。

この利他的行動が起こる背景には、「集団を守ろうとする機能」があると言われています。このことをHIV陽性者への偏見・差別の問題に置き換えて考えてみると、HIV陽性者の集団は、その集団の中で自分たちを守ろうと行動します。

もし、非HIV陽性者から差別行動を受けた、などの事実がわかった時、その非HIV陽性者を攻撃しようとしたり非HIV陽性者に対して嫌悪感情を持ったりするのだと思います。

でもそれは逆でも同じなんです。非HIV陽性者の集団は、非HIV陽性者同士を守ろうと利他的行動に出ます。HIV陽性者から「感染させられた」と言う事実がわかった時、非HIV陽性者の集団は、HIV陽性者の集団を攻撃し嫌悪感情を抱くでしょう。

④リアリティの欠如とHIV
そしてボクが一番の問題点だと思っているのは、3つ目の「リアリティの欠如」です。

事実、ボクらの様に、陽性告知を受けても、長く健康的な社会生活を送れている人たちがいっぱいいるのにも関わらず、不必要に恐怖心や嫌悪感情をもつ人は多くいる、とボクは感じています。

これは「HIVに感染しても健康的な社会生活を送れる」とか「U=Uとなれば性行為で感染させてしまうことはない」と言う「明らかな事実」と言う意味でのリアリティがあるはずなのに、何故か「もし自分が感染していたら」とか「もし誰かからうつされたかも」など、自分事として身に迫った時に、何故か先程お伝えしたような「明らかな事実・リアリティ」がどこへ、吹っ飛んでしまいます。

確かに、ボクも今まで色々な困難にぶつかってきました。しかし、今ここに立って、こうやって皆様の前でお話できているという事自体が、一つの証明でしょう。

しかし、恐怖心を感じずにはいられないという気持ちを抱いている人が多くいるのも事実です。

「頭では分かっていても心では受け入れられない」そんな感じでしょうか。


ボクの考える3つの問題点に対する解決法
さて、これらの問題点に対して、どの様に対処していけばよいのでしょうか?

ボクはこの3つの問題点に対して、この様に考えました。

人間が行動免疫システムに支配されている生物であるとしても、素晴らしい知性や何モノにも代え難い理性というものを持ち合わせています。感情を知性や理性で変容させることができるというのは、周知の事実のはずです。

集団心理であっても「HIV陽性者」と「非HIV陽性者」と言う集団に分けてしまうから、先程、お伝えしたような状況になるのであって、「人間」と言う大きな観点から集団を捉えればいいんです。性別もセクシャリティも年齢も国籍も、全部ひっくるめて「人間」と言う大きな集団なのです。

そしてリアリティの欠如。皆さんどうすれば、自分事として受け止めてもらえるのでしょうか?ボクが考えるに、まずいちばん重要だと思うのは、正しい情報を然るべき人がきちんと発信し続ける事だと思います。

例えば医師が、例えば看護師が、例えば行政が、例えば研究機関が、正しい情報を発信し続ける、と言う事が大きな影響力を持つ、と感じています。

さらに、このような問題は、なにもHIVに感染していない人たち「だけ」の問題ではない、とも思っています。

今まで、ボクらHIV陽性者は、偏見や差別を恐れるあまり、自分のHIVステータスを開示することに、強い抵抗があったのも事実です。それがまた、リアリティを失わせてしまう、一つの要因ではないか、と、最近、常々、思うようになりました。

偏見や差別を語る時、「誰かが悪い」とか「誰が正義だ」とか、そんなことは、全く関係ありません。皆の問題で、皆が解決しなければいけない問題を、それぞれに抱えているから起こる問題だ、と思っているんです。

だから、HIV陽性者自身も変わらなければいけない。

そう思わずにはいられないんです。

人は「変わろうとする」ことに対して恐れを抱く生き物です。
でもそれは、HIV陽性者だろうが非HIV陽性者だろうが、全く同じことのはずです。
変わろうとすること、変わることって、ボクはとても素晴らしい力だと思うんですよね。

ボクは普段、産業カウンセラーとして心理カウンセリングを提供しています。
そこでお会いする方々というのは、「変わりたい。自分を変えたい。けれどどうしたら良いか分からない」そんな方たちばかりです。

ご自身で「変わりたい」と思っておられる方の持つ力と言うのは、とても強い。けれど、「変わる」ためには、たくさんのエネルギーを使いますし、時間のかかることではあります。しかし、人間は必ず変わっていきます。

そんなことを日々、目の当たりにしているボクにとって、「変わること」と言うのは、人間の秘めた力を呼び起こしてくれるとても素晴らしいものだと、心から信じています。


⑥ボクの決意
さて、ボクが実名で、そして顔を隠すことなく、ここに立っている理由をご理解いただけましたでしょうか?

ただ、一つ強調しておきたいのは、HIV陽性者皆が「ボクのようになれ!」と言っているわけではありません

HIV陽性者だって、様々なバックグラウンドを持っていたり、様々な環境の中で生活しています。それを無視することはできません。

障害者だって色々ですから。

ただ、ボクの力で、この偏見や差別に関する問題をどれだけ解消できるかは分かりません。

ボクは来年で50歳になります。これから何年生きられるか分かりません。自分自身の死と言うものを意識せざるを得ない年令になってきました。しかし、残りの人生を、この偏見や差別に対する問題に、一石を投じながら社会に爪痕を残して生きていきたい。そう思っています。

そしてこの会場の中にも、ご自身のことを多く開示し、メディアに出て、そしてHIV陽性者のために様々な困難を切り開いていってくださった方がおられます。

ボクの記憶が正しければ、その方は恐らく、20年ちかく、そのスタンスを貫いてこられたはずです。

きっと、ボクなんかが想像する以上に、ご苦労をされてきたんだと思います。


さて皆さん、今年の朝の連ドラ「虎に翼」はご覧になりましたか?その主題歌で米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」の2番の歌詞にこうあります。

『人が宣う(のたまう)地獄の先にこそ 私は春を見る』

ボクは、そんな生き方をしたい。今はそう思っております。

どうか皆様、もう少し、もう少しボクらHIV陽性者のためにお力をお貸し下さい。
よろしくお願いいたします。


スピーチ後、座長のお二人からご感想・ご質問を頂きました。

高久様「十分に、社会に爪痕を残していらっしゃいますよ」
ボク「ありがとうございます😭😭😭」

特定非営利活動法人akta 代表者 理事長 岩橋恒太様(本学術集会大会長)より
岩橋様「リアリティの欠如と言う観点から、どの様にしたら“届けたい人”に情報を届ける事ができるのか。何か方法があると思いますか?」
ボク「永遠のテーマだと思います。ただ、方法として様々な人が、様々なタイミングで、様々な方法・ツールを使って、発信し続けるしかない、と今は思っています」


ボクはこの学術集会の期間、参加させていただいた一般演題・シンポジウムにて、必ず一題は質問をさせて頂きました。

必ず「産業カウンセラーでHIV陽性者当事者の勝水と申します」時にはそれに付け加え「長年、理学療法士として医療機関に勤務しておりました」と前置きをし。

これは、スピーチの⑥ボクの決意を体現致しました。

(質問の標的?!になった先生の方々、不躾な質問を投げかけたり困惑されるような内容をお話をさせて頂きました。この場をお借りしお詫びとお礼と申し上げます。本当にありがとうございました🙇🏻‍♂️)

※今一度強調しておきますが、このスピーチはボクの決意であって、セクシャリティやHIVステータスを開示することを推奨するものではありません。

少し余談になるのですが…

学術集会、最終日、TOKYO AIDS WEEKS CHOIRによる「合唱ミニコンサート TOKYO AIDS WEEKS 2024」を聴かせて頂きました。

その歌声を聴き、歌っておられる方々のキラキラとした表情を見ながら、何故か「このキラキラした笑顔を守らなければ!」と言う思いが湧いて出てきました。

そして、(アンコール前の)最後の曲、サウンド・オブ・ミュージックより「Climb Every Mountain」のコーラスが大変、心に響きました。

ボクは中学生の頃に入部していた吹奏楽部で、この曲を演奏した経験があります。それをきっかけに映画「サウンド・オブ・ミュージック」を鑑賞しました。まだまだ若かったボクですが、強烈に印象に残っています。

その歌をご紹介して、このブログを締めくくらせて頂きます。

2024年11月21日木曜日

こころの不調を抱える人が『人を支える“シゴト”』をすると言うコト~心理カウンセラー

 先日、『パラちゃんねるカフェ』でボクの新しい連載『こころの不調を抱える人が『人を支える“シゴト”』をすると言うコト』が始まりました!

そちらでは主に、ボクが長年携わってきた「理学療法士」を、こころの不調を抱えながらシゴトする事に関して、様々な側面から影響や限界などをお伝えしていこうと思っています。

一方で、今現在、ボクは相変わらずこころの不調を抱えたままではあるものの、「オンラインカウンセリング」のサービスを主業としていて「産業カウンセラー」で心理カウンセリングを行っています。

心理カウンセラーも「人を支えるシゴト」にはかわりありません。

これをお読みの方の中には「こころの不調を抱える人が心理カウンセラーなんてしてて、大丈夫なの?」とか「結局、こころの不調を原因で潰れてしまうんじゃないの?」とお思いの方もおられるのでは?

実は、開業する時に、自己紹介のところで、ボク自身のことをどこまで開示しようか迷っていました。いつぞやの(笑)Podcastでもお話していますが…

これは事実として受け止めていただきたいのですが、1年以上、心理カウンセラーとして多くの方と関わらせていただいているけれど、『心理カウンセリングと言うシゴトが原因でメンタル不調になったことは“ない”』のです!

いや、これ、ホント。まじで(笑)

前置きが長くなりましたが、何故、こころの不調を抱えながらも心理カウンセラーとしてやってこれているのか、自分なりの答えを今回のブログでお伝えしたいと思います。



【メリット】

1. 共感性の深さ

○当事者としての理解
精神疾患を経験した人は、当事者ならではの深い理解を持って、クライアントの心の状態に共感することができます。

○言葉の力
同じような経験をしたからこそ、言葉で表せない苦しみや悩みを的確に捉え、共感の言葉をかけられる可能性が高いです。

○信頼関係の構築
共通の経験を持つことで、クライアントはカウンセラーに対してより安心して心を開き、信頼関係を築きやすくなります。

2. 回復過程の共有

○希望を与える
自分の回復体験を話すことで、クライアントに希望を与え、回復へのモチベーションを高めることができます。

○具体的なアドバイス
具体的な回復方法や対処法を共有することで、クライアントはより実践的な支援を受けることができます。

○ロールモデルとなる
自分の経験を通して、クライアントが自分自身の人生を切り開いていくためのロールモデルとなることができます。

3. 多様な視点

○新しい可能性
精神疾患の経験は、多様な視点や価値観をもたらします。

○柔軟な対応
様々な状況に対応できる柔軟性や、クライアントの個性を尊重する姿勢を養うことができます。

○社会への貢献
精神疾患に対する社会の理解を深め、多様性のある社会の実現に貢献することができます。

4. 自己成長

○自己理解の深化
自分の経験を客観的に見つめ直し、自己理解を深めることができます。

○自己肯定感の向上
自分の経験を活かして社会に貢献することで、自己肯定感を高めることができます。

○人間関係の改善
カウンセラーとしての活動を通して、周囲の人々との人間関係を改善することができます。

【デメリット】

1. 心の負担

○再発のリスク
クライアントの話を聞くことで、自分の過去のトラウマが再燃する可能性があります。

○感情の消耗
常にクライアントの心に寄り添うことは、精神的な負担が大きい場合があります。

○境界線の設定の難しさ
自分の経験とクライアントの問題を区別することが難しく、感情的に巻き込まれてしまう可能性があります。

2.社会の偏見

○差別・偏見
精神疾患を持つ人に対する社会の偏見や差別は、依然として根強く残っています。

○雇用への障壁
カウンセラーとしてのキャリアを築く上で、雇用への障壁となる可能性があります。

○自己評価の低下
社会の偏見によって、自己評価が低下してしまう可能性があります。

精神疾患を持つ人が心理カウンセラーになることは、多くのメリットとデメリットが考えられます。自身の経験を活かし、クライアントに寄り添うことができるという点で、大きな可能性を秘めています。しかし、同時に、心の負担や社会の偏見といった課題も存在します。

しかし、これだけは断言できます。

心理学や精神医学、脳科学などを学ぶことは、自分の中にいる『精神疾患という敵』を知ることにも繋がり、冷静に対処できるようになったり、セルフケアの大切を知ることになったりして、実践する機会を与えてくれます。

そして何より、クライエントと過ごす時間が、ある意味、自分への気付きとなることが、大変多くあります。自己一致していれば、クライエントの問題と自分自身の問題と、共感できる反面、それを切り分ける訓練にもなります。



さて、こんなボクではありますが、これからも「産業カウンセラー」と言う資格を活かし、「心理カウンセラー」を生業とし、生涯現役でありたい、そう強く思っております。

2024年11月2日土曜日

「刹那主義」と「今を生きる」…何が違う?

 先日、以下のようなネット記事を発見し、思わず筆を執りました。

刹那主義化する日本人? 「大切なのは今を楽しむこと」が10年間で約1.5倍に【イプソス調べ】

記事中に『「重要なのは今日を楽しむことであり、明日のことは明日考えるようにしている」という設問に対し、「同意する」と回答した人は日本では45%にのぼった。』とあり、その見出しを『刹那主義の価値観』と表現。

ボクは、ちょっと憤りのような感覚に陥りました。

確かに、言葉ヅラだけ追えば、似たような意味に捉えられるかもしれません。しかし、その意味するところは、全く持って雲泥の差があります!!

そこで、「刹那主義」と「今を生きる」事について言葉の意味などを考えながらお伝えしたいと思います。


1.刹那主義

「刹那主義」という言葉には、一般的にネガティブなイメージがつきまといます。「刹那的に生きる」というと、将来への展望を持たず、その場の快楽だけに身を任せるような、無責任で享楽的な生き方を連想させるからです。しかし、仏教における本来の意味での「刹那」は、単に「極めて短い時間」を指す言葉であり、決して否定的な意味合いはありません。


2.現代社会における「刹那主義」

イプソスの調査では、「既存の政党や政治家は、自分のような人間を気にかけていない」と考える日本人は62%に達し、7年間で約1.6倍に増加しています。将来が予測しにくい状況下では、長期的な展望を持つことよりも、今この瞬間を充実させようとする傾向が強まるのも無理はないでしょう。


3.刹那主義の功罪

刹那主義には、肯定的な側面と否定的な側面の両面があります。

①肯定的な側面
○ストレスの軽減
将来への不安や過去の後悔にとらわれず、「今」に集中することで、ストレスを軽減することができます。

○感性の向上
五感や感情を研ぎ澄まし、瞬間瞬間に意識を向けることで、感受性が豊かになり、人生の喜びをより深く味わえるようになります。

○行動力
未来への不安を理由に行動を先延ばしにするのではなく、「今」できることに積極的に取り組むことで、より多くの経験を積み、成長を促すことができます。

②否定的な側面
○責任感の欠如
将来への備えを怠り、目先の快楽だけに走ってしまう可能性があります。

○人間関係の希薄化
長期的な関係を築くことを重視せず、その場限りの関係に終始してしまう可能性があります。

○目標達成の困難さ
長期的な目標を立て、それに向かって努力することを放棄してしまう可能性があります。


4.「今を生きる」

過去や未来にとらわれず、現在の瞬間を大切にする生き方です。私たちには五感、感情、そして言葉では言い表せない様々な感覚があります。これらの感覚に意識を集中することで、「今」という瞬間を充実させ、多くの満足感、幸福感を得ることができるでしょう。


5.刹那主義と「今を生きる」ことのバランス

重要なのは、刹那主義と「今を生きる」ことのバランスをとることです。

○将来への備えは必要
刹那的に生きることのみに価値を置くのではなく、将来への計画を立て、必要な準備をすることも大切です。

○過去から学ぶ
過去の失敗や成功から学び、将来に活かすことが重要です。

○「今」を充実させる
過去や未来にとらわれすぎず、「今」という瞬間を大切にし、五感を研ぎ澄まし、様々な感覚を味わうことを意識しましょう。

「今を生きる」ことは、単に刹那的に生きることを意味するのではなく、過去と未来を踏まえ、現在という瞬間を最大限に充実させることです。


6.刹那主義を超えて

真に「今を生きる」ためには、自分の人生に責任を持ち、主体的に行動することが重要です。人からどう思われるかを気にするのではなく、ありのままの自分を受け入れ、自分の価値観に基づいて行動することで、地に足の着いた、充実した人生を送ることができるでしょう。

「刹那主義」という言葉の本来の意味を理解し、その肯定的な側面を活かしながら、過去と未来を踏まえた上で「今」という瞬間を大切に生きることが、私たちが目指すべき姿なのではないでしょうか。

2024年10月29日火曜日

苦しんでいるのは若者だけではない…自傷行為の理解と対応

連日、『〇〇横キッズ』と言う呼ばれ方でマスコミに取り上げられている、若者の問題。そこには、市販薬を中心としたOD(オーバードーズ)を常習化してしまった若者の姿があります。


ボクは最初、これらの事実を耳にする度に、何となく「ただの依存行為ではないかも…」と、ずっと思ってきました。そんな矢先、ボクのクライエントの一人が、自傷行為(リストカット)を経験されておられる方に出会い、前述の『〇〇横キッズによるOD』と『リストカットなどの自傷行為』について、深く考えるようになりました。


※なお、この記事は、ボクのクライエントの許可を得て作成し、掲載しています。



1.自傷行為とは?


自傷行為とは、〝自殺以外の目的で、死に至らない程度の予測を持って、意図的に自分の体を傷つける行為〟と定義されています。代表的なものとしてはリストカットが挙げられますが、皮膚を焼く、つねる、壁に頭を打ち付けるなど、様々な形態があります。先ほど出てきたODも、自傷行為の一つだという見解のようです。



2.自傷行為の背景


自傷行為は、激しい怒りや不安、緊張、気分の落ち込みといった、つらい感情を軽減するために行われて、こうした感情の背景には、家庭内での虐待、いじめ、人間関係のトラブルなど、様々な問題が潜んでいることが多いようです。



3.なぜ自傷行為で気持ちが楽になるのか?


脳科学的に言われているのは、自傷行為をすることで、脳内麻薬様物質(エンケファリンやβ-エンドルフィン)が分泌され、一時的につらい気持ちが和らぐという効果があることが分かっています。また、自傷行為によって意識の中でつらい記憶や感情を切り離し、「なかったこと」にすることで、心の痛みから逃れようとしているという側面もある、と言われています。


脳内麻薬様物質が分泌される、と言う意味では、いわゆる依存症と同じですよね。依存症には『物質依存』と『行為依存』があって、前者は体内に依存物質を取り込むことで形成される依存症の事で、違法薬物・市販薬や処方薬・アルコールなどの依存があります。後者は、何かの行為をする事で形成される依存の事で、インターネット・セックス・ギャンブル・万引きなどがあります。


この様に考えると、自傷行為というのは『行為依存』に分類されるものの一種かもしれませんね。



4.自傷行為の問題点


①一時しのぎでしかない

自傷行為は、あくまでも一時的な対処法に過ぎないと言われています。根本的な問題解決を先延ばしにすることで、状況がより複雑化・深刻化する可能性があります。


②エスカレートしやすい

自傷行為を繰り返すうちに耐性ができ、より強い刺激を求めるようになる、と言われています。そのため、自傷の頻度や強度が増加し、最終的には「切ってもつらいが、切らなきゃなおつらい」という状態に陥ってしまう可能性もあります。


これらの観点から、まさに「行為依存」であると言えるかもしれません。一時しのぎだと頭で分かっていても、せずにはいられない。さらに「もっと、もっと」と強い刺激を求めてしまう…。




5.自傷行為への対応


①誤った対応

 ◯頭ごなしに叱責する

 ◯自傷行為を禁止する、約束を強要する

 ◯「誰かの真似」「関心を引こうとしている」などと決めつける

 ◯過剰に同情する、驚く


②望ましい対応

 ◯冷静に状況を把握し、必要に応じて傷の手当てをする

 ◯否定せずに、本人の気持ちに寄り添い、話を聞く

 ◯自傷行為の原因を探る

 ◯自傷行為以外の、より健康的な対処法を一緒に考える

 


6.自傷行為はSOSのサイン

自傷行為は、子どもからのSOSのサインです。「自分を傷つけたいほどつらい」という子どもの心の叫びに耳を傾け、適切なサポートを提供することが重要です。


そして、自傷行為は、子ども時代だけの問題ではありません。


大人になってからも「生きる手段の一つ」として「自傷行為をし続ける」ことをせざるを得ない方もおられます。




このブログ記事を締めくくるに当たり、最初にご紹介しました、ボクのクライエントをご紹介致します。


この方は気分障害によって休職され、ボクのところへ来られました。そして心理カウンセリングを進めるうち、過去にリストカットをしていた事、また、今でも心の調子が悪いときにはリストカットをする、と言うことを開示してくださいました。


その方からのお言葉です。


「自傷行為をする方へ。自傷行為をすることで一時的に気持ちは楽になるし生きられるようになる。けれど、できれば楽な時に、自傷行為以外の方法で楽になれることを探して欲しい。それは、自傷行為は一時しのぎで根本的な問題解決ではないから。けれど、自傷行為を無理に辞める必要はない(それは生きるためだから)。ただ、それを最終手段の“逃げ場”と捉えてほしい。」


「自傷行為を見つけてしまった方へ。自傷行為は生きるための手段だから、無理に止めさせないで欲しい。それよりも、話しを聞いてそばにいてあげて欲しい。それだけで十分。強く否定したり大げさに捉えられると、当事者も困惑してしまう。それは“死にたいからする行為”ではなくて“生きたいからする行為”だから。」




2024年10月19日土曜日

過剰適応~日本社会特有の落とし穴?

 現代社会において、ストレスや精神的な健康は重要なテーマとなっています。特に日本では、周囲の期待に応えようとするあまり、自分自身を犠牲にしてしまう「過剰適応」が問題視されています。

過剰適応は、職場や学校、家庭など、あらゆる場面で起こりうるものであり、一見すると真面目で周囲に気を遣う「良い人」に見えながらも、内面では大きなストレスを抱え込み、心身のバランスを崩してしまう可能性を秘めています。

もう、ここまで読んで「あ!自分の事かも…」とお思いの方もおられるのでは?


1.過剰適応とは?

過剰適応とは、周囲の環境に過度に適応しすぎてしまい、自分自身の内的欲求や感情を抑制してしまう状態を指します。具体的には、以下のような特徴が挙げられます。

○周囲の人の評価を過度に気にする
○他人に嫌われたり、拒否されたりするのを極端に恐れる
○自分よりも他人を優先し、自己犠牲的な行動をとってしまう
○断ることが苦手で、無理な要求にも応じてしまう
○自分の意見や感情を抑圧し、常に「いい子」であろうとする

2.過剰適応の背景

過剰適応は、日本の文化や社会構造と深く関連しているのでは?とボクは思っています。 日本では、協調性や同調性が重視される傾向があり、周囲との調和を乱さないように、自分の意見や感情を抑えることが美徳とされてきました。また、他人からの評価を非常に気にする文化で、「人に迷惑をかけてはいけない」「周りの期待に応えなければならない」という意識が強いことも、過剰適応を生み出す要因となっていると言えるのではないでしょうか。

3.過剰適応がもたらす影響

過剰適応は、以下のような深刻な影響をもたらす可能性があります。

ストレス:常に周囲に気を遣い、自分の感情を抑圧することで、心身に大きなストレスがかかります。
精神疾患:過剰なストレスは、うつ病、不安障害、パニック障害などの精神疾患を引き起こすリスクを高めます。
燃え尽き症候群:仕事や人間関係に過剰に適応しようとするあまり、燃え尽きてしまうことがあります。
自己喪失:自分の意見や感情を抑え続けることで、自分らしさを見失い、自己肯定感が低下してしまう可能性があります。


4.じゃあどうする?過剰適応への対策

過剰適応を防ぎ、自分らしく生きるためには、以下の対策が有効だと言われています。

①自分自身の状態を把握する

まずは、自分が過剰適応に陥っていないか、客観的に自分自身を見つめ直すことが重要です。自分の感情や欲求に素直に向き合い、ストレスを感じている場合は、その原因を分析してみることをオススメします。

②アサーションを身につける

勇者ケンゴのblog「正しい自己主張の仕方!!アサーションスキルとは(リライト版)」をご参照下さい。アサーションを身につけることで、相手に配慮しながらも、自分の意見や気持ちを伝えることができるようになり、過剰適応を防ぐことができます。これ、結構大事!!

③自分を大切にする

実はボク「自分を大切にする」と言う言葉は嫌いです。だって、どんなことをすることが「自分を大切にすること」なのか、と言う具体的な方法が思いつかなかったから。でも、一つ言えることは「自分を犠牲にし誰かのため“だけ”に奉仕する」と言うことは、「自分を大切にして“いない”」と言うことだと、今は理解しています。

④周囲に頼る

これが苦手な人が多い!ボクも含め。頼れる先をたくさん持つことが、もちろん過剰適応にも効果的ですし、生きづらさを解消するためにも、とても大切なことだと思います!!

⑤専門家のサポートを受ける

ぜひ、心理カウンセリングを利用して下さい。これは④周囲に頼る、の一つだと思っていただければ結構です。

5.まとめ

過剰適応は、日本社会特有の文化や価値観が背景にある、複雑な問題です。けれど、自分自身の状態を理解し、適切な対策を講じることで、過剰適応を防ぎ、自分らしく生きることができます!そう、できるんです!! 周囲の期待に応えることも大切ですが、自分自身を護り、生きやすく生活するために、ぜひ、たくさん頼れる先を見つけて、十分に頼って下さい(笑)。

そして「勇者の部屋」のオンラインカウンセリングもぜひ、ご活用下さい(笑)

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