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オンラインカウンセリング「勇者の部屋」の産業カウンセラー勝水のブログです。セクシャルマイノリティ(ゲイ)・身体障害者(HIV陽性者)・精神障害者(双極症)の当事者としての目線と、理学療法士・社会福祉士・産業カウンセラーとしての目線で、今まで経験したことや普段考えていることなど、様々な情報発信をしております。

2024年12月21日土曜日

愛憎~ドラマや小説の中の話ではありません!

実はこのところ、別々のクライエントさんから「愛憎」がテーマのエピソードをお聞きする機会が、何度かあったんです。ボクは、読書大好きっ子だったので(笑)「愛憎」という言葉は知っていましたし、「何となくこんなことだろうな~」と思っていたのですが、いい機会だと思い、深く調べてみました。

愛憎という言葉は「愛する心と憎しむ心」が複雑に絡み合った、人間の深淵を覗かせるような感情を表します。小説やドラマでは、愛憎劇がボクたちを惹きつけ、心を揺さぶります。そして、それはフィクションの世界だけの話ではありません。ボクたちの日常にも、愛憎は影を落とし、人生を大きく左右する力を持つことがあるのです。

1.愛憎の誕生:その背景にある心の葛藤

愛憎は、一体なぜ生まれるのでしょうか? その答えは単純ではないと思っています。それは人の心は複雑であり、愛憎の芽生えには、様々な要因が絡み合っているからです。

①失恋、離婚による心の傷

失恋や離婚は、深い心の傷をもたらします。 愛する人を失った悲しみ、裏切られた怒り、そして、自分自身の価値観さえも揺るがすような絶望感。これらの感情が渦巻く中で、かつて愛した相手への憎しみが芽生えることは、決して珍しいことではありません。

②自信のなさから生まれる不安

自分に自信がない人は、愛する人との関係においても、不安を抱きがちです。 愛情を失う恐怖、相手に捨てられるのではないかという不安、そして、自分自身の価値を認められない苦しみ。これらの感情が、愛する相手への過剰な束縛や、逆に突き放すような行動へと繋がる可能性があります。 これは、愛憎関係へと発展する土壌となります。

③他人に甘えてしまう依存的な性格

他人に依存しやすい人は、愛する人との関係においても、自分のアイデンティティや幸福を相手に委ねてしまう傾向があります。 相手の愛情が自分のすべてとなり、相手の言動に一喜一憂し、自分自身を見失ってしまう。このような状態は、相手への過剰な執着を生み、愛憎関係へと陥りやすくします。

2.愛憎関係:その特徴と危険性

愛憎関係は、以下のような特徴を持つ、不安定で破壊的な関係性だと言われています。

①感情のジェットコースター

愛情と憎しみが激しく揺れ動くため、関係は常に不安定で、感情の起伏が激しくなります。

②別れと復縁の繰り返し

関係が破綻しそうになると、愛情が再燃し、復縁を繰り返すパターンに陥ることがあります。しかし、根本的な問題は解決されないまま、再び同じような葛藤が生じ、関係は悪化していきます。

③衝動的な言動

感情に振り回され、冷静な判断ができなくなり、暴言や暴力、自傷行為、相手への嫌がらせといった衝動的な行動に走ってしまうことがあります。

④執着と依存

相手への執着が強くなり、相手の行動を監視したり、束縛しようとしたりします。また、相手に依存し、自分自身を見失ってしまうこともあります。

⑤コミュニケーションの破綻

感情的な対立が激化し、冷静に話し合うことができなくなります。互いの気持ちを理解しようとせず、非難や攻撃ばかりを繰り返すようになり、関係はさらに悪化していきます。

愛憎関係は、深刻な事態を招く可能性も孕んでいます。 感情の激化は、暴言や暴力、自傷行為、さらには心中や殺人といった取り返しのつかない悲劇に発展することもあります。 また、愛憎関係は、当事者双方に深い心の傷を残し、その後の人生にも大きな影を落とす可能性があります。

3.愛憎の克服:そのための具体的なステップ

愛憎の感情に苦しんでいる場合、どのようにすれば、その苦しみから解放され、健全な関係を築くことができるのでしょうか? 以下に、具体的なステップの一例をご紹介します。

①関係からの距離

まずは、愛憎の対象となっている相手や状況から、物理的にも精神的にも距離を置くことです。 これは、感情の波を鎮め、冷静さを取り戻すために必要なステップです。

②自己理解

自分自身の感情と向き合い、なぜ愛憎を抱いているのか、その原因を探りましょう。 幼少期のトラウマ、過去の恋愛経験、自信のなさ、依存的な性格など、様々な要因が考えられます。

③コミュニケーション

相手との関係を見直し、率直に気持ちを伝え、お互いのニーズを尊重したコミュニケーションを心がけてみてください。

④境界線の設定

自分と相手の境界線を明確にし、過度な干渉や依存を避ける必要もあるのでは?

⑤自己受容

自分の感情や弱さを認め、ありのままの自分を受け入れて。 完璧主義を捨て、自分を許すことで、心の安定を取り戻すことができます。ただ、これは難しい(汗)愛憎関係にある時、当事者はお互いに、「相手に原因がある」と思い込んでいることも多いんですよね…だから、自分をありのままに受け入れるって、かなりしんどいと思います。

⑥専門家のサポート

自分一人で解決できない場合は、心理カウンセラーやセラピストなどの専門家の助けを求めましょう。 専門家のサポートは、愛憎の根本的な原因を理解し、克服するための具体的な方法を学ぶ上で、大きな助けとなります。

4.愛憎の深淵に光を:未来への希望

愛憎は、確かに複雑で苦しい感情です。しかし、克服できる可能性は十分にあります。自分自身の感情と向き合い、適切な対処法を実践することで、愛憎の苦しみから解放され、健全な人間関係を築き、より豊かな人生を送ることができると思っています。

ボク、よく事あるごとに投げかける質問で「愛情の対義語は?」とお聞きします。もちろん諸説あるのですが、その中に「無関心」という言葉があります。

「愛情」の対義語は「憎しみ」ではない、とボクは理解しています。

つまり、憎しみというのは、『対象となる相手に関心を寄せている』とも言う点で「愛情」と近しい感情である、とボクは思っています。

「愛憎」の感情というのは、時として、長く引きずることがあります。それは、愛憎の対象となる人と物理的に距離が離れたり、他界したりといったことで、その対象に直接的な感情をぶつけることが困難になった時です。

すると人はどんどん、愛憎が鬱積し知らぬ間に生活に入り込み、新しい人との人間関係にまで影響を及ぼすことも…

憎しみをぶつけたい…でもその相手はもう手の届かないところに…このジレンマに陥ると非常に苦しいと思います。

やっぱり、そんな時、絶対なる第三者である心理カウンセラーを利用することをオススメします。

2024年12月15日日曜日

人間関係に潜む罠?「心理ゲーム」

ボクたちは日常生活の中で、友人・家族・職場など様々な人間関係を築いています。しかし、コミュニケーションがうまくいかず、お互いにモヤモヤとした気持ちが残ってしまう経験は誰にでもあるのではないでしょうか?

また、最近ではSNSでの「炎上」とも言われる現象があり、誰かの投稿に対し、それを反論したり同調したり、それにまた反論したり同調したり…といった「エコーチェンバー」も、時々、見かけませんか?

実はボク、過去に2回ほどこの様な状況に陥ったこともあり、SNS上であるとはいえ、恐怖を感じたこともあります…

実は、このような状況は「心理ゲーム」と呼ばれるコミュニケーションパターンに陥っている可能性があります。 心理ゲームとは、表面的にはもっともらしい交流のように見えるものの、裏の思惑を正当化しようとして後味が悪くなるコミュニケーションのことです。


1.心理ゲームはなぜ起こる?

心理ゲームは、幼少期の親子関係に起因すると考えられています。 子供は、親からの注目や愛情(ストローク)を求めて様々な行動をとります。 しかし、親が忙しかったり、病気だったりして十分なストロークを与えられない場合、子供は無視されることの辛さから、たとえネガティブなものであっても、何らかのストロークを得ようとします。 その結果、子供は心理ゲームという生存戦略を身につけてしまうのです。

2.私たちがハマる心理ゲーム

心理ゲームには様々な種類があり、私たちも知らず知らずのうちに仕掛けたり、仕掛けられたりしています。 ここでは、代表的な心理ゲームをいくつかご紹介します。

●「はい、でも」ゲーム
相手に相談を持ちかけながらも、相手の提案をことごとく「はい、でも」と否定することで、相手をうんざりさせます。

●「キック・ミー」ゲーム
わざと相手に拒絶されるような言動を繰り返すことで、注目を集めようとします。

●「まぬけ」ゲーム
自分を過剰に卑下することで、相手の同情やアドバイスを引き出し、最終的には相手を怒らせてしまいます。

●「お役に立とうとしただけなのに」ゲーム
相手の期待に応えようと頑張りすぎるあまり、結局は相手を失望させ、自分は無力感に苛まれます。

●「こんなに一生懸命やってるのに」ゲーム
相手の気持ちを勝手に解釈して無理をしすぎることで、ストレスをため込み、最終的には逆ギレしてしまいます。

※これ以外にもいくつかありますが、もし興味のある方は、専門書などをお読みになることをオススメします。

3.心理ゲームから抜け出すには

心理ゲームにハマってしまうのは、幼少期に形成された人生脚本(自分らしさ)やラケット感情(偽りの感情)に囚われているからです。 しかし、大人になった私たちは、心理ゲームから抜け出し、より健全なコミュニケーションを築くことができます。

●心理ゲームの特徴を理解する
心理ゲームは繰り返し起こる、無意識に始まる、ラケット感情を伴うなどの特徴があります。 これらの特徴を理解することで、心理ゲームに気づくことができます。

●ゲームから降りる
相手の心理ゲームに気づいたら、反応せず、距離を置くようにしましょう。

●自分の弱みを把握する
自分がどのような時に心理ゲームを仕掛けやすいかを把握することで、未然に防ぐことができます。

●交流分析を学ぶ
交流分析を学ぶことで、心理ゲームのメカニズムを深く理解し、より効果的に対処することができます。

●ストロークの質を見直す
相手や自分に、ポジティブで直接的なストロークを与えるように心がけましょう。

ボクの場合、自分が「ゲームを始めた!」と気づいたときは、自らゲームから降ります。SNSであるなら、投稿を削除するのも一つでしょう。また、投稿を残したままであっても、他の方が反応したリアクションに対して、さらに上書きするような反応はしない、というのが懸命だと、経験上知りました。

また、誰かが「ゲームを始めた!」と思えるようであれば、それに反応しない・リアクションしない、という方法もありますね。

もし対面であるなら、少しその相手から(物理的にも時間的にも)距離をおく、というのが手っ取り早いかもしれません。

4.おわりに

心理ゲームから抜け出すことは、容易ではありません。 しかし、自分自身と向き合い、意識的に行動することで、より良い人間関係を築くことができる、と思っています。

そしてこの様な知識を知っておくことで、自分自身の傾向に対して対処できるようになりますし、自分以外の人がこのような傾向にあることが気づいた時、より良い方向へ関係性を向けることもできる、とボクは思っています。

2024年12月7日土曜日

バイセクシャル男性の苦悩~ボクの内なる偏見

 ボクは最近、ひょんなことから、何人かのバイセクシャル男性の思いや苦悩を耳にする事があり、彼らの抱える問題とそのお気持ちに思いを馳せる機会がありました。

ボクは『ゲイ』で、かつ、今まで近しいところにバイセクシャル男性の『本音』を聞く機会がなく、とてもハッとさせられました。

一部の方には、大変、不快な思いをさせることをお伝えするかと思います。もしかしたら、これを読んで、ご自身が傷つくかもしれない、と思われる方は、ココから離れることをオススメします。

ただ、最初にお伝えしておきたいのは、ボクはバイセクシャル男性の『生の声』を聴くことで、自分の内なる偏見に気付くとともに、自分自身の限界と可能性を知ることができました。

※これはバイセクシャル男性を拒絶するお話ではないことだけはご理解下さい。


まだ、若くてご結婚されておらず、ご自身の性的指向が、男性にも女性にも向いている方もおられると思います。

それでも、友人関係や理解あるゲイ男性に受け入れてもらっている方もおられるでしょう。

または、「セックスは男性とでもできる。だけど恋愛感情は女性にだけ」という方も「セックスするのも恋愛感情も、男女ともに」という方も。しかし、どちらにせよ、「ゲイ男性からもストレート男性からも、かつストレート女性からも理解されない」という思いがあるのでは…

その迷いや苦悩は、ボクの想像を遥かに超えている、と思っています。


そして、すでにご結婚され、またお子さんを授かった方も。

「守りたい家族」「大切にしたい家族」「愛している家族」という思いとは裏腹に、性衝動は男性に向いてしまう…そんな方もおられるかと思います。

きっと裏には「家族を裏切っている自分」と「男性とセックスしたい自分」の葛藤に日々、悩まされていることも想像ができます。

それはボク自身「親を大切に思っている自分」がいる一方で「一緒に暮らしたくない自分」の葛藤に似ているものがあると思っているからです。

ある意味「男性とはセックスするだけ」と割り切りができている方もおられるかもしれません。しかし、中には「男性にも恋愛感情をもってしまう」ことで、苦悩がより深く、そして「周囲に理解されない」という孤独感、そして「もし今の日本で同性婚が認めていられていたら違う選択をしたかもしれない」という社会制度への怒りなどもお持ちかもしれません。


ボクにはボクの思いがあって「バイセクシャル男性には近づきたくない」「浮気相手になる」「最終的には家庭に戻っていく人」など「自分が傷つきたくないのでバイセクシャル男性には近づかない」という行動をとってきました。

そのため、あえてバイセクシャル男性と深く関わりを持とう、とか彼らの思いを受け止めようとしてきませんでした。

そして特に既婚バイセクシャル男性に対しては「本当に大切なのは家族でしょ?」「奥さんや子どもたちのことを思うのであれば、家族に嘘をついてまで男性と付き合うべきではない」など、世間一般の『ド正論』を彼らに向けて思っていたことも事実です。

※何度もお伝えしておきますが、これをお読みになって不快に思われる、または受け止めきれないと思われる方は、読み進めることをお辞めになることをオススメします。

『ド正論』を自分自身に向けられた時「そんな事は分かっている」「分かっているけど今の自分にはどうすることもできない」「思いを共有できる人がいない」という思いが湧いてくるものだと思います。

セックスと性的指向、そして恋愛感情に関して、ボク自身に『ド正論』を向けられた経験はないのですが、他に抱えるボクの問題に対して向けられる『ド正論』を体験しているので、その部分では、共感できる部分ではあります。

『ド正論』は人間を精神的に追い込みます。そして、その様な言葉や文字を見ただけでも、直接的に自分自身に向けられたものではないと分かっていながら、傷つき、さらに追い込まれてしまいます。

何度もお伝えします。自分自身に向けられたものではないと分かっていても。

それを繰り返すことで、どんどん自尊感情が低くなり、自分自身を否定的に受け止め、さらに自分の外側にある人たちへの恨みや憎しみになる部分もあるかもしれません。

ボクもそういう経験をしてきました。

ただ、そのボクに救いになったのは「同じ経験をした仲間」「同じ様な思いを抱えている仲間」に出会えた事でした。

もちろん、1対1の心理カウンセリングを受ける、というのも一つの方法でしょう。しかし、心理カウンセリングの場で得られた、心理カウンセラーからの共感性とは、大きな違いを持った「当事者同士だからこそ得られる共感・共感性」があると思っています。


ボクは大変、未熟で、かつ心理カウンセラーとして、それを名乗る事で求められる態度や発言に対して、まだまだ自覚が足らないと痛感しています。そしてそれが無意識に、誰かを追い込んだり傷付けてしまっています。また、一度、持ってしまった猜疑心をなかなか消し去ることができないことも分かっています。

そのせいで、ボクの大切な大切な良き理解者を失いつつあります。

よく「差別は無知から生まれる」と言います。一方でボクは「知識は自ら求めなければ得られない」とも思っています。最初に書いた通り、このところバイセクシャル男性の苦悩をお聞きする場面に遭遇し、「バイセクシャル男性の思いや本音を、きちんと聞いてこなかった自分」がいました。

それを契機にボクの中にある「バイセクシャル男性に向けられた『ド正論』」に気付き、その向う側にある「バイセクシャル男性の本音や思い、そして苦悩」に目を背けていた事に気付きがありました。

これは美談ではありません。
ボクの深い深い反省と失敗の告白です。そして内なる偏見への気付きと、自分自身の限界と可能性です。

そして自戒のための記録です。
身を挺してボクに気付きを与えてくれた方への、心からのお詫びと感謝の気持ちです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2024年12月1日日曜日

POSITIVE TALK 2024~第38回日本エイズ学会学術集会より

 2024年11月28日(木)~30日(土)にかけ、東京において開催された『第38回日本エイズ学会』の『POSITIVE TALK 2024』にて、HIV陽性者の当事者としてスピーチをしてきました。まずは、その発表原稿の全文を、こちらでご紹介させて頂きます。

なお、読みやすいように段落ごとにタイトルをつけてお届けします。




①問題提起
皆さん、初めまして。ボクは勝水健吾(かつみずけんご)と申します。よろしくお願いいたします。

よく「珍しい名前ですね」と言われますが、ニックネームでもなければ芸名でもペンネームでもありません。紛れもない実名です。

なぜボクが実名でここに立っているのか、それを頭の隅においていただいて、これからの15分間、お聞きいただければと思います。

ボクが陽性告知を受けたのは2003年ですので、もう20年以上経ちました。その間、医療技術は進歩し、ボクらの療養生活は困難なものから開放されつつあります。また、行政や福祉制度も、より健康的に寿命を全うできるような制度へと、少しずつではありますが変化してきました。

陽性告知を受けて医療機関につながった時、医師・看護師さんを始め、心理カウンセラーや薬剤師さんなど、非常に多くの方々の温かい支えがあり、とても安心した記憶があります。そしてそれは、20年以上たった今でも変わることはありません。

何より、ボクらを勇気づけてくれたのは「U=U」と言う科学的根拠に基づく事実です。
ボクは、陽性告知を受けた後、何より恐れていたのは「自分自身が感染源となり他人に感染させてしまうこと」でした。しかしその恐れも払拭してくれました。

けれど、昔も今も変わらない事実があります。

それは、HIV陽性者に対する偏見や差別です。

ボクが経験してきたのは「ただの勝水健吾さん」がHIV陽性者だと開示しても、多くの方はその事実を受け入れてくれました。しかし「HIV陽性者の勝水健吾さん」となると、途端に雲行きが怪しくなります。

これは何故でしょうか?
ボクなりに考え、導き出した答えが3つあります。


②行動免疫システムとHIV
1つは、人間は行動免疫システムに支配されている生物である、と言うことです。

行動免疫システムの詳細については、おそらくここの中にも、専門家がおられると思うので、ボクの口から改めてご説明することはいたしませんが、人間は生物として本能的に、「感染症」や「感染物」に対して嫌悪するという、生物としてのアラームが備わっているため、ある意味、致し方ないのかもしれません。

思い出して下さい。数年前、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、医療従事者が、医療従事者だということだけで忌み嫌われ、いわれのない差別行動を受けていた事実を。

③集団心理とHIV
2つ目に、集団心理というのもあるでしょう。

人の心というのは、「集団」になると思いも寄らない反応を示します。

集団心理を考える時「利他的行動」を理解するとある程度、問題解決の糸口があるような気がします。

「利他的行動」とはみなさんご存知の通り、「自分を犠牲にして誰かのために何かの行動をする」ことです。人間以外の生物でも、この「利他的行動」は見られるそうなのですが、人間だけは少し違う側面があります。人間は「自発的に利他的行動をする生物だ」ということです。人間以外の生物は、相手から求められれば利他的行動をするそうなのですが、自発的に利他的行動を取るのは人間だけ、なのだそうです。

この利他的行動が起こる背景には、「集団を守ろうとする機能」があると言われています。このことをHIV陽性者への偏見・差別の問題に置き換えて考えてみると、HIV陽性者の集団は、その集団の中で自分たちを守ろうと行動します。

もし、非HIV陽性者から差別行動を受けた、などの事実がわかった時、その非HIV陽性者を攻撃しようとしたり非HIV陽性者に対して嫌悪感情を持ったりするのだと思います。

でもそれは逆でも同じなんです。非HIV陽性者の集団は、非HIV陽性者同士を守ろうと利他的行動に出ます。HIV陽性者から「感染させられた」と言う事実がわかった時、非HIV陽性者の集団は、HIV陽性者の集団を攻撃し嫌悪感情を抱くでしょう。

④リアリティの欠如とHIV
そしてボクが一番の問題点だと思っているのは、3つ目の「リアリティの欠如」です。

事実、ボクらの様に、陽性告知を受けても、長く健康的な社会生活を送れている人たちがいっぱいいるのにも関わらず、不必要に恐怖心や嫌悪感情をもつ人は多くいる、とボクは感じています。

これは「HIVに感染しても健康的な社会生活を送れる」とか「U=Uとなれば性行為で感染させてしまうことはない」と言う「明らかな事実」と言う意味でのリアリティがあるはずなのに、何故か「もし自分が感染していたら」とか「もし誰かからうつされたかも」など、自分事として身に迫った時に、何故か先程お伝えしたような「明らかな事実・リアリティ」がどこへ、吹っ飛んでしまいます。

確かに、ボクも今まで色々な困難にぶつかってきました。しかし、今ここに立って、こうやって皆様の前でお話できているという事自体が、一つの証明でしょう。

しかし、恐怖心を感じずにはいられないという気持ちを抱いている人が多くいるのも事実です。

「頭では分かっていても心では受け入れられない」そんな感じでしょうか。


ボクの考える3つの問題点に対する解決法
さて、これらの問題点に対して、どの様に対処していけばよいのでしょうか?

ボクはこの3つの問題点に対して、この様に考えました。

人間が行動免疫システムに支配されている生物であるとしても、素晴らしい知性や何モノにも代え難い理性というものを持ち合わせています。感情を知性や理性で変容させることができるというのは、周知の事実のはずです。

集団心理であっても「HIV陽性者」と「非HIV陽性者」と言う集団に分けてしまうから、先程、お伝えしたような状況になるのであって、「人間」と言う大きな観点から集団を捉えればいいんです。性別もセクシャリティも年齢も国籍も、全部ひっくるめて「人間」と言う大きな集団なのです。

そしてリアリティの欠如。皆さんどうすれば、自分事として受け止めてもらえるのでしょうか?ボクが考えるに、まずいちばん重要だと思うのは、正しい情報を然るべき人がきちんと発信し続ける事だと思います。

例えば医師が、例えば看護師が、例えば行政が、例えば研究機関が、正しい情報を発信し続ける、と言う事が大きな影響力を持つ、と感じています。

さらに、このような問題は、なにもHIVに感染していない人たち「だけ」の問題ではない、とも思っています。

今まで、ボクらHIV陽性者は、偏見や差別を恐れるあまり、自分のHIVステータスを開示することに、強い抵抗があったのも事実です。それがまた、リアリティを失わせてしまう、一つの要因ではないか、と、最近、常々、思うようになりました。

偏見や差別を語る時、「誰かが悪い」とか「誰が正義だ」とか、そんなことは、全く関係ありません。皆の問題で、皆が解決しなければいけない問題を、それぞれに抱えているから起こる問題だ、と思っているんです。

だから、HIV陽性者自身も変わらなければいけない。

そう思わずにはいられないんです。

人は「変わろうとする」ことに対して恐れを抱く生き物です。
でもそれは、HIV陽性者だろうが非HIV陽性者だろうが、全く同じことのはずです。
変わろうとすること、変わることって、ボクはとても素晴らしい力だと思うんですよね。

ボクは普段、産業カウンセラーとして心理カウンセリングを提供しています。
そこでお会いする方々というのは、「変わりたい。自分を変えたい。けれどどうしたら良いか分からない」そんな方たちばかりです。

ご自身で「変わりたい」と思っておられる方の持つ力と言うのは、とても強い。けれど、「変わる」ためには、たくさんのエネルギーを使いますし、時間のかかることではあります。しかし、人間は必ず変わっていきます。

そんなことを日々、目の当たりにしているボクにとって、「変わること」と言うのは、人間の秘めた力を呼び起こしてくれるとても素晴らしいものだと、心から信じています。


⑥ボクの決意
さて、ボクが実名で、そして顔を隠すことなく、ここに立っている理由をご理解いただけましたでしょうか?

ただ、一つ強調しておきたいのは、HIV陽性者皆が「ボクのようになれ!」と言っているわけではありません

HIV陽性者だって、様々なバックグラウンドを持っていたり、様々な環境の中で生活しています。それを無視することはできません。

障害者だって色々ですから。

ただ、ボクの力で、この偏見や差別に関する問題をどれだけ解消できるかは分かりません。

ボクは来年で50歳になります。これから何年生きられるか分かりません。自分自身の死と言うものを意識せざるを得ない年令になってきました。しかし、残りの人生を、この偏見や差別に対する問題に、一石を投じながら社会に爪痕を残して生きていきたい。そう思っています。

そしてこの会場の中にも、ご自身のことを多く開示し、メディアに出て、そしてHIV陽性者のために様々な困難を切り開いていってくださった方がおられます。

ボクの記憶が正しければ、その方は恐らく、20年ちかく、そのスタンスを貫いてこられたはずです。

きっと、ボクなんかが想像する以上に、ご苦労をされてきたんだと思います。


さて皆さん、今年の朝の連ドラ「虎に翼」はご覧になりましたか?その主題歌で米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」の2番の歌詞にこうあります。

『人が宣う(のたまう)地獄の先にこそ 私は春を見る』

ボクは、そんな生き方をしたい。今はそう思っております。

どうか皆様、もう少し、もう少しボクらHIV陽性者のためにお力をお貸し下さい。
よろしくお願いいたします。


スピーチ後、座長のお二人からご感想・ご質問を頂きました。

高久様「十分に、社会に爪痕を残していらっしゃいますよ」
ボク「ありがとうございます😭😭😭」

特定非営利活動法人akta 代表者 理事長 岩橋恒太様(本学術集会大会長)より
岩橋様「リアリティの欠如と言う観点から、どの様にしたら“届けたい人”に情報を届ける事ができるのか。何か方法があると思いますか?」
ボク「永遠のテーマだと思います。ただ、方法として様々な人が、様々なタイミングで、様々な方法・ツールを使って、発信し続けるしかない、と今は思っています」


ボクはこの学術集会の期間、参加させていただいた一般演題・シンポジウムにて、必ず一題は質問をさせて頂きました。

必ず「産業カウンセラーでHIV陽性者当事者の勝水と申します」時にはそれに付け加え「長年、理学療法士として医療機関に勤務しておりました」と前置きをし。

これは、スピーチの⑥ボクの決意を体現致しました。

(質問の標的?!になった先生の方々、不躾な質問を投げかけたり困惑されるような内容をお話をさせて頂きました。この場をお借りしお詫びとお礼と申し上げます。本当にありがとうございました🙇🏻‍♂️)

※今一度強調しておきますが、このスピーチはボクの決意であって、セクシャリティやHIVステータスを開示することを推奨するものではありません。

少し余談になるのですが…

学術集会、最終日、TOKYO AIDS WEEKS CHOIRによる「合唱ミニコンサート TOKYO AIDS WEEKS 2024」を聴かせて頂きました。

その歌声を聴き、歌っておられる方々のキラキラとした表情を見ながら、何故か「このキラキラした笑顔を守らなければ!」と言う思いが湧いて出てきました。

そして、(アンコール前の)最後の曲、サウンド・オブ・ミュージックより「Climb Every Mountain」のコーラスが大変、心に響きました。

ボクは中学生の頃に入部していた吹奏楽部で、この曲を演奏した経験があります。それをきっかけに映画「サウンド・オブ・ミュージック」を鑑賞しました。まだまだ若かったボクですが、強烈に印象に残っています。

その歌をご紹介して、このブログを締めくくらせて頂きます。

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